慟哭の果て
「おやおや、まあまあ」
開口一番クロエが呆れたように呟いた。帰りが遅い二人を心配したアリシアに請われ、クロエが2人を探しに来たのだ。
「どういうこと?」
千尋は当然の疑問を口にする。探そうと思ってたどり着けるような場所ではない。目の前の齢3000歳を超えるエルフが、どうやってここにいるかが不思議で堪らなかった。
「領主殿に請われてな?長年生きておると追跡魔法なんてものも使えるのじゃ……。足取りをたどって臭い下水道を抜けたら、このザマよ?」
クロエの足元にはシッカートの死体と泣きじゃくるターニャ。部屋を見渡せば、気絶している男2人と、火傷を億劫そうに見つめる千尋がいる。
「魔法は何でもありなのね?」
「魔法は、ではないぞ。妾が、何でもありなのじゃ」
不敵に笑うクロエは愛用の杖を千尋に向けて一振りする。
「リカバリッド」
クロエが呪文を唱えると千尋の火傷を水の膜が包み込む。ひんやりとした感触と、何か落ち着くような涼やかな気持ちに、千尋が不思議そうにその水の膜を見ていると、やけどの傷、痛みがなくなっていく。
「確かに……。何でもありね」
すっかり元通りの火傷の後を観察しながら手を握ったり、開いたり感触を確かめている。
「興味は尽きないけど、本題に入ったほうがいいわね……」
シッカートの薬は1時間と持たなかった。実際ターニャは貴族街で襲われ、下水道を通り、だいぶ遠回りをして、この地下室で暫くしたら意識は戻っていた。千尋は足元のロアノークとオルテガを一度足蹴にして意識を確認する。生者特有の弾力のある感触はあるが、ロアノークとオルテガに反応はない。
「何でも出来るエルフはこの二人も運べるの?」
千尋はもう一度足蹴にしながらクロエに聞く。
「人使いが荒いのう。この貴族は見覚えあるが、もう1人は……オルテガか?どうやって此奴を……」
クロエが2人の顔を見比べ、オルテガを見てやや驚いたような反応をする。このゴロツキはゼルディアでは有名だ。粗暴さと残虐性が原因で冒険者資格を剥奪されていた問題児だ。
「どうやってこの筋肉ダルマを無傷で捕らえたんじゃ?」
千尋がシッカートの死体を顎で指す。が、死体は顔が焼けており原形をとどめていない。特徴的な手の長さと極端な猫背を除けば。
「シッカートの暗器か。しかし……どうやった?」
「お互いの興味はあとで解消しましょう?今はこいつらが起きる前に、アリシアの所に運びたいのよ」
いつもは腹のうちを見せることのない千尋がターニャを見おろし、真剣な顔をしている。その姿に千尋との付き合いは浅いが、対人関係の豊富なエルフは何かを察したように答える。
「たしかに……そうじゃな」
クロエもまたターニャを見おろし、少し真面目な顔をする。
「アルタイル・レビテーション」
クロエがそう唱えるとロアノークとオルテガの身体が浮かび上がる。クロエが杖を動かすと、それに追従するように空中を漂う。
「本当に何でもありなのね…」
「この国随一の魔法使いじゃからな」
クロエはそう言って千尋にウインクをする。この世界、アクロシアには無い異世界の文化を知るエルフに千尋は毒づく。
「何処で覚えたのよ、そんなの」
「お主と同郷のやつからの」
そもそも、わかりきった答えに興味など無かった千尋はターニャに歩み寄る。しゃがみ込んで血まみれの手で涙を拭うターニャの顔は真っ赤で、少しだけゾクッと千尋は身体を震わせるが、目をつぶり頭の中で6つ数えて心を落ち着かせ、破壊衝動を抑える。
「ターニャ。起きなさい。家に帰るわよ」
そう、どんなに衝動があっても千尋は破壊衝動を家族に向けたことは無い。それが彼女の流儀の1つとなっていた。この世界でも寝食を共にする共犯者たちもその枠のなかにいるのかもしれない。
千尋達が帰ると一番困惑したのはアリシアだった。ターニャの身体は返り血で汚れており、気絶したロアノークとオルテガを、クロエが浮遊魔法で連れてきたのだ。
さらにアリシアを困惑させたのは千尋がアリシアの母親、オルテンシアの名を知っていたからだ。
「アリシア。オルテンシアってあなたの母親?」
「何故千尋様が、お母様の名前を……?」
プカプカと浮かぶロアノーク達を一瞥して千尋が答えようとした時。無表情だったターニャが声を上げた。
「此奴らがオルテンシアを攫ったと仄めかしたのです!」
アリシアは絶句した。アリシアは母親の死体を直接は見ていない。ただ辱められて見るに耐えない姿だったと、発見したランドルフから聞いていた。
その犯人が目の前にいる、アリシアがそう思った瞬間、彼女の世界は暗転する。
時はオルテンシアが14歳の時に遡る。オルテンシアはこのゼルディアの商家の娘だった。当時アンドレアスはオルテンシアとは違う女性と婚姻関係にあり、デボネアとマリアベルが生まれていた。
「お父様!今日はデボネアの為のパーティーなのでしょ!」
フィル・ブライヤ家の長女、デボネアが赤いドレスで着飾りながら、長く赤い髪をなびかせながら、14の誕生日を祝うパーティー会場を所狭しと駆け回っていた。アンドレアスに溺愛されて育ったデボネアを拝めることは誰にも出来ない。
しかし一人だけ例外がいた。オルテンシアだ。多くの貴族や街の有力者が集まるその会場に、オルテンシアも招かれていた。
「デボネア様?主役がそんなはしゃいでいたら、誰もデボネア様にお祝いの言葉をかけられませんわよ?」
オルテンシアはデボネアとは対照的に白いドレスを着ており、透き通る様な白い肌が純白な乙女を思わせる。薄い栗色の髪が腰まで伸びて、デボネアよりも大人びた印象で、その美しさはゼルディア、いや、この国エーダフォストでも指折りと言っても過言ではない。
そこでアンドレアスは自分の娘、デボネアと同じ年のオルテンシアを見初めてしまう。アンドレアスはその日の内にオルテンシアを手籠めにし囲ってしまい、遂には孕ませてしまう。
この出会いがなければフィル・ブライヤ家の面々がおかしくなることもなかったのかもしれない。アンドレアスはオルテンシアを支配する過程で嗜虐性に目覚め、暗愚な領主となった。
デボネアは我儘ではあったが、嫉妬深く暴力的ではなかった。オルテンシアの存在が、フィル・ブライヤ家を傾けたのだ。
結果オルテンシアはアンドレアスの妻となり、アリシアを出産。そして、アリシアが12歳の時に事件が起きた。
近郊の村がゴブリンに襲われたと聞いたオルテンシアがたった1人の生き残り、ターニャを自身が営む孤児院に引き取った帰りの事。
賊にオルテンシアは襲われ、攫われてしまう。数日後、領地の外れの森でオルテンシアの死体が発見される。
「アリシア!」
千尋の声にアリシアは目を開ける。ほんの一瞬だけアリシアは意識を手放していた。
「お母様が……」
母、オルテンシアの死にまつわる事はこの屋敷では禁忌だった。名を出すことさえ憚られていた。アリシア自身も母の話しをするのは避けていた。
「はい……。この者たちがそう言いました」
涙目になったターニャの顔は涙と返り血が混ざり、ひどい有様だった。そのひどい有様だからこそ、アリシアにはターニャの言葉が信じられた。
4年間蓋をしてきた感情が溢れ出す。犯人を許さないと何度枕を濡らしたことか、亡き母の優しさに憧れ、そうあろうとして何度、下を向いたことか。
目の前の2人がいなければ今もオルテンシアはアリシアの隣にいたし、アンドレアスは酒に溺れることはなかったかもしれない。
そんなアリシアが4年間溜めてきた感情が溢れ出した。嗚咽を上げて泣き顔を手で覆った。アリシアは周りに見られたくなかった。泣き顔ではなく、復讐心に歪んでいく顔を。
どれくらいアリシアは泣いただろうか。ターニャが寄り添って一緒に泣いてくれていた。4年間同じ思いを持っていた姉妹のような間柄だからこそ、この悲しみに、この怒りに寄り添い、共有できるのだ。
「何にするにしても、この2人が目を覚ましたあとかのう」
傍観者のクロエが口を開いた。まだアリシアは顔を上げることはできない。憎悪がアリシアの眉間に深いシワを作り顔を歪めたままだからだ。
「ろ……牢に入れて……おいて、ください……」
「かしこまった。オルテガは磔じゃな?こいつが暴れたら面倒じゃからな」
年長者の配慮だろうか、クロエは何事もなかったように杖を振り、問題の2人を運ぶ。同じく傍観者だった千尋は、勝手知ったる牢への道を先導していく。
残されたのはアリシアとターニャだけだ。
「ターニャは……、復讐したのですか?」
やっと顔を上げたアリシアの眉間は、苦悩する彼女の心情を表すようにまだシワが刻まれている。ターニャも同じように眉間にシワを作り涙を流してうなづいた。
「……私は我慢ができませんでした。醜い感情に任せて賊を討ちました。アリシア様を守る騎士の様になりたかったのに……。まるでゴブリンの様に……」
ターニャが大粒の涙を流してアリシアを抱きしめる。誰に向けられた涙だろうか、アリシアには分からなかったがターニャを受け止める。これからも共に征く、共犯者とも言える仲間を。
「私もそちらに征くことができるでしょうか……。私はそうなりたいと今思っています。が、お母様はどう思うのか考えてしまうのです」
アリシアはまだ霧の中にいる。霧を晴らすにはあの2人の向き合わなければならないと、アリシアは立ち上がった。




