75話「軍議」
翌朝。
温かな布地に顔を丸ごと包まれ、身動きが取れない。
「イリアお姉様……そろそろ行かなくて大丈夫ですか……? もうすぐ会議ですよ」
「久しぶりに会えたんだから……駄目。もう少しだけ」
イリアお姉様は腕に力を込め、私をさらに強く抱き締める。
十分も経ってから、やっと解放された。
お姉様の両目はひどく腫れている。私は懐からハンカチを取り出し、目元を拭ってあげる。右下に小鳥が一羽刺繍された、カシアンからもらった真っ白なハンカチだ。
鼻をすすったお姉様が、私の髪へ目を留めた。
「髪、ずいぶん思い切って切ったのね。どうしたの?」
首筋にかかる髪を片手で撫でる。本来の色に染め直した、真っ白な髪だ。
「染め直すついでに……リーゼに切ってもらいました。フレイヤもリーゼも髪が短いでしょう? 最近はこれが流行っているそうです。変ですか?」
お姉様は口角を上げ、私の頬を指先でつまんだ。
「ううん。可愛い。よく似合ってる」
つられて私も笑う。お姉様は車椅子の取っ手を握り、会議場へ向かって歩き出す。
廊下を進む間、私は胸元のペンダントをいじっていた。
「それにしても、何をしたらあれほどの魔力を使い切れるの?」
「それは……いろいろありまして。あはは……」
お姉様が目を細め、こちらを見下ろす。けれど追及される前に、会議場へ着いた。
***
待機していた従者が扉を開けると、広大な空間が目の前に現れた。
ソルベルグ城の会議室。高い天井から下がる魔力灯の真下には巨大な円卓が置かれ、出席者たちはすでにその席を埋めていた。
円卓の一角だけ、椅子が一脚抜かれている。私は視線を伏せたまま、そこへ車椅子を進めた。
円卓の正面、主座にはカエレン殿下が座っていた。その左隣には、王家の第一子であるユリアンヌ第一王女殿下。まっすぐな黒髪に、カシアンと瓜二つの鋭い目元。お姉様はさらにその隣へ腰を下ろす。
カエレン殿下の右隣には、カシアンが席を占めている。三人の王族はいずれも目元が鋭く、灰色の狼紋をあしらった冬の礼装姿だ。
その周囲を、ソルベルグ伯爵と数名の高位貴族、フレイヤ、セドリックが囲む。セドリックが咳き込むたび、フレイヤは背中をさすっている。
紙をめくる音さえ、やけに大きく響く。服の下の翼が縮こまる。
伏せていた目を上げ、カシアンの様子を窺う。彼も口を閉ざしたまま、表情のない顔で私を凝視している。
カエレン殿下が全員を見回し、口を開く。
「全員そろったな。王都奪還についての会議を始めよう」
***
幾度か短い休憩を挟みながら、会議は日が傾くまで続いた。
状況は考えていた以上に複雑だった。まず王都の問題を切り出したのは、ソルベルグ伯爵だ。
「最新の報告では、黒雪の影響で反乱軍はまだ兵を集めきれておりません。我々は数こそ劣りますが、兵の質では勝る。今なら勝機があります。ですが敵が全軍を集結させれば――数の差は覆せないでしょう」
「つまり、遅れれば遅れるほど、こちらが不利になるのですね」
ユリアンヌ殿下が話をまとめると、伯爵は首を縦に振った。
次に発言したのは、海岸の防衛を任されている騎士団長だ。卓上に置かれた手の甲には、包帯が幾重にも巻かれている。
「海岸はすでに封鎖し、仮設防壁で応戦しております。ですが魔物が連日押し寄せ、兵の消耗が激しくなっております。領内の成人男性と多くの女性を徴兵しましたが、大半は訓練を受けておらず……防衛にも限界がございます」
最後に、イリアお姉様が資料を広げる。
「南進にも問題があります。黒雪に汚染された土地を越えて王都へ向かうには、最低でも三日。浄化ルーンを刻んだ浄化布で防いでいますが、半日で使えなくなります。エルハルト商団の在庫をすべて集めても足りません」
膝の上に置かれた資料を丹念に追う。浄化ルーンの図案、布の厚さ、使用時間ごとの汚染値。
カエレン殿下が私へ問いかける。
「それで、オルネン卿。キリアンという男がグランデル家と通じ、王都の魔力源を私的に利用しようとしているという話だが――何か証拠はあるのか。事実か否かで、我々に残された時間は変わる」
顔を上げると、光の薄い両眼が私を射抜いていた。耐えきれずに目を逸らし、舌をもつれさせる。
「グランデル家との内通については、証拠があります。叔父様は暗号化された通信石を使い、グランデル家の次男エルヴァンと連絡を取り合っていました。通信記録も残っています」
一度言葉を切り、乾いた喉を鳴らして唾を飲み込む。
「王都の魔力源を私的に利用しようとしているのは、彼のかつての婚約者――グランデル家の長女、セレネ・グランデルを蘇らせるためです」
その名を口にした途端、会議室が大きくどよめいた。
「静粛に!」
カエレン殿下の声が響き、ざわめきが収まる。
「オルネン卿。通信石による内通については分かった。エルヴァンの遺品を学院で整理した際、暗号化された通信石が見つかったとの報告も受けている。それがキリアンと通じるものなら、確かな証拠になるだろう」
カエレン殿下はそこで言葉を切り、眉間に深い皺を刻む。
「セレネ・グランデルがキリアンの元婚約者だったことは知っている。だが、彼女は平民の男と恋仲になり、勘当されたはずだ。死亡した記録も、死者を蘇らせる魔法も聞いたことがない。何を根拠に彼女が死んだと判断した? それに、蘇生が可能なら、なぜ今になって動き出した?」
彼の声が、一段高くなる。
唇が固く強張り、視界の端が白く霞んでいく。それでも、膝の上で握った手に力を込め、どうにか言葉を返す。
「……断片的な記憶と、叔父様が残した言葉からの推測です。ですが、ほかの目的では説明できない点が多すぎます」
「確たる証拠はない。結局は、君の推測ということか」
カエレン殿下の目が、さらに細くなる。
「兄上。どうか落ち着いてください」
カシアンの声が耳へ届く。
「オルネン家が襲撃されたあと、私とイリア様が直接調査し、いくつか不審な点を確認しました」
カシアンがイリアお姉様と目を合わせる。お姉様は卓上で指を組み、説明を引き継ぐ。
「キリアン・オルネンの書斎は、襲撃前に整理され、すでに空になっていました。残されていたのは偽装用の書類だけです。さらに王都でも、魔力源の構造図と魔力循環路の図面を複写した形跡が見つかりました。王国の魔導を統括するオルネン家の者でなければ、まず不可能なことです」
「いつ複写されたものか、分かるのか?」
「残留魔力の酸化具合から見て、半年以内です」
会議室から、ひととき音が消える。
カシアンはカエレン殿下へ向き直る。
「無論、これだけでは十分な確証になりません。しかし一刻を争う以上、あらゆる事態で最悪を想定すべきです」
カエレン殿下は頬杖をつき、重い息を吐く。それを見たイリアお姉様の眉がぴくりと動く。
ユリアンヌ殿下が片手で口元を覆い、卓上の資料を端から追った。
「では、猶予は反乱軍が魔力供給源の増設を終えるまでの二週間ですね。宮廷魔導師の試算では、王都周辺の黒雪が収まるのは一か月後。ですがそれを待てば、反乱軍に魔力源を使い尽くされ、王都の破滅は避けられません。二週間以内に浄化布の改良、海岸の掃討、王都への進軍まで――可能でしょうか?」
カシアンが私を見る。
「布の改良なら、オルネン卿を信じましょう」
「えっ?」
口から甲高い声が飛び出した。カシアンの片方の口角が上がる。
イリアお姉様も間を置かずに続ける。
「ええ。アリアならできます。風力石の効率を飛躍的に高めたのも、彼女ですから」
ソルベルグ伯爵が低い声を響かせる。
「海岸防衛に兵を取られたままでは、王都へ進軍するだけの戦力を確保できません。ゆえに、二週間以内に海岸の魔物を一掃できるかが鍵となります」
彼は卓上の地図へ目を落とし、そこに記された長い海岸線を指先でなぞる。
「奴らは頭部の核を壊さなければ死なず、血に触れればこちらも汚染されるため、剣で斬ることさえ危険です。しかも一帯を片づけた翌日には、また海から押し寄せてきます」
セドリックが片手を上げた。
「発言を許す、エルハルト公子」
「ごほっ……それでしたら、当商団が保有する結界石を使ってはいかがでしょうか。海岸の魔物を一度に掃討し、結界石を設置して魔力を供給すれば、侵入をしばらく防げるはずです」
ソルベルグ伯爵の眉間に、深い皺が刻まれる。
「海岸の魔物を一度に……? エルハルト公子、この海岸線がどれほど長いかご存じか。王都からの供給が途絶えた今、領内の魔力にも限りがある。結界石に魔力を割いたところへ黒雪が降れば、どうなさる?」
「……それは、確かに……」
セドリックの声がしぼみ、指先が紙の端を何度もなぞる。
イリアお姉様が二人の話へ割って入る。
「これまでの観測では、黒雪が降り続く時間は長くても半日です。星貝を使えば事前に予測できますから、その間だけ魔力供給を遮断杭へ回し、それ以外は結界石へ配分する。これなら数か月は維持できるでしょう。残る問題は、海岸の魔物ですが……」
カエレン殿下がカシアンを呼んだ。
「カシアン。ミハイルはいつ到着する?」
「山影月までは地下坑で避難を手伝うとのことでした。大きな問題が起きなければ、来週には到着するでしょう」
カエレン殿下は資料を指先で二度叩き、カシアンへ顔を向ける。
「カシアン。具体的な手順をまとめてくれ」
「分かりました」
カシアンが姿勢を正し、列席者を見渡す。
「では、方針をまとめましょう。猶予は二週間。十日後の王都進軍に向け、準備を進めます」
カシアンはカエレン殿下、ソルベルグ伯爵、イリアお姉様の順に顔を向け、計画を述べていく。
「護衛騎士ミハイルを含め、圧界の戦士が三人、覇天の魔法使いが一人。ほかにも重甲級の戦士と宮廷魔導師がいます。戦力がそろう七日後、総力を挙げて海岸の魔物を討伐し、直後に結界石で海岸を封鎖します。イリア様と宮廷魔導師の方々は、それまでに黒雪の予測と残存魔力の配分計算をお願いします」
イリアお姉様が了承の意を示した。カシアンは言葉を継ぐ。
「掃討戦の負傷者を治療し、装備を整えます。不測の事態に備える時間も含め、十日後――」
今度はこちらへ顔を向けた。
「オルネン卿が改良した浄化布を用い、王都へ進軍します。城には必要最低限の兵力だけを残してください」
カシアンは列席者を順に見渡す。最初に声をかけたのは、セドリックだ。
「エルハルト侯爵家からは、多大な物資の提供を受けた。ルーンヘルム家は、この恩を決して忘れない」
セドリックが力強く首を縦に振る。
「そして宮廷魔導師たち。この苦境にあっても、最後まで王家に従ってくれたことに感謝する」
「当然のことです」
イリアお姉様が短く応じる。
次に、ソルベルグ伯爵とフレイヤ、海岸の騎士団長へ目を向ける。
「ソルベルグ伯爵家には、言葉では言い尽くせない恩がある。事態が収まり次第、必ず相応の形で報いる」
「霜嶺王国に栄光を」
ソルベルグ伯爵が胸へ手を当てる。
最後に、カシアンの目が私を捉える。
「そしてオルネン卿。多くを失った今も、オルネン家の当主として我々と共に立ってくれたことに感謝する」
喉の奥が熱くなる。膝の上で手を強く握り、一度開く。それから深く頭を下げる。
「王国のお力になれるのであれば、私にできる限り尽力いたします」
カシアンが説明を終えると、カエレン殿下が列席者を見渡した。
「異論がなければ、この方針で進める。以上で会議を終わる。各自、持ち場の準備を進めてくれ」
椅子を引く音が四方で重なる。出席者は資料をまとめて次々と扉へ向かった。
会議室を出ると、空にはすでに星が浮かんでいた。
隣を進むフレイヤが、胸にたまった息を一気に吐き出す。
「アリア……本当に死ぬかと思った……。私、あそこにいた意味あったのかな……?」
「フレイヤは長女でしょう? 会議に出てくれるだけでも、お父様は心強かったと思うよ」
背後で衣擦れの音がする。
振り返ると、ユリアンヌ殿下が立っていた。彼女はフレイヤへ一度目を向けたあと、私を正面から見据える。
「オルネン卿。少し、時間をもらえるかしら」




