幕間 千尋、冒険者になる
ヴィクトールはフランス人だ。20年ほど前に建築デザインの仕事をしていた頃、製図中のデザインが光り出し、気がついたらこの世界にいた。
「お前もなのか……?」
「ええ、そうよ。ヴィクトールって事はフランス人?」
ブュートリッヒは異世界人同士の会合などと分かるはずもなく、眉間にシワを寄せて怪訝な顔をしている。
「私は日本語話しているのだけど?」
「俺はフランス語を話しているつもりだ……。多分な。20年くらいこっちにいる。日本人のくせに博識だな、花の名前をよく知ってる……」
オルテンシアはフランス語では確かに花の名前。紫陽花の事だ。オルテンシアを花と比喩したのかと思ったら、2つの意味があったのかとヴィクトールは大きく息を吐いて、諦めたような顔をする。
「多言語でも通じるなんておかしな世界ね……。あなたの精神衛生の為に、もう一つのオルテンシアについて話したほうがいいかしら?」
「まったくおかしな話だよ。悪夢なら覚めてほしいね……」
「あら、私はこの世界は気に入っているのだけど?野蛮で、粗野で」
ヴィクトールは溜息をつく。
「それは褒め言葉じゃないだろ……」
ヴィクトールがこの世界に来た頃は、確かにそう思っていた。この未発達な世界なら、成り上がることもできると商人ギルドのマスターにまでなった。ロアノークと関わったのがすべての間違いだったと、今は後悔している。
「あなたは良心的なの?女を攫って辱める変態の片棒を担いでいるのに」
「どこまで知ってる!」
ブュートリッヒが口を挟んできた。ツバを飛ばして、額からは脂汗をかき、今にも目に入りそうで汚らしい。
「全部よ?ロアノークとおたくの部下がやったことはね……」
ヴィクトールには死刑宣告に聞こえるはずのその言葉を聞いて、ヴィクトールは笑い出す。しばらく笑い続けると、放心しながら上を向く。
「これでもう男爵もおしまいだな……」
「男爵?」
「ロアノーク男爵だ。今朝から行方不明で探している」
ヴィクトールの内情など興味もなさそうに千尋は、指先で耳をかきながら口を開く。
「それならもういないわよ?舞台を降りたから」
「は?」
舞台から降りたという、含みのある千尋の言い方をうまく飲み込めないヴィクトールとブュートリッヒは、間抜けな声を上げる。
「じゃあ……。オルテガとシッカートは?」
「それは、返り討ち」
「これで終わりか……。呆気なく幕が下りるんだな」
「終わられても困るのよ。私はあなたを破滅させるために来たわけじゃないし……」
「……は?勘弁してくれ。もう終わりにしたいんだ」
「何を言ってる!ヴィクトール!」
ブュートリッヒはガバっと椅子から立ち上がろうとしてテーブルに腹がつかえ、上手く立ち上がれずテーブルと格闘している。
「貴方もオルテンシア誘拐に関わってるの?」
「私は知らんかった!」
狼狽えるブュートリッヒの姿は、保身の色が強く本心がよくわからない。
「本当?」
そう言って千尋はヴィクトールを見る。
「そうだ。汚職はしてるが、オルテンシアの件には関与してない。一体なにをしたらいいんだ?我々は……」
「まずは冒険者ギルドに苦情入れたのを撤回なさい。そこの豚が言い出したのでしょ?それとあなたたちはアリシアに全面的に協力しなさい」
ヴィクトールは千尋の要望のスケールの小ささと漠然とした言い方に首を傾げる。
「……確かに苦情は入れさせた。撤回させよう。新しい領主に協力しろと言うのは?」
「豚は屠殺処分でもいいのだけど……、その豚がアリシアの靴を舐めるなら、いい見せしめになるでしょ?領主には逆らわないほうがいいって……」
「靴をなめるのか!わしが!」
ブュートリッヒがいよいよ豚の自覚が出てきたのか、豚と呼ばれて怒らず返事をするようになった。それだけ千尋の言うことが、突飛ということなのだろう。
「物理的にしろって話じゃないわよ。そもそもしゃがんで靴をなめるとか、その腹でもできるの?」
ブュートリッヒが怒り出すのを見てヴィクトールは笑い出す。何故か少し晴れやかな顔をしたヴィクトールを見て、千尋は呆れたように呟く。
「フランス人らしく嫌味ったらしく笑うようになったじゃない……」
ヴィクトールの肩は軽くなっていた。千尋に連れられ、冒険者ギルドに詫びを入れに行くのに気が楽だった。前を行く千尋の背中に悪態がつけるくらいには、楽になっているようだ。
「フランス人が厭味ったらしいなんて、とんだ偏見だな?日本人」
確かに皮肉を言ったり、知性をひけらかしたり、昔はそんな環境で生きていた気がする。ヴィクトールの言葉に、一瞬だけ振り返って鼻で笑う千尋の振る舞いが、母国を思わせて、ヴィクトールは懐かしい感覚を味わっていた
「なあ、名前を聞いていないんだが?」
「……ああ、そうね。千尋よ」
「千尋?。カレンという女じゃないんだな」
ロアノークが固執していた女の1人が、その名前だったとヴィクトールは記憶していた。背格好は聞き及んでいたカレンというメイド風の女に近かった。
「それは偽名ね」
「……何なんだお前は」
ヴィクトールのつぶやきに答える気もなく、千尋は冒険者ギルドへと向かう。スイングドアを抜けて中に入ると相変わらずの光景の中、チュクチが主の心配をする忠犬の如く歩き回っていた。
「千尋さん!」
まさか商人ギルドのギルドマスターを伴って帰ってくるとは思わず、千尋に駆け寄ったチュクチが目前で立ち止まる。
「えっと……」
「ヴィクトールよ」
ヴィクトールは雑に紹介されたのを気にすることもなく、バルタザールの元へ向かい、頭を下げる。
「誤解があった。今朝の苦情は取り下げる。申し訳なかった」
チュクチとバルタザールは状況が飲み込めずに互いに顔を見合わせる。
「あの……、これって」
「どういうことなんだ?」
「首になる理由はなくなったって事よ?」
チュクチが千尋を見る。その表情は少し複雑だ。喜びが少しと、千尋が商人ギルドで何をしたのかという不安が少し、そして何か哀愁の様なものをチュクチの眼差しから感じて、千尋は首を傾げる。
「なんか微妙な反応ね?」
「……えっと。冒険者ギルドは辞めようと思いまして」
もじもじとしながら、申し訳なさそうに千尋を見るチュクチの頭を千尋は撫でる。
「それでいいの?」
「はい。千尋さん達のお役に立てれば……」
ヴィクトールは詫びを入れた理由と意味がなくなり肩をすくめ、皮肉を言う。
「これじゃ骨折り損だな?」
「あら?骨が折れたぐらいで済んでよかったじゃない」
千尋にぐうの音も出ない皮肉を返されヴィクトールは、この女には敵わないなと頭を掻く。
「しかし、どうやったんだ?」
バルタザールが素直に疑問を口にする。ロアノークに指示されていたとはいえ、今朝方理不尽なまでに苦情を入れてきた商人ギルドのマスターが、直接詫び入れに来る理由はバルタザールには理解できない。
「知らない方がいいわよ?」
不敵な笑みを浮かべて答える千尋。バルタザールはギルドマスターとしての経験から、深入りしないほうが良さそうだと理解するのだった。
冒険者ギルドと商人ギルドのマスター同士の懇談会が開かれている中、千尋は退屈を持て余し、冒険者ギルドの中を見て回る。冒険者に混ざり、掲示板を見ると、退屈そうな依頼の数々が並ぶ。
薬草の採取や、畑を荒らす害獣の駆除。山菜採りとマタギのような依頼に、千尋が眉をひそめているとチュクチが隣に立ち、千尋を見る。
「興味なさそうですね?」
「当たり前でしょ」
「ここの冒険者ギルドはちょっと特殊なんですよね。駆け出しの冒険者が多くて、簡単な依頼が多いんです。」
チュクチは千尋と掲示板を見る冒険者たちの背中を眺める。
「たまに憧れて冒険者になる人とかもいるんですけど、基本的には仕方なくやってる人のほうが多いんです」
社会保障や福祉に近い側面があるのかと、千尋はバルタザールの発言を思い出し理解する。
「それで毎日、野草探して酒代稼いでるの?あいつら」
千尋が見つめる先には、何人かで昼から酒盛りをするゴロツキ達がいる。追い剥ぎのほうが似合いそうなゴロツキが、森で草を摘んでいる姿を想像すると、なんとも滑稽で微笑ましい。
「それは言わないでください……。ああ見えて悪い人たちではないんで……」
千尋が漠然と掲示板を眺めていると、端に1枚の手配書のような物を見つける。
人相書きの様ではあるが、書き手の悪意が籠もったような顔の女が描かれている。その特徴を見て、千尋の胸がざわめく。長い赤い髪と赤い瞳。エルフのような耳と黒い角が側頭部から対を成すように生えている。
「あれは?」
千尋が指差した手配書を見て、チュクチが解説する。
「あれは国から出てる魔族の手配書ですよ。赤い髪のメネシオンの討伐依頼……」
魔族。ターニャが語ったおとぎ話に出てきた堕落したエルフ。
「討伐って、殺すって事?」
「平たく言うとそうですね?」
千尋の世界ではありえない話しだった。国から殺人が承認されていると言うのは目から鱗だ。日陰や暗闇を歩くことなく、赤い髪の女を殺す事が出来る。
「これって冒険者がやるの?」
「できる人なんかいないですけどね。なんせここエーダフォストから南にある大陸。ラズカリグを滅ぼした魔族ですよ?」
そう言ってチュクチは千尋に笑顔を向ける。千尋は手配書を見て、薄ら笑いを浮かべておりチュクチは得も言われぬ不安を感じる。
「千尋さん……?」
「チュクチ。冒険者にはどうやってなるの?」
チュクチがなんとも心配そうな顔で千尋を見上げる。そのチュクチの気遣いは千尋にら届かない。もう赤い髪のメネシオンと言う魔族を討伐する未来に、胸を躍らせているようだ。
「本気ですか?一応危険な討伐依頼ですから、ランクが上がらないと受けられませんし……」
チュクチはそこまで言って、クロエの存在を思い出す。最高ランクの大樹まで登りつめている大魔法使いがいれば、依頼を受けることは可能ではある。そして、それは千尋には言わないでおこうと飼い主思いのチュクチは考える。
「それでも構わないわ……」
「……勇者にでもなるんですか、千尋さん?」
この世界では魔族を討ったことがある者。もしくは伝承の物語の勇者の様に、女神の神託を受けた者を勇者と言うが、後者は伝承の勇者のみで他の例は存在しない。千尋の知らない世界の常識を話すチュクチを千尋は鼻で笑う。
「私が勇者に見える?」
「見ようによっては……?」
結果を伴えば勇者だ。魔族もピンキリだが赤い髪のメネシオンと言えば、ラズカリグを滅ぼし、現状不在になっている魔王に一番近い魔族だ。そのメネシオンに挑もうとするのなら、それは勇者というのかもしれない。
「とにかくなりたいのよ。チュクチ」
少し悲しそうにチュクチを見つめる千尋。その千尋にドギマギしながらもチュクチは自分の胸を叩く。
「わかりました。これが僕のギルドでの最後の仕事ですね!」
チュクチは受付に千尋を案内すると書類を取り出す。
「もしかして書くだけ?」
「名前と非常時の連絡先書いたら、終わりですね?」
なんとも事務的な手続きに千尋は肩を落とす。魔物が闊歩するような異世界で、転居届けを書くような手軽さでなれる冒険者と言う職業の泡沫さに、千尋は呆れる。
「仮に非常時の連絡先がなかったらどうするの?」
「補償金を貰います。端的に言うと葬儀代ですね?」
千尋はさら泡沫さが増した。だからこそ底辺でもなれるのかと、くだを巻くゴロツキ冒険者をみて、冒険者の世界にめまいを覚える。
「名前は景山千尋、連絡先はアリシアにしておいて」
もう書く気も失せて、千尋はチュクチに書かせようとする。そもそも千尋は識字は何故か出来ていたが書ける気がしない。フランス語を話しているつもりのヴィクトールとは、何故か当たり前に日本語で意思疎通が出来ている時点で、もはや意味不明すぎて、今更追求する気にもなれない。
「はい、わかりました」
チュクチが当たり前のように代筆する。字が書けない冒険者も当たり前にいるのかもしれないと、異世界の常識に呆れる千尋だが、その千尋もまた字が書けないのだ。
「なんだお前。もしかして字が書けないのか?」
千尋とチュクチのやり取りを盗み見ていたヴィクトールが話しかけてくる。
「あんたはいつから書けるようになったの?」
「3ヶ月くらいかかったな……」
「私はまだ2週間も経ってないの」
何故か勝ち誇る千尋にヴィクトールは肩をすくめる。
「そうだ、千尋さん。年齢いくつですか?」
「19」
チュクチ、ヴィクトール。そして近くに来たバルタザールの目が丸くなる。誰もが同じ事を思っているのだろう。なんで19なのにそんなに偉そうなんだと……。
個人的な話で恐縮なのですが、文字数が多いと触手が伸びないタイプの生き物でして、小分けにさせていただきます。
ぼちぼち描いておりますので、良き頃に続編を公開していきますのでよろしくお願いします。
続きが読みたい心の広い方がいらっしゃいましたら、リアクション頂けると筆が進みます。多分。
次回は勇者と魔王の話ですが、特殊な世界感です。ご希望に添えるとは思えませんのであしからず。




