神世の魔法
千尋は目の前の女が言ったことが分からなかった。3000年と言えば縄文時代やメソポタミア文明の半ば。有名どころだとダビデ王やソロモン王が生きて目の前にいるようなものだ。
「本当なの?」
千尋は疑うように大女を周回しながら観察する。一周するごとに大女はポーズを変えている。観察されていると分かって邪魔する目的でふざけているのが分かり、千尋は悪戯半分で自分の2倍はあろうかという大女の胸を触りながら言う。
「すごいわね。三千年分の脂肪ってこと?」
「端的に言うでないわ」
大女が嫌がるわけでもなくニヤリと笑う。胸を触っても年齢の確認が取れるわけもなく、飽きたように千尋は手を離す。
大女のマントを首元で止める金具にキラリと光るものを見つけた千尋は目を丸くする。先ほど獣人の少年が見せてくれた大樹の冒険者バッジだ。
「あなた凄腕?」
「当然じゃ。しかし、いきなり胸に触るとはなかなか倒錯的なやつじゃな……。気に入った。名前はなんと言う?」
千尋は大女の観察を再開する。口調からして尊大、目つきがコロコロ変わるが、興味の対象しか見ない為、享楽的な性格。腰以外は全て大きく、その体の動かし方から自信家で負けず嫌いと睨んだ。
「カレンよ。そう名乗ってる」
「自分で偽名というやつは初めてみたわ」
千尋の含みのある言い方を、あっさりと看破して大女は笑う。エルフは笑顔だが、千尋に嫌悪感はない。気に入ったと言いながらこのエルフは親しみの感情も好意もない、ただ自分が楽しいから笑っているのだ。
「あら?記憶喪失という可能性だってあるでしょ?」
千尋も千尋でバレても狼狽えるわけでもなく余裕の笑みを浮かべている。大女は本質的に似ている部分を千尋に感じているようで大女は満足げに笑う。
「クロエじゃ」
千尋はクロエに握手を求められた。この世界に着て初めての握手、身分や人種が違う人との出会いを経験してきたが誰もしてこなかった。
値踏みするようにクロエは千尋を見ている。千尋は頭を掻いて、さもめんどくさそうに握手に応じた。
「お主、やはり異世界人か」
握手をしたのは悪手だったとダジャレのような事を千尋は考える。クロエはしてやったりと千尋の顔を見て、ニヤリと右側の口角を上げる。いよいよ本当に千尋が気に入ったようで、クロエは肩を組んで馴れ馴れしくしてくる。
「長年生きておると、知ってることも多くてな?」
クロエはテーブルに座るとバンバンとテーブルを叩き、千尋にも座るように促す。
「犬猫みたいに呼ばないでくれる?」
千尋が悪態をつきながらも大樹のバッジの冒険者への好奇心が抑えられずに座ると、クロエはカウンターにいた少年に声をかける。
「チュクチ!エールを2つじゃ」
つまみも頼まずに酒を二人分頼むとクロエは千尋を見る。千尋がなぜバレたのかを考えながらクロエを観察しているとクロエはその答えを教える気になったらしい。
「お待たせしました!」
獣人の少年、チュクチが二人の前にエールを置くとクロエはチュクチを捕まえる。
「やめてください仕事中です……」
「お主、この子の尻尾を狙っておったろ?」
チュクチを小脇に抱えるようにしながらクロエは一口、エールを飲む。先ほどの千尋の時と異なり、何故かチュクチは大人しい。
「触ったことなかったから、触りたいじゃない?」
「それじゃ!異世界人は獣人相手に、何故か倒錯的になる」
「と、と、とと倒錯的!」
チュクチが倒錯的と言う言葉に過剰に反応して暴れている。ようやく解放されたチュクチは乱れた衣服を整えている。仕事に戻ろうと歩き出したチュクチに千尋が話しかける。
「ねぇ、チュクチ?」
「はい、なんでしょ?」
「私とクロエの話をバラしたら殺すから……」
チュクチは怒られた犬のように耳を寝かせて、無言で何度も頷く。千尋から視線を外す事なく後退り、テーブルや椅子にぶつかりながらカウンターに戻っていった。
「意地の悪いやつじゃのう……」
愉快そうにそのやり取りを肴にクロエはエールを煽る。
「あんたがバラすからでしょ。前に会ったっていう異世界人も尻尾を触ってたわけ?」
「そうじゃ、男だったが尻尾と尻を触ったり、耳を撫でたり舐めたり、ひどいもんじゃった」
男が獣人に鼻の下を伸ばしているのはしてるのを想像し、気分を害した千尋はエールを飲んで忘れようとしたが、初めて飲んだエールの味が濃く咳こむ。
「な、何これ。苦すぎない?」
「あやつも同じことを言っておったのぅ」
「異世界人の口に合わないってわかってなら、頼まないでくれる?」
にらみつけ咳き込む千尋に悪びれもせずに、またエールを煽ったクロエは、飲み終わったエールの空樽を置くと、千尋の飲んでいたものに手をつける。
「それでお主。なんで魔法なんじゃ」
千尋はクロエがエールを飲んでいる前で紫の炎を出して、すぐ消す。その様子を見ていたクロエはエールの樽を口に当てたまま固まってしまう。
「お主、それ人に見せたか?」
「ええ、2人は知ってるわ」
「そうか……、もう人前で見せるな。紫の炎はダメじゃ……」
クロエが今までにない真剣さで千尋を見ていた。今まで真面目さなど持ち合わせていない感じだっただけに真面目なクロエの眼力は強かった。
「なんでよ?」
クロエは被っていた帽子で口元を隠してもごもごとなにかを喋っている。まったく聞こえなかった千尋が身を乗り出して聞き取ろうとしたその時、世界が変わった。二人のいるテーブルを囲うように円があらわれ。あれだけ騒がしかったゴロツキの声はしなくなり、静まり返っているというより誰も動いていない。
「何これ…魔法?」
こんな魔法があったら、人を殺し放題じゃないかと興奮している千尋の真意まではクロエには伝わらなかったようだ。
「そう興奮するな……。セレスティアルシフトと言う魔法じゃ。この先は本当に、他人に聞かせられんからな?」
これから長台詞でも言うかのように一口エールを飲み、唇を濡らしたクロエは、真剣な眼差しで話始める。
「お主、アクロシアは知っておるか?」
「知ってるわよ、あなた達エルフの国でしょ?」
「それもそうじゃが…、妾が言うとるのはアクロシアと言うエルフの話じゃ」
千尋はターニャから聞いた話を思い出していた。おとぎ話だけど本当の話、国を魔法で空高く浮かべた王様の話。千尋がクロエに頷き返すと、クロエはまだ話し始める。
「アクロシアの話。あれはいつ頃の話だと思う?」
「そりゃ伝説やおとぎ話だもの、千年とか二千年…」
そう口にして千尋はハッとする。目の前のエルフ、クロエは齢三千を超えたエルフだった。
「2800年前とかじゃな…」
クロエは自嘲気味に笑い、遠い目をして答えを言った。
「見てたって事……?」
「有り体に言えばそうじゃな。妾はまだ若いエルフで、大人たちがやっておった事の意味は分からんかったがのぅ。地震が起きて驚いておったら、雲の上に国が浮かんでおった……」
流石の千尋も息を飲むしかなかった。
「件のアクロシアと言うエルフの王は、まだ生きておる。流石にそろそろ怪しいと思うが……。その王が得意としておった魔法……」
千尋はターニャが話したおとぎ話を思い出していた。「王様は炎の魔法で、この大地に大穴を開けた」と。炎の魔法。たしかにそう言っていた。
「アクロシアは炎の魔法が得意じゃった。ほかにも使えたが、炎の魔法については唯一無二。紫の炎を操った」
千尋と一緒。本当かと無言で問う千尋の視線に無言で頷く肯定し、クロエは話し始める。
「その紫の炎はな、大地をも溶かす地獄の炎じゃ。その炎の使い方を間違えれば文明が滅ぶぞ?」
睨むように真剣な眼差しでクロエは千尋に忠告をした。そしてまたエールを煽り言葉を続ける。
「むしろこっちが問題じゃ。アクロシアの禁止した魔法の研究に、紫の炎も含まれる……」
「なんで?」
率直な感想だった。危険と言われれば危険なんだろうが、禁止する必要があるかと言われると、異世界人の千尋には理由がよくわからなかった。
「神の如き王を殺す事が出来る魔法だからじゃ。だから人前で使うな。話が広まれば禄な事にならん」
「分かったわ……」
千尋がそう言うと、一気に周りの煩さが返ってくる。ゴロツキどもが笑う声。エールの樽がぶつかり合う音、酒の匂い。現実が帰ってきた。
「魔法が知りたいなら、妾が教えてやろう」
「改めて名乗っていい?」
エールの最後の一口を飲み干したクロエが笑う。
「異世界人とばれたなら本名も言っとくわ。景山千尋。この名前を知ってるのはそんなに多くない。普段はメイドのカレン」
「メイド?」
クロエは抱腹絶倒とばかりに笑い出した。静かだったテーブルからいきなりの笑い声に周りは困惑するように千尋とクロエを見ている。
「その性格の悪さで、メイドが務まるのか?」
「あんたもその性格の悪さで魔法を教えられるの?」
「任せよ。妾はこの国随一じゃぞ?」
勝ち誇るように笑うと、クロエは帽子をかぶり直し、何もない空間から大きな杖を出した。その姿はまさに稀代の大魔導士そのものであった。
「だから、ここの飲み代よろしゅう頼むぞ?」
「金なんか持ってるわけないじゃない。こっちは異世界人よ?」
カウンターの中から獣人の少年、チュクチが一生懸命怖い顔で睨んでいる。
「ツケはもうできませんよ!クロエさん」
「金もないのに酒飲むとか頭おかしいんじゃないの?」
千尋は自分が快楽殺人者であるのを棚に上げ、無銭飲食のクロエを侮蔑するような目で見る。殺人以外に関しては真っ当な遵法精神を発揮する千尋であった。
ブュートリッヒは貴族街の一等地に構えた自宅へ戻ってきていた。日が傾き、北向きに面するブュートリッヒの書斎は薄暗くなり始め、負の感情を隠そうともしない彼の顔を暗く彩る。
ブュートリッヒはあの騎士見習いの不躾さも、領主になった小娘の真っ直ぐさも何もかもが気に入らなかった。
「ウルブリヒトめ、奴だけ取り入りおって」
書斎の花瓶を投げつけると床にぶつかり、派手な音を立てて割れた。床に広がっていく水溜まりを見てもブュートリッヒの溜飲は下がらなかった。
「くそ!忌々しい!小娘どもが!」
口の中に溜めに溜めたつばを吐き出すように、ブュートリッヒは口汚くターニャとアリシアを罵っていた。
「ブュートリッヒ様……。よろしいでしょうか?」
興奮しながら怒鳴り散らし、我を忘れていたブュートリッヒにいつの間にか入室してきていた執事が話しかける。
「なんじゃ!」
「商人ギルドのヴィクトール様とロアノーク男爵がお見えです」
ブュートリッヒはロアノーク男爵の名を聞いて顔を歪めて笑った。
この街の名家で男爵の地位にあるロアノークとは、執政官として長い間築き上げてきた太いパイプがある。
「そうだ、ロアノーク様になんとかしてもらえばいい……」
アンドレアスのいない今、男爵の威光を借り、小娘2人に復讐する事も可能だと、ブュートリッヒは思い、私腹をたらふく蓄えた腹を揺らして一人笑った。
応接間には2人の人物がいた。このゼルディアの商業ギルドマスターのヴィクトールと貴族のロアノーク男爵が待っていた。
アンドレアスが死んだと言う報は、執政官のブュートリッヒと結託して私腹を肥やしていた者が多い、貴族達にはとてつもない事件だ。
商人ギルドのマスター、ヴィクトールは気が弱いのか、ハンカチで額の汗を拭いながら椅子に座り、気が気でない様子で目が泳いでいる。
ロアノークは苛立ち、応接間を歩き回っていた。
「これはこれは、お二人ともお待たせして申し訳ない」
出来るだけ平然を装いブュートリッヒは入室する。2人の視線がブュートリッヒに集まる。ヴィクトールが顔を上げて口を開いた。
「アンドレアス様が、身罷られたと伺いましたが……」
ブュートリッヒはその腹がつかえないようにゆっくりと、ヴィクトールの斜向いのソファに座りながら話し始める。
「その通りです、アンドレアス様とデボネア様が…」
ロアノークも待ちかねていたブュートリッヒが来たことで、ようやく座る気になった様でブュートリッヒの向かいに座った。
ブュートリッヒは言い淀む。犯人と目されるノアこそがロアノークの甥だったからだ。ブュートリッヒは袖で汗を拭きながら、ロアノークの顔色を伺うようにしている。
「ノア様が行方不明で……」
「わたしの甥がやるはずがない!何のためにあの家に婿入させたと思ってる!」
激昂したロアノークが立ち上がる。小柄に見えるが体つきはがっちりしており、小顔のその顔を歪めて怒りを隠そうともしない。
「しかし、現実問題として行方不明では……」
ブュートリッヒはまた汗を拭く。執政官として勤めながら長年私腹を肥やしてこられたのは、ロアノークと言う男爵の力が大きい。このゼルディアで一番の財力を有するロアノーク男爵が推挙したからこそ、ブュートリッヒは甘い汁を啜る事が出来ていた。
「では、ブュートリッヒ殿は?」
商人ギルドのマスター。ヴィクトールが憔悴した顔を上げて、ブュートリッヒを見る。ブュートリッヒは鼻息荒く、怒りを爆発させる。
「……追い出された。あの小娘どものせいで!!」
ブュートリッヒが冷静を装っていたのもほんの僅かな時間だけだった。それだけこの小男は気が短い。
「小娘?」
ヴィクトールは訳がわからずに聞き返す。商人ギルドのマスターと言えど、ターニャとは面識が無いのは無理はない。
「三女のアリシアと、ターニャとかいう護衛の小娘だ。2人共、奴隷にして売り飛ばしてやりたいわ!」
ブュートリッヒは怒りのあまり敬称を忘れ、感情のままにどす黒い欲望を吐き出す。ノアを使ってフィル・ブライヤ領の乗っ取りを画策していたロアノークには、その欲望にまみれた計画は一聴の価値がある話だった。
「ブュートリッヒ?面白いことを考えるな……。アリシアを奴隷にするなら、私が買うとしよう。母親のように美しい花に育った……」
中年特有のいやらしい、下衆な話で2人は盛り上がっている。
それを見守る立場になってしまった、商人ギルドマスターのヴィクトールは、また巻き込まれるのかと辟易した顔で2人を見ている。夜が更けるにつれて、汚い大人たちの会話はより深く、より闇に沈んでいく。




