新時代の先触れ
一仕事終えて、千尋はバルクヘッドドアから外に出る。紫炎を纏わせたナイフで切り刻めば、斬ったそばから傷口を焼き、返り血を浴びることもなく人目を気にする必要もなくなる。
何事もなかったかのように裏通りを抜けて、宿へ向かう千尋は、愉しげに微笑んでいる。美味しい食事を終え、帰路につくような軽やかな足取りで下層へと向かう。
下層にたどり着けば、千尋の軽やかな足取りは店から出てきたほろ酔いの男達のそれと酷似しており、違和感はない。男達に声をかけられるが、事後の余韻に浸る千尋は気にする様子もなく通りすぎる。
千尋は宿が近づくと一度立ち止まる。深呼吸をしていつもの自分に戻る。昔はサラシをして正体を隠しながら行っていたが、倫理観も法律も未成熟なこの世界で千尋は水得た魚だ。
落ち着き、何事もなかったかのように角を回ると、宿の周りは騒ぎになっていた。奴隷たちが大挙しているのだから当然なのだが、それなりに攫われていた街の獣人もいたようで、メネシオンとターニャが感謝の輪の中心にいる。
「何、あれ?」
千尋がそう呟いて近寄るとアリシアとチュクチが駆け寄ってくる。
「千尋さん!」
チュクチは千尋に抱きつくと尻尾を振り、主人の帰りを喜ぶ。千尋の体から血の匂いがして顔を上げると頬に傷を見つけ、チュクチは少し動揺する。
「大丈夫よ。大したことないわ」
千尋はチュクチの頭を撫でる。
「お帰りなさいませ。千尋様。メネシオン様とターニャがもう英雄のような扱いで……」
アリシアは微笑みながら輪の中心の二人を見る。メネシオンが奴隷にされていた獣人の親に手をとられ、感謝の言葉の洪水に飲まれている様はメネシオンの素性を知るものからすると滑稽を通り越して、少し微笑ましい。
「魔族だって気がついてるの?アレ」
「多分分かってないと思います。角を生やした獣人もいますから」
クスクスと笑うアリシアが少し意地悪そうだが、何故か自分のことのように喜んでいるのを千尋は不思議そうに見つめる。
しっかり地に足をつけたアリシアの思考は、千尋には読みづらい。生き方が真反対な上に、お人好しだから尚の事である。
「おう、遅かったのう?」
宿の守りを任せたはずのクロエが、酒を飲み出来上がった赤ら顔で千尋の肩を叩く。
「なんで出来上がってるわけ?」
酒臭い息と、千鳥足の体たらくに千尋は眉をひそめる。
「守りが必要とは、思えんかったからな?」
愉快そうに笑うクロエの酒臭さに、純粋なアリシアとチュクチは距離を置く。クロエは2人がいなくなったのを確認し、急に真面目な口調になる。
「して?奴隷商人は黙らせてきたのか?」
「ええ、未来永劫ね?」
「しれっと問題発言じゃな?ところでお主……。魔力が上がっておらんか?」
クロエが千尋に出会ってから、時折魔法について教える機会があった。だが、ほかの魔法を使えるほど魔力の素養はなく、糠に釘といったところで成長する様子はなかった。
「今日は何回か使ったわね?それでかしら……」
「人の身なら、普通減るもんじゃがな……?」
「そうなの?」
理由が分からずに千尋もクロエも首を傾げていると、同じく夜の散歩から帰ってきたジャギーが、千尋に念入りにマーキングする。
「千尋も狩りをしてきたのかい?血の匂いがする」
「あら、分かる?」
「千尋も狩りをする種類の生き物だったんだね?」
「ジャギーは何を狩ってきたんじゃ?」
クロエは千尋が狩ってきたものよりも、ジャギーの標的に興味があるようで、しゃがみ込みジャギーの頭を撫でて聞く。
「ここは屋台が多くてね?いろいろだよ。おかげでお腹いっぱい……」
ジャギーは千尋にもクロエにも興味をなくしたように欠伸をすると、宿へと戻っていく。
「私も風呂に入ってくるわ、鼻のいい子たちが気付く前に臭いを落としてくる」
千尋はそう言うと救済の勇者たちの輪には目もくれずに宿へと消える。
翌朝、王都ルナミリア。蝋燭のような塔が天へと伸び、アクロシアと繋がっている。この塔を登る事が人類がアクロシアへと至る唯一の道だ。
その塔に隣接する王城を構えるが、このエーダフォストの王。レオニス・エーダフォストである。
白を基調にした謁見の間には2人の男がいた。1人は先日、召集令状を届けさせた矢先に、エルフ信教の神官から再度の報告書が来た事を報告に来た宰相。
その報告を聞き、眉間にシワを寄せるもう1人が、エーダフォストの王。レオニス・エーダフォストだ。
「は?3人目?」
レオニスは若さにあふれ、張りのある肌の眉間に険しくシワを寄せて宰相を睨む。睨まれたところで自分が悪いわけではない宰相は、肩をすくめて事実を端的に伝える。
「はい。神官からの報告書には、その通り……」
玉座に座り、面倒事はごめんだと眉間を解すレオニス。宰相が報告書の続きを読み上げようとして、レオニスは手で制する。
「もういい。増えたのが事実なら、あとはどうでもいい……」
エーダフォストはアクロシアとの繋がりが強い。故に創造主であるエルフを信仰する、エルフ信教を国教としている。先王までは敬虔な信者であったが、このレオニスは違う。
「どうせまた、エルフ共のための勇者なのだろう?」
「陛下……」
「構わぬ。祈っても毒づいても、天空の王には届きはせぬ……」
「此度は3人おります。2人は人間、1人は魔族です」
宰相が頼まれてもいないのに報告書の続きを要約する。
「は?魔族?」
レオニスは腹を抱えて笑う。魔王を打つための勇者が魔族から産まれるなど何という皮肉か。
「そんなふざけた話があるか!今度は誰が魔王になるのだ?アクロシアに唾吐く俺か?」
尊大な態度で自虐する王に、言葉もないと宰相は首を振る。
「赤い髪のメネシオンです。ご存知でしょう?」
「ああ……。あの女魔族か?ラズカリグを滅ぼしたとか言う」
レオニスは少し角張った顎をさするように撫でる。そして、右足を上にして足を組み考える。
「人間と魔族が勇者か……」
レオニスがニヤニヤしながら宰相を見る。
「ともすれば俺にツキが巡ってきそうだな。その3人が来たら、丁重にもてなせ」
「はぁ……」
専横がすぎる王に振り回される宰相は、意味がわからず生返事をする。
「いい加減エルフの時代は終わりでいいだろう。何年続いたと思ってる?」
「2800年ほどです」
呆れたように宰相が答える。レオニスは昔から王になる事への執着と野心が人一倍強かった。先王が身罷り、即位して8年。遂にはエルフに唾を吐くようになり、この有様だ。
「その間、誰も疑問に思ってないのがおかしいと思わんか?大地の恵みを掻っ攫う略奪者だぞ?」
新しい時代の到来を待つレオニスは不敵に笑うと立ち上がる。
「勇者が現れるのは、新しい時代の先触れだ。そうだろう?」




