40話「断罪」
「うう……頭が……」
ずきずきと痛む頭を押さえて身を起こすと、そこは、ねじれた時計が氾濫する空間だった。
「ここは、どこ……」
地を這って前へ進むと、泣き声が聞こえてくる。
翼の生えた、銀髪の少女。
息をひとつ整えて、彼女の背後へ近づいた。肩にそっと手を置いて、尋ねた。
「あの……大丈夫? 私たち、どこかで会ったこと、ない?」
少女の泣き声が、ぴたりと止み、後ろを振り返る。
顔は霧がかかって、形すら見分けられない。少女は口を閉じたまま、首だけをゆっくりと巡らせた。
慌てて、その肩を掴んだ。背の翼が、ぶるりと震える。
「私たち、会ったことあるよね……! ここはどこなの! どうして何も言わないの! ねえ……ねえってば!」
次の瞬間。
少女が、私の胸をとんと突く。すると胸から、黒い砂粒がこぼれ出す。
「え……?」
砂は絶え間なく流れ落ち、胸から、体じゅうが崩れていく。
「なに、これ……。 いや……いや……!」
視界が沈む寸前、少女が言った。
「ねえ……本当に、奪うつもりなの?」
そうして視界の端から乱れていき、私はすっかり崩れ落ちた。
***
顔に、鋭い針がちくちくと刺さるような痛みが走った。
手を上げて顔のほうへ持っていくと、ふかふかとした羽毛の感触。目を開けると、そこには、真っ白な何かがいる。
「うわっ!」
驚いて手を振り払うと、ぱたぱたと音を立てて、鳥が一羽舞い上がった。真っ白な羽根と、長い冠羽。
「ソリア……?」
顔をしかめながら、どうにか腰を起こした途端、天幕の外から誰かが入ってきた。
茶色の髪に、白い法衣。
「あら。ずっと中にいた真っ白な鳥が飛んでいったので来てみれば、お目覚めでしたか。アリア様」
「リーネ……司祭様……?」
リーネ司祭が、笑ってみせた。
「はい。つい先月お会いしたばかりのようですが、また、お会いしますね。王都のアストリッド司祭から、よくお話は伺っております。毎週欠かさず、教会にもいらしているとか」
「ああ……はい……」
「それより、ずいぶん驚かせてくださいますね。毎度、ひどいお怪我に高熱に……おまけに、行く先々で魔物騒ぎですもの」
それだけ言うと、彼女は私の前に膝をついて座り、私をじっと見つめた。
ぽかんと彼女の顔を見ていたが、やがて、ぱっと視線を自分の体へ移した。
二の腕まで、全身にぐるぐると巻かれた包帯。
毛布を引き上げて体を隠し、顔を伏せた。
「これは……」
「それでしたら、ご心配なく。犯人は特定されておりますので」
「……?」
司祭が、目を鋭く開いた。透きとおった青い瞳が、私を射抜いた。
彼女が何かを言いかけた瞬間、天幕の外から男の声が聞こえてきた。
「司祭様、準備が整いました」
彼女は天幕の外をちらりと見て、小さく微笑んで立ち上がった。
「お目覚めになったばかりでお辛いでしょうが、ご一緒に移動なさいますか?」
「はい……分かりました」
そうして彼女がどこからか持ってきた車椅子――あちこち欠けて古びた、グリムナル族が使っていたものに乗って、彼女について、どこかへ向かった。
彼女の横には、大柄な聖騎士が付き従っていた。胸元に星の紋様が刻まれた鎧、背には大剣。
道中にも、あちこちに馬車や天幕、そして鎧を着た人々――星の紋様がないところを見るに、傭兵たちがまばらに休息を取っている。
夏だというのに、さほど暑くはない。涼しい空気が服を突き抜けて入り込み、かえって肌が縮こまるほどだ。霊門山脈も、すぐ目の前に迫って見える。
司祭の横顔をちらりと見た。
「カシアン様は……ご無事なのでしょうか? グリムナル族の方々も、そうですが……」
「ええ。今はだいぶ回復されて、安静になさっています。グリムナル族も、安全に保護されました。それにしても、影鱗族がグリムナル族だったとは……驚いたのなんの」
「彼らは……これから、どうなるのですか?」
「さあ? それは教会に関わることではありませんので……それより、もうすぐ着きますよ。ここです」
彼女がそう言って、森のあいだを抜けると、小さな広場が現れる。
その真ん中に、膝をついている一人の老婆。顔には真っ白な仮面が、そして、痩せこけた尾。
傍らでは、ニアとノアが叫びながら老婆のほうへ行こうとしていたが、別の聖騎士たちに阻まれていた。
「放せ、この汚い地上人! おばあ様に何をする気だ!!」
「ノア、許さない! おばあ様、触るな!」
私はその光景を見て口を開いた。
「これは、いったい……」
けれど司祭は何も言わず、淡々と老婆の前へ歩いていく。
「エダ・ヴュルメル」
リーネ司祭の声が、広場にはっきりと響く。
「あなたを、黒魔術に手を染めた罪――星様よりお導きくださる神聖なる地にて、その御名を汚し、理を歪めた大逆罪人として。霜嶺王国・白峰教区の教主である私、リーネが、直々に処刑いたします」
処刑……?
その言葉を口の中で繰り返す間もなく、リーネ司祭は右手を宙へ広げた。すると横にいた聖騎士が、腰からやや長い中刀を抜いて、彼女の手の上へ載せた。鞘には、無数の金色の星が刻まれていた。
老婆は何も言わず、頭を垂れた。
司祭は剣を抜き、刃に目を落としながら言った。
「今もなお……真実を申し上げるおつもりは、ないのですね。これが最後です」
「ございません。すべて、儂がやったことでございます」
その答えを聞いた刹那、司祭の眉間が、ほんのわずかに動いた。
「最後に、言い残すことはございますか」
老婆はしばし間を置くと、私を一度、そして泣き叫ぶニアとノアを一度ちらりと見て、言った。
「亡骸は……仮面を外さぬまま、焼いてくださいな」
「……その程度でしたら。理由を伺っても、よろしいでしょうか」
「私どもは、物心つく歳になれば皆、仮面をつけます。顔を見てしまうと……誰かを失ったとき、耐えるのが辛くなりますのでね」
司祭は何も答えなかった。剣を振り上げる。
私は車椅子を押して前へ出て、叫んだ。
「ちょ……ちょっと待ってください!」
司祭は刀を振り上げたまま、私を見て微笑した。
「何でしょう、アリア様」
「あの……急に処刑だなんて、よく分からなくて。何か、誤解があるに違いありません」
司祭は刀を下ろして鞘に納めると、私のほうへ近づいてきた。私の前にしゃがみ込み、私を見上げた。
「あらら。ずいぶん戸惑わせてしまったようですね。ですが、お聞きになったとおりです。グリムナル族の長である彼女は黒魔術に手を染めた。ゆえに処刑の対象。証拠は、ご覧のとおり全身の異端の刻印。それで充分でしょう」
「いえ……そうではなくて……その方は黒魔術を使いましたが、誰かに害を与えたわけではありません。処刑にまでは及ばないのでは? 教会には、教化という手続きがあるはずです。ですから――」
言っている途中で、司祭が遮って割り込んだ。
「ん? ですが彼女は、アリア・オルネン、あなたに黒魔術を使いました。黒魔術で他人に危害を加えた場合は即決処刑の対象です」
私の手首に指を置いた。
「ここから」
腕を伝って、胸まで。
「ここまで。それで、よろしいですか? では私は、また仕事に戻らせていただきます」「え……?」
顔を上げて、老婆を見た。彼女は、ごく小さく首を振ってみせた。
司祭はすぐさま刀を抜く。
私はもう一度、彼女に近づいた。
「待ってください! それでも処刑だなんて、何か手違いがあります! もっと調べてからでも――きゃあっ!」
横の聖騎士が私の手首を掴み、体を押しとどめる。骨が折れそうな圧が、手首に食い込む。視界が白く滲み、目元に、ひとりでに水気がこみ上げた。
そのときだった。
「放せ」
森の一方から、冷たい声が落ちる。
そちらへ視線を向けると、カシアン様が立っている。地下で初めて見たときと同じ格好のまま、腰に剣を一本提げて。
彼が、私のほうへ近づいてくる。
「放せと言ったはずだ」
その言葉に、リーネ司祭が小さく頷くと、聖騎士は私の手首を放してくれた。
カシアン様はそのまま、司祭と老婆のあいだへ歩いていった。
私は涙ぐみながら彼を見つめ続けたが、彼は私に一度も目をくれない。
カシアン様が司祭の前に立つと、司祭のほうが先に切り出した。
「カシアン王子殿下……まだお体も本調子ではないでしょうに、どうしてこちらまで」
「グリムナル族は、俺とアリアを救うために豪雨の中、幾人かが崩れる土砂に埋もれて死にながらも、最後まで諦めなかった恩人だ。処刑は行き過ぎだと見る」
しばしの沈黙。リーネ司祭が静かに言い添えた。
「ですが、教会が管轄する地域にて教理に反することが起きた場合、我々教会が単独で権限を行使できることになっております」
「この者たちは王家の恩人だ。それでもなお、酌量の余地はないというのか」
「王子殿下……これは霜嶺王国のみならず、我ら聖座教会のあるいずれの国においても、当てはまることでございます」
するとカシアン様が、短く息をついた。いつもと変わらない無表情だ。それなのに、どうしてだろう。顎の線が一段と強張り、見ているだけで、うなじが冷たくなった。
彼は老婆へ目をやると、剣を抜き放った。
ただの一瞬、剣が閃き――老婆の両手が斬り落とされ、血が噴き上がる。
老婆は血の噴き出す腕だけを頭上へ掲げたまま倒れ込み、掠れた息だけを荒く吐く。
私はただ両手で口を覆って、その光景を見守るほかなかった。
続いてカシアン様は自分のベルトを外し、老婆の腕をきつく縛って止血した。
「すまない。すぐに治療をさせる。堪えてくれ」
そして立ち上がり、司祭を見た。
「聖座教会誘致条約、第七条三項。教会の教理と王国の法が衝突する場合、双方は合意線を探り、円満に解決する」
彼の声は、乾いていた。
「これ以上この者が黒魔術を使えないよう、両手を切り落とした。これで充分だろう」
リーネ司祭は目を細め、老婆へ視線を注いだ。続いて横目で私を見て、またカシアン様を見ると剣を納めて、聖騎士に渡した。
「はい、承知いたしました。妥当な処置ですね……我々も負傷者の治療はおおむね終わりましたので、このまま引き上げるといたしましょう」
聖騎士たちが道を空けると、ニアとノアが矢のように駆け出してきて、老婆に抱きついて泣いた。
「おばあ様、痛いのだめ……! 死んじゃだめ……!」
そうして司祭と聖騎士たちが引き上げようとしたとき、カシアン様がふたたび剣を抜き放つ。司祭の横の、大柄な聖騎士に向けて。
「まだ、片付いていない用がある」
聖騎士はそのまま立ち止まり、身じろぎもせず、カシアン様に背を向けていた。代わりにリーネ司祭が、ぎこちなく笑いながら、カシアン様を振り返った。
「カシアン王子殿下、これはいったい……」
「そいつは、俺の民に危害を加えた」
その言葉に、私は自分の手首を握ってみた。まだ、骨の芯まで熱く疼いていた。
「危害だなんて……あれは、単なる制止にすぎません。いくら王子殿下とはいえ、そのように出られては、大変困ります」
「制止だと? 彼女が痛みに涙を流し、手首を押さえていたのだ。それをどうして制止と言うのか」
短い静寂が続いた。
「……お謝りなさい、ガウェイン」
彼女の言葉に、聖騎士が振り返った。
二人のあいだの空気が、重くねじれる。翼の先を伝って重い波動が押し寄せ、背筋を押さえつける。息を吸おうとしても胸が締まって、まともに入ってこない。
やがて聖騎士が私を見た。小さく頭を下げて言った。
「失礼しました」
だが、カシアン様の剣は下りない。
「貴様のその手首も、貰い受けるとしよう」
すると司祭が、小さく声をあげた。
「王子殿下! ここまでになさいませ。私からも、代わってお詫び申し上げます」
私もカシアン様に近づきながら、口を開いた。
「カ、カシアン様! 私も、だいじょう……ひっく」
言葉が、まともに続かなかった。喉が詰まり、舌が固まった。
と、森の中から、セドリックが荒い息を立てて飛び出してくる。
皆の視線が、彼に向く。
「はあ……はあ……はっ……カ……はあ……」
たっぷり十数秒、息を整えてから、彼は声を絞り出した。リーネ司祭の横に立つと、ほとんど見分けもつかないほど似た茶色の髪が際立った。
「カシアン様……そこまでになさいましょう。我々も、教会の方々が来てくださって、最小限の被害で済んだのですから。それで、お互い相利ではありませんか……はは」
そこでようやく、カシアン様が初めて私を見た。また前を向くと、剣を鞘に納めた。
彼はそのまま背を向けて、私の横を通り過ぎ、戻りはじめた。少し足を止めて、ひと言だけ吐き捨てた。
「安静にしていろ」
そして、また歩いていった。
彼の背を見つめて、手を伸ばす。けれど手は宙を掴んで、胸元へと戻ってきた。
後ろでは、聖騎士たちが引き上げる鉄甲の足音、ニアとノアの泣き声、彼らに向けたセドリックの気遣わしげな声。
そのどれ一つも、まともな言葉にはならない。
私は深くうなだれて、手首の包帯の隙間からかすかにのぞく黒い線を、爪でぎゅっと押した。
「ごめんなさい……」




