幕間 千尋、ギルドマスターに会う
チュクチをからかって念願の昼食にありつき腹を満たした千尋は、育ちの良さからかこの世界では意味もないのにナイフとフォークを時計の4時の位置に戻した。
知ってか知らずか、食べ終わった食器を甲斐甲斐しくチュクチが片付ける。
「ご苦労さま」
千尋に褒められたチュクチの尻尾が揺れる。食器を下げるチュクチはどこか、ご機嫌そうだ。人のために何かする事がそんなに嬉しいのだろうかと、揺れる尻尾を眺めながら、千尋は考え微笑む。
今更メイドの真似事をする理由もなくなり、これからどうするかと食堂の椅子を揺らし、青空を流れる雲を見ていると、いまさらながらとてもどうでもいい事を思い出す。
「お金……」
クロエの飲み代を届けに行くと出掛け、オルテガ達と一悶着があり、結局冒険者ギルドに払いに行っていない。快楽殺人者として生きる千尋の倫理観はとっくにおかしくなっているのだが、社会に溶け込み、殺人を楽しむにはある程度の社会性が必要不可欠になる。
「チュクチ?」
「なんですか千尋さん?」
チュクチが水差しからコップに水を注ぎながら応える。千尋はチュクチに視線合わせて少しだけ申し訳なさそうな顔をする。
「昨日いろいろありすぎて、お金届けてないのよ」
チュクチは瞬きも、水差しの注ぎ口を戻すことも忘れて静止している。チュクチならそういう反応になるであろうと予測していた。
コップから溢れて流れる水が広がっていく様子を見て、オルテガは結局死んだろうか。そんな事を千尋は考えていた。
「すいません!」
「いいのよ」
千尋は立ち上がり移動するが決して手伝わない。その人間性の欠如こそが、千尋を千尋たらしめているのだろう。
慌ててチュクチがテーブルを拭き、どうにか原状を回復するとチュクチは耳を寝かせて上目遣いで千尋を見る。
「あの……。千尋さん、一緒にギルドに行ってくれませんか?」
「諸悪の根源はクロエだけど、わたしが届けると言った手前……、断れないわね。着替えてくるから待ってて」
ちょっとだけ面倒くさそうに答える千尋だった。が、そんな千尋の反応も気にせずにチュクチは尻尾を振り喜んでいる。
千尋がターニャの部屋に訪れると部屋の主は不在だった。部屋の主が居ようが居まいが、無遠慮の塊である千尋は、勝手にクローゼットを開け新しい服を選んでいる。
「昨日借りた服は、ロアノークの返り血で駄目にしなったし……」
極力昨日と同じような服装を選び着替えると、革鎧とダマスカスナイフを装備する。革鎧は若干鉄錆の匂いがしないでもないが、千尋は気にする様子はない。
「待たせたわね」
「いえ、ありがとうございます」
殊勝に礼をするチュクチを一瞥し、付き合うと言いながらも主導権は渡すつもりのない千尋は、チュクチを従えるように先導する。
屋敷を出ると貴族街が騒がしかった。従者の様な服装の者たちが、自分たちの主人の名を呼びながら街を行き交っている。ロアノークの行方が分からず探しているようだが、見つかることはないだろう。幾人か貴族街に相応しくない服装の者たちがいて千尋は首を傾げる。
「商業ギルドの人たちですね?」
チュクチが呟いた。千尋の仕草を見て答えたというよりは、知った顔が居て無意識に口から出た様な雰囲気で、チュクチ自身も何故いるのか疑問に思っている様だ。
「商業ギルド?」
「お金を貸したり、取り引きの仲介とか?」
チュクチは行き交う人々を見ながら、上の空で答える。聞き返した千尋も自分たちでロアノークを殺しておきながら、さほど興味がないのか、何くわぬ顔で貴族街を進む。
「そう言えば、賊の2人は商人ギルドの関係者だったかしら……?」
ロアノークが奴の屋敷でそんな事を口走っていた。オルテンシアの件で話が大きくなりすぎて千尋は今のいままで忘れていた。
「まあいいわ、そのうちね……」
「なんか、言いました?」
「今は冒険者ギルドに行きましょう?これ以上遅らせてもいいことないわ」
そう言って2人は少し騒がしい貴族街を抜けて冒険者ギルドへと向かうのだった。
冒険者のスイングドアを抜けると昨日見た光景があいも変わらず繰り広げられている。どういうわけか昼から飲んでいるゴロツキと掲示板集まる冒険者たち。
「ここの奴らって、毎日これなの?」
「……まあ、そうですね」
ゼルディアの冒険者ギルドは地方の支部でしかなく、交易都市としての側面が大きいこの街では、商人になれないなら冒険者になるという具合に、落伍者一歩手前の人のための社会保障のような位置づけにある。故に種か新芽程度の冒険しかおらず、毎日がこんな感じなのだ。
「たまにクロエさんみたいに流れてくる人もいるんですけどね?」
チュクチは苦笑しながら頬をかいた。なんでこんな掃き溜めで、チュクチが仕事をしているのか千尋は疑問だった。
「やっぱ執事のほうがいいんじゃない?」
彼の中にも迷いがあるのだろうか、チュクチは少し寂しそうにいつもの光景を見ている。
「チュクチ!」
チュクチの代わりに受付にいる髭面の男性が、声をかけてくる。冒険者ギルドのギルドマスター、バルタザールだ。
「バルタザールさん!」
チュクチがバルタザールの所まで駆け寄っていく。チュクチの尻尾がぶんぶんと振られているのを見て、飼い主と飼い犬のようだと千尋は思う。そして自分にも尻尾を振るチュクチの事を思い出す。
「私も飼い主側ってこと?」
千尋は誰に見られているわけでもないのに肩をすくめ、チュクチの後をついて行く。
「昼過ぎに出勤とは、随分といい身分だな?」
髭面のギルドマスターが嫌味ったらしく言っているが、その顔は安堵や喜びの感情が溢れている。後ろから付いてきた千尋は、軽く会釈をしてバルタザールを観察する。
千尋とは真反対に位置する人情味に溢れる人間だ。髭面であっても尚、存在を主張してくる笑い皺がそれを物語る。
「大変だったんですよ?」
チュクチが耳を寝かせ、尻尾をシュンと下げているのを見れば、人情味溢れるギルドマスターはチュクチの心情はすぐに理解してくれるだろう。
「そうらしいな?」
「千尋さん、この方が我が冒険者ギルドのギルドマスター、バルタザールさんです」
バルタザールは千尋を見ると、一瞬だけ冷たい目で千尋を見る。
「なるほど、あんたが騒動の原因か?」
「騒動?」
ここ最近の千尋を鑑みると思い当たる節が多すぎて、どれのことだろうかと千尋は首を傾げる。
「今朝早く商人ギルドから苦情があってな?おたくの職員が犯罪行為に加担しているってな」
「えぇー!」
チュクチにも思い当たる節があった。千尋も昨日のことかと、アリシアの館でのロアノークたちとの騒動を思い出す。
「それでな…、チュクチ。お前は首だ」
「首……」
先程から寝たままのチュクチの耳が、頭にピッタリと張り付いている。そのチュクチの様子を見ればギルドマスターの良心も痛むのか、悲しそうな顔をする。
「そんな顔するなよ、チュクチ。商人ギルドに目をつけられると、こっちもまずいんだよ……。こっちは依頼を回してもらったり、補助金出してもらったり、弱い立場だからな……」
「そうですよね……」
「……悪いんだけど、首の理由はそれだけ?」
人間味の欠片もない反応をする千尋の言葉に、ギルドマスターは一瞬絶句する。そしてギルドマスターはチュクチの顔を見るが、チュクチは眉をひそめて頬をかき、無言でこういう人なんですとギルドマスターにアピールする。
ギルドマスターは深い溜息をついて面倒なのに捕まったなとチュクチに同情する。
「そうだが?」
「なら、大丈夫よ?私が商人ギルドに行って、話しをつけてくるから」
「あのな……、そんな都合よく……」
ギルドマスターの話など聞く気もない千尋は、チュクチの肩を叩き歩き出す。少し歩いた所で振り向き、千尋は勝ちを確信した顔で2人を見る。
「ちょっと行ってくるから待ってなさい。支払いは済ましておいてね?」
「……はい」
颯爽と立ち去る千尋を呆然と見つめる2人は、千尋が出ていったスイングドアの揺れが収まるまで、微動だにせずじっと見つめていた。
「大丈夫でしょうか?」
「大丈夫じゃないだろ?」
チュクチは商人ギルドが大丈夫だろうかと心配していた。ギルドマスターは千尋の身を心配している。お互いの齟齬は埋まることはなさそうだ。
商人ギルドの場所も聞かずに飛び出した千尋は内心怒っていた。アリシアにしろ、チュクチにしろ千尋の中に、わずかばかり残る庇護欲を刺激する。飼い主とペットの関係と比喩するのが正しいかもしれない。
千尋は市場の屋台通りを進む。屋敷で食べた事のある果物を見つけて、屋台の店主に声をかける。
「ちょっと聞きたいのだけど、いいかしら」
声をかけられた店主は、きれいにそり上げた坊主頭だ。髪の毛など異物が混入し揉める事を避ける思惑でもあるのだろうか。
「はあ……?」
店主は少し怪訝な顔をして千尋を見る。
「商人ギルドの場所を教えてくれる?」
「あ、あちらですが……?」
千尋の苛立ちに、店主は気圧されながらも何とか答える。店主が指差した先には3階建てのビルのような作りの建物がある。この世界には少し不釣り合いなほど合理的な建造物。
「ありがとう。用事が終わったら買いに来るわ」
持ち合わせがあれば買って貢献するくらいの社会性は千尋も持っている。知っているといったほうが正しいのかもしれない。
千尋が商人ギルドに行くと入り口に回転扉がある。この世界には相応しくない違和感が、より色濃くなる。普段の千尋ならもう少し反応するところだが、今の彼女は忙しい。
中に入るとアールヌーヴォー様式の内装で豪華絢爛な作りで、交差する異世界との既視感がより濃くなる。窓口らしき所に人が並んでいるが、千尋は割り込むように職員に話しかける。
「あの!困ります。並んでください!」
丸い眼鏡をかけた如何にも役所にいそうなお硬い見た目の女性が千尋を咎める。後ろからも何人か千尋を咎める声がするが、彼女が気にすることはない。
「ギルドマスターを呼んで」
「並んでください!」
ギルド職員の女性が威嚇するように立ち上がり、列の後ろに指差す。決してそれに従わない千尋に苛立ち、ギルド職員は歯を噛み締める。
「私はどかないわよ?ギルドマスターを呼ぶか、現状維持か、好きに選びなさい?」
「力尽くもあります!」
何人かの男性職員が千尋を取り囲む。
「およそ、商人ギルドらしくないやり方ね。交渉すら出来ないの?」
「あなたがそれを言いますか!」
「私は野蛮人だもの、あなたたちとは違うわ?」
千尋が不敵に笑う。真面目そうな職員を怒らせて相手の心を乱す。そして野蛮人の方が知性的に振る舞い、理性的に会話をし、勝ち誇っている。
「くっ……!」
ギルド職員はさらに歯を噛み締める。そろそろ欠けるのではないかと思うほどに歯ぎしりの音が周りに響く。
「どうするの?野蛮人の流儀なら得意よ?いい作りの内装が血で染まるなんて、本当に勿体ない……」
千尋がナイフに手をかけようとして、ギルド職員は観念したように溜息をつく。
「わかりました……。あちらでお待ちください」
「ギルドマスターが私に会いたくなるように、伝言をお願いね?オルテンシアという花を知っていますかと伝えてくれる」
「……オルテンシア?」
ギルド職員は意味が分からずに聞き返す。それでいいのだ。ギルドマスターにだけ伝わればいい。この世界に相応しくない建物の主に。
伝言をギルドマスターに伝えに職員が2階に上がる。しばしの間が空いて、血相を変えて職員が階段を降りてくる。
「ギルドマスターが、急ぎ来てほしいそうです……」
「ありがとう」
千尋は勝ち誇って職員を一瞥し礼を言う。それがギルド職員の敗北感を一層濃くして、惨めな気分にさせる。職員はその感情を押し殺して、ギルドマスターの執務室に千尋を案内する。
「ご苦労さま」
千尋に関わったのが運の尽きだ。とどめを刺すように職員を労い、千尋は執務室に入室していく。中に入ると2人の男がいた。重厚そうな机に座って、この世の終わりのような顔をしているのが、ギルドマスターのヴィクトール。
応接用の椅子にどっしりと深く座り、苦々しく千尋を睨みつけるブュートリッヒも居る。
「あら、豚もいたのね?」
ブュートリッヒは舌打ちをして、不快感をあらわにするが反論はしてこない。ロアノークが行方不明になった日に、オルテンシアの秘密を知る女が来たとなれば、警戒しないわけがない。そんなブュートリッヒへの興味を、早々となくした千尋はヴィクトールを観察する。
散切りにしたようなボサボサの金髪の毛には、天然か寝癖が常態化しているのか、跳ねたり癖がついたりひどい有様だった。
頬はこけて、目にはくまがあり、健康常態はお世辞にもいいとは言えない。服もシワが多く、男自身が身だしなみや外見に頓着しない人間だというのがよく分かる。
「あなたがギルドマスター?」
「……ああ、そうだ。ヴィクトールだ」
額を押さえて何かに苛まれている様なヴィクトールを千尋が問いかける。
「あなたはどっち側なの?」
「は?」
名乗りもしない女から、いきなり訳のわからない質問をされて、ヴィクトールは困惑する。てっきりオルテンシアを攫った件で脅されるか何かと警戒していたからだ。
「言葉通りよ?ビルに回転扉にあの内装……。こっちの人間じゃないでしょ?」




