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アフターケア それぞれの朝

 アリシアをターニャが連れて階段を上がっていき残ったのは千尋とオルテガだけだ。千尋は2人に風呂に入るように言い付けておいた。自分もこのあとオルテガを処理したら、アフタールーティンの為に、行かなければならない。


「最後に残った感想はどう?」


「この悪魔が!」


「お互い善悪の彼岸にいるのだから、言いっこなしでしょ」


 千尋は牢屋の鍵を開けてオルテガに歩み寄る。千尋の真っ赤に染まった身体からは鉄錆のような匂いが充満している。かつてのオルテガならば、その匂いに鼻を鳴らし堪能する側にいただろうが、今はそんな気分にはなれそうにない。


 そして、その匂いはオルテガに死を想起させる引き金に変わっていた。磔のように鎖に繋がれて、身動きの取れないオルテガの首筋に千尋のナイフがそっと触れる。


「けっ……。さっさと殺せ!」


 千尋は、なにを言っているのか分からないという表情で、オルテガを見る。

 

「なんで、あなたを殺さないといけないの?」


 千尋はオルテガの首にナイフを当てている。にも関わらず殺す気はないと当然のように言い放つ。


「は?今更なんだ?……っ」


 オルテガが疑問を口にした瞬間、千尋のナイフがオルテガの首筋に傷をつけた。皮膚と肉を絶ち血管に沿って裂くように斬る。そこからは溢れるように血が流れ出す。


 致命傷になる傷ではない。数多の傷を負ってきたオルテガからしたら、出血の量はあるがこの傷はすぐに治るし、痛みも大したことはない。


「何のつもりだ……」


「ここって雨漏りと言うか、地下水が溢れてくるのよね?」

 

 千尋はオルテガの頭上から不定期に滴る幾つもの雫を手で受け止めながら観察する。


「血がなんで止まるか知ってる?」


「は?」


 この世界の人間が知るわけはないのかもしれない。少なくともオルテガは知らない。放っておけば止まるから考えたこともない。

 

「血って固まるようになってるのよ」


 千尋は、オルテガの首筋にまた1つ傷をつける。また血管を裂くように切られ、血が溢れるように流れる。


「で、この傷を塞ぐには傷口を押さえたり、傷口を乾燥させるわけ……」


 千尋がオルテガの頭上の壁をナイフの柄で叩く。すると不定期だった雫がスポイトから垂らすように、定期的な落ちる流れに変わる。そしてオルテガの頭を濡らし、出血する首筋を水が流れる。


「こうなると、固まるけど流されてしまって、なかなか治らないのよね?」


 また1つ傷をつける。一つ一つはわずかな痛みでオルテガが恐れるようなことはない。しかし、確かに血は流れて止まる気配はない。


「血がなくなったらどうなるんだっけ?」


 死ぬ。オルテガにだってそれくらいは分かる。だがもう目の前の存在が不気味すぎて声が出ない。目の前の女は傷をつけて血を流させ続け、緩やかに死ねと言っている。


「助けてくれ…」


「残念……。私が殺すわけじゃないわ?大したことのない傷か原因であんたが勝手に死ぬの……」


 千尋はオルテガから視線を離さずに後ろに下がり牢屋を閉める。そんな必要がないことを千尋は知ってるが、しっかりと施錠できているか確認して満足そうに微笑む。


「運よく生きてたら、また会いましょう?」


「おい!おい!戻ってこい!」


 オルテガは今、自分の体を滴るものが血なのか水なのかもわからず、千尋がいなくなった暗闇に向かって叫んでいた。彼の最後の言葉を聞くものは居ない。静かにそして、緩やかに死へと向かっていく。


 朝焼けが東の空を染める頃。千尋たちはアフタールーティンというべき、お風呂に入っていた。木製の湯船はかけ流しで湯が循環し、木の匂いがささくれた心を癒やしてくれるようだ。

 

 千尋、ターニャ、アリシアの3人の共犯者達が身体についた血を流し湯船に浸かっている。アリシアとターニャは初めて人を殺めたこともあり、ひと言も話さず、静かに揺れる湯船を見ながら浸かっている。

 

 また1人、脱衣所から現れる人影がある。湯船から立ち込める湯気をもってしても、その存在感は失われずシルエットですら誰が来たか一目瞭然だった。


 大きな身体を揺らしてやってきたのは、3000年分の脂肪と千尋が称した豊満な身体を持つクロエだ。


 一同がクロエの身体に注目する。湯船に浸かる3人分の胸の脂肪を集めたのとしてもクロエには敵わないだろう。


 そして大きな乳房の先端は、長命種のエルフの身体的特徴なのか胸の中に埋もれ、見えなくなっている。


 並んで湯船に浸かる3人の向かいに身体を沈めて満足げに背伸びをする。


「これはいいのう……」


 クロエが口を開くと酒精の香りがする。千尋がクロエを睨む。


「何処で飲んできたの?」


「なあに、心優しい獣人のメイド殿がおってのう?お願いしたら出してくれたのじゃ」


 件のメイドはハーゼだった。ウサギの耳をクロエに弄ばれ、享楽に身を任せまいと抗った結果、クロエに酒を提供することで難を逃れたのだ。


「それで。お主らはこれからどうするのじゃ?」


 ほろ酔いなのか、クロエは世間話をするように重たい空気を壊して質問を浴びせてくる。


「豚が一匹残ってるからそれを処理しないとね?合法か非合法か手段は考えるけど……」

 

「ということはあの2人はもう死んだのか?」


 アリシアは自分の手にまだ血がついているのではと思っているのだろうか、心配そうに両手を広げ見つめながら頷く。


「はい……」


「オルテガはあと2時間もすれば、死ぬんじゃない?」


 千尋は事務的に質問に答える。千尋からすれば殺人など日常の一幕にすぎない、それ故に今日のことに思うところはないのだろう。次はブュートリッヒという豚をどうするか考えているようだ。


「何じゃ?どういう意味じゃ?」


 クロエは興味津々と千尋に近づく。クロエが湯船の中を移動すると、彼女の大きな胸が大型船舶のように湯をかき分け大きな波が立つ。


「あの地下牢。水が漏れてたでしょ?」


「ああ、そうじゃったのう」


「お風呂なんかは特にそうなのだけど、怪我した箇所を水につけてると、なかなか治らないのよ」


 興味深げに頷きながらクロエは千尋の話に傾聴する。


「何箇所か首の血管切ってまあまあ血が出てるから……。あと2時間もすれば死ぬと思うわ」


「そりゃ、ずいぶんな殺し方じゃな?」


「私は殺してないわ?あいつが勝手に死ぬの……。分かる?」


 千尋のその言葉を聞いて、ターニャは虚しそうに笑いながら、千尋を見る。


「お前は本当に……、ひどい奴だな」


「そう?」


 あっさりと残酷な殺し方、死に方の話をし、それを悪びれない千尋は肩を竦める。


 対するアリシアとターニャは人生の一大事だ。千尋が言っていたように、これからもこういう事があるかもしれない。それを免罪符に彼女たちは罪を犯した。

 

「お主らはどうなんじゃ?」


 クロエが年長者らしく、寄り添うように語りかける。

 

「私はアリシア様の騎士です。粉骨砕身頑張ります。もう怖いものはありません」


 ターニャは、力なくではあるが笑顔が作れるようになっていた。そして彼女は文字通り主のために立ち上がる。


「私は……」


 アリシアが呟く。何も考えていなかった。今は胸の中に凪が訪れている。あんなに復讐心や、憎しみの嵐が訪れていたのに、今は心が落ち着いている。


 自分はこんなに最低だったのかとアリシアは自嘲していた。


「なんか落ち着いてきました」


「お風呂は偉大よ?アリシア」


 湯船から出ようと立ち上がった千尋がアリシアに手を伸ばす。その手をアリシアが握り立ち上がる。


「そうですね、またみんなで入りましょう?」


 天真爛漫とはいかないが、アリシアは精一杯の笑顔を千尋に向ける。その笑顔が苦手な千尋はアリシアの両頬を摘んで彼女の笑顔を崩すのだった。


 フィル・ブライヤ家の使用人の館。千尋は徹夜明けで、アリシアから暇をもらい仮眠を取っていた。領主となったアリシアにはもうハロルドもカッツェも付いており、千尋が付いている必要もなく、千尋は自室で眠りについていた。


 開け放たれた窓から穏やかな風が入ってきて、千尋の鼻をくすぐった。千尋はうんと背伸びをして身体に血を巡らせると起床する。太陽の位置を見ればお昼は過ぎただろうかという頃合いだ。


「そう言えば何も食べてなかったわね……」


 昨日の昼から何も食べていなかったことを今更ながらに思い出して、寝間着のまま自室を後にする。

  

 使用人の館には客がいた。先日のロアノークとの騒動で千尋一味の一人と数えられてしまったチュクチだ。なにもやることがないのが耐えられないのか、メイド達に混ざりながら雑務をこなしていた。


「いっそ執事になったら、どうですか?」


 ハーゼがチュクチと一緒に、食堂のテーブルを拭きながらチュクチに話しかける。


「いえ、僕にはギルドの職員としての務めが……」


「ギルドの職員より、執事の方が稼げますよ〜?ハロルド様もお年ですから、執事長になんてなったら……」


 チュクチの手が止まる。金銭もさることながら執事長という響きは憧れるものがある。チュクチは妄想の中で執事長になり、アリシアの隣で立っている。


 なかなか悪くないと内心ほくそ笑むチュクチの妄想の中に、千尋が現れてチュクチの尻尾を蹂躙する。


 チュクチはその妄想に身震いして首を振る。千尋に会ってからというもの、チュクチの運勢はどん底だ。あの時千尋に手を振らなければ、今も冒険者の世話を献身的に出来ていただろう。


「人のために何かするのは好きなんですけど……」


 テーブルを拭いていた手が止まる。それは今も変わらない。チュクチが将来を真剣に考え出したその時、千尋が欠伸をし、短めの寝間着から覗くへそをかきながら食堂に入ってくる。チュクチは千尋の気配を獣人の第六感か、鋭敏な五感で察したのか、顔を見るよりも早く尻尾を振っている。


「カレン!」


「千尋さん!」


 チュクチとハーゼは顔を見合わせる。お互いが知る名前が違ったからだ。


「「え?」」


 面倒くさそうに千尋は困惑する獣人の2人を見るとため息をつく。


「どっちも合ってるわよ、でもハーゼ。これからは千尋でいいわ」


「千尋……」


 キョトンとした顔でハーゼが千尋の名を呼ぶ。ウサギのような耳を左右に揺らしながら、確かめるように何度も繰り返した。

 

「カレンは千尋だったってこと?」


「そうよ。アリシアを守るために必要だったの」


 千尋はさらりと真実に粉飾する。表向き、そのように振る舞っていたが、本質は脱獄して自由に動き回りたかったからだ。


「なんか間諜みたいですね?」


 チュクチがもっともな感想を考えなしに口にしてしまう。しまったとチュクチが口を塞ぎ、その犬のような耳を寝かせる。


 千尋は、怯えるチュクチを抱きしめるようにして逃げ場を塞ぐ。


 一見、年上のお姉さんが可愛い獣人の少年を手籠めにしようとしているような背徳的な構図に、ハーゼは顔を両手で隠しつつも、指の隙間から今後のやり取りを盗み見る。


 千尋がチュクチの顎に手をやり、背の低いチュクチに少し上を向かせる。ハーゼは顔を覆う両手の中で自分の鼻息が荒くなる音を聞いていた。どうにか興奮をこの両手のなかに収めようと必死になっている。


「悪い子ね?」


 チュクチが何かを覚悟したように目を瞑ると、千尋はチュクチの尻尾を撫で回す。ハーゼは期待していた結果と異なり目を丸くした。


「ぃ…………」


 チュクチは声にならない声を上げる。


「食べられたくなかったら、私のために昼食を持って来なさい。チュクチ」


 チュクチはわかっていなかった。千尋に会った以上、彼女に従う以外の道はない事を。


 そして、それがなんとなく心地よい事を。

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