33話「対価」
目の前では、ニアとノアが、仮面の下から手で肉を掴み、がつがつと食べていた。
指をぎゅっと握りしめる。皿を静かに下ろして、口を開いた。
「あの……一緒に捕まえてきた地上人って、どんな人……?」
「ん? ああ――金髪の女の子だよ!」
ニアは肉を口に含んだまま答えると、すぐさまノアの肉を一切れかすめ取って食べた。
「ニア! ずるい! それ、おれのだ!」
「ノア、罰だよ。ノアのせいで、地上人を一人、間違えて捕まえたんじゃない。あれを背負ってくるの、どんなに大変だったかわかる?」
「ニア、違う。命令、金髪……金髪って、言った」
「ノア、もう、ばか。金髪じゃなくて銀髪だって、あたし言ったでしょ」
言い合う二人を見ながら、声を張った。
「それで、金髪で……? ほかには……?」
今度はノアが私を見た。
「地上人、力が強い。乱暴。おれを殴った。顔に、傷、ある」
そこまで聞いた途端、耳の奥でぐわん、と音が広がる。ニアとノアの声が、水の中へ薄れていく。
指先から力が抜け、皿を支えた腕がずるりと滑る。座っていた体が、横へ傾いていく。
消えていく意識の向こうで、ニアが私を抱きとめて叫ぶ声が、遠く聞こえた。
「救世主……! 救世主様!」
***
「……アリ」
もう一度。
「アリア! アリア、しっかりして!」
切羽詰まった声に、目を開けた。ぼやけた視界の中へ、顔がひとつ入ってくる。土で汚れたフレイヤが、こちらを覗き込んでいた。
「……フレイヤ?」
答えると、彼女は大きく息をつき、肩を落とした。
だが、それも束の間。彼女はまた、勢いよく立ち上がった。片手にはどこで手に入れたのか松明が握られ、それを前へ突きつけて、周りを取り囲むグリムナル族を威嚇していた。
「近寄らないで! 私たちを食べる気でしょ!」
グリムナル族たちが、じりじりと後ずさる。誰も、そう易々とは近づけなかった。
不意に、フレイヤの腕が、いきなり前へぐいと引かれる。
彼女が間髪入れずそちらへ足を蹴り出すと、何かがどさっと吹き飛んだ。するりと隠身が解けて現れたのは――ノアだった。
「ノア! ノア!」
ニアが悲鳴をあげて駆け寄った。フレイヤを睨みつけると、腰から短剣を抜き放つ。尾は下へ垂れ、その先だけが小刻みに震えている。
「よくもノアを……このクズの人間め!」
フレイヤもすぐに松明を両手で構え、身をかまえた。
「はっ! クズはあんたたちでしょ、野蛮族が!」
私はずきずきと痛む頭を押さえ、上体を起こした。
「みんな、ちょっと落ち着いて……喧嘩しないで……」
けれど二人は、そのまま互いへ飛びかかろうとした。
私は叫んだ。
「もう! じっとしてってば!」
その声が落ちた瞬間、全員がその場で止まり、私を見る。ニアの短剣の切っ先と、フレイヤの松明が、宙で中途半端に固まる。
***
騒ぎが収まり、私たちは集落の小さな広場の真ん中で、焚き火を囲んで座った。老婆とニア、私、そしてフレイヤ。
火の粉がときおり立ちのぼっては、闇の中へ音もなく消えていく。
老婆はフレイヤと私を交互に見ながら、何度も頭を下げた。
「私どもが、とんだご迷惑をおかけいたしました……」
私がフレイヤの肩にそっと手を置くと、彼女は斜にかまえたまま、ぺこりと頭を下げてみせた。
「いえ、その……」
彼女は私をちらりと見て、ぶつぶつこぼした。
「……私はただ、こいつらがアリアを車椅子ごと連れていくから。隙を見て、さっと奪い返して逃げただけなのに……」
横からニアが、体を半分もたげて声をあげた。
「はっ! それのどこが逃げたのよ! しかも、あんたに食べさせる飯を運んでたうちの家族を、ぼこぼこにしといて! この力だけのもぐら女! ほんとに人肉にしてやろうか!」
フレイヤもかっとなって身を乗り出し、口を開こうとしたとたんに、老婆がニアを睨んだ。
「攫う相手を間違えてきたうえに……人肉? ニア、それが口にすることかい」
ニアは、ぶうぶうと口を尖らせた。
「でも……」
「ニア」
老婆が声を低く押さえた。すると、ニアが勢いよく立ち上がり、涙ぐんだ。
「おばあ様なんて嫌い! あの人間のせいで、ノアが痛い思いしてるのに!」
彼女はそのまま闇の中へ飛び出していった。小さな足音が路地のあいだを遠ざかり、やがて土の壁に呑まれた。
その様子に、フレイヤがばつが悪そうに尋ねた。
「その、ノアって子……ひどく怪我してるんですか?」
「いいえ。ただ、あばら骨が数本折れただけです」
「え!? それ、大ごとじゃないですか!」
フレイヤが声を高くすると、老婆はただ淡く笑ってみせた。
「ここでは、よくあることです。ご心配なく。それより、お二人は私どもの種族について、どのようにご存じで」
フレイヤが少し声を落とした。
「それは……人を食べて、人間の土地を奪った野蛮な――」
私は、彼女が言い終える前に、その手の上へ手を重ねた。フレイヤが私を見て、私は小さく首を振った。
老婆は目を伏せ、焚き火を見つめて言い足した。
「やはり……そのように伝わっているのですね」
低い声には、恨みも怒りもなかった。とうの昔から知っていたことを、ただ口にしているだけの声だった。
それから老婆は、私が本で読んだグリムナル族の歴史を語り始めた。
奪われた土地、地の底へ追われた者たち、そしてその味方になってくれたたった一人――アルナの話を。
いくらも経たないうちに。
「うっ……ひっく……人間なんて……最低だよ……」
横でフレイヤが、涙も鼻水も流しながら、しゃくり上げていた。
私はそんな彼女を見て、ぎこちなく笑うと、また老婆に向き直って尋ねた。
「それで……おばあ様が私をここへ連れてきたのは、結局……グランデルの依頼、ということですか」
「おばあ様だなんて、ふふ。ただ気軽に、おばあさんとお呼びください」
そして、何もない地下坑の天井の土壁を見上げて、語り出した。
「私どもは、めったに地上へは出ません。幾度も地上を目指した歴史はございます。ですが、姿かたちが違うというだけで、追われ、殺されるばかりでしたから」
唇を軽く噛んで、彼女を見た。老婆の目が、黄金色に光り始めた。
「地下も、そう悪いものではありません。グリムナル族は、この目で万物の色を見ることができますから。暗い地下暮らしにも、耐えられる。ただ……問題は」
そこまで言って、彼女は視線を巡らせ、周りを見回した。ぽつぽつと通り過ぎる、骨の浮いたグリムナル族たち。
言葉を継いだ。
「食べるものがないのです。土を這う、目もなく白くふやけた虫が数種ばかり。陽も差さず、皆が病んでいく。幾人かが影鱗族として地上で傭兵を務め、物資を運びますが……焼け石に水です」
「でも……隠身が、できるのではないですか?」
老婆は首を横に振った。そして、その体が爪先から透きとおっていく。
しかし、薄い膜を一枚隔てたかのようにその周りだけ、空間がはっきりと歪んで見えた。
細い肩が、上下に揺れていた。息が上がっている。
「グリムナル族といっても、皆が皆、隠身を完璧に、長く続けられるわけではないのです。ニアとノア……あの二人は、飛び抜けた子らでしてね」
「そうですか……」
それから老婆は、懐から小さな葉書を一枚取り出した。
「これは数週間前……グランデル家で働く、私どもの間者が持ち帰ったものです」
私はそれを開いた。
『首都・霜灯都 王立魔導学院基礎部、アリア・オルネン。女子寮四〇五号。銀髪、背丈は百五十半ばの少女』
その下に続く文面で、紙を握る指先に力がこもった。
攫うこと。そして、目をひとつ抉り出して送ること。残りは始末すること。対価として、一年ぶんに近い食糧と、中央坑の復旧支援。
息をひとつ整え、紙から目を離して尋ねた。
「……それで結局、私を殺すおつもりですか」
「まさか」
老婆が薄く笑った。
「あなたのそのお姿は、私どもの言い伝えに残る救世主にして英雄、アルナそのものなのですから。一度受けた恩を、忘れる私どもではありません」
「でも、食糧が要るのでは……」
老婆はしばし黙った。焚き火が、ぱち、と爆ぜる。そして、静かに切り出した。
「そのとおりです。この地下坑――家と家族を守るには、結局は要るもの。ですが……あの人間たちを、さほど信用してはおりません。依頼はきつくなる一方で、報酬は減るばかり」
老婆は炎に、乾いた小枝を一本くべた。炎がひととき大きく立ち、じきに鎮まった。
「その一握りの温もりに馴染めば……私どもは、二度と自分の足で冬を越す術を失ってしまう」
私をじっと見つめると、そっと腰を上げた。
「少し……私と歩いていただけますか」
「え……? はい……」
つられて車椅子の車輪を押した。
フレイヤが、まだ鼻をすすりながら私を見た。
「アリア……どこ行くの……?」
老婆が代わりに答えた。
「じきに戻ります。むさ苦しいところですが……フレイヤ様は、しばしお休みを」
そうして私は彼女に従い、地下坑の一方へ進んでいった。




