幕間 薬の効能
「誰か来た……」
声を殺しているハーゼは、音がした方向を振り返る。先ほどクロエが割った窓ガラスを踏みしめ、警戒しながら近づいてくる存在を、ハーゼの耳はしっかりと捉えていた。
「まあ、十中八九お医者様じゃろうな」
「クロエ様、相手はお医者様です……。あまり手荒なことは」
杖を構え、好戦的な反応を見せるクロエに、アリシアは懇願するような顔を見せる。
「任せよ、千尋じゃあるまいし……」
その言葉を信じていいのか分からないアリシアとターニャは、顔を見合わせて苦笑する。決断は早いが好戦的ではない千尋のほうが、アリシアとターニャの信用は高いようだ。
「廊下……。歩いてる。真っ直ぐこっちに来るよ」
ハーゼが短く、そして声を潜めて注意喚起する。今、アリシア達の居る部屋に向かってくるお医者様であろう足音から隠れるように、扉の死角
に身を寄せ合って隠れる。
幼女アリシアがミーちゃんをしっかりと抱え、ハーゼが幼女アリシアを覆い隠すように抱きしめる。アリシアはその2人を隠すように立ち、クロエとターニャは非戦闘員を庇うように陣取った。
扉が部屋の内側に向かって開くと、先ほど貧困街で見たお医者様が姿を現す。部屋の中を見渡すと昨日さらってきたジャギュアの子がいなくなって居ることに気が付き、医者は思わず声を出した。
「くそっ!やられた……」
ミーちゃんが籠から居なくなった事に焦る医者は、外に駆け出そう振り返った瞬間、クロエとターニャに襲われる。クロエの杖により、頭に一撃を受け、ターニャの剣の柄で腹を殴られる。
昏倒する医者の意識の中で、アリシアが申し訳なさそうな顔をしており、訳もわからずに医者は意識を手放した。
「だからって、頭を叩くのは……」
なかなか目を覚まさない医者を絞り上げ、ターニャはクロエの乱暴なやり方を非難する。
「いや、ターニャ。お主も腹を殴っておったではないか?当たりどころが悪ければ死ぬぞ?」
「なっ……!クロエ殿の杖の方が!」
朦朧とする意識が徐々に覚めていく医師の耳に、嫌になるほどクロエとターニャの言い争いが聞こえてくる。腹部と頭部のからの痛み、不自由な身体、医師には分からないことだらけだ。
「な……何なんだ!これ!」
言い争う2人は、危ない薬を捌く悪人のお目覚めにしては素っ頓狂な驚きの声に困惑している。アリシアは困惑する医師の覚醒に胸をなで下ろしているようだった。
「お目覚めになったのですね!良かった……。2人が強かに叩いたものですから、少し心配していました。」
女神に認められる善性を持ちながら、人が簡単に死ぬ事を知ってしまっているアリシアは、目の前で動かなくなった医師を本当に心配していたようだ。
「あ……、どうも、貴女方は……」
縛られながらも医師は、馬鹿正直に反応する。それがどうしてもクロエとターニャには、違和感を覚えさせる。
「正義の味方だ!医師殿。ミーちゃん連れ去りと、危険な薬を売り歩いている件!」
ターニャが椅子に縛られている医師の眼の前に鋭い眼光を向けて立つ。
「説明していただこうか?」
悪事を全て見抜かれた医師は縛られながらも肩を落とした。悪事の過程をポツポツと話し始める。
「すいません……。僕、あ、いや私はアルベルトと言います。」
そう医師のアルベルトが話し出すと、幼女アリシアもアリシアに並び立ち、嘘ではないと頷く。
「あ……、アリシアちゃん。ごめんね?」
「ごめんですみませんよ!」
ハーゼが少し怒っているのか、全身の毛の少し逆立てながらアルベルトを睨む。
「分かってはいるんです……。ですが……」
「何か事情があるのか?」
睨みを利かせていたターニャの表情が少し柔らかくなった。それを察したアルベルトは安堵したのか諦めたのか、ため息を深くついた。
「わたしは……、その眠り香という薬を作らされていたんです。」
「何故じゃ?」
珍しく、未だ警戒を解いていないクロエが聞く。気まずそうにアルベルトはポツポツとまた話し始める。
「えっと……、その。脅されていまして」
「ほう?この街は悪人が多いのぅ」
片眉を上げてその美しい顔を歪ませるクロエはいやらしく笑う。
「眠らせて攫うための薬を作ったはずなんですが、飲んだら眠くなるだけなんですが……。焚いて使うと……。不安や苦しみを感じなくなって、眠りに落ち、しかも依存性があるってわかったんです。……」
「なるほどのう……。意外な副作用があったのか?攫うためのとは聞き捨てならんな?」
ゴクリと唾を飲みアルベルトは目を瞑る。
「その……奴隷商人……に、脅されて……」
「奴隷商人!」
幼女アリシア以外が思い当たる節があった。奴隷商人ガーネット。
「もしかして、ガーネットという……」
アリシアが聞くと、アルベルトは頷く。いよいよ逃げられないと観念したように下を向いて話を続ける。
「最初は寝れない日があるとか、そんな話だったんだ……。それで、薬を作って渡したんだ……」
ジャギーは窓辺で丸くなり、医師の独白や人間の懺悔になど興味がないように欠伸をする。かぁーと言う音を立て欠伸をするジャギーを見て、アルベルトは自嘲する様に乾いた笑いを浮かべる。
「そうしたら、後日……。人さらいに使ったからもっと作れと言ってきた。」
「なんで言いなりに……?」
ターニャが、当然の疑問を口にする。それも分かっていたようにアルベルトは鼻で笑う。
「こうやって縛られて、作るか死ぬか脅されたんだ……。もう最低だったよ……」
「それはお辛かったですね……。ターニャ、解いてあげて……」
アリシアが跪き、アルベルトの膝に手を当てる。ターニャはしぶしぶ、手は動かせる程度まで解き様子を見る。
「……ありがとう。で、薬に多幸感を得られる副作用が分かって、それを改良して生産する様に言われた……」
ターニャはアルベルトに反抗の意思がないことを確認するとまた少し解いていく。
「最初は貧困街で配ってたんだ。実験のはずだった……。でもやっぱり吸引すると依存性が強いみたいで……、金を払ってでも欲しいって言い出して……」
クロエが呆れたようにため息をついた。
「最終的には小遣い欲しさか?」
普段の飄々とした印象よりも冷たく言い放つクロエ。窓際のジャギーも毛づくろいをしながら、罵倒するように言い放つ。
「それで顔を知られてるジャギュアの子をさらったのかい?つくづく愚かだね」
言いたいことだけ言うと、ジャギーは返事には興味なさげに丸くなり目を瞑る。
「そう……。ごめんよ。アリシアちゃん……」
幼女アリシアは首を横に振る。
「私も、アリシアお姉ちゃんみたいになりたいの。ミーちゃんがいなくなったのはビックリしたし、悲しかった。」
アルベルトが肩を落とす。幼女アリシアの頭をハーゼが撫でる。
「でもミーちゃんは今ここにいるから、許すよ!」
「優しのですね?アリシアは……」
アリシアが幼女アリシアに微笑むと、とても嬉しそうに幼女アリシアも微笑む。
「まったく……。毒気が抜かれるわ……」
厳しい表情をしていたクロエがいつもの飄々とした印象に戻る。
「しかしお医者様よ?お主のやったことはごめんなさいではすまんぞ?」
「いや、でも奴隷商人に脅されて……」
「貧民から金を巻き上げたんじゃ、自分の意志での?」
「憲兵に突き出しますか?」
ターアニが現実的な落としどころを提案する。
「ガーネットの事は千尋に任せておけばよかろう。憲兵の件は妾も異論はないがの?我らがお嬢様はどうなんじゃ?」
この中で、ガーネットが永遠に静かになった事を唯一知るクロエが、アリシアを見る。
「私は罪を償って、ちゃんとした良い薬を作って下さい。私も眠れない夜を過ごしたことはあります。そのお薬は……人を救える薬になるはずです」
母オルテンシアの死、アリシアは幾度となく眠れない夜を10歳かそこらで過ごした過去がある。その辛さを知ってるからこそ、アルベルトの作った薬の価値を信じたいのかもしれない。
「しかし、アリシア様!危険な薬では?」
ターニャの言う事は間違いない。焚いて吸引すれば危険な薬だ。服薬と吸引で効能が変わる薬など、ターニャの倫理観では看過できない。
「でも、ちゃんと目の前で飲ませるとかすれば、眠れぬ夜は無いのですよ?」
ターニャも姉をゴブリンに殺され、アリシア同様に辛さを知っている。肩を落とし大きなため息をついてターニャはアルベルトを見る。
「だそうだ……。自首して洗いざらい話して、アリシア様の言いつけを守れ……」
「お主ら……。本当にお人好しじゃな?」
クロエが呆れつつ、分かっていたように微笑む。そして、窓際で寝ていたジャギーが起き、ハーゼの肩に飛び乗る。
「さあ、帰ろう?腹が減ったよ」
「アリシア〜」
知らない声がした。皆が幼女アリシアに抱かれるミーちゃんを見る。
「ごは~ん」




