↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

35/79

35話「囮」

 フレイヤとともに慌てて外へ出ると、大勢のグリムナル族が、一方向を見つめて震えていた。泣きだす子らもいて、大人たちがそんな子らを抱き寄せて(なだ)めている。


 もう一度。


 ずうん――


 巨大な振動が、地下坑を包む。


 私は車椅子を押し、皆が見つめる方向へ向かった。先ほど老婆と行った、中央坑へつながる集落の外れの、あの壁のほうだ。


 幾人ものグリムナル族が、周りの土を掘っては、そちらを埋めている。けれど土は壁になりきらず、振動が響くたびに、ざあっと崩れ落ちる。その中には、ニアもいた。


「これは、いったい……」


 冷や汗を流してそちらを見ると、老婆が近づいてきた。


「あの化け物です。こうして……腹が減ると、私どものいるほうへ土を掘って越えてくるのです」


 その言葉に、野外授業の魔物が頭の中で閃いた。灰色の目、裂けた口、目の前まで迫ってきた牙。息が浅くなり、指先が冷たくなる。


『アリア、大丈夫……?』

「……いいえ、大丈夫じゃありません」


 適当に返事を濁した。


 老婆が、私とフレイヤを振り返る。


「さあ、早くお発ちを。ここも、長くは持ちません」

「でも、地上には獣が……」


 すると老婆が声を張り、ニアを呼んだ。


「ニア! 早く、救世主様とフレイヤ様を地上へご案内おし。森を抜けるまで、しっかりお守りするんだよ!」


 ニアが涙ぐんで、首を振った。


「いや! ノアを置いていけっていうの!?」


 また手で土壁を押さえた。松明の光にのぞいた彼女の爪が剝がれ、血がうっすらと滲み出ていた。






 今度はフレイヤが、ニアの横へ寄って、同じく手で壁を押さえ始めた。ニアはそんな彼女をじっと見つめ、また壁を押さえた。


「フレイヤ、何やってるの……早く逃げないと……」

「私にも、よく分かんない」


 フレイヤが壁に手を当てたまま言った。


「でも、アリアがそんなに震えてるってことは、前に言ってた野外授業のときの魔物ってやつと、似たようなやつなんでしょ?」


 私はいつの間にか、がくがくと震える手を、もう片方の手できつく握りしめた。そして答えた。


「うん、そう。魔物……だから、早く逃げないと――」

「アリア。あたしは行けない」


 フレイヤは一拍おいて、言葉を継いだ。


「結局、この人たちがこうして隠れて暮らしてるのも、全部人間のせいじゃん。 まあ……私たちを攫ってきたのは、確かだけど」


 彼女の手首を掴んだ。思わず、手に力がこもる。


「それで何、残って手伝うつもり? 魔物を見たこともあるの? どんなやつか、知りもしないくせに!」


 フレイヤは腕を振り払い、また壁に手を当てた。背を向けているので、表情は見えなかった。


「ごめん。アリアは逃げて。ソルベルグ家の長男だったら、危ない目に遭ってる人を置いて、逃げたりはしなかったと思うから」

「長男って、いったい何をバカげた――」


 言いかけて、口をつぐんだ。私はそんな彼女の背を、しばらく黙って見つめた。何か返す言葉が喉元まで込み上げたが、そのどれも、口の外へは出てこなかった。


 結局、私は一人で車椅子を回し、その場を離れた。


「救世主様……! お一人で行かれては、(あやう)のうございます!」


 老婆が後ろから呼んだ。それに続いて、ニアの声が聞こえてきた。


「……がっかり」


 それでも、車椅子を回す私の手は、止まらなかった。




 戻る(みち)すがら、クロノアが話しかけてきた。


『大丈夫? 一人で行けそう……?』

「はい、平気です。私一人でも、鳥になれば、どうにか逃げられますから」


 道すがらも、振動は絶え間なく響いた。


 集落の裏手、私が最初に入ってきた通路のほうへ向かっていた私は、ふと足を止めた。


 魔力石のほのかな光に、壁の様子が目に入った。


 初めて来たときは、視界が狭くて見えなかったもの。土壁のあちこちに、子どもが描いたらしい、たどたどしい落書きがあった。


 ぐにゃぐにゃの棒人間が数人と、その手をつないだ、もっと小さな棒人間たち。頭の上には大きく描いた、丸い何か――もしかしたら、一度も見たことのない、太陽だった。


 その落書きを眺めてから、手の中の魔力石へ目を落とした。その青い光の上に、私の顔が映る。


 じきにその顔が歪んで、私に向かって囁いた。


 ――ねえ、次は誰を殺すの……?


 首を振りながら、ぎゅっと目を閉じた。すると今度は、別の声が聞こえてきた。


 ――君の価値を、他人の言葉で決めるな。


 冷たい声。それなのに、その響きを耳にしただけで、喉の奥が締めつけられる。


 閉じた目を開けた。


 魔力石を握る手に、力がこもった。私は長く息を吐いて「はあ……まじで最悪」と小さくつぶやくと、車輪を反対側へ回した。


 来た道を、壁のほうへ。




 壁のほうへ戻ると、相変わらず皆が壁を押さえていた。だが壁には、いつの間にかあちこちに亀裂(きれつ)が走っている。


 私はすぐに、老婆を呼び止めた。


「おばあ様、ここに地図みたいなもの、ありますか?」

「救世主様、どうしてここへ……」


 車椅子の車輪を、とんとんと何度か叩いて答えた。


「おっしゃったとおり、私一人で行ったところで、この体じゃ、いくらも持ちません。それより、早く地図と、紙とペンもあれば、お願いします」


 私の言葉に、老婆は小さく頷き、横のグリムナル族を振り返った。彼がすぐにどこかへ駆けていき、古い鉛筆一本と紙を数枚、手に持って戻ってきた。


 車椅子から這い降り、地面に紙を広げた。片方に地図、片方に白紙。


 白紙に、文字を書き連ねる。


 ――家一軒ほどの大きさ、黒。魔物の見込み高い。

 ――隠身が効かない。魔力を頼りに捕捉している様子。

 ――蜘蛛の形……何の蜘蛛?


 そこまで書いて、老婆を見上げた。


「あの化け物について、もっと詳しく教えていただけますか?」


 続けて、私の知る蜘蛛の名を、いくつか書き出す。


 ――この近辺の生息種:雪脚蜘蛛(シラハギ)岩洞蜘蛛(グロートベルク)……。


 前で、老婆が口を開いた。


「あれは……脚が八本に、目はどれも白く濁っておりました。前が見えぬようでいて、こちらを正確に狙ってくるのです。それに、体に傷をつけても、たちまち塞がってしまいます……」


 私のペンが止まった。


「胴はどうでしたか。脚に比べて」

「胴……ですか。そういえば、脚は短く太いのに、胴だけがやけに膨らんでおりました。動きは鈍うございましたよ。ただ、一度飛びかかるときばかりは、瞬く間でしたが」


 その言葉に、私はいま書き出した候補の上へ、一つずつ線を引いた。


 短く太い脚。膨らんだ胴。普段は鈍く、一瞬だけ速い……。


 頭の中で情報を組み替えながら、クロノアを呼んだ。


「クロノア様。この前のあの魔物……位相が絡まって、位相喰いの影響だろうって、おっしゃってましたよね」

『う……ん? そうだっけ……? うん、そうだった気もする』

「ああもう、ひと月前のことも覚えていなくて、どうするんですか!」


 頭の中で短く叫ぶと、そのまま紙の下へ、王国地図を素早くスケッチしていった。数日前、カシアン様の部屋で見た地図を思い浮かべ、線の一本一本をたどり直す。


 霊門山脈(れいもんさんみゃく)の上へ引かれた黒い線。位相喰いの、影響線。


 山脈の向こう側を、ペンでとんとんと突いていって――やがて手を止め、一つの単語を素早く書きつけた。


 牢月蜘蛛(ローゲツメア)


 霊門山脈の万年雪の稜線(りょうせん)、標高の高い地帯にだけ棲む蜘蛛。極寒(ごっかん)に合わせて膨らんだ巨大な体と、熱を惜しむ鈍い動き。


 その下へ、かつて生物の試験に備えて覚えた知識を、頭の奥から引っぱり出しながら、弱点を書き連ねていった。


 ――冷気に特化した体。熱に弱い。火・油。

 ――胴の外殻(がいかく)は硬いが、脚の継ぎ目は(もろ)い。


 ペン先が紙を掻く音だけが、振動の合間を埋めていた。


 横の地下坑の地図を、目で素早く追いながら言った。


「おばあ様、集落……いえ、家にある武器と刃物みたいなのと、通信石もあれば全部集めてください! 油も!」


 その言葉に、壁を押さえていた者たちの視線が、いっせいに私へ突き刺さる。老婆が頷くと、何人かが立ち上がり、慌ただしく動き始めた。


 ニアはその様子を見ながら、なおも壁を押さえたまま叫んだ。


「いきなり何やってるの! 壁、押さえなきゃでしょ!」


 横でフレイヤが、壁を押さえるのを手伝いながら、少し得意げな声で返した。


「大丈夫。アリアは賢いから、きっと理由があるんだよ」


 私はそのやりとりを片耳で聞き流しながら、地図のあちこちに、線を引いていった。



***



 武器はお粗末だった。どれもこれも古びて、刃の鈍ったものばかり。そして、今にも壊れそうな、色褪せた通信石が二つ。


 私は皆の前に地図を広げた。その上に、石を三つ置く。いちばん大きな石は中央坑に、小さな石二つは、今いるこちら側に。


「これが、あの化け物―― ひとまず、蜘蛛と呼ぶことにします 」


 大きな石を指した。続けて、小さな石を一つ、とんと突く。


「そして、これが私です。蜘蛛は目が見えない。代わりに、魔力で獲物を探します。だから私は地上へ登って、別の地下坑の入り口から回り込んで、中央坑へ行きます」


 小さな石を、地図の上の迂回路(うかいろ)に沿って、中央坑の脇の行き止まりの坑まで押した。それから魔力石を持ち上げてみせる。


「そして、この行き止まりに、魔力石を置くんです」


 すると一人が尋ねた。


「魔力石にも、魔力があるでしょう。それなら、そちらも狙われるのでは?」


 手の中の魔力石に目を落とした。淡い青の光が揺れる。


「これは魔導車椅子(エーテル・シェーズ)、魔力で動く自動車椅子用に作られたものなので。特定の状況でなければ、魔力が漏れ出ないよう加工してあります。ただ持っているだけなら、たぶん……狙われません」


 語尾が、かすかに濁った。口の中が、からからに乾いていく。


「アリア、大丈夫なの? 大事なものなんでしょ……」


 フレイヤが私を見た。私はその視線を避け、どうにか頷いた。


「平気……」


 別のグリムナル族が尋ねた。


「そのあとは、どうするんですか……?」


 私は床の小さな刃物を拾い上げた。


「行き止まりに着いたら、この魔力石の封印を解きます。ルーン文字なら得意なので、任せてください。封印を剝がせば、凝縮(ぎょうしゅく)された魔力が噴き出す。そうすれば蜘蛛は、そちらへ向かう……はずです」


 それから手を動かし、地図の上の、行き止まりの坑の入り口を指した。


「蜘蛛が坑に入ったら、その前で、私が油を撒いて火をつけます。これで死んでくれれば最高。でも――」


 最後に残った小さな石をつまみ、行き止まりのすぐ上の、別の地下坑へ移した。


「万一、生きていたときに備えて、この近くの地下坑の上に戦闘組を待機させておきます。通信石の合図でいっせいに飛び込んで、火で弱ったやつの脚を集中攻撃。体が肥大(ひだい)している分、脚が脆いので」


 そこまで言った。皆が静かに、私だけを見つめていた。


 私がきょろきょろすると、老婆が口を開いた。


「……この作戦は、なりません」

「では、何かほかの手立(てだ)てでも、あるのですか」

「この作戦では……救世主様お一人で、囮を置いて、油を撒いて、火までつけねばならないではありませんか。足も不自由でいらっしゃるのに。あまりに危のうございます」


 その言葉に、口を閉じた。


 ふと、ニアが口を開いた。


「あたしも一緒に行く」


 老婆が彼女を振り返った。


「ニア。分かっているだろう。どれだけ隠身をしても、あやつには捕まるのだと。いても、足手まといになるだけだよ」

外套(マント)


 ニアが短く言った。


「お母さんの外套(マント)を使う。あれなら、魔力の色まで隠せるから……たぶん、捕まらない」


 老婆の声が、こわばった。


「ニア、それはならん。父さんとも、約束したじゃないか!」

「救世主様がこんなに頑張ってるのに、あたしたちは何もしないっていうの……? そんなの、できないよ! それに、外套を使えるのはあたしとノアだけ。だから、あたしがやるしかないの」


 ニアが、老婆をじっと見上げた。


 仮面が、その表情を覆い隠している。それでもその瞳だけは、いつもより一段と、固く光っているように思えた。


 老婆は、何も言えなかった。


 もう一度、壁がどんと鳴る。天井から、土がばらばらと落ちてくる。


 沈黙を破ったのは、フレイヤだった。彼女がニアの肩に手を置いて、にっと笑った。


「戦闘組は、私に任せて! もし何かあったら、すぐ助けに行くから」


 それでようやく、ニアも、私も、思わずぷっと噴き出してしまった。


 と、壁際にいたグリムナル族の一人が、震える声で言った。


「でも……この方法で、本当にうまくいくんでしょうか……? もし、しくじったら……」


 すると、すかさずフレイヤが胸を張って答えた。


「どうせ、ほかに手なんてないでしょ。それに、私はアリアを信じてる! 学校でも、いっつも満点ばっかり取ってるんだから!」


 彼女の軽やかな声が、翼の先を重く押さえつけてくる。私は短く深呼吸をして、声を出した。


「……じゃあ、さっそく始めましょう」


 私は車輪に手を置いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。