フィル・ブライヤの夜明け
メイド姿の凶悪犯を後ろに引き連れるターニャは、千尋をアリシアに会わせていいものか、今更ながら考えていた。
有言実行、たしかにアリシアの居場所が出来上がった。が、事の真相をアリシアが知れば、一体どうなってしまうのだろうと不安にかられ、ターニャが深くため息を吐いて、顔を上げる。するともうアリシアの部屋の目の前についてしまっていた。
ターニャは、アリシアの部屋の扉に右手を当て、逡巡するが、もう後戻りはできないと決意をして扉を叩いた。
時を同じく、アリシアは不思議な気持ちになっていた。机に伏すようにしながら窓から差し込む朝日を浴び、朝日に映える揺れる深緑を見ている。鳥たちのさえずる声で、いつもは微笑ましい気持ちになるのに今日は違う。
感覚が、感情が鈍り、心が弛緩していく。体を動かそうとすると、とにかく重く。アリシア自身泥沼に浸かったことなどないが、きっと泥に沈む感覚はこうなのだろうと、朝日を浴びてさえずる鳥たちを見ながら、アリシアは考えていた。
アリシアは父が、姉が、ランドルフが死んだと知らせを受けたのは、ターニャからだった。普段、冗談もウソも言わないターニャの報告が、何故かすぐに信じられず、アリシアは一笑に付してしまった。
そして、アンドレアスの苦しそうな死に顔を目の当たりにしてようやく実感が湧き、今こうして自室の机に倒れ伏している。母が死んだ時は、顔の皮膚が無くなるのではないかと思うくらい泣いて、泣き腫らしたのに、実父と姉の死に涙の一つも出てこない自分に呆れるように、アリシアは笑った。
「千尋様は、私の居場所を作ってくれると言ってました……」
こんな形でアリシアは全てを手に入れるとは思ってもみなかった。が、千尋がメイド姿で現れたあの日から、こうなるのをなんとなく理解していた。本当に千尋がやったのなら、その罪をアリシアは背負わなければならない。
そう考えているとノックの音がした。返事をしなければならないのに、アリシアの体はそのほんの少しの動作が億劫でならない。まだ、心は弛緩し、体は泥沼に頭まで沈んでいる。ノックの音がすごく遠くからしているような錯覚にアリシアは陥っていた。
ターニャが何回かノックをしたが反応はなかった。ターニャが心を決め、開けようと手を伸ばした時。千尋が何食わぬ顔で、あっさりと開けてしまう。
「ノックしたなら、入りなさいよ?」
理解できないという顔の千尋と、理解できないという顔のターニャは、互いに見つめ合いながらアリシアの部屋に入室し、扉は静かに閉まった。
「お前には、人の心はないのか……」
アリシアの元まで歩み寄りながら、千尋に苦言を呈するターニャ。人の心は手に取るように分かっているが、一欠片も持ち合わせていない千尋は鼻で笑う。
「私に人徳説いて、どうするのよ?」
家族を失った結果、無気力となっているアリシアが机に伏している。そのすぐそばで、千尋は悪びれるでもなく人徳を吐き捨てる。
アリシアは、その千尋らしい反応に顔を上げる。
「千尋様……」
「おはよう、アリシア。領主になる気分はどう?」
ターニャは落雷に遭ったような衝撃を受けた後にふらふらと椅子に近づき。アリシア同様、机に倒れ伏す。
「お前は……、本当に信じられないな……」
「だから今更人間性とか求めるのやめてくれる?私を牢屋から出して匿ったのだから、あなた達は共犯者でしょ」
ターニャは気まずさと、申し訳無さの針のむしろだった。が、千尋は気にするのでもなく、お茶菓子を食べながら、いつも通りに寛いでいる。
「千尋様なのですか?」
アリシアは覚悟を決めて、千尋の罪を背負うつもりで千尋に問う。しかし千尋は素っ気なく、用意された事実の一部を伝える。
「私は誰も殺してないわ」
アリシアがターニャを見る。ターニャは大きくため息をつき、真実ではないが嘘ではないので頷く。
これで自身も千尋の同類となってしまったターニャは、額を覆うように手を当て、懺悔のように下を向く。その姿を見て、千尋は満足気に微笑みを浮かべている。
そして緊張の糸が切れたのかアリシアは、机に手を投げ出し、突っ伏していた。
「私はてっきり、千尋様が全員……、その、殺してしまったと思っていましたので……」
「流石にやんないわよ、めんどくさいし。私がデボネアとノアの仲違いを演出しようとしたのは間違いないけど、ここまでになるとは思ってなかったわ」
本当にめんどくさそうに答える千尋に、真実を言っているのだろうとアリシアは安心した。
が、実際は全て千尋の計算通りだ。手違いはアンドレアスが思ったより早く死亡し、ランドルフがデボネアの部屋に来たので、ノアに殺害させたことだけだ。
ターニャはノアの精神を支配して全員殺させて、再起不能にして捨てた。と包み隠さず言い出さないか気が気ではなかった。が、なんだかんだとアリシアの為に協力するという約束は継続中のようで、安堵のため息を吐く。
「お父様もお姉様も死んでしまいました。私はこの後どうすれば……」
「私に聞かないでくれる?政なんて欠片も興味ないし……」
「お前な……、自分で始めましょうか、あなたと私の居場所作りを……。とか、言っておいてなんて言い草だ」
ターニャが本物より意地の悪そうな千尋のマネをしながら、あの夜言ったことを再現する。
千尋は苛立ちを隠さず、ターニャの額にデコピンをする。ターニャが痛そうに額を擦るのを見て、アリシアはほんの少しだけ笑顔になった。
「実際、この世界のことはよくわからないもの。アリシアの好きなようにしたらいいんじゃない?」
「私の好きなように……?」
「アンドレアスのように他者を虐げ、平伏させたいならそうしなさい。そうでないなら自分の胸に聞きなさい」
人の心を持たない千尋は時折、至極真っ当な事を言う時がある。そのウソのようなまともさがアリシアを惹きつけてやまない。
「私にできるでしょうか……。まだこの街の貴族の方々は、お父様が亡くなったことを知りませんし……」
アリシアもターニャもやってくれないから、渋々人数分のお茶を淹れ始める。ポットを優しく回し、茶葉を開かせる。手慣れた様子で優雅に茶を入れる姿は、まさに出来るメイドだ。
「この状況で逃げ場があると思ってるの?出来るかなじゃなくて……、やるのよ」
アリシアとターニャにもお茶を出す。アリシアはいつもより、花の香りがする琥珀色のお茶を見つめる。逃げ場はないという千尋の言葉は残酷だが好きにやれ、やりたいようにやれという、応援にアリシアには思えた。千尋がカップを置いた時に出来た波紋が少しずつなくなっていく。その様をみていると不思議とアリシアの心は穏やかになる。
アリシアは、千尋が入れてくれたお茶をゆっくりと味わう。静かな時間の中、穏やかな気持ちで紅茶を飲み干すと、アリシアは立ち上がる。
「私は……。すべての人に手を差し伸べる領主になりたいです」
「アリシア様!アリシア様なら、必ず!」
「なら、そうしなさい」
アリシアのその覚悟に、ターニャは立ち上がり礼をする。千尋は、お茶菓子の最後の一口を口に放り込み、やれやれと立ち上がった。
領主としての決意を胸にアリシアは部屋を出る。その後ろにターニャ、千尋と続き、もう少しこの共犯関係は続いていく。




