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嘘つきメイドは嘘をつく

 翌日、フィル・ブライヤ家に激震が走る。領主アンドレアスが謎の死を遂げ、デボネアと騎士団長のランドルフが殺害され、婿養子のノアが行方不明になっていた。


 黒幕の千尋は明け方までかかった跡始末の疲れを取るために浴室に訪れている。のんびりと体を清め、血の匂いがなくなるまで風呂につかる。毎度、千尋が一仕事した後にするアフタールーティンといったところだった。


 血相を変えてターニャが千尋が名乗っている偽名、カレンの名を呼び千尋を探している。ターニャの見立てでは千尋が絡んでいるのは明白だった。実際計画を仄めかしていたし、人の機微を見抜き、人心を操るあの女があの惨状に関わっていないはずはないと確信していた。


「使用人の屋敷にも居ない…。まさかお風呂?」


 ターニャが扉のない入口をくぐり、脱衣所を覗くと千尋のメイド服が畳まれた状態で置いてある。ターニャは首を傾げる。前に一緒に風呂に入ったときはもう少し雑に脱いであった気がしたのだ。千尋のいつもと違う事情が、なんとなく気になる。もしかして思考回路が千尋に似てきたのかとターニャは青ざめる。


 千尋が湯船に浸かりながら背伸びをすると、大きな胸がプカプカと揺れる。アリシアがいたら、弄びながら恍惚としていただろうそれを睨むように見下ろす存在が現れる。ターニャは鎧や衣服を脱ぐわけでもなく、いつもの甲冑姿で浴場へと来て千尋を見下ろしている。


「お前だろ?」


 湯船の縁でくつろぐ千尋をターニャは睨みつける。ツンと上を向いた千尋の乳房が視界に入ったがお互い気にする様子はない。そして、しばし沈黙があった。


「一応、何のことと聞いておく?」


「質問に質問で返すな!。昨夜屋敷で起きたこと全部だ。」


「全部は私じゃない」


 殺害はノアが行った。千尋ではない。ターニャ相手に偽装するでもなく正直に答えているのだが、右腕にお湯を染み込ませるように撫でつける千尋の姿は、ターニャにしてみれば非常に疑わしく、千尋に睨みを利かせる。ターニャにまったく信用されていない事実に、千尋は自嘲するように笑い、呟く。


「本当よ?、信用がないわね…。殺したのはノア」


 殺害をするように仕向けただけで実際に千尋は何もしていない。信じてもらえないことに感情が揺れることもなく、千尋は真実を口にした。ターニャはあの気弱そうな婿養子がと、ターニャは顔をしかめる。千尋はたしかに虎に喧嘩をさせると計画を話していた。が、合点がいかないことが山ほどある。


「どうやったんだ?」


「朝食を取ってないなら、知らない方がいいわ。朝食がまずくなる」


 死体を見てきたターニャにはもう怖いものはなかった。デボネアの部屋は鉄の匂いが充満していた。顔の原型が分からなくなるまで殴られた上にとどめを刺されたデボネアと、鎧が溶けるような何かで身体中を切刻まれ、首を切られたランドルフ。2人の死体から流れた血が赤い絨毯の様に広がっていた。


「受けて立つ…」


 ターニャが決心したように言い放つと、億劫そうに千尋は風呂から上がる。立ち上がると千尋は思い出した事を聞こうと思い至る。


「ねえ?その前に一つ聞いていい?」


 千尋の裸体からお風呂の湯が滴る。その姿を仁王立ちで見るターニャの目の前で、千尋はその手から小さな紫の炎を出す。千尋の裸体を濡らすお湯が蒸発してサウナのような暑さになり千尋は炎を消した。長風呂を楽しみながら試行錯誤している内に出したり消したりはできるようになっていた。鎧を着たままのターニャは一気に溢れた玉のような汗を手で拭いながら叫ぶ。


「それはなんだ!」


「だから聞きたいって言ったんでしょ?バカなの…?」


 大口を開けて驚いた様子のターニャの顔が本当に馬鹿みたいに見えた千尋は、怪訝そうな顔でターニャを見る。そしてもしかして本当に馬鹿なのではと、今度は心配そうな顔をしている。


「なんだその顔はっ!、魔法だ、魔法!」


「他に詳しい人いないの?」


 この世界では魔法は希少でターニャも詳しくは無かった。聞いた私が悪かったと言いたげな顔をする千尋にターニャは憤慨する。


「そもそも使える者がほとんどいないんだ。分かるわけないだろ?。ギルドにでも行け!」


「ギルド?」


 組合かカルテルかと千尋は疑わしそうに顔を顰める。ターニャは衝撃のあまり派手に話が脱線していたことを思い出した。


「その話は後で教えてやる!デボネア様とランドルフ様の…」


「様はもういらない、ここではもうアリシアが一番だから」


 勝ち誇るように微笑み、千尋は脱衣所へ歩いていく。その笑顔と台詞が残酷すぎてターニャは震え上がる。なんとなく対等に話せるようになっていたターニャだが、時折千尋が見せる残酷さはやっぱり苦手だった。


 我に返ったターニャが慌てて千尋を追いかけると、千尋は豊満なその胸を下着にしまっている最中だった。その仕草が妙に艶めかしく、ターニャは女性同士なのに目のやり場に困ってしまう。


「落ち着いた?」


 千尋はターニャの意識が他に向くようにわざとそのように振る舞っていた。無言で頷き、脱衣所の椅子に座るターニャを気遣ったわけではないが、千尋は昨日の出来事を説明し始める。


 ひとしきり説明を聞いてターニャはげんなりとしていた。確かに千尋はアリシアを助けたいと口にしていた。私たちの居場所作り等とも言っていた。デボネアをけしかけ、ノアの精神を支配してアンドレアスとデボネア、ランドルフを殺害させたあげくに再起不能にして捨てたと千尋は言う。


「だから不味くなるって言ったのに…」


 ターニャのげんなりとした顔を心配しているような素振りを見せる千尋だが、顔が綻んでおりターニャにはそれがすぐに嘘だと分かる。


「気分が悪くなったのはランドルフ様のことだ。好意を抱かれてたんだぞ?それをお前は…」


「そうだとしても、お互い剣を向け合ったのならやるしかないじゃない?私は死にたくはないし…」


 メイド服に着替えながら淡々と千尋は話す。


「それとも私が死んだほうがよかった?」


 そう言われては返す言葉もない。ターニャは苦虫をかみしめたように眉をピクピクと痙攣させて不満と苛立ちと戦っている。千尋の言うとおりだが、既知の、それも好意を向けられている相手を殺す。ターニャにはそれが理解ができなかった。


「ノア様は生きてるのか?」


「たぶんね?顔は削り落としたから、もう姿形は違うけど…」


 千尋は話しながらジェスチャーで下唇を丁寧にきり落とし、上唇から鼻に向けて顔を削ぎ落とすように一気に切り裂いた。ターニャは胃液がこみ上げてくるのを必死に抑える。ハァハァと肩で息をしターニャは千尋をにらみつける。


「なんで殺さなかった?」


「殺してほしかったの?」


 千尋が余りにも素っ気なく返事をするので、ターニャの中にまた怒りと吐き気がこみ上げてくる。


「そんなわけあるか!」


「ならいいじゃない?たぶん生きてるし。趣味じゃないのよ、無駄に人殺すって」


 趣味や無駄と言う、およそ人殺しからかけ離れた返答に、なんでこの女と会話しているのだろうとターニャは頭を抱える。


「だからって再起不能して捨てる?」


「ええ、そのほうが合理的。殺さなくて済むもの」


 千尋が殺したいのは赤いものを身にまとった20代の女性だ。元よりノアを再起不能にする考えだった。千尋からすれば、自分の手を可能な限り汚さずに済むのが合理的なのだろう。


 千尋は着替え終わるとメイド服の裾を整える。これで快楽殺人者影山千尋ではなく、カレン・リュグネリンだ。


「アリシアは知ってるの?」


「アリシア様はご家族が亡くなってノア様が消えた事実だけを知っている…」


「ならいいわ、アリシアのところにいきましょう?…あとギルドの件よろしく?」


 そう言って千尋はターニャに先に行くように促して、メイドらしく後ろに付き従いお風呂場をあとにする。


 快楽殺人者を後ろに引き連れるターニャは、千尋をアリシアに会わせていいものか今更ながら考えていた。無意識の中で歩いているとアリシアの部屋についてしまい、もう後戻りはできないとノックをした。


 時を同じく、アリシアは不思議な気持ちになっていた。テーブルに伏すようにしながら窓から差し込む朝日を浴び、朝日に映える揺れる深緑を見ている。鳥たちのさえずる声もいつもは微笑ましい気持ちになるのに今日は違う。


 アリシアは父が、姉が、ランドルフが死に悲しいのに涙が出なかった。少しだけ涙を滲ませたが悲しいからではなく、父に抑圧されていた感情が溢れ出しただけだった。次に嗚咽のように溢れたのは笑いだった。この笑いも喜怒哀楽から出たのではなく、全てを失い全てを手に入れた虚しさからだ。


「千尋様は、私の居場所を作ってくれると言ってました…」


 ノックの音がした。返事をしなければならないのにアリシアの体は、そのほんの少しの動作が億劫でならない。。


 こんな形でアリシアは全てを手に入れるとは思ってもみなかった。千尋がやったのならその罪をアリシアは背負わなければならない。そう考えていた。


 ターニャが何回かノックをしたが反応はなかった。ターニャが深くため息をついて開けようと手を伸ばしたら、千尋が何食わぬ顔で開けてしまう。


「ノックしたなら入りなさいよ?」


 理解できないと言う顔の千尋と、理解できないと言う顔のターニャが見つめ合いながらアリシアの部屋に入っていき、静かに扉が閉まった。


「お前には人の心はないのか…」


 アリシアの元まで歩み寄りながら千尋に苦言を呈するターニャ。人の心は分かっているが持ち合わせていない千尋は鼻で笑う。


「私に人徳説いて、いいことあるの?」


 アリシアがテーブルに伏して家族を失った衝撃から項垂れているすぐそばで、千尋が悪びれるでもなく人徳を吐き捨てる。アリシアはその千尋らしい反応に顔を上げる。


「千尋様…」


「アリシア、領主になる気分はどう?」


 ターニャは落雷に遭ったような衝撃を受けた後にふらふらと倒れるように椅子に座る。


「お前は本当に信じられないな…」


「人間性とか求めるのやめてくれる?。私を牢屋から出して匿ったのだから、あなた達は共犯者でしょ」


 ターニャは気まずさと申し訳無さの針のむしろだった。が、千尋は気にするのでもなく、お茶菓子を食べながらいつも通りに寛いでいる。


「千尋様なのですか?」


 アリシアは覚悟を決めて、千尋の罪を背負うつもりで千尋に問う。しかし千尋は素っ気なく、用意された事実の一部を伝える。


「私は誰も殺してないわ」


 アリシアがターニャを見る。ターニャは大きくため息をつき、真実ではないが嘘ではないので頷く。これで自分も千尋の同類だなとターニャが額を覆うように手を当て、懺悔のように下を向く。その姿を見て、千尋は満足気に微笑みを浮かべている。そして緊張の糸が切れたのかアリシアはテーブルに突っ伏していた。


「私はてっきり、千尋様が全員…、その、殺してしまったと思っていましたので」


「流石にやんないわよ、めんどくさいし。私がデボネアとノアの仲違いを演出しようとしたのは間違いないけど、ここまでになるとは思ってなかったわ」


 本当にめんどくさそうに答える千尋は真実を言っているのだなとアリシアは安心した。が、実際は全て千尋の計算通りだ。手違いはアンドレアスが思ったより早く死に、ランドルフがデボネアの部屋にきたのでノアに殺害させたこと。


 ターニャはノアの精神を支配して全員殺させて、再起不能にして捨てた。と包み隠さず言い出さないか気が気ではなかったが、なんだかんだとアリシアの為に協力すると言う約束は継続中のようで、安堵のため息を吐く。


「私はこの後どうすれば…」


「私に聞かれても困るわ、政なんて欠片も興味ないし」


「お前な…、自分で始めましょうか、あなたと私の居場所作り…とか言っておいてなんて言い草だ」


 ターニャが本物より意地の悪そうな千尋のマネをしながら、あの夜言ったことを再現する。千尋は苛立ちを隠さず、ターニャの額にデコピンをする。ターニャが痛そうに額を擦るのを見てアリシアはほんの少しだけ笑顔になった。


「実際この世界のことはよくわからないもの、アリシアの好きなようにしたらいいわ」


「私の好きなように…?」


「アンドレアスのように他者を虐げ、平伏させたいならそうしなさい。そうでないなら自分の胸に聞きなさい」


 人の心を持たない千尋は時折、至極真っ当な事を言う時がある。そのまともさがアリシアを惹きつける。


「私にできるでしょうか…」


 珍しく千尋が自分でお茶を淹れ始める。アリシアもターニャもやってくれないから、渋々人数分のお茶を淹れる。


「この状況で逃げ場があると思ってるの?出来るかなじゃなくて…、やるのよ」


 アリシアとターニャにもお茶を出す。アリシアは花のような香りがする琥珀色のお茶を見つめる。千尋がカップを置いた時に出来た波紋が少しずつなくなっていく、その様をみていると不思議とアリシアの心は穏やかになる。


 


 逃げ場はないという千尋の言葉は残酷だが好きにやれ、やりたいようにやれと言う応援のようにアリシアには思えた。千尋が入れてくれたお茶をゆっくりと味わい飲み干し、アリシアは立ち上がった。


「私はすべての人に手を差し伸べる領主になりたいです」


「アリシア様!」


「なら、そうしなさい」


 立ち上がり礼をするターニャと、お茶菓子の最後の一口を口に放り込み立ち上がる千尋。領主としての決意を胸にアリシアは部屋を出る。その後ろにターニャ、千尋と続き、もう少しこの共犯関係は続いていく。

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