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操り人形

 アリシアが父、アンドレアスが使っていた執務室の前に立つ。普段から開けることが許されていなかった扉の前で、アリシアは覚悟を決めて二人に頷く。それを合図に、扉の両脇に立っていたターニャと千尋が、少し重い両開きの扉を開ける。


 執事長のハロルドと家政婦長のカッツェとニ人の男が話し合っている最中だった。ノックもなくアリシアたちが入ってきたことで、中にいた面々は少し驚き、新しい領主になるであろうアリシアに視線を集中させる。


「アリシア様、もうよろしいのですか?」


 ハロルドとカッツェが心配するようにアリシアに歩み寄るのと対照的に、2人の男は黙って、値踏みするようにアリシアを見る。その二人の態度に、千尋は小声でターニャに2人の素性を聞く。


「あのニ人は?」


「執政官のブュートリッヒ殿と、ウルブリヒト殿だ」


 ブュートリッヒと呼びれたのは、高カロリーの食べ物に乏しいこの異世界にいながら、内臓脂肪を蓄えた腹。頭皮が脂に侵食され、髪の毛が後退している小男だ。その肌は脂ぎって無駄に肌艶が良く、いまいち実年齢が分からないが60は超えていそうである。肌の色が緑ならゴブリンで通用しそうな見た目をしている。


 手の指にはゴテゴテと指輪が光っており、この執政官が拝金主義者であることを伺わせる。


 もう一人の執政官。ウルブリヒトは見た目は壮年。真面目そうな面長の顔で、私腹を肥やす相方とは異なり、食生活を節制してそうな細めの見た目をしている。しかし、すらりとした体の割に首が太く、脳に血液が多く流れていそうで、頭脳派、インテリの印象が強い。装飾品も質素でブュートリッヒとは印象が真逆だ。


 アリシアが歩み寄ると、執政官のひとり、ブュートリッヒがアリシアに声をかける。


「突然ご家族を失われ、すぐに領主としての務めを果たすのは無理がありましょう。私共が執政官として取り成しておきますので、ごゆっくりお休み下さい」


 言いようはもっともだが、その顔は明らかにアリシアを馬鹿にしており、千尋は苛立ちを覚える。次に排除するべき獲物を見つけた千尋は、ターニャのほぼ真後ろから、小声で囁いた。


「ターニャ。振り向かずに聞いて……」


 囁くような声なのにターニャは威圧感を感じ、体を強ばらせる。


「私の言う通りに言いなさい」


 千尋がターニャに囁いた内容は衝撃的だった。自分がそれを言うのかとターニャは千尋を振り返る。千尋は腹話術のように、唇を全く動かさずに話す。


「振り向かない……」


 千尋は穏やかそうな佇まいで、その場の空気となっている。ターニャが振り返ると冷たい視線で言うことを聞くように威圧している。諦めたようにターニャは口を開いた。


「ずいぶんと私腹を肥やしていそうですが、何年執政官を?」


「は?」


 ブュートリッヒがあからさまに顔をしかめて、ターニャに反応する。ウルブリヒトはターニャの発言を鼻で笑ったように見える。


「騎士見習い風情が何を言うか!」


 ブュートリッヒが憤慨し、怒鳴り散らす。大きく開けられた口から覗く黄色の歯は如何にも不健康そうだ。時折ターニャに向かって飛んでくるつばも悪臭を放っていそうで、ターニャは何となくゴブリンを思い出してしまう。


 だが、後ろに控える会話するゴブリンに比べればまだマシだった。


「執政官風情が、領主の側近に何を言うか」


 言われるがままにターニャは口にした。ターニャは目が回りそうだった。千尋が何を考えているのか分からないし、この先何を言わされるかも分からないからだ。


「執政官風情とは大きく出ましたな?一応我々がこのフィル・ブライヤ領を仕切っているのをお忘れか?」


 ウルブリヒトはブュートリッヒとは違い、冷静に非難してくる。一応と言う言葉に千尋は冷静さと謙虚さを見いだす。しかし主従をはっきりさせるためにも言わなくてはならないことがある。千尋はターニャにまた囁いた。不思議なことにそれは、ターニャが思っていたことと一緒だった。


「このフィル・ブライヤ領の領主はアリシア様だ!断じてお前たちではない!」


 ターニャは驚いていた。自分だけなら思っていてもこんな事を言えなかっただろう。千尋が後ろにいて助けてくれる。だからこそ、目上のニ人にも負ける気がせず、ターニャは執政官二人を指さしていた。


「何を言うか!貴族にも劣る小娘などお飾りだ!我々が……」


 ブュートリッヒが興奮し、脂ぎった汗を撒き散らしながらターニャに反論しようとした時。アリシアが、ターニャの横に並ぶ。ターニャの勇気を分けてもらうためかアリシアはターニャの手を握ると、大人の男性二人に負けじと背筋を伸ばして凛とした。、


「確かに私は、貴族にも劣る小娘かもしれません。ですがフィル・ブライヤの人間としてこの領地に住む、すべての人に手を差し伸べるつもりです」


 アリシアは震えていた。貴族街を進むだけで萎縮して下を向いていた小娘が、今は震えながらも、前を向いている。


「その様な絵空事を……」


 ウルブリヒトが鼻で笑う。小娘など怖れるにも値しないと言うように、真っすぐにアリシアとターニャを見ている。


 見た目と行動から察するに、ウルブリヒトはまともな執政官のようだ。アリシアに反抗的なのは、アリシアよりも頭がいい自負があり、現実的な見識を有しているからだ。


 千尋は分の悪いアリシアを助けるべく、一芝居企てる。


「それでターニャ様がおっしゃってました件は、いかがなのですか?」


「そ、そうだ。答えろ!」


 いまいち迫力にかけるがターニャは必死に糾弾した。千尋がハロルドを見ると視線を外された。


 日和見主義の執事長の態度に、千尋はため息を吐く。気を改めて、千尋はカッツェに視線を送ると、カッツェは視線を外す事なく千尋に頷いた。


「ブュートリッヒ様は、私が来た頃から執政官としてお勤めですので、10年は経ちます。ウルブリヒト様は2年は……経っていないと思います」


 カッツェは執政官2人の視線から逃げるように眼鏡をいじる。それでも発言をしない執事長に比べれば十分まともだった。


「そうなのですか……。だから肥えていらっしゃるのですね。私のいたところでは執政官は不正防止に1年2年で交代しておりましたので驚きです」


 アリシアに向けて、私の話を聞けと言わんばかりに芝居がった言い方で千尋は驚いてみせる。言葉の意味を理解したアリシアの目が光る。ブュートリッヒはこのフィル・ブライヤ領に寄生する虫だ。


「あなたは長きにわたりお父様のもとで私腹を肥やしてまいりました。私が領主となる以上、あなたの仕事はないと思いなさい!」


「何故私ばかりが!この男だって…」


 ブュートリッヒが死なば諸共とウルブリヒトを巻き込もうと必死だ。当のウルブリヒトは涼しい顔で言い放つ。


「そうはおっしゃいますがこのニ年。私に貴族とのパイプを作る機会など、一度も与えなかったではないですか?」


 またウルブリヒトは鼻で笑う。このニ年間。この男は、ブュートリッヒもアンドレアスも内心馬鹿にしながら、頭を下げていたのかもしれない。それが小娘が領主になると宣言した途端に、この状況だ。内心は愉快でたまらないのだろう。


「これで分かっただろう!今すぐに立ち去れ!」


 ターニャが勝ち誇るようにブュートリッヒに宣言する。が、千尋は不満げだった。確かに最後に豚と付け加えていたのに、ターニャは言わなかった。


「覚えておれよ、このワシを……。騎士見習如きが……!」


 ブュートリッヒの怒りの対象は、完璧にターニャだった。憤慨しながら出ていくブュートリッヒが居なくなると、ターニャは千尋のメイド服の襟を掴み、千尋を揺さぶっている。


「なんで私なんだ!」


「あなたが言ったんだから、こうなるに決まってじゃない?」


 千尋は揺さぶられながらも、ターニャを馬鹿でも見るように哀れみの目で見つめる。その様子を見ていたウルブリヒトは失笑したかと思えば、よほど愉快だったのか、大笑いを始める。


 千尋以外が何事かとウルブリヒトを見つめる中、笑い終わると顔を上げた。常に無表情か冷笑のウルブリヒトが、誰も観たことのないような笑顔をむけてアリシアを見る。


「アリシア様は、本当にすべての人に手を差し伸べるのですか?」


 ウルブリヒトは、先ほど鼻で笑ったアリシアの想いを問いただす。


「そのつもりです」


「貧困街の者もですか?」


 暫し、アリシアは無言になる。ランドルフが存命だった頃、何度か視察への同行を頼んだが、ついぞ連れて行ってはもらえなかった。噂に聞く限りだと、廃人が最後に流れ着く場所というくらいの街の暗部だと言う話だ。


「できる限り……そうしたいです」


「無駄にやります、出来ますというよりは好感が持てますね……。いいでしょう、お手伝いします」

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