花壇に咲く悪意
翌朝。アリシアとターニャ、千尋こと、カレンは食堂を訪れていた。
フィル・ブライヤ家の者のみが使う長いテーブルの上手にはアンドレアスが座り、朝だというのに果実酒を呑みながら、朝食をとっている。
デボネアとノアが、アンドレアスから3脚ほど離れた場所に向かい合いながら座り、食事を取り始めていた。
アリシアがメイドを連れ立って食堂を訪れたのは初めてで、この様子を見たアンドレアスは、酒の影響もあってか豪快に笑う。
「話には聞いておったが、お前もようやく側仕えを置いたか。役に立たぬ護衛だけでは不便と、ようやく気がついたか」
アンドレアスをはじめ、フィル・ブライヤ家の人間は側仕えのメイドを常に連れている。
アリシアが一番下手の席に座ると、料理は運ばれてくる。たったこれだけの人数が食事するのに合計28脚の椅子が並ぶ非合理さに、千尋は静かに鼻で笑う。その様子を見たターニャが、眉をひそめつつも、付いてこいというように歩き出したので、千尋もそれに従う。
壁際に上手から執事長のハロルド、家政婦長のカッツェ、メイドが6名立っていた。ターニャがフィル・ブライヤ家の食事を見守るようにその列に並び立つ。千尋もそれに習い同じくフィル・ブライヤ家の退屈な食事を見守る。
千尋がこの世界に来て数日たつが、食事についてはカトラリー類などがそろっているので、暗黒時代ほどではないせよ、味付けは塩か胡椒で焼いて食う、混ぜて食うのみで、日本的な五味の旨味もありはしなかった。
その食を楽しむわけでもなく、義務的に飲み込んでいくさまは、見ていて楽しいものではない。
先日使用人の館で食べた、くず野菜のスープは味付けは塩のみだったが、野菜の旨味があって美味かったと千尋は思い、苦笑する。
貴族がありがたがっている肉より、彼らが見向きもしないくず野菜の方が美味いという皮肉。そんなことを考えながら千尋は、フィル・ブライヤ家の面々を観察する。
家長のアンドレアスは酒のツマミに朝から肉を頬張っている。デボネアとノアも同じメニューを食べているようだが、アリシアは川魚か何かを焼いた塩焼きのようなものを食べている。
あの川魚を今朝食べた事を思い出し、千尋はメインの食材が違うのはフィル・ブライヤ家のヒエラルキーが現れているのかと考えていると、ノアと視線が合った。
昨日以来の邂逅に、ちらちらとこちらを見ながら食事を取るノアは挙動不審だが、周りの者たちが気にする様子はない。普段から抑圧されてストレスにさらされている彼が、挙動不審なのは平常運転といったところなのだろう。
アンドレアスが食事を終えて立ち上がる。するとハロルドがアンドレアスの背にマントをかけ、ハロルドとカッツェ、メイド3名がアンドレアスの後ろに並び退出していく。
領主とは言え、身の回りにあの人数を使う自堕落な生活を想像して千尋は辟易した。
次に立ち上がったのはデボネアだった。デボネアの後ろにメイドが3名続き、その後ろにノアが続く。
ノアにはメイドが誰もついていない。千尋は確かに昨日もメイドはいなかったなと思い出す。
千尋が少し会話しただけでデボネアに絡まれたのだから、嫉妬深いデボネアが、ノアにメイドをつけるわけがないかと千尋は考えていた。
「側仕えの教育ぐらいしておきなさい?アリシア……」
去り際デボネアが、吐き捨てるようにアリシアに呟く。アリシアが食事の手を止めたのを見て、デボネアは満足したのか、アリシアの返事も待たずに退出していった。
デボネアたちが退出するとまたシーンと静まり返る。その中アリシアは、少し落ち込んだような様子で食事を取る。
カトラリーが鳴らすカチャカチャという音だけがやけに響いて、流石に耐え切れず千尋が口を開く。
「もうしゃべってもいい?」
「食事が終わるまでは喋らない!」
ターニャが千尋をたしなめる。家長も誰も居ないのにこの状態を維持するのかと、千尋は肩を落としため息をついた。
その品行の悪いメイドと、厳しい護衛のやりとりを見て、先ほど落ち込んだように見てたアリシアが、クスクスと笑っている。
そして食事が終わると3人は、アリシアの自室に戻っていた。メイドだというのに仕事もせずに千尋は、アリシアとテーブルを囲んでいた。
元々護衛兼側仕えのような役割だったターニャが、苛立ちを隠しもせずにお茶を淹れている。
アリシアには傅くように丁寧にお茶を出したターニャは、千尋の眼の前にガチャッと大きな音を立ててお茶を出す。
そして、自分の分を用意しながら不満げに着席するターニャに千尋は睨みを利かせる。
「何?」
「何ではない!側仕えならそれらしく振る舞え」
千尋はターニャの入れてくれたお茶を飲むと面倒くさそうに答える。
「振る舞ってたじゃない?。食堂では……」
「ここでもだ!」
千尋はなぜと言いたげに周りを見渡す。アリシア、ターニャ、千尋の3人しかおらず、この歪な主従関係を見咎めるものがいるわけでもないのに、非合理的だと無言でターニャを見る。
睨み返すでも反論するでもなく、ただただ面倒臭そうにする千尋に、ターニャは呆れて物が言えないようだ。そんなターニャを尻目に、千尋はアリシアに問いかける。
「アリシアは魚が好きなの?」
「いえ……、特別好きというわけでは」
千尋は好きで食べていたのではないと確認が取れると、それすなわち、わざと違うメニューを食べさせられているという事実が浮き彫りになる。問題は何故そうなっているかだった。
「なんで同じものを食べないの?」
「それは……」
アリシアが困ったような顔をすると、ターニャが代わりに答える。アリシアのピンチを救う騎士のようだが、完璧な助け舟ではなかった。
「私たちと同じものを食しているのだ」
「そんな事は分かっているわ、朝食べたから。知りたいのは何故なのかよ?」
睨みを利かせながら口撃され、ターニャはたじろぐ。うつむき加減で、渋々真実を口にする。
「アリシア様が、この家で何もしていないからだ」
「だからいいものを食べられないって事?バカバカしい……」
アリシアも俯いた。アリシアがこの家に貢献するには何処かの貴族かほかの領主の家に嫁ぐしかない。
「まあ、あの不味そうな肉よりは、川魚の塩焼きのほうが美味いと思うわ」
事実をありのまま伝えた千尋だったが、アリシアには慰めてくれたように見えたようである。うつむき加減だったアリシアは笑顔になると、その天真爛漫な笑顔を千尋に向ける。
途端、千尋は顔をしかめて横を向き、誤魔化すように話題を変える。
「アリシア、銅の水差しってある?」
「ありますけど……?」
銅製の水差しは水を冷やして保存するのに最適だった。アリシアは、何故千尋がそんな物を欲しがっているのか分からずに、不思議そうな顔をしている。
「ターニャ。お願いできる?」
アリシアが声をかけると、これが側仕えだというように棚から銅の水差しを取ってくると千尋に手渡す。受け取った千尋が、気持ちの悪い笑顔をしたのでターニャは、アリシアの後ろに隠れた。
「主の後ろに隠れる護衛も、なかなか笑えるわね?」
銅の水差しを弄びながら千尋は愉快そうに笑う。アリシアには、ターニャの行動を笑っているように見えたが、ターニャは何かを企んでいるように見えてならなかった。
千尋は銅の水差しを持って、使用人の館にある自室に戻る途中であった。
熱伝導率のいい金属を使えばよく冷えるし温まる。千尋が持っている特別な使い方も可能だろう。千尋は自分がいた世界の知識をフル活用して、居場所作りの布石を打つ。
「楽しそうね?」
階段に差し掛かったタイミングでデボネアが話しかけてきた。
千尋が昨日もここにいたなと思っていると、開いた窓から心地よい風が入ってくる。デボネアの長い赤い髪が揺れて千尋の心が弾む。
近くの花瓶からかデボネアからなのか甘い香りがした気がして、興奮を抑えるのに千尋は必死だ。気分を変えようと周りを見渡すと窓の外、中庭の花壇にノアが見える。
ノアを監視するために、ここにいたデボネアの滑稽さに失笑する千尋。
嫉妬深く、夫を監視する妻。束縛の強さと言う執着、自分の側仕えに監視させずに自ら監視するというのはプライドからか、メイドを信用していないからなのか、千尋はどちらにせよデボネアの中にある矮小さ、醜さに興味が湧く。
その胸にナイフを刺したらなんと命乞いをするのだろうと、つい千尋は妄想してしまう。
「カレン、何を持っているの?」
「水差しですが?」
そう水差しだ。何の変哲もない水差しだ。これで人を殺す方法を知っている千尋の危険性は、この世界の者には分からないだろう。
バレる心配もなければ、人を殺すという事実に千尋が悪びれる理由もない。
「これに冷たい水をいれるのです。ご存じですか?」
「そんな事知っています!」
千尋の言葉の意図はデボネアに全く伝わっていない。この深遠はお前には分からないだろうと嘲るように言った千尋の言葉は、異世界の者には理解不能なようで、水差しの使い方を知っているかと問われたのかとデボネアは憤慨している。
「御用はそれだけですか?デボネア様」
デボネアはこの生意気なメイドに、一泡吹かせてやりたかった。つかつかと歩み寄るとデボネアは自分よりも少し背の高いメイドを睨みつける。
並のメイドなら震え上がっているはずなのにこのメイドは平然とし、笑顔まで浮かべている。苛立ちを隠さずに表情に出していたデボネアは、近くに飾ってあった花瓶を取る。
「水が欲しいなら、これをお使いなさい……」
デボネアは愉快だった。花瓶の水を生意気なメイド、カレンの頭にかけてやったのだ。
デボネアは思う。強がっていても所詮メイドはメイド、すぐに動揺してこうやって動かなくなる。沈黙する千尋を嘲り笑う。愉快すぎて笑いが止まらない痛快の気分で高笑いをしているデボネアに千尋は深々と礼をする。
「今日は暑いので、いい気分転換になりますね?欲を言えば、もう少し量があるとうれしいのですが……」
濡れた髪が頬に張り付いて水が滴っているのにも拘わらず、千尋はデボネアに笑顔を向ける。何があっても屈服しない、気持ちの悪いメイドの頬を思いっきり平手打ちしてデボネアは立ち去る。そんなデボネアの背中で揺れる長い赤髪を千尋は見ていた。
「口でも暴力でも勝てずにあの女に何が残るか、最後はどんな声で鳴くのかな?」
快楽殺人者の目は、デボネアが見えなくなるまで見つめていた。
千尋は濡れた髪をかきあげ、階段を降りると広間を抜け中庭へと向かう。
ノアにこの姿を見せておかなくてはと胸を躍らせながら。
中庭の花壇に近づくとノアが花をいじっている。昨日と同じようにしゃがみ込んでいるノアの隣に、千尋は同じようにしゃがむ。
ノアは待っていた。花に水をやって今日の世話はお終いだったのだが、無駄に時間をかけてカレンを待っていた。
雑草を抜いて、古い葉を剪定し、雄しべと雌しべを寄せ、花に受粉していた。今までは嫌なことを忘れるための時間だったが、今日は違う。この時間が心地よいとノアは思っていた。
「ノア様、お待たせしました」
ノアは喜んだように顔を上げたが、すぐ困惑の顔に変わった。カレンの髪は濡れていた。全身びしょ濡れではないが所々濡れている。頬が赤くなっている様子に察しがついたノアは、申し訳なさそうな顔をする。
「ご、ごごめん。ぼぼ、ぼ、僕のせいで……」
「今日は暑いのでちょうど良かったです。もう少しお水をお願いしたのですが、断られてしまいました。」
気にしていないという返答にノアは口角を上げる。
「お、お花も水がないと、ししし、萎れるから」
「本当ですよ、綺麗に咲くには水がありませんと」
そう言うと千尋は立ち上がり、花を咲かせるように、両手を広げてクルッと回ってみせる。ノアの前では、努めて千尋は明るく振る舞う。
「2人でこの屋敷をお花で一杯にしましょう?」
千尋はノアの光になるように、ノアの影がより色濃くなるように努めて振る舞う。そして、ノアは2人で花を愛でながら楽しい時間を過ごしたいと思っていた。
◆作者よりあとがきとお願い◆
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