偽りの歴史
アリシアは、その身が凶刃に貫かれる瞬間から目を背けるように目を瞑った。
だが、いつまでたってもやってこない激痛に目を開けると知らない場所にいた。
清涼な水を湛える地下湖には、真上からキラキラと光が差し込んでおり、天国への階段のように見える。洞窟と言うよりは、人工的に掘られた地下の洞穴という印象だ。
湖を観察していたアリシアが振り返ると、何かを祀っていたような祭壇と、それを引き立てるように石柱が立ち並んでいる。幾つかは朽ちて倒れており、この場所に人が訪れていない事を伺わせる。
そして、その祭壇を挟むようにして、千尋とメネシオンが見合っている。互いに剣とナイフを向け合いながら、牽制し合っている。
「あんたがやったの?」
「はぁ?ばっかじゃないの?もう少しでいい感じだったのに!」
「千尋様!これは一体……」
困惑した様子のアリシアが、キョロキョロと周りを見渡し、悲鳴に似た声を上げた。
「なにかやったっていうなら、こいつでしょ?こいつ!」
メネシオンがアリシアを指差す。アリシアは困惑、混乱はここに極まる。が、いがみ合う千尋とメネシオンの見つめるアリシアの存在が、メネシオンにとって不利な状況を作り出し、さながら三竦みのように、この場の均衡を保つ要因になっている。
「私ですか!?」
アリシアにそんな力が無いことは、千尋がよく知っている。善良を尊ぶだけの少女だからだ。そして目の前のメネシオンと言う魔族も犯人ではない。明らかにこの状況に狼狽え、アリシアと千尋を警戒し、キョロキョロと視線が泳いでいる。
千尋の想像する魔族とはメネシオンは少し違う。極悪非道、天上天下唯我独尊、手に負えない悪人を想像していた。が、このメネシオンと言う魔族は人間的な反応する。シュナレと言う魔族の方が、想像していた魔族に近い反応、言動をしていた。
「あんたはなんなわけ?」
千尋が思ったことを口にする。が、言葉足らずだった。
「はあ?魔族だけど!」
そう言ってそっぽを向く様な反応はやはり、人間的な反応だ。メネシオンはという魔族は、今の状況に順応できず拒否反応を示している。
「その角見ればわかるわよ。バカなの?」
「はぁ!バカ?バカっていう人が、バカなんですけど!」
アリシアが堪らずに笑い出す。魔族とは思えない人間的な反応に、彼女も我慢ができなかったようだ。
「何笑ってんのよ!」
千尋もため息をつく。想像していたのは未知との遭遇と、勧善懲悪を理由に楽しめる殺し合いのはずだった。
「もういいわ、話すだけ時間の無駄ね……」
「あんた、自分が頭いいと思ってるでしょ?」
メネシオンの呟きを無視し、ナイフをしまった千尋は周辺を探索し始める。わずかに風が流れてくる洞穴があり、出口の存在を伺わせるが暗く、どこにつながっているか分からない。
神殿を思わせる祭壇には、石碑とその隣に像の足の一部が残されている。朽ちて倒れた像の本体は地下湖の中に沈んでおり、わずかに認識できる顔の一部はエルフ像に近いものを感じる。
石碑に文字が書いてある。千尋が読もうと試みるが、なぜか千尋に識字出来る範囲を超えているおり、理解できない。
「アリシア、なんて書いてあるの?」
アリシアが呼ばれ、千尋の言う石碑の文字を読んでみようと試みるが、アリシアも知らない文字で書かれているようで、静かにアリシアは首を振る。アリシアが首をひねっていると、後ろからメネシオンが石碑を覗き込んで来た。
「何。読めないの?」
先程メネシオンが千尋に馬鹿にされた仕返しなのか、ニヤニヤしながら二人を見下すような視線を送る。
「あんた、読めるの?」
「読めるわよ、教えてあげないけど……」
勝ち誇るように仁王立ちするメネシオンだが、千尋のほうが上手だった。
「実は読めないんじゃないの?」
「はぁ?読めるし!我らが女神ハーリスを讃えるって書いてあんの!」
メネシオンがしまったと口を塞ぐ。千尋がニヤリとしながら、謝意が感じられないようなお礼を言う。
「ありがと、魔族さん?」
「メネシオンよ」
「知ってるわよ」
また喧嘩か言い合いに発展しそうなので、アリシアは二人の間に立つ形で仲を取り持つように振る舞う。
「教えてくれてありがとうございます。メネシオン様」
そう言ってメネシオンに対し、深々と頭を下げるアリシアを見て、メネシオンは少し気恥ずかしそうに頬を染め、誤魔化すように鼻を鳴らす。
「家畜の割に、礼節がわかってるじゃない?」
「家畜?」
訝しがる千尋にメネシオンは不思議そうに答える。
「人間って家畜なんでしょ?」
「わたしは農奴って聞いたけど?」
千尋が以前にターニャから聞いたアクロシアのおとぎ話、クロエと言う生き証人により事実と判明した話ではそうだった。魔族と人間、エルフの間に認識に齟齬があるのか、千尋の言葉にメネシオンは不思議そうな顔をする。
「家畜よ?エルフどもがそう作ったって、教わったもの」
腕組みをして、鼻息荒く言い放つメネシオンの反応を見ると、魔族の中にも伝承があり、魔族側とエルフ側で認識や情報が異なるのかもしれない。
「あなた達、魔族ってなんなの?」
「……どういう意味よ?」
「私も知りたいです。メネシオン様は私が聞いていた魔族とは……。ちょっと違うと言うか……」
アリシアは適切な言葉を知っていたが、それを本人に言っていいのかが分からなかった。
「なんか含みのある言い方するじゃん……」
すねたような反応のメネシオンに申し訳なさが勝ったアリシアは、メネシオンの印象を言いにくそうに伝える。
「その……、メネシオン様は悪い人ではないというか……」
「はあ?私、魔族なんですけど?」
その反応が千尋やアリシアの思う魔族然としていないのだが、それをメネシオンは分かっていない。
「なんかガキっぽいのよね」
「はあ、バカにすんなし!」
アリシアがまぁまぁと、両手でメネシオンを止める。
千尋の言い方は端的だが核心だった。千尋もシリアルキラーとして、メネシオンの見た目はかなりそそられるものがあるのだが、精神が未成熟すぎて、赤い物を身にまとった20代女性の枠の中にいまいち収まらない。
メネシオンの反応は千尋の世界で言う箸が転がってもおかしい年頃なのだ。
「あんた、いくつなの?」
千尋が改めてメネシオンを観察する。そこそこ胸はあるが、スラリとした体に女性的な下半身。母性本能が強そうで、言い方を変えれば姉御肌や面倒みが良さそうな印象がある。
その見立てに反するような角が生えているので、それが千尋やアリシアを余計混乱させるのかもしれない。
「と、年なんて関係ないでしょ!」
その反応が第二次成長期の反抗期を思わせる。
「十五、六?」
千尋がメネシオンの内面と反応から、当てはまりそうな年齢を口にする。それは奇しくもアリシアと同じ年であり、実際にメネシオンの年齢であった。
魔族は長命だが早熟である。魔物が闊歩する過酷な地の底で生きるには、五年程度で大人の体型になり、弱い立場である子供の時代を速やかに終えるのだ。
自然界に照らし合わせても、小動物等の生存率をあげるためにそれは行われている事だが、そこに精神の発達は含まれない。
「そ……、そんなわけないじゃん?」
「当たりね」
グっとメネシオンの体が強張る。
「私と同い年なのですね!」
嬉しそうにメネシオンの手を握るアリシア。千尋が初めてアリシアに出会った時もそうだったが、アリシアは悪とは何かが分かっていないのかもしれないと改めて思い、困惑するメネシオンを哀れむように見つめていた。




