嵐の前
ロアノークが、アリシア達のまわりを歩きながら、推理でもするかのように話し始める。何を言い出すのか千尋が警戒した刹那。
「誰がやったかは分かっているのですよ?アリシア様!」
的外れな推理だった。ロアノークがアリシアを指差すので、千尋は呆れたような顔で豚2匹を見る。
その頭の中では、次はこいつらをどう排除するのかを千尋は考えているのだろう。その千尋を見たロアノークは、クロエに向けたのと同じような下品な視線を、千尋に向ける。
「なんだ、お前は?女のくせに生意気な顔をしているな?」
「アリシア様?この街の豚は喋るのですね?」
この場にいる全員が絶句した。ブュートリッヒとロアノークも、アリシアも。
やや間があいてクロエの笑い声がロビーに響く。喋ることもままならず、暫く腹を抱えて笑っている。クロエのマントの後ろに隠れていたチュクチは血相を変えて、笑い続けるクロエの口を塞ごうと必死になっている。が、身長が足らず思うようにはいかなかった。
「な……なんだと」
ロアノークの顔色が青ざめていく。怒ると冷静になるタイプなのか、血の気が引いたような肌色で、怒りの表情を浮かべている。
「私が誰か分かっているのか!おんな!」
「……発情期の豚?」
小柄な体型や顔の癖に体がかっちりしており、ロアノークは頭ではなく、下半身で物を考える俗物なのだろうと、千尋は予想する。
その見立てはまさに的を射ていたが、ロアノークのプライドは大いに傷つけられる。千尋の隣のクロエは、さらに笑い声が大きくなり、引きつけを起こしそうになっている。
「貴様ら……!」
貴様らの中に、まんまと収まってしまったチュクチはもう倒れそうだった。ロアノークと言えばこのゼルディアで一番の貴族で、貿易で財を成している。その為、商業ギルドでも逆らえない大物で、アンドレアスでさえ手が出せなかった怪物だ。
このまま、ここにいたら冒険者ギルドに居場所がなくなりそうだが、飲み代を回収しないと帰れない立場である。チュクチの頭は、混乱で茹で上がりそうだ。
「2人共、それ以上は……」
「あら、チュクチ。どうしたの?」
千尋がチュクチの名を呼んだ。巻き込まれまいと必死だったチュクチの退路を断つ、その一言は効果てきめんだった。普通、人は名前で認識を深める。その者の名を知った時に、人はその姿に注目するのだ。ロアノークはチュクチを一瞥すると冒険者ギルドの制服を着ていると気がつく。
「何故、冒険者ギルドの者がおる……」
「諦めよ、他人のふりはできんぞ?」
いまだ抱腹絶倒の渦中のクロエが、チュクチの肩を押さえる。
何で今日はこんなことになってしまったのかと、チュクチは後悔していた。自分は新米冒険者に親切にしようとしただったはずなのに。どうして今、蛇に睨まれているのかチュクチにはさっぱりわからなかった。
「さてさて、豚呼ばわりしてこの後は……。どうするつもりじゃ?」
クロエは千尋にやるのかやらないのかと、伺いを立てる。千尋からしてみたら冗談ではなかった。影山千尋が斬りたいのは、赤いものを身に着けた20代女性で、豚はその対極にあるといっても過言ではない。
だから対話を優位に進めるために、彼らを豚呼ばわりした。彼らの目的。アリシアから注意を逸らすために。
千尋の目論見はうまくいっていた。当初ブュートリッヒとロアノークは、事件で得した人物、アリシアを犯人に仕立てて、アリシアから領地も人としての尊厳も奪おうと、画策していた。
だが千尋が豚呼ばわりしたことにより、ロアノークは頭が回らなくなっている。下半身で物を考える彼は、目の前の生意気な女と、自分を笑ったエルフをどう料理するか、そんなことを下半身に血を巡らせながら考えている。
「あら、豚だもの。丸焼きがいいところかしら?」
ギリギリと、ロアノークが奥歯を噛み締める音がした。もう我慢ならんと、怒り心頭のロアノークは履いているズボンを持ち上げるようにする。
彼なりのストレス発散もやはり、股間周りへ刺激を与えることのようだ。
「もう良い!、出合え!出合え!」
ロアノークが叫ぶと騎士団が一気にロビーになだれ込んできた。千尋はほくそ笑む。この状況を知っているからだ。悪代官が部下を呼び、正義の侍がそれを斬る。快楽殺人者が正義の味方かと、千尋は愉快でたまらなかった。
「皆さん!どうしたのですか!」
アリシアはゼルディア領主の為の組織された騎士団がロアノーク側に付いていることに、驚きを隠せない。
「アリシア様がお父上を殺めたのでしたら、我々騎士団は正義を執行しなければなりません……」
騎士団の一人がアリシアの問いに答えた。取ってつけたような裏切りの理由が陳腐すぎて、千尋は冷笑を浮かべ、ロアノークを見る。
「騎士団はこのゼルディアの為にあるのだ。断じて簒奪者の領主の為ではないぞ!」
ロアノークのその声に合わせて、騎士団は剣を抜く。チュクチは絶望し、アリシアは混乱した。そして千尋とクロエは笑っている。
「そりゃ困ったのぅ」
クロエは言葉とは裏腹に愉快そうだ。千尋が小声でクロエに話す。
「私の剣に魔法をかけるふりをして……」
クロエは一瞬、眉をひそめた。が、以心伝心。千尋の思惑がわかり、ニヤリと笑う。
「妾に紫の炎を使わせる気か?よく頭に回るやつじゃ、いいじゃろう……。神をも殺す、我が紫炎を見せてやろう!」
ニヤリとクロエが笑うと虚空から大振りの杖が現れる。クロエはやや芝居がかりに振る舞いながら、ブレイズエンハンスを唱える。
「ブレイズエンハンス!」
クロエが言うと同時に千尋はダマスカスナイフを取り出し、紫の炎を纏わせる。突然の事に困惑する騎士団員達。
理解不能な状況と炎の熱に当てられ、動きが鈍くなった近場の騎士が持っている長剣を、千尋はナイフで斬る。
「くっ……」
すると受け止めたと思った騎士は、怯えるように手を離した。長剣はナイフが触れた所から溶けると、真っ二つになってしまったからだ。
手を離れ、離れ離れになった剣が大理石の床にぶつかると、カランカランと音を立てる。
騎士たちは聞いていた話とは全く違ったようだ。騎士団が離反すればフィル・ブライヤ家には武力など存在しないはずだった。
剣が溶け、鍛冶場のような熱と匂いが充満する。理解不能な状況に、騎士団は困惑して後ずさりを始める。
未知の恐怖への対処法は、人もゴブリンも大して変わらなかった。千尋はこの世界に来た最初の日を思い出して、鼻で笑う。
「お、お前たち何をしている!」
「そうだ……、斬れ、斬れ!」
ロアノークと、ブュートリッヒが騎士団を煽るように声を張り上げるが、もう駄目だった。剣をも溶かす千尋のナイフの炎を相手に戦い、勝てるイメージなど誰も持っていない。
あまつさえ、クロエが長々と詠唱している。クロエが頭上高く掲げる杖の上には、綺羅星のような火球が幾つも浮かび上がる。その火球の大きさと熱量がさらに騎士団の戦意を喪失させる。
「撤退、撤退ー!」
誰が言ったかは分からない。騎士団の誰かが口にしたその言葉を合図に一気に瓦解する。ロアノークとブュートリッヒも我先に逃げ出している。クロエが放とうとしていた綺羅星達は、行き場をなくしクロエの杖の宝玉へと帰っていく。クロエが心底残念そうにしているところを見ると、本気で撃つつもりだったようだ。
「残念じゃのぅ、久々に打てると思ったんじゃがな……」
千尋も同じ考えだったようで、退屈そうにナイフを鞘にしまう。アリシアとチュクチは室内であんな魔法を撃ったらどんな惨事が待っていたかと身を震わせ、身を寄せ合い、お互いの体温を通して無事を確認するのだった。
どれくらい走っただろうか。最後尾を走るブュートリッヒは、腹がちぎれるのではないかという痛みを感じながら振り返り、屋敷を見る。あの危険な女2人は追いかけてはきていない。冒険者風の女には見覚えがあった。アリシアの側仕えのメイドだ。
「メ、メイドが……、ナイフなんぞ」
ブュートリッヒはようやく集団に追いついた。先に逃げてきていたロアノークは、肩で息をしながらつばを吐いている。手籠めにでもしようかと思っていたあの女達の顔を思い出すと、怒りとともに、股間に血が巡っていく。
「ブュートリッヒ!なんだあの女どもは!」
「一人はアリシアの側仕えだったはずです。エルフは知りません……」
「そ、側仕えだと!」
側仕えに豚と呼ばれた事実は、ロアノークの股間をより滾らせる。彼の怒りは股間に集約し、顔色は悪くなる一方だ。だが、冷静に怒りと向き合えていた。
「ヴィクトールだ、ヴィクトールを呼べ。あの屋敷の女ども。全て奴隷にしてやるぞ……」
アリシアを裏切ったかっこうの騎士団員達は、空を見上げる。夕闇が遥か遠く、西の空に残っているが彼らの未来のようにゼルディアは闇に包まれていた。冷たく吹いてくる風が、もうすぐ嵐が来ることを告げていた。




