勇者の資格
千尋とチュクチが呆れるほどの食欲を満たしたマリアベルは、ようやく市場を抜けて貴族街へと差し掛かる。
懐かしい白亜の殿堂が立ち並ぶ街並みを踊るように進む彼女には、ゼルディアに入る前に感じていた複雑な心境など無かったかのようだ。
「腹が膨れると気が大きくなるのね、あの勇者……」
千尋が感想なのか愚痴なのか、どちらとでも解釈できそうな事を言うと、マリアベルは楽しそうに振り返り、千尋に笑顔を向ける。
「前を向いてくれる?危ないから」
マリアベルの笑顔に虫唾が走った千尋は、もっともらしい言い分で、マリアベルの笑顔が自分に向けられないように苦言を呈する。
「ごめん、ごめん。でも心配はいらないよ!」
「千尋さんって、変な時に真面目ですよね?」
チュクチの素朴な感想への返事代わりに、千尋はチュクチの頬を引っ張る。そして飼い犬をしつけた後の飼い主のように、飴と鞭を忘れない千尋は、チュクチに微笑みかける。
「うるさいわよ?」
千尋に叱られ頬を引っ張られるも、主の微笑みに、チュクチの尻尾は大きく揺れる。マリアベルはくるくると踊るように歩き、そんな2人の不可思議な主従関係をみて笑う。
「君たちは本当に仲がいいね!」
「はあ?」
千尋からしたらチュクチは愛玩動物に近い。元来、快楽殺人者は小動物等を傷つけることからエスカレートすると言うが、もともと犬猫の類や小動物が好きな千尋からすれば、人間のほうが価値が低い存在だ。
だからこそチュクチやハーゼ、ジャギーを愛玩として同様に扱う。
「そうですよ!僕なんて、そんな……」
チュクチは、満更でもなさそうに千尋とマリアベルを交互に見ている。そんなチュクチを微笑ましいと思いつつもマリアベルは、いよいよ回りすぎて目が回ってきたのか前を向き、フラフラと歩き出す。
「頭の悪いことやってないで、さっさと進みなさい。もうすぐ屋敷でしょ?」
敷地に入れば、マリアベルにとっては本当に4年か3年ぶりの我が家だ。家を出る原因になった2人の葬儀でなければ、本当にゼルディアには寄り付くことはなかっただろうマリアベルは凱旋するように大胆に扉を開ける。
「赤金の勇者!マリアベル。今帰った!」
颯爽と現れたマリアベルを屋敷のメイドたちが見る。そしてマリアベルもメイドたちを見るが、誰も見知った顔がおらず、全員が目をパチパチとさせている。
「誰かの性で、メイドの入れ替わりが激しかったらしくてね?」
千尋の補足に、なるほどとマリアベルは背中を丸めた。マリアベルの後ろから千尋とチュクチが来たことで、ようやくメイド達は平常心を取り戻したようだ。
騒ぎと言うかマリアベルの大声を聞きつけたカッツェが階段を駆け下りてくる。
「マリアベルさま!」
真面目に勤続してきたカッツェなら覚えていても不思議ではないなと千尋が思い、2人を観察するとマリアベルとカッツェは抱擁し、カッツェは涙を浮かべている。
観察し、考えてみたが答えが分からなかった千尋は、観念したように二人に声をかけた。その間のとり方はまるで感動の再会に気を使ったように見えるが、千尋にそんな気持ちはさらさらない。
「2人はどういう関係?」
「カッツェはボクの側仕えだったんだ!また会えてうれしいよ!」
カッツェを抱擁しながら千尋の問いに答えるマリアベル。カッツェは涙を流し震えながら、マリアベルの意見に同意する。
「ええ、本当です。おかえりなさいませ、マリアベルさま」
アリシアを呼ぶときとは違う、優しさを内包したカッツェのマリアベルを呼びかたは、二人の絆や思い出を十分に想像させる。
マリアベルが子供の頃、10年近く前から側仕えをしていたカッツェからすれば本当に放蕩娘が帰ってきたという心境なのだろう。
「良かったですね……。カッツェさん」
チュクチが鼻を鳴らし、涙声で2人の再会に感動している。この優しさや共感性、感情移入をしやすいところがチュクチの美点であり、欠点だ。だからアリシアの現状や千尋と言う存在に感情移入して、あっさりとギルドをやめてしまうのだ。
「アリシアはどこかしら?」
千尋が終わりの見えない抱擁に痺れを切らし、カッツェに声をかける。その問いに涙を拭きながらもカッツェは、気を悪くすることもなく答える。
「今は執務室でウルブリヒト様、ブュートリッヒ様と今後の予定を話しています」
「ブュートリッヒに様はいらないわよ?カッツェ」
先日の商業ギルドの一件のあと、千尋はブュートリッヒを屋敷の前に呼び出し、アリシアに詫びを入れさせた。靴を舐めんばかりに地面に伏して詫びるブュートリッヒは腹がつかえ、土下座というより五体投地に近い体勢で間抜けな姿だった。
貴族達の目のつく所でブュートリッヒがアリシアに屈した事で、大分アリシアへの風当たりは穏やかになっていた。
あまりに必死に詫びるブュートリッヒを、アリシアが再び執政官に取り立てたのは誤算だったが、ウルブリヒトの補佐役として知識のみを発揮しており、以前の傲慢さは失われている。
逆らえば千尋に何をされるか分からないのだから、当然と言えば当然である。
千尋がマリアベルを連れ立って執務室を訪れると、暫し呆然とアリシアはマリアベルを見つめる。
「お姉さま!」
ようやく出たのは驚きの声だった。照れくさそうに笑うマリアベルとは対照的に、アリシアの表情は複雑だ。家督を継ぐとなれば序列が上の次女のマリアベル方が領主に相応しいと考えているのかもしれない。
「お姉さま。いつこちらに?」
「さっきもさっきよ。森で迷子になってたの。おかげで薬草採取の依頼は中断……」
マリアベルの代わりに千尋が答える。千尋が出かけるとは聞いていたが、姉を拾ってくるとは思わず困惑する。マリアベルはバツが悪そうに口笛を吹いてごまかそうとするが、彼女に口笛の才能はないようだ。
「ボクだって好きで迷ったわけじゃないし……」
「無闇に森に入って、好きで迷うのは死にたがりだけよ?。」
ぐうの音も出ずマリアベルは千尋にこてんぱんに打ちのめされる。満身創痍のマリアベルは妹アリシアに助けを求める。
「アリシア〜……、なんなんだい?この人……」
「千尋様は私の恩人なのです……」
アリシアは千尋との出会いから、今日までのことを掻い摘んで話す。森で助けてもらったこと。少し前までメイドをしていたこと。アリシアの母、オルテンシアの敵討ちを手伝ってもらえたこと。
「そんな事があったのか……」
マリアベルは神妙な面持ちでアリシアの話を聞いていた。アリシアが知る限りの事を話したので、すべての黒幕が千尋であるとはマリアベルは知るすべはない。
「しかし、マリアベル様がお戻りとなると……」
マリアベルの存在の面倒くささをよく知るブュートリッヒが口を挟んでくる。刹那、千尋に睨まれてブュートリッヒはアリシアの後ろに隠れるように縮こまる。
「あんたの図体で、アリシアの後ろに隠れられるわけないでしょ?まあでも、言ってることはわかるわね……」
「ボク?」
当の本人は何も分かっていない。端的に直球で言わなければ彼女に言葉は届かない。
「あんた領主になる気ある?」
「絶対に嫌だね!ボクは赤金の勇者だよ?この大陸、いや世界中にボクを待ってる人がいるんだ!」
千尋が直球で伝えた。領主になる気はない言質はとれたし、これ以上は言うことはない。ただ大言壮語も甚だしいので、千尋はまた直球をマリアベルの頭部めがけて投げる。
「少なくともこの街の人は待ってなかったわよ?」
これも事実だった。実際マリアベルが勇者と名乗っても誰も見向きしない。貴族が腐っていたとはいえ、それくらいにはこの街は平和で勇者求めている人は少ないのだろう。
「では、その旨マリアベル様より葬儀の場で、アリシア様に家督を任せると説明していただけばよいでしょう」
ウルブリヒトが現状で考えうる最適解を提案する。確かに葬儀の場なら、街の貴族や近隣領主なども一同に介する。その場所でアリシアが領主になるとマリアベルから説明すれば、説得力もあるし手っ取り早いだろう。
「疑問に思っていたことを聞いていい?」
めんどうごとが1つ片付いた所で、千尋はずっと気になっていた事を口にする。
「なんであんたが赤金の勇者なわけ?」
「それはボクの髪の色に由来するんだ!」
仁王立ちで勝ち誇るマリアベルが答える。マリアベル以外は皆が分かっていたことだろう。勇者を名乗る理由を聞いたはずだと。
「あっそ……。すごいわね」
呆れた千尋が半ば諦めかけた時。千尋の忠犬チュクチが食らいついた。
「勇者と言われるには神託を受けるか、魔族を討伐するかのどちらかなんですけど、マリアベルさんはどっちなんですか?」
チュクチは答えを知っている。神託を受ければ国を上げて任命式をあげる。そうやっていないということはマリアベルは魔族を討ったのだ。
「ボクが魔族を討ったんだ。夢魔のシュナレを!」
「誰の事?というか神託って何?」
千尋の好奇心のスイッチが入った。こうなると千尋はどこまでも追求してくる。
「夢魔のシュナレは、男性をたぶらかして悪を成す魔族ですよ」
チュクチは詳しく知っていたが男の身からは教え辛い。夜な夜な男性を襲い、その精液を集めていた夢魔のシュナレ。殺されるわけでもないので男性冒険者からは、なぜか人気な魔族である。故に詳しく話したくない。
「神託については……、妾から話そうかのぅ……」
扉を開けたクロエが執務室に入室してくるがその足は千鳥足だ。酒精の匂いを纏いながら乱入してくるエルフに神聖さを感じるものは此処にはいない。
「誰からもらったの?ハーゼ?」
「確かにそうじゃが、あやつを責めるなよ?それより、神託について知らないのであろう?」
呂律が回らないエルフの耳を千尋が引っ張る。エルフの耳は神聖さの象徴であり、触れるなどこの世界の人間にはあり得ないことなのだが、千尋はお構いなしだ。周りの顔色が悪くなるのとは相対的にクロエの反応は悪くない。
「あん……、大胆じゃのう。千尋」
快感に身をよじるクロエの反応を見て、千尋は気持ち悪いものを触ったように手を離す。倒錯的にもほどがあると、千尋がクロエを睨む。
「で?神託って……?」
「我ら、エルフを創造した六対の羽を持つ女神に認められた証、紋章を持つということじゃ……」
「証って何よ?」
「六対の羽の紋章じゃ……。女神の……」
急にしらふのように立ち振る舞うクロエに、この場のすべてが戸惑っている。
「名を……なんと言ったかな?」
「なんで創造神の名を忘れてんのよ……」
呆れたように千尋が毒を吐く。が、クロエがこれを気にすることはない。
「我らを捨てた女神なんぞ信奉もしておらんしのう」
「捨てた?」
クロエがニヤリと笑う。千尋ならこの話を気に入りそうだとほくそ笑んでいる。
「もともと女神は違う世界の神であったのじゃがな?それがなんの因果か元の世界を見限り、我らエルフの神になったのじゃ……」
酒臭いが興味深い事を言うクロエの話を千尋は黙って聞いている。
「妾たちがホムンクルスを作ったあたりで、我らの傲慢さに嫌気が差したらしくてな!それで見放されたのじゃ!」
愉快そうに笑うクロエに一同が引いている。この世界の人間であるアリシア達には合点がいっていた。神託はいつも人にしか降りてこない。
「そんなんだから、棄民になるんじゃないの?」
「…………ああ、まったくじゃ。我らは棄民じゃのう。我らを捨てたのに、あの女神はこの世界には愛情を持ち、異世界から連れてきた神託の勇者なんぞに紋章を与えて魔王を討たせる。最低の駄女神じゃ……」
「酔ってるわね?」
感情の振れ幅がいつもより多いクロエを、千尋は哀れむように見つめる。クロエの愚痴と思い出話が始まる。




