15話「共犯」
裏庭は、茶会場の喧騒から遠く離れていた。
低い石塀には蔦が絡み、古木の影の下には、人の足がほとんど踏み入らない細い小道が続いている。風に運ばれた音楽が、時折かすかに聞こえてくるだけだった。
キリアン叔父様は裏庭の片隅にある古びた噴水の前に立っており、車椅子の音を聞くと、こちらを振り返った。
オルネン家に数人しかいない成人男性。銀色の髪にはところどころ灰色が混じり、片方の目には細い鎖のついた片眼鏡をかけている。
叔父様は小さな目を細く閉じ、微笑んだ。
「アリア。こんなところまで、どうしたんだい? 茶会に飽きてしまったのかな」
彼の前で車椅子を止めた。指先がまた震え始めたため、左手で右手を強く押さえてから口を開く。
「叔父様に、お尋ねしたいことがあります」
「私に? 何でも聞いてごらん」
彼は笑みを浮かべたまま、腰を屈めた。
手のひらが、じわじわと湿っていく。
「……叔父様は、私をグランデル公爵家へ売り渡すおつもりですか?」
言葉を放った途端、周囲の音がすべて噴水の水音へ吸い込まれる。
叔父様の笑みは消えなかったが、瞼だけがほんの少し下がった。
「何を言っているのか、分からないな」
「花嵐月……」
彼の顔を見据え、一語ずつ続けた。
「傷のない状態の鍵。準備中のスクロール。そして、茶会が終わったあとにエルヴァン様と会う約束。使われていたのは王都内でしか通じない近距離用の通信魔力石で、相手は家の内情を知る男性でした」
一度息を吸い、最後の言葉を口にした。
「今、王都にいるオルネン家の男性は、茶会に出席した叔父様お一人だけです」
風が通り抜け、生け垣の葉を揺らした。
叔父様はしばらく何も言わず、かすかに首を傾げた。
「これは困ったな」
その瞬間、目元から温度が消える。
「エルヴァン様は、見た目ほど隙のない方ではなかったらしい」
つい先ほどまで私に語りかけていた優しげな声は、どこにも残っていなかった。
「それはさておき、お前は何を望んでいるんだ?」
叔父様は腰を伸ばし、私を見下ろした。
「お前も、オルネン家を嫌っているんだろう? 唯一お前を気にかけているイリアには、王家の暗黙の庇護がある。迂闊に手を出すこともできない」
その視線が一度、車椅子の下へ落ちた。
「希望のない人生なら、大きな目的のために捧げられるのも、悪くはないと思ったんだが」
肘掛けをつかむ指が白くなり、親指の爪を人差し指の側面へ深く押し込んだまま、私は答えた。
「その通りです。私はオルネン家に情など残っていません。グランデル家がオルネン家を滅ぼすことにも、反対しません」
一度唇を閉じ、それから静かに開いた。
「ですが、その結果としてエルヴァン様が望むものを手に入れることだけは、許せません」
叔父様の眉がぴくりと上がり、低い笑い声が落ちた。
「おや。数年前の茶会では、エルヴァン様の顔が見えるたび、目で追っていたと記憶しているが。その間に、何かあったのか?」
「……それを叔父様が知る必要はありません」
「ふむ……いいだろう」
彼は噴水の縁へ腰を下ろし、片眼鏡の位置を直しながら言葉を続けた。
「だが、私とエルヴァン様は、すでに同じ船に乗っている。私が突然手を引けば、あの方も黙ってはいないだろう」
私は答えず、車椅子を動かして彼の前へ近づいた。
胸元へ手を入れ、丁寧に巻いておいたスクロールを一本取り出すと、そのまま叔父様へ差し出した。
叔父様は差し出されたスクロールをじっと見つめ、やがて慎重に受け取って広げた。
「これは何だ? ワープスクロール……」
視線がルーンを辿り、途中で止まると、口元に残っていた笑みが完全に消えた。
彼はスクロールを巻き直し、細めていた両目を開いた。小さく現れた瞳孔が、私を射抜く。
「……正気か?」
「茶会が終わったら、叔父様はエルヴァン様へワープスクロールを渡すのでしょう」
「……」
「ワープスクロールはオルネン家が管理しています。いくらエルヴァン様でも、別の経路から手に入れるのは難しいはずです。それを、こちらと入れ替えてください」
彼はもう一度スクロールを開き、術式を見下ろした。
「これを使えば……身体に、異端の刻印が残るだろうな」
私は答えなかった。
叔父様が、その先を引き取る。
「そうなれば、グランデル家でのエルヴァン様の立場は終わりだ。その後、彼が何を訴えたところで、私を裏切り者として告発する言葉に重みはなくなる」
彼はスクロールを軽く振り、私の顔を見た。
「だが、あの方がこのワープを使う時というのは――」
「分かっています」
右目を一度閉じ、また開いた。
「鍵を取り出したあとでしょう」
叔父様は何も言わず、噴水の水だけが同じ場所へ落ち続けた。
不意に、彼の肩が揺れ始めた。
「は……ははは」
笑い声は次第に大きくなり、彼は片手で額を押さえたまま、しばらく笑い続けた。
「やはり、この家にはまともな人間が一人もいないな」
目尻に浮かんだ雫を指で拭い、私を見る。
「純真で、ただ哀れな子だと思っていたが。アリア、やはりお前も血は争えないようだな」
笑いが収まると、彼は尋ねた。
「いいだろう。非常に気に入った。だが、エルヴァン様を排除したあと、オルネン家への復讐はどうするつもりなんだ?」
「それは、私がやります」
短い答えが、庭へ落ちた。
叔父様は顎を撫でながら、唇をつと突き出した。
「私も一応、オルネン家の人間なんだが?」
私は唇を動かしたものの、口の中がからからに乾き、言葉は出なかった。
叔父様が代わりに話を続ける。
「お前は知らないだろうが、北で起きたある一件のせいで、最近は諸家の関係が悪化している。グランデル公爵家とオルネン伯爵家も、遅かれ早かれ衝突するだろう」
片眼鏡の奥で瞳が細くなった。
「雪に足を取られ、重装騎士の動きが鈍る真冬ならともかく、その前に正面からぶつかれば、反魔導剣術の第一人者であるグランデル家が有利だ」
彼の視線が、再び私の脚へ落ちる。
「騎士道を重んじる者たちだ。魔法すら使えないお前一人くらいは、生かしておくかもしれないがな」
叔父様の言葉を聞きながら、スクロールを持つその手を見つめた。
ふと脳裏に浮かんだのは、エルヴァン様の兄――私が学院へ入学した年に卒業した、バスティアン・グランデルの顔だった。
「エルヴァン様が黒魔術に手を染めたと、バスティアン様へ伝えてください。あの方なら、功のある者まで切り捨てはしないでしょう」
叔父様は口を開かず、庭に再び沈黙が落ちた。
長い時間が過ぎたあと、彼はスクロールを丁寧に巻き直し、慎重に懐へしまった。
「いいだろう」
叔父様は立ち上がり、私の前へ近づいた。
「今回は、お前の考えに乗ってやろう」
彼の手が私の頭へ置かれ、指が髪をゆっくりと撫でていく。そのまま髪を伝い、首筋を緩く包んだ。
「だが、お前は純真なのか。それとも、どこか少し足りないのか?」
指先が、首の後ろへ深く沈んだ。
「私が今ここでお前の目を抉り、ワープスクロールで誰にも見つからない場所へ送る可能性は、考えなかったのか?」
背中を冷たい汗が伝い、スカートの上で指を丸めた。乾いた喉に唾をひとつ飲み込み、答えた。
「ここで魔力を使えば……必ず気づかれます」
叔父様は顔を近づけた。唇はまっすぐに閉じられ、片眼鏡の奥の瞳も微動だにしない。
ひとしきり私を見つめたあと、彼はふっと目を細め、手を離した。
「一つ、忠告しておこう」
叔父様は茶会場の方へ身体を向けた。
「あまり自分を過信しないことだ。アリア、お前は聡明だ。魔力さえあれば、姉のイリアを超えていたかもしれないな」
小道を一歩進んでから、彼は顔だけをこちらへ向けた。
「だが、大人はそこまで単純ではないぞ」
口元には再び優しい笑みが戻っていた。そのままキリアン叔父様は、小道の向こうへ姿を消した。
私は動けず、スクロールを懐へしまった叔父様の手だけが、目の前に残っていた。
――終わった。
そう思い、小さく息を吐いて車椅子の向きを変えようとした時、視界が傾く。噴水と生け垣が横へ滑り、こめかみの奥で鈍い振動が響いた。私は慌てて肘掛けをつかんだ。
鼻先から熱いものが流れる。手の甲で拭うと、赤い血が長くついた。
身体への干渉――黒魔術。
息が喉につかえた。何度吸っても胸がうまく膨らまず、肩ごと身体が震え始める。
懐からハンカチを取り出し、鼻元へ持っていこうとした。けれど、隅に刺繍された青い小鳥が目に入り、手が止まる。
結局、ハンカチをもう一度畳んで懐へ戻し、空いた手で鼻を押さえた。指の間へ、赤い血が滲んでいく。
その時、背後から荒い足音が聞こえてくる。
「やっと見つけたわ、アリア」
顔を上げると、エレオノーラが大股でこちらへ迫っていた。赤く腫れた目は吊り上がり、噛み締めた唇の端が歪んでいる。その後ろには、数人の女子生徒が付き従っていた。




