番外編 星を描く夜
夕暮れの青い草原。
その片隅に、銀髪の女がしゃがみ込んでいた。外套の背から覗く純白の翼が、星明かりを含んで輝いている。
空へ手を伸ばすと、包帯に巻かれた腕があらわになった。
その背後から、一人の男が近づいてくる。
真っ黒な短髪を後ろへ撫でつけ、額をすっかり出している。革の半袖姿で、腰には一振りの剣を提げていた。
彼は女の横に、どさりと腰を下ろした。
「どこへ行ったかと思えば、ここで何をしている。アルナ」
「……」
アルナは答えず、自分の手に目を落としたままだった。
「早く。眠いのだ、悩みがあるならさっさと言え」
「いや、ただ……夜空が、綺麗で」
しばしの沈黙。
「グリムナル族のことが、心配なのか」
「ううん……」
「では、人間どもが気に入らんのか。世は広い。そういう人間もいるものだ」
「そんなんじゃない……」
アルナは手を下ろし、細く息を吐いた。
「ねえ、シグムンド」
アルナがシグムンドのほうを振り向いた瞬間、彼はさっと目を逸らす。
「あ、また! ほら、ほらぁ。正直に言ってよ。私のこと、嫌いになったんでしょ?」
包帯を解いてみせると、黒い線があらわになる。
「私は人間でもないし、背も低いし、体には傷跡まで……私が恥ずかしいんでしょ? 村を出るときからずっと――」
言い終わらないうちに、シグムンドがアルナの手首を掴む。アルナが手を引き戻そうとしても、放してはくれなかった。
「俺がお前を嫌うわけがないだろう」
「な、なによ……? じゃあ、どうして避けるの。ほら、今も目が逸れてる……」
アルナの語尾がかすれた。
「……恥ずかしいからだ」
「なに?」
「恥ずかしいからだと言った!」
彼は額に落ちた前髪を、片手で後ろへ撫でつけた。
泣きそうだったアルナが、口を覆った。
「ぷっ。まさか、この前のあれで……?」
アルナはぱっと笑うと、彼の肩に手を置き、人差し指を伸ばした。彼が振り向いた途端、その頬に指がぷすりと刺さる。
「……何の真似だ、これは」
「いたずら。グリムナル族に教わったの」
そこへ、木々のあいだから一羽の小さな青い鳥が飛んできて、シグムンドの手をつつく。
「あっ、こら――」
『シグムンド、またアルナを泣かせたでしょ! 許さないんだから!』
彼は跳ね起き、鳥から逃げはじめる。
「いいぞ、クロノア! もっとつついてやれ」
「くっ、寄るな! アルナ、どうにかしろ!」
アルナは答える代わりに、腹を抱えて笑うばかりだった。
ひとしきり追い回したあと、息を切らしたクロノアがアルナの肩に止まった。シグムンドも鳥を警戒しながら、そろりそろりと戻ってきた。
アルナがクロノアの頬をそっと撫でながら言った。
「気が向いた。面白いもの、見せてあげる」
「面白いもの?」
彼女が傍らに置かれた杖を、夜空へ掲げた。
魔力増幅石に白い光が揺らめくと――小さな雪の結晶が一つ、夜空へ舞い上がる。
やがて、雪は夜空いっぱいに広がっていく。
果てもなく、空のすべてを抱き込む。無数の氷の結晶がきらめき、星々のあいだの空白を一つひとつ満たす。
星と氷のかけらが溶け合い、銀河の滝となって夜空を流れる。
クロノアがアルナの頭の上で、羽をばたつかせた。
『すごい、すごい! 母様がいっぱい!』
「そう? クロノアが教えてくれた星々を、描いてみたの。それらしいでしょ?」
『うん!』
アルナは空から視線を外し、隣のシグムンドを窺った。
彼は口を半ば開けたまま、頭上の光景に目を奪われている。
「どう?」
「ふむ……。くだらぬところに魔力を無駄遣いするな、アルナ」
「はぁ?」
「それに、夜空にこれほど多くの星は存在せん」
アルナは杖の先で彼の太ももを小突いた。
「分かってないなあ。星だって寿命が尽きれば死んで、また生まれ変わるんだから。今まであった星を全部数えたら、こうなるの」
「それをお前がどうして知っている」
「クロノアが教えてくれたもーん。ね?」
クロノアが声を張った。
『そうそう! 母様は消えてはまた生まれて、世界のすべてを覚えている存在なんだから。シグムンドはばか、あほ!』
「俺は星を信じない」
アルナは深いため息をついた。
「はあ。あんたがそんなだから、友だちの一人もいないのよ。あんたと口をきいてあげるのだって、私だからしてるんだから」
「……友など要らん」
「素直じゃないんだから」
アルナはクロノアを頭から手のひらへ移し、夜空を仰いだ。
星々はしばらくのあいだ、夜空で瞬き続けていた。




