59話「作戦」
「カシアン様~! アリア様もこんにちは!」
半袖の革服を着た、緩く癖のついた金髪の若い男が、縄で縛られたままカシアンへ手を振っていた。
その隣には、赤い短髪の女が、同じく縄で縛られたまま座っていた。
周囲では、槍を構えた軍蟻族たちが二人を取り囲んでいた。
「カシアン……知り合い……?」
「いや。知らん男だ」
冷たく言い捨て、私を背負ったまま背を向ける。金髪の男が口をぽかんと開けた。
「カシアン様! 僕たちを置いていくつもりですか!」
カシアンは一つ舌打ちし、それから彼を振り返った。
「軍蟻族の領域へ勝手に踏み込んだおまえの落ち度だ。それより、なぜここにいる、ミハイル。それにオズ、君は去年から宮廷魔導師の所属だろう」
今度は隣の赤毛――オズと呼ばれた女が答えた。
「私は止めたんですよ。ミハイルが大騒ぎするものですから」
ミハイルがオズの肩をぽんぽんと叩く。
「だって置いていけるわけないだろ。目を離せばすぐお怪我をして戻っていらっしゃるんだぞ……僕、カシアン様の護衛騎士なんだけど?」
「それでもカシアン様が絶対に来るなっておっしゃったでしょ! 命令が最優先」
「えぇ……それはそうだけどさ……イリア様が心配なさるから『私に任せてください!』って言ったのはどこの誰だったかなぁ……」
前で二人がぶつぶつやっているうちに、横からヴァルマと女王が近づいてきた。ヴァルマは私を見て、目もとだけで笑ってみせた。
女王が私たちを見回して口を開くと、ヴァルマが言葉を継いだ。
「南の怪獣だけでも頭が痛いというのに、外から来る者まで後を絶たず、煩わしい――とのことです」
カシアンが答えた。
「面目ない。助けられてばかりの身だ。この借りは必ず返す」
ヴァルマが女王を見ると、女王は頷いた。そしてまた私たちへ目を向けた。
「それで、女王からご提案があるそうです」
「ああ。こちらから切り出そうとしていたところだ」
「話が早くて助かります。ところで、後ろのお二方は……」
「……俺の国から来た部下だ。ベヒモスを片づけるのに、大きな力になる」
そのときオズが低く呟いた。
「ベヒモス……?」
「……説明は後だ。二人の縄を解いてもらえると助かる」
ヴァルマが訳して伝えると、女王が頷いた。
「武器はまだ身元がはっきりしませんので、後ほどお返しします」
「承知した」
縄が解かれるなり、ミハイルが飛び出してカシアンの周りをうろつき始めた。
「本当に、どこもお怪我はないんですよね? 僕に頼み事ひとつなさったことのない方が、野外授業のあとに剣術を訊いてこられるわ、それからいくらも経たずに一人で傭兵たちと出ていかれるわ……今度は用があるから南へ行く、口外するな、ですよ。心臓がいくつあっても足りません」
カシアンが眉をひそめた。
「話が長い、ミハイル。それより、ちょうどいい。ベヒモスを片づけるまで、手を借りるぞ」
「ベヒモスって、あの太古の大怪獣ですか? もちろん手伝いますけど。というか、大怪獣がこんなところに? シグムンドが倒したんじゃないんですか? いや、本当にいるとしたら一大事ですね……。それより、イリア様から伺ってはいましたけど、本当にアリア様を背負っていらっしゃるんですね。僕が代わりましょうか?」
ミハイルが近づいてくると、カシアンは身体を捻って私を隠した。
「必要ない。それと、うるさいぞ、ミハイル。静かにしろ」
「はい……」
その光景に思わず笑いが漏れ、ごく小さく呟いた。
「わんこだ……」
ヴァルマが割って入った。
「再会中に申し訳ありませんが、一刻を争いますので、すぐにでも作戦会議をしたい、とのことです」
こうして私とカシアン、新たに加わったミハイルとオズは、軍蟻族たちの案内を受けて進んでいった。
***
小さな木を伐って作った卓を、全員で囲んだ。私はカシアンの隣にしゃがみ込んだ。
ヴァルマは女王の傍らで、休みなく言葉を運んでくれた。
「ベヒモスについて、どこまで知っているのか、とのお尋ねです」
カシアンが顎へ手を当てた。
「ベヒモスといっても……古書に載っている程度だ。知っているのは、膨大な魔力を纏った百足の怪獣、ということくらいか」
カシアンはミハイルを一瞥し、すぐオズへ視線を移した。
「オズ、君は何か知っているか」
「うーん……ベヒモスなんて、正直、今も本当かどうか半信半疑でして。カシアン様がご覧になったのなら間違いないんでしょうけど……私も今おっしゃった程度ですね。あ、斬っても斬っても再生する、とか?」
そこで私は口を挟んだ。
「あの足に踏まれた瞬間、死体が膨らんで爆発したよ!」
女王が私を見て何か呟き、ヴァルマが継いだ。
「軍蟻族も何度となく討伐を試みました。百足の急所は頭部にある核。ですが、あまりに巨大で近づくことすら難しく、数百本の脚に纏った毒は、掠っただけで致命傷になります。殻は鉄板より厚く、まれに隙間へ差し込めたとしても、すぐに再生してしまう……」
「難攻不落だな……」
カシアンが呟いた。
ヴァルマが答える。
「はい。軍蟻族だけでは、不可能に近い。ですが――」
彼女の視線が、私たちの上へ長く留まった。
「あなた方が力を貸してくださるなら、方法はある。そうおっしゃっています」
「なんだ。聞かせてもらおう」
女王が言葉を発すると、後ろから軍蟻族たちが、カシアンの腕より太い縄を運んできた。
「これは黒藤蔓の茎を幾重にも編んで作った縄です」
ヴァルマがそのうちの一本を指先で弄んだ。
「ベヒモスの脚を斬り落とせば毒が噴き出し、一帯が焦土になります。しかも十秒と経たずに再生する。ですから斬るのではなく、縄で縛り、身体を限界まで引き下ろすのです」
そこでカシアンが割って入った。
「では、奴の身体が下がりきったところで頭までよじ登り、再生が追いつかぬだけの火力を一度に叩き込む。そして軍蟻族には、その火力がない。――そうだな?」
ヴァルマの瞼が大きく持ち上がった。
「一を聞いて十を知る、というやつですね。そのとおりです」
ミハイルが辺りを見回した。それまでの人懐こい眼差しが消え、表情が引き締まる。
「ですがカシアン様、それでも少々無理があるかと」
「言ってみろ」
「古書によれば、ベヒモスは百メートルを超えるんですよね。仮に半分まで引き下ろせたとしても五十メートル以上です。黒藤蔓がどれだけ丈夫でも、そう長くは保ちません。そもそも、そこを僕とカシアン様の二人でよじ登るところからして難関です」
「ふむ……もっともだ。風力石でもあればいいのだが、もう使ってしまったからな……」
カシアンがオズを見た。オズは自分の顔を指さし、口を大きく開けた。
「無理ですよ! 私は防御魔法専門なんですから」
「炎の魔法も使えるだろう。それで奴の頭を一撃で砕くとか。あるいは浮遊魔法で俺たちを浮かせてくれてもいい」
「……無理です。炎はあくまで使えるという程度で、浮遊魔法だって私一人ならともかく、成人男性を持ち上げるとなると魔力の消耗が激しすぎます」
そこへミハイルがまた口を挟んだ。
「シールドで足場みたいなの作れないのか?」
「まともなことを言え……魔法はそんなに便利なものじゃないの」
今度はヴァルマが軽く手を挙げ、言葉を継いだ。
「あの、恐縮ですが……ベヒモスは百メートルもありません。私たちが見てきたかぎりでは、尾から顔まで、長くても五十メートルほどで……」
カシアンがこちらへ顔を向けた。
「アリア。そういえば君も、五十メートルほどだと言っていたな」
頭の中から奴の姿を引きずり出す。青黒い甲殻。溶け崩れた顔。下腹部がざわつき、冷たい汗が一筋、眉間を伝った。
「うん、五十メートル……? 正確には分からないけど、百メートルは絶対にないよ」
「……では、書物のほうが誇張していたのかもしれんな」
ミハイルが言った。
「子を産んだとか、そういう話じゃないでしょうか」
「それはない」
カシアンが断じた。
「大怪獣とは、もともといた怪獣の身体が特異に変異した形だ。変異はその一匹で終わり、代を継ぐことはない。これは古書であれ狩人の記録であれ、どちらにも例外は残っていない」
カシアンは一度うつむき、また顔を上げた。
「五十メートルが確かなら、勝算はある。軍蟻族が縄で奴を引き下ろす間に――ミハイル、おまえが俺を足場にして跳べ。その間、縛りきれなかった脚から来る攻撃は、オズ、君が防げばいい」
「僕がカシアン様を足場になんてできますか! 当然、カシアン様が僕を踏んで登るべきでしょう!」
ミハイルが木の卓に手を打ちつけて叫んだ。
カシアンは自分の手を見下ろし、拳を握った。
「無理だ。俺では奴の頭を一撃で斬り落とせない。圧界のおまえなら斬れるはずだ」
私はカシアンの袖を軽く引いた。
「カシアン、私は……? 私は何をすればいいの」
「君は休んでいろ」
「いやだ。私も、私だって戦えるよ!」
彼の服をいっそう強く握りしめる。
カシアンが私の頭に手を載せた。
「毒にやられてまだ一日だ。君を信じていないからではない。病んだ者は休む――それが理屈にかなっているし、君を信じているからこその判断だ。だから、ゆっくり休んでくれ」
「そんな……」
カシアンが女王へ向き直った。
「実行はいつがいい。百足は変温動物だ。日が落ちて涼しい風の吹く頃がよさそうに思うが……」
女王が口を開き、それに合わせてヴァルマが言った。
「同意なさるそうです。それと、実行は今日でも構わない、と」
「よかろう。では今日、日暮れに合わせて動く」
その言葉を最後に軍蟻族たちは退き、女王もヴァルマとともに別の場所へ移っていった。
しゃがんだまま口を尖らせていると、カシアンの視線が下りてきた。
「何をそんなに膨れている。寝床へ戻ろう。好きな木の実でも食べて休んでいるといい」
「いい……」
差し出された手も見ずに、自分のつま先ばかり眺めていた。彼はしばらく手を伸ばしたまま待っていたが、やがて立ち上がった。
「少し支度をしてくる。何かあればオズに言うか、通信石で俺を呼べ」
「うん……」
カシアンもミハイルとともに、片側へ歩いていった。「ミハイル、剣術について訊きたいのだが……」という声も、木々の間へ遠ざかっていく。
するとオズが私の前にしゃがみ込み、にっと笑った。赤い両目がきらきらと輝いている。
「アリア様……で、いらっしゃいますよね?」
「ん……? うん、私、アリア……」
彼女は両手で頬杖をついた。
「イリア様からお話はたくさん伺ってました! 一度お会いしたかったんです……こんな形でお会いできるなんて」
そのうち、話していた彼女の視線が、私の背に括りつけた杖へ移った。
「あれ……これ、もしかして冠翼梢?」
杖を外して見せた。
「これのこと?」
「はい! うわ、本物だ!」
彼女が杖に目を近づけ、穴が開くほど覗き込む。
「触ってみる……?」
「本当ですか!?」
彼女が杖へ手を載せた瞬間、私はそれをぎゅっと握って離さなかった。
「その代わり、私に魔法を教えてくれない……? オズ、宮廷魔導師ならすごく強いんだよね?」
「私がアリア様に、ですか? 光栄です! 自慢ではありませんけど、王国でも指折りではありますね。ふふ」
「イリアよりも強い?」
「イリア様ですか? まさか!」
オズが少し顔を上げ、指を一本ずつ折ってみせる。
「イリア様より優れた魔法使いとなると……一人……二人いるかどうか、ですね」
「ふうん……じゃあ、私も練習すればイリアくらい強くなれる?」
ペンダントを指先で弄びながら訊いた。
オズがにっと笑った。
「もちろんです。あのイリア様の妹君なんですから」
そして周りを見回すと、こちらへ身を寄せてきた。
「近くで一緒に練習してみましょう。おんぶしましょうか?」
「大丈夫、飛べるから」
杖を掲げ、身体を地面からわずかに浮かせてみせた。
オズについて、少し離れた人気のない場所へ向かった。




