28話「贈り物」
長光月二日、午後も遅い時刻。授業の終わった、がらんとした大講堂。
窓の向こうからは、相変わらず強い陽射しと草むらの虫の声が流れ込んでくる。私は黒板だけを見つめたまま、じっと座っていた。
「ねえ、フレイヤ……あとどれくらい待てばいいの?」
「もうちょっと……ほとんどできてるから」
後ろでフレイヤが、私の髪を整えながら答えた。誕生日パーティーなんだから可愛くしていかなきゃ、と髪をいじり始めて、もう二十分が過ぎようとしていた。
小さく溜め息をついて声をかけようとしたとき、フレイヤが声を高くする。
「できた! 見て見て!」
彼女は鞄から小さな手鏡を取り出し、私に差し出した。
「ほんと……変わるって言ったって、どれだけ……」
気のない返事をしながら鏡に横の髪を映した瞬間、わずかに息が止まる。
横の髪が細く分かれ、互いに交差して編まれ、頭の片側に沿って真っ白な月桂冠のように巡っていた。
私はその結び目に、そっと手を添えた。
「へえ……フレイヤって、こんなこともできたんだ」
「もちろん! 小さいころ、お母様が教えてくれたんだから」
フレイヤがにっこり笑って私を見た。
「でも、今はどうしてそんなに髪が短いの?」
「ん……べつに。夏は暑いし、運動して洗ったら、乾かすのも面倒でしょ」
それ以上問い返さず、ただ彼女の横顔を見た。フレイヤの口角が、わずかに下がっていた。
口を開こうとすると、フレイヤはすぐに私の車椅子を掴んで押し、外へ出ていく。
「さあさあ、もうすぐ約束の時間だから、早く行こう」
「う……うん」
そうして私たちは、私の誕生日パーティーを約束した、学院の中央庭園へ向かった。
***
庭園は、すっかり飾り立てられていた。
花壇のあいだの小さなテーブルに白い布が掛けられ、その上を色とりどりの夏の花が囲んでいる。
真ん中には、生クリームの上に青いベリーと砂糖菓子の花をのせた、見るからに美しいケーキがひとつ。
そしてその周りにカシアン様、セドリック、フレイヤ、そしてアストリッド司祭がいた。
私は司祭に気づいて頭を下げ、隣のフレイヤに小さく囁く。
「司祭様は、どうして……?」
「私が呼んだの、ふふ。ケーキも、司祭様が全部用意してくださったんだよ」
フレイヤが誇らしげに胸を張った。
そのとき、カシアン様と目が合う。彼はしばらく私を――正確には髪に巡らせた白い結び目を見つめ、口を開きかけて、また閉じた。
私はとっさに顔を背けた。編み込んだ横の髪へ手が伸びかけて――そこにはもう、いじる髪もないことに気づき、手をまた握り直して膝の上へ下ろした。
それから、テーブルを囲むベンチに集まって座り、ささやかな誕生日パーティーが始まった。
まずアストリッド司祭が両手を合わせ、星様への祈りを捧げた。
「星様よ、今日ひとつ歳を重ねたこの子の道に、どうか、おぼろげにでも光が届きますように」
祈りが終わると、フレイヤがぎゅっと私を抱きしめた。
「十六歳おめでとう、アリア!」
続いてカシアン様も、セドリックも、順に祝いの言葉をかけてくれた。
私は膝の上で揃えた手を意味もなく開いたり握ったりしながら、視線をどこに置けばいいのか分からず、ケーキの縁ばかりをさまよわせた。それでも口角は、しきりに上へ持ち上がろうとする。
「ありがとうございます……みんな」
ところが、フレイヤが急に鼻をすすり始めた。
「でも、冠翼族って長くても四十歳くらいなんだよね……? うう、どうしよう、アリアが一日一日、私より先に老いていくなんて……」
「くだらない心配しないの」
笑いながら、彼女の額を指先で押しのけた。
するとフレイヤは鼻を大きくひとつすすり上げ、また満面の笑みで言った。
「さ、それじゃあ次はプレゼントの番!」
フレイヤがまず差し出したのは、手首にかける小さなブレスレットだった。銀色の、頑丈そうな紐で編まれたものだ。
「これ見て、ここのバックルを――」
彼女がブレスレットの金属のバックルを捻ると、中から指二節ほどの小さな刃が、すっと抜け出てきた。普段は紐の中にすっかり隠れて見えない、小さな短剣。
「きゃっ、危ない! なんでこんなものを……」
私が顔をしかめて言うと、彼女は刃をまた収めながら口を尖らせた。
「前にアリア、大怪我して帰ってきたじゃない。アリアは弱いんだから、これくらい持ってなきゃ」
その言葉に、カシアン様も横で小さく頷いた。
アストリッド司祭が、眉を下げて尋ねた。
「……これは、学院に持ち込める品なのですか?」
「もちろんです! 刃が三センチ未満なら、持ち込み可なんですよ」
フレイヤが胸を張った。そして、もうひとつ小さな銀の指輪を差し出した。陽の光をやわらかく弾き、指輪の内側には小さな文字が刻まれていたが、よくは見えなかった。
「それで、これはアリアのお姉さんが、代わりに渡してって」
「イリアお姉様が?」
それを右手の人差し指に嵌めようとして、入らず、小指に嵌めた。
「あとでお姉様に、お礼を言いに行かなきゃね」
小さく笑ってみせた。
次にセドリックが差し出したのは、輸入物の色鉛筆のセット。それを見て、目が輝いた。
いつも使っている色鉛筆より、ずっと色が濃く、それに革張りの色鉛筆ケース。東の海の向こうにある霧嵐公国から取り寄せた色鉛筆だ。
「セドリック様、これ……本当に、いただいてもいいんですか?」
「はい、アリアが喜びそうだと思って……」
セドリックは頬をかきながら小さく笑った。
その隣に座った司祭が、私を見て、軽く目を伏せながら言った。
「私は、ケーキしか用意できなくて……ごめんなさい」
「いいえ。祈ってくださっただけで、ありがたいです」
そして最後に、カシアン様が小さな箱を差し出した。
昨日、鳥の姿で近づこうとして、彼の手に阻まれた、まさにあの箱だった。花の絵が描かれた、小さな木の箱。
彼は片目をわずかに逸らし、耳の付け根を人差し指で二度ほど掻きながら、それを手渡した。
私はそっと蓋を開ける。その中には、ほのかに青みを帯びた魔力石が入っていた。
それを見つめながら口を開いた。
「これは……」
「魔力石だ。君の車椅子に合わせて加工してある。問題なく使えるはずだ」
「ありがとうございます……本当に……」
語尾が、かすれて消えた。目頭が熱くなった。
――五歳。誕生日を迎えた私に、父が自ら選んだ魔導車椅子を贈ってくれた日があった。初めて見る魔力石が青く光ると、幼い私は目を丸くして、小さな手でその光に何度も触れようとしたものだった。
今、魔力石の中で、あのときと同じ煌めく瞳が、私を見返していた。
「さあさあ、プレゼント配り終わったならケーキ食べよう! お腹空いて死にそう!」
フレイヤが急かすと、私も笑って目元を拭った。
「うん……食べなきゃね」
魔力石を箱の中へ大事に戻し、私たちはケーキを切り分けて食べ始めた。
フォークの先が、やわらかく滑り込んでいく。口に入れると、冷たい生クリームがとろりと溶け落ち、そのあいだから、甘酸っぱいベリーの果汁がぷつりと弾けた。
「本当に美味しいです。司祭様、これを本当にご自分で……?」
私の言葉に、アストリッド司祭は淡く微笑み、隣でフレイヤはもう二切れ目を口に詰め込んでいた。
その姿に皆が一斉に笑い、ケーキが減っていくあいだ、話は自然と続いていった。
フレイヤが皆を連れて去っていき、陽が少しずつ傾いていく時刻。庭園には、カシアン様と私の二人だけが、しばらく残っていた。
「カシアン様、本当に申し訳ないです。魔力石、きっと高価なものでしょうに……私、何もお返しできていなくて」
「いや。色鉛筆に、ハンカチに、絵まで貰ったじゃないか」
「私のなんて、たいした値打ちもないですし……」
するとカシアン様は、ただ空をゆっくりと昇っていく月を見上げて言った。
「言っただろう。俺にとって価値のあるものは、俺が決めるのだと」
私は答えず、静かに俯いた。
ふと、昨日、手紙を読みながら眉間を押さえて思い悩んでいた、彼の顔が浮かんだ。
私はひと呼吸おいて顔を上げた。
「カシアン様は……最近、悩みごととか、ないんですか」
「悩み?」
「はい。今でこそ同じ学生ですけど、その前に一国の王子様でもあるわけですし。政治、とか……」
彼はしばらく黙ってから、短く答えた。
「ない、そんなものは」
「……そうですか」
それ以上は問えないまま、彼の見上げる月へと視線だけを移した。私と彼との距離が、あの月までのように遠く感じられた。
やがてカシアン様が、席から立ち上がった。
「もう陽が沈みきるな。そろそろ戻るとしよう」
その言葉を最後に、私たちは寮へ向かった。




