目覚める怪物
千尋が紫炎で牢を開ける。奴隷たちが牢を出て来ると、1人ウルピスと同じ尻尾の少女がいた。
「あなたがウルピスのお姉ちゃん?」
メネシオンが満面の笑顔を少女に向ける。驚きの表情で少女はメネシオンを見上げる。
「弟を知ってるの?」
「今は我々の仲間と一緒にいる」
最初は面倒事に巻き込まれるのを嫌がっていたターニャも今では満足げな顔で微笑んでいる。
「じゃ、任せたわよ?」
「ああ、裏道抜けて宿まで。何かあってもメネシオンがいるし大丈夫だ」
ターニャが丸投げするような事を言ってメネシオンを見るが、メネシオンは任せてと鼻の下を指で擦り、笑う。千尋に振り回される被害者同士いつの間にか仲良くなっており、信頼関係が出来上がっていることに千尋は満足げに笑う。
先頭をメネシオン。奴隷達の最後尾にターニャが警戒する。バルクヘッドドアを閉める前にターニャが、千尋を真剣な目で見つめる。
「千尋も、気をつけろよ」
そう言ってターニャは返事も聞かずにドアを閉めた。一人になった千尋は微笑んでいる、仲間から心配された嬉しさではない。ようやく1人になれた、喜びからだ。
「さて……と」
商館の1階に上がる階段を登る。夜半前と言うこともあり、働いている職員は居ない。お誂向きに絨毯が敷かれた床は足音を消してくれる。
その中を警戒しながら進む、自分のやり方が急に滑稽になり自嘲する。
宿でメネシオンが見せた魔法があれば追跡や警戒が楽になる。そんな事を考え、警戒しながら2階に上がると見知った2人の背中が見える。
「わざわざ行く前に挨拶必要か?」
「文句言うな……。言う事聞いてないと、殺されるぞ?」
反抗的な態度を取る男と、もう1人は諦めているのか背中を丸めている。死体を運ぶ時の様子からも、2人がガーネットに対して忠誠心を持っていないのは明白だ。
「本当、わざわざご苦労様」
ガーネットの所に案内してくれる2人に皮肉たっぷりの礼を言い、調度品の影に隠れながら2人を追いかける。
特別重厚な扉をノックして2人は部屋に入っていく。
「こんなわかり易いなら案内も要らなかったわね……」
千尋はほくそ笑みながら、律儀に扉をノックして入室する。
「お邪魔するわ?」
部屋の主、ガーネットと男2人の顔が強張る。これから襲撃する相手が目の前にいたら、そうなるだろう。
「あら?ご招待した覚えはないのですけど?」
顔は強張り、眉を引きつらせながらも、ガーネットは千尋相手に動揺を見せないように振る舞う。奴隷商人だけあって、合法と違法の間をすり抜けるガーネットは一筋縄ではいかない。
「ええ、そうね。そこの2人が、粗相を働く前にお邪魔したかったのよ……」
その言葉にガーネットは2人の男をキツく睨む。男達は違う、知らないと首を必死に振る。
「奴隷達と同じように買付役も大事にするべだったわね。臭くてすぐに分かったわ?」
千尋の皮肉を額面通りに受け取った男達は、自分の匂いがそんなに酷いのかと嗅ぎ始める。
「何をしに来ましたの……?」
千尋は腰の鞘からダマスカスナイフを抜く。動揺し、警戒していたガーネットが勝ち誇ったように笑う。
「わざわざ何しに来たのかと思えば……、勝てるとお思いですか?」
ガーネットの言葉に男達が、剣を抜く。その姿に千尋は笑う。
「違うわ、交渉をしに来たのよ……」
「はっ!下らない。刃物を持って交渉など……」
千尋はガーネットを見ていない。男2人を見つめ張り付いたような笑顔を向ける。
「命を懸ける価値はあるの?その女に……」
男達は激しくまばたきをしながら、ガーネットと千尋を交互に見る。
「何を言っているのです!」
「昼間に言ったでしょ。金で人は縛れないわ……」
ゴクリと男達が唾を飲む。男達の動揺は剣先に伝わり、少し下を向く。
「耳を貸してはいけません!」
男達の動揺を察したガーネットがすぐさま、声を張り上げる。
「この女を殺したら、この先報酬を3倍にします!さっさと殺しなさい!!」
男達の目が変わる。報酬が増額される。命を懸ける理由にはならないが、彼らには魅力的すぎた。
「3倍……」
男達は互いの顔を見合わせ、頷き合う。
「へ……、3倍ならやるしかねぇなぁ!」
「あら、残念……」
男が1人千尋に駆け寄り、真上から剣を振り下ろす。千尋はダマスカスナイフに紫炎を纏わせてその剣を受ける。
大地を溶かす神殺しの炎は、男の剣を真っ二つに溶かす。溶け落ちた剣先が千尋の頬をかすめて千尋から薄っすらと血が流れる。
「は?剣が溶け……」
斬り掛かった男が狼狽え後ずさる。
「あら、困ったわ。ケガしちゃった」
千尋は頬を伝う血を指で掬い、舐める。その姿は言葉とは裏腹に困ってなどいない。
「本当に残念だわ。金のために戦うなんて……」
紫炎の影響で部屋の中の温度は上がっていく。
その暑さから逃げるように、男達は窓際まで追い詰められる。
「もう逃げられない。3倍の報酬と命。天秤に乗せたらどちらが重いのかしら?」
「た……助けてくれ。俺たちは言われただけなんだ。あんたを殺す気なんてこれっぽっちも……」
千尋は男の言葉にニヤリと笑う。
「あら。そうなの?なら何で私の頬は切れているのかしら」
「違う。知らなかったんだ。あんたがそんなに強いなんて……だから!」
「お前達!」
ガーネットが叫ぶ。目の前の恐怖に縛られた男達にその叫びは届かない。その叫びの半分以下の大きさの千尋の声はよく聞こえる。
「逃げるなら追わないわよ?」
千尋が2人ににっこりと微笑みかける。男達はコクコクと千尋の言葉に頷き、窓へと向かう。
「ふざけないでちょうだい!5倍!。10倍出します!」
「悪いな、あんたとはこれまでだ……」
「戻りなさい!」
ガーネットの叫びも虚しく、男達は2階の高さも関わらず、躊躇なく飛び降りる。
「あの2人、大丈夫かしら?」
ニヤニヤしながら千尋はガーネットに振り返る。ガーネットの昼間と同じ赤いドレスが恐怖に歪む顔を彩り、千尋は興奮を覚える。
「こ、交渉を……しに来たのでしょう?」
「交渉?」
「ええ、そうです……。そうですとも!金!金ですか!」
必死に交渉しようとするガーネットに、千尋は冷笑で返す。
「あの獣人の子にも手は出しません。奴隷たちも解放します!」
「勘違いしているようだけど……、交渉は終わったのよ?」
千尋がガーネットにわざとらしくナイフを見せる。燭台の炎がダマスカスナイフの刃文を、怪しく照らし、ガーネットを絶望させる。
「私は誰かのためにここに居るんじゃないの。極々、個人的な理由で来たの……」
「個人的な……理由?」
近づいてくるナイフから目を離せずにガーネットは千尋の言葉を反芻して後ずさりをする。
「昼間、言わなかったかしら?あなたも遠からず搾取されるって……」
ガーネットは理解する。目の前の女は金では動かない。もう逃げ場のない彼女の胸にナイフが近づく。
「わたくしは許可を取り、合法的にやっていますのよ!こんな事をして許させると思いますの!」
「思ってないわよ。私はね?あなたを殺したいからここに居る。だから関係ない……」
千尋は遵法精神など持ち合わせていない。法を守るとすれば、そのほうが都合がいいからだ。ガーネットは商人として危ない橋をわたる。だが、それは勝ち目があり、利益が見込めるからだ。法を守り、法を盾に富を築いてきた。
ガーネットは、自分の理屈の通じない異常者に立ち向かう術を持たない。必死にどうすれば助かるのかを考えている。
「わたくしは王侯貴族に顔が利きます。私が死ねばただではすみませんわ?」
「そうなの?私も王様に顔が利くはずよ?神託の勇者だから」
千尋はチラリと胸元を見て、六対の羽根の紋章を見せる。ガーネットはその紋章の意味がわからずに叫ぶ。
「あなたが勇者なわけ、ありませんわ!」
「本当、そう思うわ」
ガーネットの体に千尋のナイフの切っ先が触れる。
「ど……どうして……こんな……」
少しづつ差し込まれていくナイフにはガーネットの皮膚破り、じわりと血が滲む。
「赤いドレスなんて、着てなければよかったのにね?」
たったそれだけで殺される。ガーネットの絶望の断末魔が応接間に響く。その叫びは重厚な扉に阻まれ、外に漏れることはなかった。




