38話「密室」
天井から、巨大な土塊の山が降り注いだ瞬間、目の前にカシアン様が現れた。
私を庇って背で立ちふさがり、その背に、地下坑の瓦礫がぶつかって鈍い音を立てる。彼の体はそのたびに大きく揺れたが、私の体にぶつかったり、表情が変わったりすることはない。
ひとしきり静まると、彼が私のうなじを軽く掴む。
「少し抱えるぞ、アリア」
もう片方の手で腰を抱え、正面から抱いたまま立ち上がった。体が青い光に包まれると、彼は中央坑の広場へ向かって駆けだした。
天井からは、また瓦礫がばらばらと崩れ落ちてくる。
走る速さに、髪があちこち絡まるほどなのに、不思議なほど揺れない。彼の両腕にしっかりと抱えられ、その体に、ぴたりと密着している。
片手に魔力石を、もう片方の手で彼の背を掴んだ。上着の上から、汗と血の入り混じった、粘りつく感触。彼の体じゅうも汗にまみれて、私の体にじっとりと貼りつく。
それでも私は、いっそう強く彼を掴み、頭を彼の胸に埋めた。彼の匂いが、いつになく濃く立ちのぼる。
いくらもしないうちに、振動が止んだ。
カシアン様は私を、床の片隅にそっと下ろした。
世界は、光ひとつない闇に戻っていた。
「ファイア」
彼が唱えると、小さな炎が手のひらの上で揺らめいた。灯りが闇を払うと、中央広場を中心に、地上へつながる通路が、どれも崩れて土で塞がっていた。
彼は懐から小さな通信石を取り出す。
「セドリック、聞こえるか? 聞こえるか?」
まもなく、
『カシアン様! すごい振動でしたけど、ご無事――』
セドリックの声の上に、フレイヤの声が通信石を突き破って伸びてきた。
『アリア! アリア!!』
カシアン様が眉をひそめて、通信石から顔をわずかに背けた。
また、セドリックの声が聞こえてきた。
『フレイヤ! ちょっと待って! それでカシアン様、今、状況はどうなっているんですか?』
「ああ。上がる道は、全部塞がったようだ。アリアは応急処置を施したから、ある程度は持ちこたえられるだろう」
彼が、私をちらりと見た。
「……それでも、近くの村の教会に連絡して、すぐ治療できるよう待機させておけ」
『分かりました。傭兵たちと、ひとまず救助に当たります。もう少し、持ちこたえてください!』
「助かる、セドリック。できれば、グリムナル族にも助けを求めるようにしろ」
しばしの沈黙。ややあって、セドリックの声が小さくなった。
『彼らを……信じるのですか……?』
「信じる信じないの話ではない。仮に歴史のとおりの野蛮族だとしても、我々の脅威にはなりえん。それに――この坑を掘ったのも、道を案内したのも彼らだ。緊急の折だ、得られる助けはすべて得ろ」
『……分かりました』
最後にかすかに聞こえる、フレイヤとニアが私の名を呼ぶ声を残して、通信石の光が薄れていく。
彼は通信石をしまうと、私の横へ来て、同じく壁に寄りかかって座った。
「魔力の消耗が激しい。火は消すぞ」
「はい……」
口が、ある程度動きだしていた。
火が消え、また闇が戻ってくる。
静寂の中、息づかいが二つだけ、空っぽの空間を満たしている。一つは荒く速く、一つは小さく、羽ばたきほどのやわらかさで。
私は先に口を開いた。
「私のせいで、また、こんなことに巻き込んでしまって……申し訳ございません、カシアン様。舞踏会も約束したのに、行けもせず……」
「君が何を謝る。生徒の安全管理、そして魔物の討伐。全部、俺の務めのうちだ。気にするな」
首をすくめて、魔力石をいじった。
「……ここは、どうやって知って、来てくださったんですか? セドリック様も、一緒に来られたんですか?」
「……」
彼は何も答えなかった。顔を横へ向けてみても、まだ目が闇に慣れず、顔の輪郭さえ掴めない。
やがて、彼が静かに言った。片手では、前髪を指先でいじっている。
「知りたいのか。どうやって知って来たのか」
「はい……」
「何を言っても、怒ったりは、しないんだな?」
「え……? 当然です。私が、どうしてカシアン様に怒ったりしますか……」
また、沈黙。彼がゆっくりと答えた。
「魔力石だ。前に渡した魔力石に、位置が分かる加工をしておいた」
「……?」
魔力石を受け取ってからの記憶が、頭の片隅をよぎる。車椅子には嵌めもせず、いつも鞄の中に入れて授業へ通い、寝る前には枕元に置いていた。
溶けていく体の中で、頬だけが、やけに熱く火照る。
カシアン様が姿勢を正すと、少し上ずった声で言葉を継いだ。
「もちろん……! 監視のためではないから、安心しろ。初めて触れた君を主人と認識して、それ以外の者が長く持ったときだけ発動する。値の張る品だし、君はいつもそそっかしいからな」
いつになく、早口。
彼を、じっと見つめた。闇に慣れた目が、少しずつその表情を拾っていく。
ふいに、忍び笑いが漏れた。
「ふっ……そこまで心配してくださって、ありがとうございます。でも、そそっかしいだなんて、私、そそっかしくないですけど?」
「いつも持ち物を取られたり、しているだろう」
「は? 取られたのが、どうしてそそっかしいんですか……」
思わず、声が裏返った。すぐに頭を下げて、小さく言った。
「ごめんなさい……」
「いや……訂正しよう。ただ、心配だっただけだ」
その言葉に、口の端が、ひとりでに上がった。
カシアン様が言葉を継いだ。
「それで、セドリックが雇った傭兵たちと一緒に、君とフレイヤを探しに来たのだ」
「……カシアン様がこんなに席を空けて、大丈夫なんですか? 学院でも王国でも、大騒ぎでしょうに……」
「問題ない。俺とセドリックが席を外したことも、君とフレイヤが消えたことも、ひとまず内密にするよう、学院長に言い含めてある」
私は片手で、地面の小さな石を拾った。目の前へ持ってきて、あちこちいじりながら口を開いた。
「それでも……一国の王子様が、王国軍でもなく、傭兵たちと、こんなところまで足を運ぶなんて……大ごとになりそうですけど」
「王国は仕事が遅い。今にも危ういかもしれんのに、動きの速い傭兵を雇うのは、当然だろう。それに、友を守るために自ら動くのが、爵位と、何の関わりがあるというのだ」
彼は、小さな石を一つつまむと、崩れて塞がった壁のほうへ投げた。石は壁に当たって落ち、何度か跳ねて止まった。
「まるで、俺が来ないことを望んでいたように言うのだな」
「いえ……そういうわけでは……」
彼はそのまま立ち上がり、外套を脱いで、シャツまで脱ぎはじめる。私はすぐに顔を反対へ向けて、目を覆った。
「きゅ……急に、何をなさるんですか……!」
言いながら、手の隙間から視線だけを前へ向ける。視界の隅に映るカシアン様の輪郭だけを必死に追っていたはずなのに、うっかり視線が横へ滑った。
その瞬間、下に黒い肌着を着たカシアン様が、シャツを手渡してきた。血に染まった外套と違い、シャツは真っ白だ。
彼のシャツが体に触れた途端、腰が跳ね、体が震える。
「ひっ!」
「何をそう驚く。この服でもかけていろ」
シャツを受け取って、そっと胸へ抱き寄せた。そこでようやく、あちこち裂けたスカートの隙間から、土で汚れた脚がのぞいていることに気づいた。
すぐに脚をすぼめて、シャツで隠した。
「ありがとうございます……」
「もう、少し休んでおけ。救助がいつ来るかも分からんし、まだ治療が終わったわけでもない。無駄な体力は使うな」
彼は淡々と言うと、また外套を羽織って、壁に寄りかかって座った。
ほどなく、また私を見た。
「ずっともぞもぞして、何をしているのだ」
彼は短く息をつくと、また外套を脱いで、くるくると丸めて、私の横へ置いた。
「俺は、ひと眠りする。何かあったら、呼べ」
「え……? これは、カシアン様が着る――」
言いかけて、彼が腕を組んで頭を垂れるのを見て、止めた。
規則正しい寝息が続いた。
彼の外套を枕にして、シャツを鼻の上まで引き上げ、体をくるんだ。体じゅうを覆えるほど、大きなシャツ。
胸の内で、小さく呼んだ。
「クロノア様……生きてますよね……?」
しばらくして。
『う……ん。疲れてるんだから、起こさないで……』
その言葉を最後に、私はしばらくじっと横たわって、カシアン様の横顔を眺めた。
全身の筋肉が引きつり、頭がずきずきする。それでも――彼を見つめる瞳だけは、いつまでも閉じられなかった。
ふいに、胸の奥が、じんと疼いてきた。彼といると、ときおり痛むあの場所。
胸を押さえると、じきに痛みが引き、瞼が重く落ちてくる。




