怪物の誕生
ランドルフは勝ちを確信していた。左手に持ったナイフではこの一撃はいなせないと。仮に受け止めても右腕が飛ぶ、そうなれば勝ちは決まったようなものだった。
しかし、振り下ろす瞬間。千尋は右手にダマスカスナイフを持っていた。
ランドルフが向かって右から振り下ろした長剣を、右手で持っていたナイフで擦るようにいなすと、殺す気で振り下ろしていたランドルフの長剣の剣先は勢いがあまり床に刺さる。
一瞬の隙が出来ると千尋は身を翻し、回転しながらランドルフの鼠径部、鎧と鎧の隙間をナイフで切りつける。
「何故……。右手……」
ランドルフは思い出していた。
左手で敬礼をした千尋の事を、「左手が利き手」と言っていた事を。痛みに苦悶の表情を浮かべて、狼狽えるランドルフに千尋は愉快そうに笑いながら告白する。
「あれは……嘘」
最初から教える気などなかった千尋はもっともらしく振る舞い、あの場にいたすべてのものに嘘をついていた。
「貴様!」
ナイフの一撃は致命傷ではなかったがランドルフの得意とする力強い剣技を封じるに十分だった。
「まだ嘘があるけど……知りたい?」
千尋は笑う。待ちに待ったプレゼントをもらう子供のように。ランドルフは傷を負いながらも剣を構える。そして恨めしそうに千尋を睨む。
「まだあるのか……」
千尋のシャツの首元から抜かれるサラシ、解放されていく胸、そしてランドルフに向けられるあのカレンの笑顔を見て愕然とする。
「まさか……。カレンなのか」
「そうよ?ご愁傷さま。今どんな気分?」
「何故こんな事をする!私は……」
カレンへの思いを、じんわりと浮かんだ涙を振り払うようにランドルフが頭を振る。その姿を見て千尋はあの日の屋根裏の暗闇で感じた胸の高鳴りを感じていた。千尋の目的を言えばさらに狼狽えるだろうと。
「何故って、私がデボネアを殺したいからよ」
再度、千尋がナイフを構えランドルフに襲い掛かる。手負い、しかも動揺の隠せないランドルフは万全とはいかず防戦に徹している。デボネアを庇うように立ち回り、騎士としての責務をなんとか果たそうとしているようだ。
「デボネア様、お逃げ……、ください」
千尋のナイフを長剣で受け止め、どうにか弾きながらランドルフは言った。
防戦一方のランドルフの様子を見ていたデボネアは、何度も首を横に振りながら部屋の外に出ようと四つん這いで這いずるように逃げる。壁もない場所で何かぶつかったデボネアは顔を上げて絶望する。
無表情で立っているノアはランタンでデボネアの照らすとデボネアが今まで見たことがない笑顔で笑う。その笑顔を見た千尋がノアの最後の砦、理性のタガを外す。
「ノア様、あなたの心の声に素直をなってください」
「デボネア……。今までありがとう」
「あ、あなた……」
デボネアがそう口にするとノアは怒りに任せてデボネアの腹に蹴りを入れる。もう虎と虎ではなかった。アリシアとターニャが言った通りに虎とネズミだと千尋は思う。デボネアに暴力を振るうノアはとても幸せそうな顔をしていた。
千尋はランドルフを殺したくなかった。仲間意識や情けでなく、シリアルキラーとしての矜持からだった。
赤いものを身に着けた20代女性がターゲットの千尋にはランドルフにこのまま死なれても、生きられても面倒だなと思い、苛立ちの感情が表れている。致命傷を与えずに無力化しようにもランドルフの着込んだプレートアーマーが邪魔で思うようにいかない。
「気絶でもしてくれない?」
「どうした!情をかける気か!」
千尋は心底面倒臭さそうにランドルフを見る。
ランドルフの奥では、ノアがデボネアに馬乗りになり彼女の顔を殴っている。デボネアの顔が、真っ赤な血に染まっていくのを見ていると千尋は胸を掻き乱される。
千尋はダマスカスナイフを乱暴に振り回していた。千尋の苛立ちはピークに達し、千尋の胸の中はどす黒い感覚、感情に支配される。鎧なんてなくればいいと思いながら、ランドルフと撃ち合う。
ナイフと長剣がぶつかり合い火花がたった。
ランドルフは防戦が続いていた。デボネアを助けに行きたいが背を向ければ、千尋から致命的な一撃を食らうだろう。
千尋のナイフの方が剣速がある、かつ長剣は室内では勝手が悪く、ランドルフは初手で決着がつかなかったことを悔やんでいた。撃ち合うたびに火花が散る。紫色の火花が散っては千尋の大層な模様のついたナイフの剣先に帰っていく。
撃ち合えば少しまた少しと、紫の火の勢いが増していく。
ランドルフは過去に同じものを見たことがあった。成人し、騎士に成るべく通っていた騎士学校。講師の一人が魔法が使える魔導騎士だった。一度だけ見せてもらった、武器に属性を付与する魔法。
「ブレイズエンハンス……」
あの時、講師は剣に魔力を込めると火属性、炎を纏わせると訓練用のデク人形を一刀両断にして言った。魔力の強さに比例して炎の色は変わるのだと。
自分は青い炎で人間では珍しいのだと、青い炎を見せびらかすように剣を振って見せてくれた。
では、あの紫色の炎はなんなのか。
ランドルフの額から冷や汗か炎の熱によるものか、大粒の汗が頬を伝っていた。
負の感情に支配されていた千尋は、違和感を覚える。部屋が暑くなったように感じて、部屋を見渡す。
ランドルフは驚愕の顔を浮かべたあとに警戒するように後ずさりをする。千尋はランドルフがようやく諦めたかと、ナイフをしまおうとして原因が分かった。
千尋のダマスカスナイフが紫色の炎に包まれていた。
「なにこれ……」
紫色の炎を見た時、千尋はターニャとの会話を思い出していた。「人も魔法が使えるの?」と千尋が聞いた時、ターニャは首を横に振って答えた。「人間では素養のあるものがたまに居て、初歩的なものを使えるだけ」。
そう、素養があれば、魔法が使えるということだ。
「これが初歩的な魔法……」
「バカを言え……、その禍々しい炎が、初歩なであってたまるか……」
千尋自身には少し暑い程度のようだが、ランドルフはその熱をもろに浴びていた。汗が止めどなく流れてくる。肌がヒリヒリと痛み、汗が顎から下たれると地面につくころには蒸発していた。
千尋の剣から発せられる熱は尋常ではなかった。ランドルフはまるで鍛冶場に居るような暑さにさらされていた。打ち合えばたちまち剣が溶けるのではないか、ランドルフはそんな思いと恐怖にかられていた。
千尋は確かめるようにナイフを振り回すと、紫の炎は空気に触れてまるで破裂したかのように炎の勢いが増す。
ランドルフが必死に避けようと身を捩るが、剣先が鎧に触れれば、鎧は飴細工のように溶けてランドルフの肌が焼き爛れる。
鉄の溶ける匂いと、肉の焦げる匂いが辺りに充満する。ランドルフは騎士とは思えない悲鳴を上げながらも千尋とデボネアの間に立とうとしている。
「これどうやって使ったの?」
ひとしきり試したあと、知的好奇心を満たすべく千尋は思考する。
その傍らで、ランドルフはもう息も絶え絶え倒れ伏していた。最初の傷に加えて炎の剣により体をきり刻まれれば、鎧が熱で溶けて傷口を焼く。
痛みを感じても血は流れず死に至ることなく永遠に痛みが続き、ランドルフは苦悶の表情を浮かべながらも千尋を睨む。
これこそが愉悦だった。
千尋はようやく手に入れた。いつも残念だった、人は刺すと死んでしまうから。
好きなおもちゃはすぐ壊れる、楽しくなってしまうから。
異世界の勇者など興味はない。
今、千尋の手の中にある力は何ものも破壊し蹂躙するが、殺さない。そんな力だ。
「知ってる?」
倒れ伏しているランドルフを、足蹴にしながら千尋は問いかける。
「知らん……、魔法の素養がある者など……。そうそういるものでは、ないならな……」
「そう……、まあ使い方はおいおいね……」
息も絶え絶え答えるランドルフの返答が気に入らなかったのか、千尋は冷たく一瞥するとランドルフの傍らにある彼の剣を持ち上げる。
「さっさと……、殺せ」
これは懇願だろうか?と千尋が首を傾げてランドルフを見る。暫く考えているような仕草をしていた千尋は、悪戯を思いついた子供のように無邪気に笑う。
「剣。借りるわね」
律儀断りを入れるが返事を聞く気などさらさらなく、ランドルフの返事も待たずに剣を持ってデボネアのもとに向かう。
今まで虐げられていた反動かノアはデボネアに馬乗りになり顔や頭を殴り続けていた。ノア自身の手にも裂傷ができており、デボネアの血なのかノアの血なのかすらわからない状況になっていた。
「ノア、使う?」
心神喪失の状態で薄ら笑いを浮かべているノアはランドルフの剣を受け取る。デボネアが顔をひきつらせ、かぶりを振る。ノアが両手で持つ剣が、ゆっくりとデボネアの胸元へとしずめられていく。
殴られ続けもう声をでないのかデボネアは痙攣しながら吐血する。それでも生を渇望するように手を伸ばしてデボネアは息絶える。千尋はノアを後ろから抱きしめるようにして耳元で囁く。
「よくやったわね?ノア……。次はあれをお願い……」
千尋はノアを労いつつも、次の目標を指し示す。ランドルフは想い人のカレンが、ノアに恋人のように寄り添う姿に悲しみ、微笑みながら次は自分を殺せとノアに指示するその姿に絶望を感じていた。
ランドルフは激しい痛みに顔を歪めながらもノアの正気を取り戻そうと、最後の抵抗を試みる。
「ノア様、お気を確かに!、その女はあなたを利用しているだけです」
ランドルフの言う言葉はまさに核心を突いていた。真実、千尋はノアを弄び、利用している。
ノアは少し動揺したように千尋を見る。が、その核心をついた言葉を、千尋はまたもう一つの真実で塗り替えてしまう。
「ノア様?ランドルフは貴方から私を引き離そうとしています。恋慕を募らせながら嫉妬しているのです」
ランドルフの顔が歪む。確かに数刻前まではそうだった。ノアは今まで見たことのない怒りの表情を浮かべている。デボネアを殺める瞬間ですら、笑っていたのに。
「カレンは渡さない……」
ランドルフは再び絶望する。もう何もできない。痛みで体は動かないし、言葉で真実を伝えてもノアを救うことは叶わない。
千尋と言う悪魔の如き女を討つ事も叶わない。
ノアがランドルフの剣を両手で振り上げる。その姿を見上げるランドルフの目には、涙が浮かんでいた。悔しさと後悔でランドルフの視界は滲み、その中で振り下ろされる剣先は、ランドルフ自身の首元に突き刺さる。ランドルフは、もう痛みは感じなかった。
「これでもういいわね」
恋敵ランドルフを討ち恍惚としているノアは、千尋の声に振り返る。
千尋は先ほどまで身に付けていたサラシ拾い上げると、ノアの首をしめる。
「ぐっ……!」
ノアは抵抗するように首元に手を当て、引きはがそうとするが幾重にも重なったサラシを掴むことは難しく、ノアの力は徐々に弱くなっていく。
「カ、カ、カレン……なんで……」
「なんでって、ランドルフが言っていたでしょ?」
千尋はなんでそんな当たり前なことを言うのかと、ノアを不思議そうに見ながら首を絞める。
殺さないように首を絞めるのは、もう手慣れたもので力加減を間違うことはない。
脳に酸素がまわらなくなる中でノアもまた、想い人に裏切られる絶望と苦しさに体を震わせ、そして力なく意識は途切れた。
千尋はノアの体を無造作につかむとベランダまで引きずって行く。華奢なノアの体は女の千尋でも無理なく運ぶことができる。これも考えていたことだ。
「アンドレアスを暗殺して、デボネアとランドルフを虐殺、その犯人はベランダから逃走……」
千尋が元いた世界ならこんな子供騙しな偽装は通用しないが、ここは異世界だ。3人が死んでノアは行方不明。
そうなれば誰が罪を背負うのか。科学捜査もないこの世界で、千尋は水を得た魚である。
気絶したノアをベランダから植栽に突き落とし、千尋はベランダから降りる。
登るときもそうだったが、使用人の屋敷の屋根裏から屋根伝いにいけば簡単に侵入できる。侵入者の助けになるような作りの屋敷のほうに問題があると、自分を棚に上げて千尋は思う。
千尋は騒ぎが大きくなる前にノアを処理しなければならないが殺す訳にはいかない。罪悪感でも反省でも無い、ただただ好みではないと言う理由で。
ノアの意識は痛みと共に覚醒する。夜が明けかけている、薄暗さを感じるがここは何処だろうかと周りを見渡す。
「あ……、あ」
貧困街の路地裏だろうか痛みで意識はしっかりしてきたが、どうにも体がうまく動かない。
手をついて立ち上がろうとしたがうまく立ち上がれず、地べたに顔をこすりつけるように倒れた。
目の前を丸々と太ったネズミが駆け抜けていく。
「ひっ……」
体に違和感があった。あるべきものがないような、無いのにあるような痛みを感じながら手を見ると、両手の親指が無くなり焼け爛れていた。
「あ゙あ゙ーーーー」
叫び声を上げた。
が、その叫び声もおかしかった。親指のなくなった手で顔に触れると唇と鼻がなくなっている。顔の下半分が焼かれており、鼻の穴は塞がっている。
犯人はすぐに分かった。
「ハヘン」
呪詛のようにあの女の名を呼んだ。はずだった。鼻はふさがり、唇はもうない、声は出るが喋れない。
ノアの絶望か怒りか。獣のような咆哮が、朝日が昇り始めた貧困街に響いていた。




