嘘つきメイドは不正を正す
アリシア一行が執務室に着くと、執事長のハロルドと家政婦長のカッツェと2人の執政官が話し合っている最中だった。
「アリシア様、もうよろしいのですか?」
ハロルドとカッツェが心配するようにアリシアに歩み寄るのと対照的に執政官の2人は黙って立っている。2人の執政官はすまし顔というよりは棚ぼたで領主になった娘を小馬鹿にしているようにも見える。千尋は小声でターニャに2人の素性を聞く。
「あの2人は?」
「執政官のブュートリッヒ殿とウルブリヒト殿だ」
アリシアがハロルドたちと話す間に、千尋は執政官の2人を観察する。ブュートリッヒは、高カロリーの食べ物に乏しいこの異世界にいながら内臓脂肪を蓄えた腹。頭皮が脂に侵食され、髪の毛が後退している小男。脂ぎって無駄に肌艶が良く、いまいち実年齢が分からないが60は超えてきそうだ。肌の色が緑ならゴブリンで通用しそうな見た目をしている。私腹を肥やすとは、まさにこのことなのだろうと千尋はまだゴミがいたかと冷たい視線を送る。
もう1人ウルブリヒトは見た目は壮年。働き盛りの40代。真面目そうな面長の顔で、食生活を節制してそうな細めの見た目。しかしすらりとした体の割に首が太く、脳に血液が多く流れていそうで、頭脳派、インテリの印象が強い。装飾品も質素でブュートリッヒとは印象が真逆だ。
「では、ハロルド。葬儀の準備の方はお任せします。私は領主になるべく…」
自分たちで無視しておきながら話しに置いていかれるのに我慢が出来なくなったのか、執政官のひとり、ブュートリッヒがアリシアに声をかける。
「突然ご家族を失われ、すぐに領主としての務めを果たすのは無理がありましょう。私共が執政官として執り成しておきますので、ごゆっくりお休み下さい」
千尋は思った。豚が何かをしゃべっていると。千尋は何かとアリシアと自分を重ねるきらいがある。アリシアへ向けられた敵意、不遜。そういった意識に何故か苛立ちを覚える。
「ターニャ…振り向くな」
ターニャの半歩後方に構えていた千尋がターニャに小声で囁く。囁くような声なのにターニャは威圧感を感じ、体を強ばらせる。
「私の言う通りに言え」
千尋がターニャに囁いた内容は衝撃的だった。自分がそれを言うのかとターニャは千尋を振り返る。千尋は腹話術のように唇を全く動かさずに話す。
「振り向くな…」
千尋は穏やかそうな佇まいでその場の空気となっている。ターニャが振り返ると冷たい視線で言うことを聞くように威圧している。諦めたようにターニャは口を開いた。
「ずいぶんと私腹を肥やしていそうですが、何年執政官を?」
「は?」
ブュートリッヒがあからさまに顔をしかめてターニャに反応する。ウルブリヒトはターニャを鼻で笑ったように見える。
「騎士見習い風情が何を言うか!」
ブュートリッヒが憤慨し、怒鳴り散らす。大きく開けられた口から覗く黄色の歯は如何にも不健康そうで、時折ターニャに向かって飛んでくるつばも悪臭を放っていそうだ。ターニャも何となくゴブリンを思い出してしまう。
だが、後ろに控える会話するゴブリンに比べればまだマシだ。
「執政官風情が領主の側近に何を言うか」
言われるがままにターニャは口にした。ターニャは目が回りそうだった。千尋が何を考えているのか分からないし、この先何を言わされるかも分からないからだ。
「執政官風情とは大きく出ましたな?一応我々がこのフィル・ブライヤ領を仕切っているのをお忘れか?」
ウルブリヒトはブュートリッヒとは違い、冷静に非難してくる。一応と言う言葉に千尋は冷静さと謙虚さを見いだす。しかし主従をはっきりさせるためにも言わなくてはならないことがある。千尋はターニャにまた囁いた。不思議なことにそれは、ターニャが思っていたことと一緒だった。
「このフィル・ブライヤ領の領主はアリシア様だ!。断じてお前たちではない!」
ターニャは驚いていた。自分だけなら思っていてもこんな事を言えなかっただろう。千尋が後ろにいて助けてくれる、だからこそ目上の2人にも負ける気がしなかった。
「何を言うか!、貴族にも劣る小娘などお飾りだ!我々が…」
ブュートリッヒが興奮し、脂ぎった汗を撒き散らしながらターニャに反論しようとした時、アリシアがターニャの横に並ぶ。
「確かに私は貴族にも劣る小娘かもしれません。ですがフィル・ブライヤの人間としてこの領地に住む、すべての人に手を差し伸べるつもりです」
アリシアは震えていた。貴族街を進むだけで萎縮して下を向いていた小娘が、今は前を向いている。
「その様な絵空事を…」
ウルブリヒトが鼻で笑う。小娘など怖れるにも値しないと言うように真っすぐにアリシアとターニャを見ている。千尋は思う。見た目と行動から察するにウルブリヒトはまともな執政官だ。アリシアに反抗的なのはアリシアよりも頭がいい自負があるから。千尋は分の悪いアリシアを助けるべく一芝居企てる。
「それでターニャ様がおっしゃってました件は、いかがなのですか?」
「そ、そうだ。答えろ!」
いまいち迫力にかけるがターニャは必死に糾弾した。千尋がハロルドを見ると視線を外された。これだからこの執事長はと、千尋がため息をつく。改めてカッツェに視線を送る。カッツェは視線を外す事なく千尋に頷く。
「ブュートリッヒは私が来た頃から、執政官としてお努めですので10年は経ちます。ウルブリヒト様は2年は…経っていないと思います」
カッツェは執政官2人の視線から逃げるように眼鏡をいじる。それでも発言をしない執事長に比べれば十分だった。
「そうなのですか…だから肥えてらっしゃるのですね。私のいたところでは執政官は不正防止に1年2年で交代しておりましたので驚きです」
アリシアに向けて、私の話を聞けと言わんばかりに芝居がった言い方で千尋は驚いてみせる。言葉の意味を理解したアリシアの目が光る。ブュートリッヒはこのフィル・ブライヤ領に寄生する虫だ。
「あなたは長きにわたりお父様のもとで私腹を肥やしてまいりました。私が領主となる以上、あなたの仕事はないと思いなさい!」
「何故私ばかりが!、この男だって…」
ブュートリッヒが死なば諸共とウルブリヒトを巻き込もうと必死だ。当のウルブリヒトは涼しい顔で言い放つ。
「そうはいっしゃますがこの2年。私に貴族とのパイプを作る機会を一度も与えなかったではないですか?」
またウルブリヒトは鼻で笑う。この2年間、この男はブュートリッヒもアンドレアスも内心馬鹿にしながら頭を下げていたのかもしれない。
「これで分かっただろう!、今すぐに立ち去れ!」
ターニャが勝ち誇るようにブュートリッヒに宣言する。が、千尋は不満げだった、確かに最後に豚と付け加えていたのにターニャは言わなかった。
「覚えておれよ、このワシを…。騎士見習如きが…!」
ブュートリッヒの怒りの対象は完璧にターニャだった。憤慨しながら出ていくブュートリッヒが居なくなるとターニャは千尋のメイド服の襟を掴み、千尋を揺さぶっている。
「なんで私なんだ!」
「あなたが言ったんだから、こうなるに決まってじゃない?」
千尋は揺さぶられながらもターニャを馬鹿でも見るように哀れみの目で見つめる。その様子を見ていたウルブリヒトは失笑したかと思えば、よほど愉快だったのか大笑いを始める。
千尋以外が何事かとウルブリヒトを見つめる中、笑い終わると顔を上げた。常に無表情か冷笑のウルブリヒトが、誰も観たことのないような笑顔をむけてアリシアを見る。
「アリシア様は、本当にすべての人に手を差し伸べるのですか?」
ウルブリヒトは先ほど鼻で笑ったアリシアの想いを問いただす。
「そのつもりです」
「貧困街の者もですか?」
暫しアリシアは無言になる。ランドルフが存命だった頃何度か頼んだが、ついぞ連れて行ってはもらえなかった。噂に聞く限りだと廃人が最後に流れ着く場所というくらいの街の暗部だと言う話だ。
「できる限り…そうしたいです」
「無駄にやります、出来ますというよりは好感が持てますね…」
それから暫くはウルブリヒトの愚痴と言うべき、ブュートリッヒの悪行を聞かされていた。最初は6人でテーブルを囲んでいたが、話の途中でおそらく実情を知っていたであろうハロルドは逃げるように葬儀の手配に向かい、程なくカッツェは屋敷の中を取り仕切る為に出ていった。
アリシアとターニャは時折憤慨しながらウルブリヒトの話を聞いていた。平民の冬支度にと予算を貰いながら、貴族に渡すのみでブュートリッヒと貴族で懐にしまったと聞けば、平民に気持ちが近いアリシアが憤慨するのは当然だ。
千尋はそんな事には飽きてしまったようで執務室の中を見て回り、自由に過ごしている。
「所で…、あのメイドはなんなんですか?」
「…カレンですか?」
「自由すぎませんか?。ブュートリッヒの件でも、何かと目端が利くと思いましたが…」
調度品の陶器を指で叩き音を鳴らしていた千尋は、テーブルに帰ってくると3人でいるときのように大きな態度で座る。
「そう見えたなら隠してても無駄ね?」
アリシアとターニャは驚く。正確にはターニャは驚きに加え狼狽えている。どこまで話すつもりかと千尋から目が離せない。ウルブリヒトはあまりの態度の急変に閉口していた。
「何日か前に牢屋から男が逃げたって話…。知ってる?」
「あーあーあー」
ターニャが立ち上がり、体操を始めた。千尋とウルブリヒトの2人にバカを見るように見つめられて静かに座った。
「その男がお前なのか?」
ウルブリヒトの眉間に壮年とは思えないほどのシワが寄る。ウルブリヒトからすれば、目の前のメイドは態度が悪いが女性的で、胸も大きく断じて男ではない。
「男と勘違いされてただけよ。だからターニャとアリシアに頼んで出してもらった」
「と言う事は名前は…千尋だったか…」
「そういうことね?」
ターニャは頭を抱えていた。これまで必死に隠してきた事をあっさり千尋が人に話した。いつか千尋が言っていた事が思い出される。バレたらどうなるだろうと、千尋は首を切るような仕草をしたのを思い出す。
「領主がアリシアなのに何ビビってんの?」
晴天の霹靂。アリシアが領主になった今、ターニャを罰するものは居ない。ターニャはギリギリで死を免れたように喜びの顔を見せる。千尋が正体をバラしたことなどもはやどうでもいいと思っているようだ。千尋はそのターニャの反応をあきれたように見つめながらも、少し口角を上げてターニャに話しかけた。
「所でターニャ。いい加減ギルドの件。話を進めましょう?」




