招かれざる客
千尋は無銭飲食のエルフこと、クロエと冒険者ギルド職員の獣人の少年、チュクチは領主の屋敷へと向かっている最中だった。
日が傾き、西から差し込んでくる強い日差しで、貴族街に立ち並ぶ白亜の殿堂が、あかね色に染まり始めていた。
「それで千尋。お前の務める屋敷はどこなんじゃ?」
無銭飲食の癖に偉そうに街を歩き、貴族街に着いたら辺りから肩で風を切るように歩くクロエを、チュクチがたしなめる。
「偉そうにしないでくださいね?クロエさんのせいで、僕タダ働きもいいところですよ……」
クロエが千尋のほぼ隣を歩くのに対して、チュクチは二人の後方を歩いている。
遠慮や配慮で3歩後方を歩くのではなく、倒錯的な千尋と享楽的なクロエの二人を警戒しての結果だ。その距離感か気に入らないと言わんばかりに、千尋がチュクチを振り向く。
「だから、ついてこなくても良かったのよ。屋敷からお金もらってきたら解決するわけでしょ?」
「そうはいきません。お二人共、逃げそうです……」
「信用ないのぅ」
前を歩く2人が肩をすくめ、やれやれと喋る事なく意思疎通をしていた。
「そもそも、何処のお屋敷なんですか?」
チュクチが、そろそろ終わりを迎えようとしている貴族街の大通りを眺めながら、不満を口にする。耳も少したれ、顔を曇らせている獣人の少年の姿に、前を行く2人が気づいていたら、チュクチの貞操が危なかったかもしれない。
領主の屋敷で働いているという自分の情報を、千尋は話さない。そもそも人に名前を聞かないなど、千尋の人として何かが欠落している部分が悪さをして、クロエとチュクチは行き先を知らなかった。
遂に貴族街も終わりを迎えてしまい、流石のクロエも不安というよりも、疑いの目を千尋に向ける。
「後は領主の屋敷しかないじゃろ、どうなっとるんじゃ。千尋」
「ん?その領主の館よ。言ってなかった?」
忘れていたというよりも、人に情報を与えることを無意識に避ける千尋は、キョトンと興味なさげに返答する。付いてきた2人には相当な衝撃だっただろう。
メイドをしていると言う割に態度がでかく、メイドらしい慎ましさなど微塵もない千尋が、領主の屋敷でメイドをしているなど、雷が目の前に落ちたような衝撃的事実だろう。
「フィル・ブライヤ家ですか?」
少し尻尾が太くなったように見えるチュクチが、千尋の反応を伺う。当然、千尋は当たり前の事を聞かれているのだから真顔で頷く。
「そうよ」
「そうよって、お主。そういう大事な事は普通、早めに言うものじゃろ……」
流石のクロエも、千尋の非常識さに閉口するように、言葉は尻すぼみになり消えていった。驚きを通り越して呆れる2人の気持ちを、理解できない千尋は首かしげている。
「行くの?行かないの?」
ここから屋敷の敷地という手前で千尋は立ち止まり2人を振り返る。無銭飲食のエルフには選択肢はなく、また飲み代を回収する責務のあるギルド職員にも、選択の余地はなかった。
「鬼が出るか、蛇が出るか……」
嘯くように大層な言葉を口にして、クロエは息を飲んだ。領主アンドレアスと言えば、傲慢で侮蔑的な人物として有名だ。このゼルディアに住み、それを知らないものなどいない。
「鬼も蛇も、もういないわよ?」
まだ平民に知れ渡っていない情報を、比喩的とはいえ、千尋はさらりと伝える。2人は分からない、理解できないと眉をひそめて千尋を見る。
クロエの単純に疑いの表情だが、チュクチは頭の犬のような耳は完璧に寝ており、何かを懇願する様な潤んだ瞳である。
「鬼も蛇も死んだのよ……。この屋敷に魔物はいないわ」
そう言って快楽殺人者は二人の安心させるのだったが、今度は雷の直撃を受けたかのような衝撃を、2人は味わっていた。
一方アリシアは、父アンドレアスの葬儀の手配が終わったハロルドからの報告が終わり、ようやく解放されていた。父と姉の葬儀をするのはアリシア自身、当然と思っているが、1週間後に他の領地の領主や、この街の貴族が大挙して来るという事実は、まだ若いアリシアの肩にずしりと重くのしかかる。
「はあ……」
アリシアが深いため息をつき、肩を落とし歩いている。領主となったアリシアの後ろに付き従うターニャは、そのおよそ領主らしからぬ姿に不安の色を隠せない。
こんな時に千尋がいれば何とかしてくれるのにと、ターニャは下を向く。一行が玄関ホールと言うべき広間に差し掛かった時、玄関の扉が勢いよく開けられる。
「アリシア、ちょうど良かったわ」
「……千尋様」
アリシアは千尋の顔を見ても気持ちが晴れなかった。その様子を意識しているのかいないのか、千尋は後ろから付いてきた2人、クロエとチュクチを親指で指差す。
「お金ちょうだい?無銭飲食に巻き込まれて、困っているのよ」
ターニャはガクッと肩を落とした。ターニャはアリシア様が大変な時にこいつはと、こめかみを押さえる。
「のう?千尋。妾が言う事ではないが……。もう少しまともな言い方をじゃな……」
千尋に唯一、苦言を呈したクロエの姿を見てアリシアとターニャは仰天する。
この国、エーダフォストの人間にとってエルフは創造神であり、神だ。
信仰心は富裕層ほど高い。生活に余裕があり、神殿に足を運ぶ機会、暇があるからだ。平民や貧困層は神殿に行く暇なく働くため、市場の商人やギルドの冒険者も含め、エルフを神と認識してはいるもの、信仰心はない。
「エルフ様!」
アリシアはクロエの前に跪き、礼拝のポーズをする。右足を地につき片膝立ちをし、胸の前で手を合わせる。ターニャはアリシアが祈り出して、慌てて膝をつく。これが信仰心の差と言えるのかもしれない。
「何やってんの?これ」
「人間にとってはエルフって神様ですからね?」
クロエの素性を知る理解者の一人、チュクチが千尋の疑問に答えてくれる。
千尋とチュクチからしてみたら、クロエは享楽的な落伍者。そして、文無しで人にたかる無銭飲食者なのだが、アリシアにしてみれば、クロエもまた千尋と同じように苦難の前に現れた女神なのだろう。
「千尋様!エルフ様と、お知り合いだったのですか!」
祈りを終えて立ち上がったアリシアが、千尋に尋ねる。女神が二柱、目の前にいるようなもので興奮を隠さなかった。が、もう1人の来訪者チュクチが目にとまると、ギルドの職員が何故いるのか、測りかねているような表情だ。
「知り合ったら、無銭飲食に巻き込まれたのよ?」
「無銭飲食……ですか?」
ターニャがまた、こめかみを押さえ揉みだす。眼精疲労よりもストレスに起因しているようで、今日一日でターニャは、かなり神経をすり減らしているようだ。
「どうして、そうなってしまったのでしょうか?」
アリシアは純粋にエルフを信仰している。何か理由があったのではと、本当に心配そうに千尋とクロエを見つめている。
「千尋に馳走になろうと思ったのだが。此奴、金も持たずに出歩いていたようでな?」
さも自分が被害者のように語る姿に、千尋とチュクチが首を横に振る。
ターニャはクロエと言うエルフが難ありと理解したようで、クロエに疑惑の目を向けているが、アリシアは信じているようだ。
快楽殺人者の千尋をも受け入れたのはその度量の大きさ故なのか、世間知らずが故なのか。
「アリシア。悪いけど、このエルフの飲み代をこの子に払ってほしいのよ。私の給金から出してもらっていいから」
それ以上アリシアがクロエに入れ込まれるのは、千尋としては面白くない。歪な主従関係を確立したばかりなのに、駄女神に主人の座を渡すわけにはいかない。
「わかりました、ではそのように……。ターニャ、伝言をお願いできますか?」
「畏まりました……」
ターニャは千尋に覚えておけよと、視線を送る。が、当の千尋は気にする様子はない。あとで見とけとターニャは舌を出してからアリシアの命令に従うのだった。
「さて、これで私に借りができたわね?クロエ」
この世界の神の如き存在に、勝ち誇る千尋は気分が良さそうだった。その優越感を扉を開ける音と豚の鳴き声が壊す。
「これは、これはアリシア様」
アリシアの名を呼んだのはブュートリッヒだった。この街一番の貴族ロアノークを引き連れて、まるで官軍にでもなった様に尊大な態度だ。
「ブュートリッヒ……」
アリシアは予期せぬ来客に表情が曇る。失脚したブュートリッヒはもちろんだが、ロアノークは一番苦手な貴族だった。このゼルディアで領主をも凌ぐ財力を誇り、平民はおろか並みの貴族からも搾取する大貴族だ。
アリシアが萎縮している中、豚が来たと千尋がブュートリッヒを睨むのを見て、クロエの表情も変わる。千尋の場合は侮蔑の表情だが、クロエは紙芝居の始まりを待つ子供のように笑顔だ。
「知り合いか、千尋」
「ここからしばらくはカレンね?」
2人が小声で会話していたのは、獣人のチュクチにしか聞こえていなかった。異世界人とバラしたら殺すと言われた手前、2人の後ろに隠れる。
「見慣れない者もおりますな……?」
招かれざる客の二人は、ゆっくりと歩みを進めアリシア達に近づいてくる。ブュートリッヒがクロエを舐め回すようにみて笑みを浮かべる。ロアノークも同様に舌なめずりをしながら、クロエの体を見ている。
「これだから、短命種の男は好かんのじゃ……」
エルフに対して不遜な態度の2人に、千尋同様にクロエも睨みつける。クロエを止めるようにチュクチはマントを引っ張っているが、もう無理かもしれない。
「おお、怖い。怖い」
睨む千尋とクロエを見て、ブュートリッヒが腹を揺らして笑う。笑う度に口臭と加齢臭がしてチュクチは頭痛を感じて、苦悶の表情を浮かべる。
「我々にそんな顔をして、ただで済むとは思うなよ?この中にアンドレアス様と、デボネア様を亡き者にした犯人がいるのだろう?」
ロアノークは自信に満ちた顔で、千尋達を見ている。もう犯人は分かっていると言いたげに、ロアノークは舌舐めずりをして、蛇のように笑うのだった。




