デボネアの素顔
あくる日、千尋はデボネアの自室を訪れていた。扉の作りがアリシアの部屋より少し豪華でわ長女の扱いが違う事を千尋は再認識し、静かにノックをする。
「カレンです、よろしいでしょうか?」
中からなかなか返事がない。しばしの間が空いて扉が開くと、デボネア付きのメイドが訝しげに千尋を見ている。礼をして入室した千尋はデボネアを見つけ、また深々と礼をする。
「何のようかしら」
千尋に対して明らかな敵意を向けるデボネアに、千尋は笑顔を向ける。何を企んでいるのかと警戒するデボネアは、少しでも自分のほうが優位だと主張するように千尋を無視し、真っ白な絨毯の中央に置かれたテーブルで、お茶を飲み始める。
部屋を見渡すと当然の事ながら、アリシアの部屋よりも作りが豪華だ。本人の趣味であろう華美な装飾品が並ぶ棚。広間のアンドレアスの肖像画のように、本物が歪められたデボネアの肖像画が飾ってあり、その歪んだ自己愛を感じさせる。
「実は……ノア様のことでお伝えし忘れていた事がありまして……。これは奥様の……デボネア様のお耳に入れておく……べきかと……」
千尋はデボネアがイライラするように、回りくどく、途切れ途切れに話す。するとデボネアは、千尋の手の平の上をうまく転がり、苛立ち始める。デボネアは目の前のテーブルを指で叩きながら、千尋の話を聞いている。
「それでですね……」
千尋は視線を泳がせ、なかなか本題に入ろうとしない。思惑も知れず、目線すら合わない千尋に、デボネアがテーブルを叩く音は速くなっていく。
「はっきり言いなさい!」
ついに我慢ならないとデボネアは声を上げた。それを見て千尋は満足げに口角を上げると、本題にはいる。
「ノア様と、2人きりでこの家を……」
千尋のその言葉にデボネアが立ち上がる。テーブルに置かれた茶器が倒れて、真っ白なな絨毯に茶色のしみが広がる。そして、千尋に駆け寄ると首を絞め、千尋の体を強く揺らしながら激昂する。ギリギリで首の動脈を守った千尋に、抜かりはないのだが、敢えて苦しそうな顔をして懇願するような声を上げる。
「デボネア様、お許し下さい……」
「どっちから言い出したの!」
政略結婚とは言え、自分の夫とメイドが逢瀬など、デボネアには許せなかった。幼少期に、自分のおもちゃを取られたときに感じたような、怒りと焦燥が入り交じった感情にデボネアは支配される。そして、この胸が大きく端正な顔立ちのメイドが、ノアに言い寄る理由がないとデボネアは思っているようだ。
「ノアからだろう!」
傷つきやすいのに嫉妬深く、自信がないのに攻撃的なデボネアは、千尋の狙い通りに思い込んでいる。千尋に怒りをぶつけても、デボネアの溜飲は下がらない。埒が明かないと、デボネアは千尋を押し倒すように放り投げる。
痛がるように俯く千尋は、うまく行きすぎて笑いを堪えるために、口元に手を当てるが、我慢ができずに肩が揺れる。そのように見ていたデボネア付きのメイドは、愚かで憐れなメイドを、憐れむように見下ろしていた。
その頃ノアは、アンドレアスの帝王学を学ぶためにアンドレアスの自室を訪れていた。アンドレアスは教えると言いながらも朝から酒を飲み、感情に任せてノアを叱責していた。
「お前は男という以外の価値が全くないな……」
またアンドレアスは酒を煽る。歯を食いしばりながらノアは、アンドレアスの言う、常に己を律せよという教えを実践していた。
感情のままに生きるアンドレアスが、何かを律しているのか分からずノアは下を向く。反論する勇気もない弱い自分に、うなだれながらアンドレアスの叱責と罵倒、そして暴力に耐え忍び、ようやくノアがアンドレアスの授業から解放された。
少しノアの心は晴れやかだった。カレンというメイドとの約束があったからだ。中庭にいれば彼女に会える。そう考えたノアが、中庭に向かおうと広間に向かおうと階段に向かったその時、ノアの顔は強張った。怒りに震えるデボネアが、ノアに暴力を振るう時と同じ表情で立っていた。
「何処へ行くの?」
肩を震わせながらデボネアが低い声で言う。大きく見開かれ、興奮で血走ったデボネアの目に、ノアの心は死にかけていた。
「あ、あ……あ」
ノアはいつもこうだった。デボネアが怒り出すともう会話ができない。近づいてくるデボネアから逃げることも出来ず、その場で頭を抱える。デボネアはそんなノアに、自身の弱さ故の怒りをぶつけるために、拳を振り上げる。
「またあのメイドに会いに行くんだろ!」
ゴンっと鈍い音がする。頭を抱えてしゃがむノアの頭に、強かにデボネアの一撃が加えられる。
「ごめんなさい!ごめんなさい!」
何度謝ってもデボネアの暴言と暴力は止まない。ついに耐えかねたノアが逃げようとして階段から転げ落ちる。まだ逃がす気がないデボネアは、ノアの足元に立つと、頭から血を流すノアの頭を踏みつける。
「私がそんな事を許すと思う!誰のおかげでこの家にいれると思ってるんだ!」
ノアの頭にギリギリと力が加わる。ノアは焦点が合わなかった目で力なく謝り続ける。騒ぎを聞きつけたハロルドやカッツェがやってきて、どうにかデボネアを引き剥がす。
「デボネア様!これ以上は危険です!」
ハロルドはノアとの間に立ち、カッツェがデボネアを羽交い締めにして動けなくする。興奮したデボネアを押さえつけるカッツェの腕力はかなりのものだ。
「おやめください……」
肩で息をしながら未だに怒りがおさまらないデボネアは羽交い締めにするカッツェに引きずられるように自室へと連れられていった。
「やっぱり獣人って力強いのね……」
2階の渡り廊下から一部始終見ていた千尋は、独特の感想を漏らしていた。普通ならデボネアの狂気、ノアへの同情なりが第一声だろうが千尋は違った。
スキップするように渡り廊下を抜ける千尋を誰が見ていたら、異常者だとバレたかもしれない。ノアが見えるところまでくると千尋は血相を変えたように走り出す。
「ノア様!」
「あ……、あ……」
薄れゆくノアの意識に、今にも泣きそうな千尋の姿が鮮明に焼き付いた。




