夜の狩人たち
ロアノークの屋敷は貴族街の端、閑静な場所に建てられていた。黒い屋根の白亜の殿堂。庭を含めて領主の屋敷にも匹敵するような面積である。
違いがあるとすれば平屋であるという点だが、ロアノークの屋敷には地下室があり、街の下水道に繋がっている。下水道を通れば、人に見られることなく出入りすることが出来る。
商業ギルドのマスターであるヴィクトールは、表向きには健全な利害関係を維持している。が、裏では商業ギルドから下水道を抜けてロアノークの屋敷やブュートリッヒの屋敷に出入りをしており、2人と癒着することで甘い汁をすすっていた。
うまく行っていた三者の関係は、綻び始めている。憂鬱そうに歩くヴィクトールの背中は、少し丸くなり下を向いている。下水道の湿った空気、汚物を思わせる匂い。それらから身を守るためヴィクトールは外套を羽織っている。下を向くと着けている眼鏡がずり下がってくるので、手で眼鏡を押さえつけ、鼻を塞ぎながら仄暗い下水道を進む。
「はぁ……、ロアノーク様にも困ったものだ。鼻息荒く出ていったわりに、こいつらを呼ぶとは……」
暗い下水道での頼りはランタンのみだ。ヴィクトールは、ランタンで後ろから付いてきている2人を照らす。ヴィクトールと同じように外套を身にまとい、その顔はよく分からない。
「また俺等を頼るって事は、楽しめる何かが待ってるんだろ?」
背が高く、ガタイの良い外套の男が、外套の下で下品な笑みを浮かべる。
「おこぼれがもらえるなら、いいんだけどなぁ〜」
隣の男がニヤニヤと不快な笑みを浮かべている。その姿はガタイの良い男に比べて背が低く細身。だが、腕の長さはガタイの良い男を上回っている。猫背で歩くその姿は、外套越しでも歪に見えて、美醜を気にする者なら目を背けてしまいそうである。
およそ知性的ではないこの二人が、表に出せない仕事を請け負い、盗みに人さらいから暗殺まで、何でもこなすゼルディアの商業ギルドの暗部だ。
「また面倒にならないといいんだけど……な」
ヴィクトールが二人から視線を外し、項垂れながら下水道を暫く進むと、梯子が見えてくる。この梯子を上がれば、ロアノークの屋敷だ。
ヴィクトールは憂鬱な気分を抱えながら梯子を登る。木の蓋を開けると蝋燭の明かりが仄かに照らす地下室にたどり着いた。
地下室には酒が並んでおり、ひんやりとした空気、木の樽の匂いが充満している。扉を開け廊下に出ると、ロアノークといつも待ち合わせている部屋へと向かった。
そこでまたヴィクトールはため息をついた。部屋の中からロアノークが奴隷を痛めつけている音がしたからだ。ロアノークの声は扉越しでも分かるほど大きく、奴隷が悲鳴のような喘ぎ声をあげている。
「人と約束をしておいて、奴隷とお楽しみとは……」
ヴィクトールが嫌々ながらノックすると、落ち着いたのか、中からロアノークのくぐもった声が聞こえる。
「はぁ、はぁ。入れ……」
ヴィクトールが部屋に入ると衣服を整えるロアノークと裸に剥かれた女の奴隷がいた。女は倒れ伏している。息はあるようだが、体の所々から血を流しており痛々しい。
どうやったら性欲を満たしつつ、人を傷つけられるのか。ヴィクトールにはそれが理解ができず、視線をそらすように本題に入る。
「ご要望のとおりに連れてきました。オルテガとシッカートです」
外套を脱ぎ、ヴィクトールは椅子に座る。その後ろに立つ形で、オルテガと呼ばれたガタイの良い男が外套を脱ぐ。
顔に幾つもの傷跡があり、如何にも歴戦の猛者を思わせる風貌だ。その鼻はヒクヒクと動き、女の傷口から出る血の匂いを楽しむように、オルテガの鼻の穴は広がっている。その姿を見ると猛者というよりは、戦闘狂に近い印象がある。
シッカートと呼ばれた歪な体を持つ男は外套の頭の部分だけを外した。体を見せようとしないシッカートは、鼻が高く、鷲鼻で顔がゴブリン寄りだった。女の裸を舐め回すようにみており、話を聞いているのかすら怪しい。
「お前たちに頼みたいことがある……。アリシアの所のメイド。カレンとかいう女と、エルフの女を連れてこい」
エルフの女と聞いて、シッカートが歓喜の声を上げる。どうやらしっかり話は聞いていたようだ。
「エルフ!女!メイド!」
興奮を隠せないシッカートをよそに、オルテガが疑問を口にする。ヴィクトールは部下の非礼を詫びる気にもなれず、肩を落とす。
「女の為に俺等を呼ぶって事は強いのか?」
「エルフは魔法を使う。奴の魔法の加護を受けたナイフでメイドが、騎士団の剣を斬りおった……」
オルテガが口笛を吹くように音を鳴らし、喜びの表情を浮かべる。
「メイド自身は強いのか?」
ロアノークが首を横に振る。
「……わからん。エルフの魔法で騎士団どもが、蜘蛛の子を散らすように逃げてしまってな。戦いにならんかった」
「じゃあ、エルフは強いんだな?」
ロアノークが頷くとオルテガが喜びの声を上げ、体全体で喜びを表現するように両腕を高く上げる。
「いいじゃねえか、最高だ!」
「後はターニャとか言う騎士風の女だ。こいつはブュートリッヒにくれてやる。全員生きたまま連れてこい」
荒くれと趣味嗜好が合う貴族に、ヴィクトールは嫌気が差しながらも、この船から降りる勇気もない自分の情けなさに嫌気が差していた。地下室に充満する据えた匂いと血の匂い、これがまたヴィクトールの気分を下げるのだった。
時間は少し戻り、ターニャは顔が青ざめていた。千尋の給金を用意して広間に戻ってきたら、ロアノーク達が逃げ出した跡だった。
大理石の床には騎士団で支給している剣が真っ二つになり転がっている。まだ熱の残る広間の空気で何があったかをターニャは察していた。千尋の魔法、ランドルフを殺さずに斬り刻み。ノアの顔を焼いた炎、それを使ったのだと。
「おい、千尋。大丈夫なのか?」
千尋に駆け寄り、給金袋を渡したターニャが小声で話す。魔法の件はアリシアに、話していない。話せば大なり小なり騒ぎになると、ターニャが千尋を心配するような顔を向ける。
「大丈夫よ、クロエに魔法使ってもらったから」
「クロエって……、そうか」
素っ気なく端的に答える千尋に、ターニャの思考は少し追いつかないようだ。退屈そうに欠伸をしているクロエが持っている杖を見れば、漠然と想像がついた。
「チュクチ?お金」
千尋が話しかけると、アリシアと抱き合う格好になっていたチュクチは、ようやく状況を理解したのか顔を赤らめ、慌てて離れる。少し寝ている耳やいつもより太い尻尾をみる限り、まだ動揺していそうである。
「あ…はい。ありがとうございます」
お金を受け取り、条件反射でお礼を言っしまうあたり、チュクチという少年の純粋さが伺える。受け取ったお金を数え、懐にしまうとチュクチは大きなため息をついた。この街一番の貴族に楯突いた一味の一員になっていた事を、思い出したのだ。
「どうしよう……」
「大丈夫じゃ。貴族と言えども、ギルドには手を出せんじゃろ?」
「領主に剣を抜く連中よ?」
クロエの言葉に一瞬チュクチは、希望を抱いた。が、すぐに千尋が残酷な事実で、チュクチにとどめを刺してしまう。とどめを刺されたチュクチは、耳を寝かせて涙目になりながらアリシアを見る。
「大丈夫です。暫くは此処にいてください。ギルドには、使いを出しておきますから」
自分も落ち込んでいるだろうに、アリシアはチュクチに親切にする。この純粋さが人を引き寄せ、また人に疎まれる理由なのだろう。
「じゃあ、私がギルドに行ってお金届けて、伝言してくるわ」
千尋が珍しく優しい気遣いをする。アリシアにはそんな千尋が女神の如く見えているが、内心は暴れ足りずに発散しに行きたい欲求があったからだ。そんな千尋の2面性を一番よく知っているターニャが、千尋の思惑を邪魔をする。
「千尋だけでは問題になりそうなので、私も同行する…」
嫌そうな顔をターニャに向ける千尋を、アリシアは笑っている。
「仲がいいですね」
「ありえません。一人にするとろくな事にならないと学習したのです」
アリシアの言葉を、ターニャが鼻息荒く否定する。その横で千尋が肩を竦める。
「では、妾も暫く厄介になろう。領主殿も安全とは言い難いだろうしな」
エルフへの信仰心の厚いアリシアは、感無量という表情でクロエに礼拝のポーズをとる。
「ありがとうございます、クロエ様。お好きなだけ居てください」
「酒は飲ませないようにね?」
外に出ようと扉に手をかけた千尋がアリシアに釘を刺す。恐らく、酒を飲んだくらいで正体をなくすことはないと思うが、甘やかさせるのは自分だけで十分だと思っているのだろう。
千尋とターニャが外に出ると暗闇だった。雲に覆われ冷たく湿気を含んだ風が吹いている。月明かりもなく、千尋にとっては本当に最高な夜だった。
「何でついてくるの?」
千尋が不満を隠さずに吐露する。ターニャが居なかったら、楽しい夜の散歩に乙女の返り血と洒落込めたのどろう。そんな落胆を隠しもせずに態度に出している。
「お前を一人にすると、面倒事が起きる」
ターニャがまるで保護者か引率の教師かと、腕組みをしながら千尋を睨みつける。夜の貴族街は静まり返っていた。領主が死んだ次の日の夜に飲み歩くほど、ここの貴族は腐ってはいないのかもしれない。
「面倒事ねえ……」
千尋がそう呟くと、雨が一粒落ちて来た。また一粒と大粒の雨が落ちてくる。その雨を待っていたかのように、2人の前方から歩いてくる人影があった。大柄な人影と猫背の人影、外套で顔を隠している。
千尋は立ち止まる。
既視感があった。快楽殺人者として獲物と接触する時に女としての景山千尋ではなく、一人の男として記号化した存在として振る舞っていた。それに前方から歩いてくる二人は似ている。
「ターニャ、止まって」
「なんで?」
ターニャと言う名を聞いた途端大柄の人影、オルテガが剣を振るう。2メートルは離れているのにターニャの足を狙って。
剣は剣ではなかった。刃がいくつもついた鎖を剣のように振るう。刃の先端がターニャに襲いかかる前に、千尋がナイフで弾く。
「あんた、護衛の自覚ある?」
「え?あ?……なんで……」
ターニャもうろたえながら剣を抜いた。少し震えている。それに気がついた千尋は、内心舌打ちをする。
「こっちの鎧の女がターニャだな?」
オルテガがターニャの名を呼ぶが、興味は千尋に向けられている。不意打ちの一撃をいなされたのだ。戦闘狂のオルテガとしては、俄然千尋のほうが魅力的だ。
大胆に武器を振るい、外套が頭から外れたオルテガを千尋は観察する。顔に傷跡が多いのは弱いからではなく、戦闘そのものを楽しんでいるからだが、負けず嫌いで勝つことに執着する。故に顔、身体に傷を負ってもなお、この男が生かす異常な執着。
「なんだその格好は!ひひひ」
歪な男、シッカートは舌なめずりしながら笑う。千尋はこの男も観察するが、情報が少ない。手が異常に長い、背中が曲がっている。外套を深く被っており、話す言葉から、下品としか分からない。
「ほら、言われてるわよ?騎士様」
「う、うるさい!」
「聞いていた服装だな、お前がカレンとかいうメイドだな?」
「……なに?豚の仲間?」
オルテガが大声で笑う。冷たい雨が、笑い声をかき消すように激しく振り始める。明かりもない暗闇の中、雨音が激しく石畳に打ちつける。水はけの悪い石畳で、雨水が溝の間を川の様に流れていく。
そんな状況もお構いなしにオルテガは、攻撃を繰り返している。オルテガの一撃が鞭のようにしなり、軌道を変えて千尋に襲いかかる。不規則に動く剣先を千尋がナイフで弾き、何とかいなす。防戦一方のターニャを庇う千尋もまた防戦を強いられている。
「魔法は使えないのか?」
ターニャが千尋に小声で話しかける。
「クロエに使うなって言われてるわ」
使うなら勝ちを確信してからだ。クロエが言ったのは見せるなと言うこと。見た人間が死ぬのなら使っても誰にも見られていない事になる。防戦の中、千尋は考えていた。
シッカートは戦闘狂のオルテガが千尋ことカレンに攻撃を集中させ始めたのを見て、ニヤリと笑う。千尋に庇われながら逃げ惑う様に剣を振るうターニャに狙いを定め、外套の中に仕込んである暗器を選ぶ。
「ほらほら、どうだ!反撃してみろよ!手加減してるんだぞ?生け捕りが命令だからな!」
オルテガの攻撃を千尋が弾いた瞬間を狙い、シッカートはしびれ薬の吹き矢を取り出すと、ターニャに向けて吹いた。
「ぐっ……」
カランと千尋の後ろから音がした。ターニャが剣を落とし倒れている。ターニャは動けない。身体は言う事を聞かず、さっきまで感じていた冷たい雨の感触を何も感じなくなっていた。
ターニャの虚ろに沈んでいく視界の中で、千尋がナイフを手放して両手を上げていた。




