勇者の帰還
かつて自身も迷った森を、千尋はあっさりと森抜ける。暫く道なりに進むとマリアベルも見知った、石橋が見えてくる。マリアベルは冒険者として生きると誓い、生家を飛び出した四年前に渡った石畳を渡る。
傷んだ石畳のせいか、森で迷った疲れからか、マリアベルの足取りは重くなる。父アンドレアスのデボネア、マリアベルの母親への不義理に始まり、アリシアの母を失ったあとの父の荒れよう。天真爛漫さが失せ、他責思考に取り憑かれた姉に嫌気が差して、マリアベルは家を飛び出した。
その父と姉が居ない生家。悲しみと困惑を感じながらも気まずさを感じない安堵感。そんなことを考え、郷愁と言うのが正しいのか分からない感情を抱きながら、マリアベルは石畳の欠片を蹴りながら歩いている。
「急に無口になったわね?」
マリアベルの内情を見透かしたように千尋はマリアベルを一瞥し、敢えてマリアベルにではなくチュクチに声をかける千尋。
「生まれ故郷に帰るんですから、仕方ないですよ」
どこまでも広がる青空をゆっくりと大きな雲が流れている。チュクチも生まれ故郷を思い出しているのか、遠い目で空を見上げる。そのチュクチの様子に、少しつまらなさそうに千尋は呟いた。
「生まれ故郷ね……」
チュクチの生まれ故郷はこの空の下にあるのだろう。だが、異世界人の千尋の生まれ故郷はこの空の下にはない。
故に千尋はチュクチやマリアベルのように郷愁に思いを馳せることは出来ないし、父のいる生家などもう二度と帰る気はさらさらない。千尋は今、理想の世界にいる。そして、千尋は一瞬口角を上げた。他人の郷愁を笑ったのか、一瞬でも生家を思い出した自分を笑ったのか、あるいはその両方なのかもしれない。
ゼルディアへの門にたどり着けば、アリシアからもらっていた通行証が役に立つ。一列に並ぶ旅人や商人を横目に、当然のように進む千尋を見つけて門番の衛兵が一礼する。
衛兵が顔を上げた時、懐かしい顔を見つける。マリアベルだ。
「……マリアベル様、おかえりなさいませ」
「ご苦労……様です」
マリアベルも知った顔を見て、郷愁が実感に変わっていく。開かれた門から吹き抜けてくる風はほんのりと海の匂いがして、マリアベルは思わずを目を瞑る。嗅覚で故郷を感じ、聴覚で故郷のざわめきを堪能する。
「歩きながら、目を瞑るんじゃない」
先頭を行くマリアベルを千尋がたしなめる。それは確かに当たり前のことを言っているが、どこか人間性の欠如を思わせる。それを見たチュクチは千尋に向けて目を細める。
「なによ?」
「千尋さんらしいですね?」
何のことを言っているか分からないが、チュクチの機嫌が良さそうなので、飼い主の千尋としても悪い気はしない。
「で、直行していいわけ?」
「ああ、構わない!私は帰ってきた!」
門へと抜ける風はマリアベルのピンクゴールドの髪を遊ばせる。その姿にはもう迷いはなく勇者然としていたが、その決意とは裏腹にマリアベルの腹は、ぐぅ~と大きな音を立てる。
周りに聞こえる音が自身のお腹から鳴ったマリアベルは、少し恥ずかしそうに赤面する。誤魔化すように頬をかき、マリアベルは千尋とチュクチを振り返る。
「市場寄ってていい?」
「お好きにどうぞ?勇者様」
千尋が肩をすくめると、腹ペコのマリアベルを先頭に、次に千尋。その後ろに付き従うようにチュクチが歩き、勇者を先頭に一列に歩く。
千尋はこの奇妙な行進を見たことがある。子供の頃に学友の家で見たゲームの摩訶不思議な行進のさまが再現されているこの状況に、あれらはパーティー内の力関係や役割によるのかと、今更ながらに理解して静かに感嘆の声を上げる。
「なるほどねぇ」
「なんか言いました?」
後ろを歩くチュクチが不思議そうに千尋を見ている。
「何でもないわ、ごく個人的な感想」
そう言って千尋は、町中を一列で歩く非合理さに失笑すると、チュクチに歩調を合わせるようにして横に並ぶ。そんな二人のやり取りなど気にする様子のない腹ペコのマリアベルは屋台を巡り、次々と串肉などの食べ物を買っては頬張っている。食べるごとに元気になるのか、無尽蔵に食べ歩くマリアベルに、二人は言葉もなく絶句していた。
「食べる?」
成人男性の1日分は食べたであろうマリアベルが、今更二人の事を思い出したのか、やっと振り返り、千尋とチュクチに声をかけてきた。
千尋は道案内をした自分たちを無視して食べまくっていたマリアベルをあきれたように見つめ、差し出された一串を受け取る。
「よく食べますね?」
千尋も言いたかったが、食べることへの執着が強いマリアベルはどうせ答えないだろうと思い、敢えて言わなかった。その言葉を、同じく一串もらったチュクチが口にする。
「はへはひへるとほまらなひんた」
「領主の娘が、食べながら喋るのやめてくれる?」
ハッとしたマリアベルがゴクリと口の中のものを飲み込み、今更口元を押さえて話し始める。
「食べ始めると止まらないんだ!」
「それは……。わかります……」
見ていたらわかる事実を告げられ、チュクチも呆れているようだ。マリアベルに何かを聞きたいのなら、端的に直球で言わないといけないと千尋とチュクチは学習し、串肉と一緒に飲み込む。
千尋とチュクチが呆れるほどの食欲を満たしたマリアベルは、ようやく市場を抜けて貴族街へと差し掛かっていた。
懐かしい白亜の殿堂が立ち並ぶ街並みを踊るように進む彼女には、ゼルディアに入る前に感じていた複雑な心境など無かったかのようだ。
「腹が膨れると気が大きくなるのね、あの勇者……」
千尋が感想なのか愚痴なのか、どちらとでも解釈できそうな事を言うと、マリアベルは楽しそうに振り返り、千尋に笑顔を向ける。
「前を向いてくれる?危ないから」
マリアベルの笑顔に虫唾が走った千尋は、もっともらしい言い分で、マリアベルの笑顔が自分に向けられないように苦言を呈する。
「ごめん、ごめん。でも心配はいらないよ!」
「千尋さんって、変な時に真面目ですよね?」
チュクチの素朴な感想への返事代わりに、千尋はチュクチの頬を引っ張る。そして飼い犬をしつけた後の飼い主のように、飴と鞭を忘れない千尋は、チュクチに微笑みかける。
「うるさいわよ?」
千尋に叱られ頬を引っ張られるも、主の微笑みに、チュクチの尻尾は大きく揺れる。マリアベルはくるくると踊るように歩き、そんな2人の不可思議な主従関係をみて笑う。
「君たちは本当に仲がいいね!」
「はあ?」
千尋からしたらチュクチは愛玩動物に近い。元来、快楽殺人者は小動物等を傷つけることからエスカレートすると言うが、もともと犬猫の類や小動物が好きな千尋からすれば、人間のほうが価値が低い存在だ。
だからこそチュクチやハーゼ、ジャギーを愛玩として同様に扱う。
「そうですよ!僕なんて、そんな……」
チュクチは、満更でもなさそうに千尋とマリアベルを交互に見ている。そんなチュクチを微笑ましいと思いつつ、マリアベルはいよいよ回りすぎて目が回ってきたのか、前を向くとフラフラと歩き出す。
「頭の悪いことやってないで、さっさと進みなさい。もうすぐ屋敷でしょ?」
敷地に入れば、マリアベルにとっては本当に四年ぶりの我が家だ。家を出る原因になった二人の葬儀でなければ、本当にゼルディアには寄り付くことはなかっただろう。
マリアベルは刹那、目を瞑り逡巡した。が、その目を見開くと、凱旋するように大胆に扉を開ける。
「赤金の勇者!マリアベル。今帰った!」




