復讐の始まり
ターニャが倒れた今、千尋には成すすべが無かった。観念したようにナイフを投げると千尋は両手を挙げる。
「分かったわ、生け捕りなのよね?」
オルテガが苦虫をかみしめたような顔をしたあとに怒りを爆発させる。オルテガはまだ千尋と戦っていたかった、不利な状況で必死に戦う千尋をもっと傷つけたかった。
「シッカート!何勝手にやってやがる!」
オルテガがシッカートに掴みかかり罵声を浴びせる。シッカートの顔をすっと隠していた外套が外れ、やっと千尋が見たかった顔が見える。男性ホルモン過多で禿げ上がった頭にゴブリンのような鷲鼻と細い顎。歪なまでの前傾姿勢。如何にもコンプレックスを抱えてストレスに弱そうな男だった。
「は、はぁ?俺は言われた通りに…」
「なに?仲間割れ?雨の中、手を挙げてるのは疲れるのだけど」
面倒臭そうに千尋が口を開く。が、その口角が少し上がっており、この2人の攻略方法を思いついたようだった。
「ちっ!とことん口が悪い女だな…」
オルテガがシッカートから手を離す。絶対的不利な状況で不敵な態度の千尋に、オルテガは負けるわけにはいかない。彼は何事にも勝たなければ気がすまないのだ。
オルテガはターニャを担ぎ上げると先導する形で下水道の入り口へと向かっていく。ノアを捨てた貧困街の近くにこんなものがあったのかと千尋は感心しながら川沿いにある排水口から下水道へと入った。
生活用水や糞尿が流れる下水道は、鼻を覆ってもまだ臭さが鼻腔を刺激する。千尋は顔をしかめながら鼻を摘み進んでいくが、オルテガの肩に担ぎ上げられたターニャは感覚がないのか弛緩した無表情で虚空を見ている。今は臭さを味わっていないだけターニャはマシかも知れない。
悪臭と時折聞こえる獣のような唸り声。
「またかよ…。下水道に何が住み着いてんだ?」
足元を走り回る太ったネズミの群れを蹴散らしながらオルテガが愚痴を言う。遠くで聞こえる唸り声とは反対側、方向的には貴族街に向かっていく一向。目的地はロアノークの屋敷だ。
オルテガはその腕力でターニャを小脇に抱えてはしごを上がっていく。シッカートに後ろから突かれ、千尋も続く。登り切ると酒樽が並んだ地下室についた。ロアノークの姿はなく、就寝しているのか、面会に使っていたいつもの部屋にもいなかった。
オルテガはターニャをベッドに放り投げる。するとシッカートが飛びつきそうな勢いでベッドに駆け寄り、オルテガがシッカートに掴みかかる。
「おえらいさんに献上する女だ。前みたいに手を出すなよ、バカ野郎が…」
「ち、近くで見るくらいはいいだろう?」
動揺しているシッカートは明らかな嘘をついていた。男性ホルモン過多で性欲を持て余している。容姿的にも普通の女には相手にしてもらえていないのだろうな思い、千尋はほくそ笑む。
「何笑ってやがる!そこの椅子に座れ!」
オルテガが千尋を座らせると後ろ手で手を縛る。千尋はきつく縛られ、指先しか動かせない状況になった。
「面倒臭えな…、おいシッカート。ちゃんと見張ってろよ。手を出すなよ?傷物にしたら俺もお前もどうなるか…」
オルテガは悪態をつきながらも忠実に役割をこなす為、主を探しに部屋を後にする。残されたのは動けないターニャと縛られた千尋。そして獣のような興奮した目のシッカートだ。
「ひひひ、舐めるくらいならいいよな…」
シッカートはターニャのベッドに潜り込もうと足をかけた。
「本当に格好悪いわね…」
千尋が呟いた言葉にシッカートが反応する。ゲヒンな薄ら笑いは消え、怒りの表情だ。
「なんだ!このおれをばかにするのか!」
「貴方じゃなくて、もう一人の男のほうよ?」
千尋がシッカートのような薄ら笑いを浮かべる。ひひひと声を出しそう薄ら笑いに親近感を覚えたのかベッドから離れて千尋に近づいてくる。
ターニャはまだ身体は動かなかったが声が聞こえるようになっていた。千尋がシッカートに声をかけて助けてくれた。それは理解できていた。ターニャは何度か必死に瞬きをして千尋に合図を送る。千尋はターニャが起きたことに気が付き薄ら笑いを浮かべていたようだ。
「どういうことだ?」
「だってあの男は貴方より弱いのに、貴方より偉そうだわ」
ターニャには既視感があった。自分が千尋と牢屋で話した時を思い出していた。あの時も地下室の牢屋で明かりはランタンだけ。今も暗い地下室で部屋に備え付けられたろうそくの明かりだけが光源だ。
「どういうことだ?」
シッカートは壊れたレコードプレーヤーかサンプリングマシンか。同じ言葉を繰り返した。背中が歪に曲がっていれば脳へ流れる血流や諸々、不具合もあるだろうと千尋は睨んでいたが、シッカートの返答は千尋が理想とするものだ。
「だって私たちを捕まえたのは、貴方で…。あの男じゃない…」
千尋はシッカートに自分のプロポーションが見えるように身体をくねらせる。男性ホルモン過多のシッカートは千尋の胸と腰に注視している。
「だからあなたのほうが強い。私は強い男が好きなの…」
千尋はわざとらしく足を組み変え、今度は腰から下を強調する。シッカートが生唾を飲む音が聞こえそうなほど喉仏が動いたのを見て、千尋は舌なめずりをする。
「あんな体つきだけの男より、貴方ような強い男に抱かれたい…」
「ひひひ、そ、そうか?」
「ええ、そうよ。シッカート。私に見せて頂戴。貴方の強いところを……。そうしたら…」
千尋がまた組んでいた足を戻し股を開く。ズボン越しでも強調された臀部は、シッカートを奮い立たせる。
「そうしたら…ひひひ」
今にもベルトを外しそうな勢いのシッカートに千尋は首を横に振る。いや、シッカートの後ろ、ベッドの上で起き上がろうとしたターニャに首を振ったのかも知れない。シッカートとターニャは首を横に振る千尋の言うとおりにする。
「ターニャを動けなくした様にあいつも動けなくして、どっちが上か教えてあげましょう…」
「ひひ、そうしたら…」
シッカートの喉仏がまた動いた。その時、部屋の扉が開いた。オルテガとロアノークが帰って来た。
「手を出してんじゃないかと心配したぜ…」
「ほう…大したものだ。その日の内に2人連れてくるとは。」
シッカートが千尋を見る。まだというように千尋は首を横に振る。
「強すぎて無理だったわ」
動きに合わせて、セリフを言う。それはシッカートにもオルテガにも違和感なく響く言葉だった。
「オルテンシアを攫った時も見事だったが…。どうだ、商業ギルドなんぞやめてうちの専属にならんか?」
ターニャは動かない様に必死だったが無理だった。オルテンシアはアリシアの母親の名だ。盗賊に襲われて行方不明になり、後日痛々しい姿で見つかった。辱められ舌を噛んで自死していた。その犯人が目の前にいる。
「お前がやったのか!」
その瞬間全員の目線がターニャに注がれた。それは千載一遇の機会だった。
「シッカート!」
千尋が叫ぶとシッカートはオルテガに吹き矢を放つ。後頭部に矢が刺さり、オルテガは頭から前方に倒れる。
「なんだ!」
ロアノークが振り向く。自分の胸にオルテガに刺さっている物と同じ物が刺さっている。ロアノークは後ろに倒れた。
シッカートは、興奮していた。全身の血が股間に集まっていくのを感じて体が熱くなっていた。暑くなって額の汗を拭き、振り向いた目の前には紫の炎があった。
シッカートがオルテガに吹き矢を当てた瞬間、千尋は出し入れだけできるようになっていた炎で、手を縛っていたロープを焼いた。自分で出す炎はさほど熱くないのだが、それが何かに熱を伝えると自分も熱く感じる。やけどの痛みを感じながらも立ち上がる。ロアノークに矢が刺さり、シッカートが振り向いた瞬間に、千尋はシッカートの目を紫の炎で焼く。
「んぎゃー!!目、目!」
シッカートはもう戦う事など出来ない。痛みにのた打ち回り息も絶え絶えだ。
「ターニャ!」
千尋はオルテガに奪われていた剣をターニャに渡す。ターニャは剣を握りロアノークを見下ろす。
「そっちは駄目。それはアリシアの…。あなたの復讐心を満たしたいのなら賊を討ちなさい」
ターニャは千尋の言葉に頷く。ロアノークの話が真実なら殺してやりたいと思う。が、それは真実か分かってからだ。オルテンシアのことはターニャも慕っていた。復讐するならアリシアにだってターニャにだって権利はある。
「分かった」
まだ足元でのた打ち回るシッカートを、ターニャは足蹴にした。剣をシッカートの胸の上で振りかざす。そのかざした剣はわなわなと震えているそれは怒りか、初めて人を殺す恐怖からか。
「よくも!オルテンシア様を!!」
ターニャ本人にも分からなかった。シッカートの胸を何度か刺していたら気持ちが軽くなった。ボロボロと涙が出た。やっていることが姉を殺したゴブリンと同じだ。でもそうしたかった。ターニャはその場でへたり込んでしまった。
「こっちの男はどうするの?」
ターニャが首を横に振る。もう嫌だと横に振る。その姿を見て千尋はターニャの頭をそっと撫でた。
「よくやったわ…お疲れ様」
その言葉は優しさだったろうか、赤のシリアルキラーの代わりに人殺しをした相棒への労いだろうか。泣きじゃくるターニャの声が地下室に響く。夜はまだ明けそうにない。




