表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生した俺の前に、八人の元妻が現れた  作者: BBTIGER


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/14

第十一章 陸炎(ルー・イエン)

陸炎ルー・イエンは、寿宴用の暗い紅の常服をまとっていた。


それなのに、腰には変わらず刀がある。


甲を着ているわけではない。


けれど、そこに立っているだけで、庭中の甲兵よりもずっと強い圧を放っていた。


陸炎ルー・イエンの目が、沈瓷シン・ツーの背後に立つ兵士たちの、半ば抜かれた刀をなぞる。


次に、砂盤さばん呉猛ウー・モンを見る。


最後に、その視線が沈瓷シン・ツーへ落ちた。


鉄の塊を押しつけられたような重さだった。


息が詰まる。


「将軍……」


沈瓷シン・ツーは、とっさに舌先を噛んだ。


そうしなければ、情けない声が漏れていたかもしれない。


陸炎ルー・イエン沈瓷シン・ツーを見たまま、ゆっくり口を開いた。


「顔を上げろ」


「見せてみろ」


「どんな焼き物職人が、陸家ルーけ第一の参軍に勝ったのかをな」


沈瓷シン・ツーは、顔を上げるしかなかった。


陸炎ルー・イエンの目が、その顔に留まる。


その目に、ごく薄い驚きが走った。


沈瓷シン・ツーの顔立ちに驚いたわけではない。


この少年は、顔色が白い。


首には、さっき締められた赤い痕まで残っている。


それでも、陸炎ルー・イエンの視線を受けて崩れ落ちはしなかった。


怖がっているのは分かる。


だが、乱れてはいない。


十六歳の窯職人が、庭いっぱいの将と刀兵の間に立って、それでも心を失わない。


それだけで、すでに普通ではなかった。


陸炎ルー・イエンは、呉猛ウー・モンへ顔を向ける。


「おまえは、推演すいえんでこの小僧に負けたのか」


「はい」


呉猛ウー・モンは言い訳をしなかった。


ただ一言。


それだけだった。


陸炎ルー・イエン呉猛ウー・モンを見た。


その一瞥だけで、演武場にいた全員の呼吸が浅くなる。


呉猛ウー・モンがどういう男か。


それは陸炎ルー・イエンが誰よりよく知っている。


その呉猛ウー・モンが、人前で負けを認めた。


それだけで、この一件は十分に重い。


陸炎ルー・イエンは細かい経緯を問わなかった。


砂盤さばんの前へ進み、ただ一度、盤面を見下ろす。


最後に視線が止まったのは、白軍はくぐん本営ほんえい側背に刺さった、あの黒旗だった。


しばらくして、陸炎ルー・イエンは顔を上げ、沈瓷シン・ツーを見る。


「悪くない」


沈瓷シン・ツーの喉が強張った。


「私は……ただ、でたらめに動かしただけです」


陸炎ルー・イエンは、その言葉を受けなかった。


呉猛ウー・モンを見る。


「でたらめで、おまえに勝てるか」


呉猛ウー・モンは淡々と答えた。


「勝てません」


沈瓷シン・ツーの頭皮が、ぞわりと痺れた。


陸炎ルー・イエンは視線を戻す。


「小僧。名は」


沈瓷シン・ツーは慌てて頭を下げた。


「民の者、沈瓷シン・ツーにございます」


沈瓷シン・ツー……」


陸炎ルー・イエンは、その名を一度繰り返した。


沈家窯シンかようの者か」


「はい」


「今日、屋敷へ来たのは、寿瓶を届けるためか」


「はい」


「父は沈老三シン・ラオサンだな」


「はい」


「よい。よい。実によい」


陸炎ルー・イエンは三度そう言った。


そして、呉猛ウー・モンへ向き直る。


「今日から、こいつを陸家軍ルーかぐんに入れる」


その言葉が落ちた瞬間。


沈瓷シン・ツーは、全身を固まらせた。


問いかけではない。


相談でもない。


前置きすらなかった。


沈瓷シン・ツーは思わず顔を上げる。


「将軍、私はただの焼き物職人です」


「知っている」


「刀も槍も習っておりません。馬にも乗れません」


「軍で教える」


「家には父がいます」


陸家ルーけから人をやって知らせる」


「私は、軍へ入りたくありません」


その一言で、そばにいた将たちの顔色が変わった。


陸闥ルー・ターなど、目を見開いている。


生まれてから今まで、平民が父に面と向かって拒むところなど見たことがなかったのだ。


けれど、陸炎ルー・イエンは怒らなかった。


ただ沈瓷シン・ツーを見ていた。


「俺がおまえの意見を聞いていると思ったか」


沈瓷シン・ツーの胸が沈む。


陸炎ルー・イエンの声は静かだった。


だが、そこには一分の逃げ道もなかった。


「おまえは今日、呉猛ウー・モンに勝った」


「庭中の将たちが、それを見ている」


「この演武場に足を踏み入れた瞬間から、おまえはもう、ただの沈家窯シンかようの若旦那ではいられない」


「ここは辺境だ」


「兵を動かせる焼き物職人など、まともに見えるか?」


その一言で、演武場は完全に静まり返った。


沈瓷シン・ツーは口を開きかける。


まともではない。


それは、沈瓷シン・ツー自身も分かっている。


だが、それと自分に何の関係があるのか。


沈瓷シン・ツーは、ただ寿瓶を届けに来ただけだ。


陸清禾ルー・チンホーの割れた小瓶がなければ。


砂盤さばんを一目見なければ。


呉猛ウー・モンにあそこまで追い詰められなければ。


今頃は前の広間で寿酒を一杯飲み、割れた磁器を抱えて屋敷を出ていたはずだった。


けれど、そんなことは一つも口にできなかった。


陸炎ルー・イエン沈瓷シン・ツーを見据えたまま、なおも落ち着いた声で続ける。


沈瓷シン・ツー


「今日、おまえが立派な瓶を焼いただけなら、俺は銀を取らせて終わりにした」


「だが、おまえは呉猛ウー・モンに勝った」


「しかも、庭中の将たちの前で勝った」


陸炎ルー・イエンが一歩、前へ出る。


重い足音ではなかった。


それなのに、沈瓷シン・ツーは足元の地面ごと沈んだように感じた。


「この話が外へ漏れれば、陸家ルーけだけがおまえを調べるのではない」


「朝廷も調べる」


「北の連中も調べる」


沈瓷シン・ツーは、割れた磁器を包んだ布を抱く手に力を込めた。


陸炎ルー・イエンは、沈瓷シン・ツーに口を挟む隙を与えない。


沈家窯シンかように残っても、おまえは自分を守れない。沈家窯シンかようの者たちまで巻き込む」


陸家軍ルーかぐんに入れば、俺がおまえと沈家窯シンかようを守れる」


その言葉は、沈瓷シン・ツーのためを思っているようにも聞こえた。


だが沈瓷シン・ツーには分かる。


これは相談ではない。


命令だ。


そして、鎖でもある。


そばに立つ呉猛ウー・モンの口元が、あるかないかほどに動いた。


陸炎ルー・イエンが直接人を取ることに、少しも驚いていないらしい。


この少年は、あまりにも問題が大きい。


外へ放つより、目の届く場所へ置いたほうがいい。


沈瓷シン・ツーの喉はからからだった。


「将軍、私は本当に軍務などできません。私は……死ぬのが怖い」


陸炎ルー・イエン沈瓷シン・ツーを見る。


声が、少し沈んだ。


「死を恐れるのは悪いことではない」


「死を恐れるからこそ、人の命の重さが分かる」


その言葉に、沈瓷シン・ツーは一瞬、動きを止めた。


陸闕ルー・チュエはそばに立ち、父が自分より年下の少年を追い詰めるのを見ていた。


止めたい気持ちはあった。


だが、できなかった。


目の前にいるのは陸炎ルー・イエン


父であり、陸家軍ルーかぐんの総帥だ。


陸炎ルー・イエンが決めたことを、誰も止められない。


今の陛下でさえ、容易には止められない。


沈瓷シン・ツーは割れた磁器の包みを抱き、指先にさらに力を込める。


そのとき。


陸炎ルー・イエンの目が、ふと沈瓷シン・ツーの腕の中へ落ちた。


「抱えているものは何だ」


沈瓷シン・ツーは一瞬、固まる。


「割れた磁器です」


「どんな磁器だ」


「白釉に花を描いた小瓶です」


陸炎ルー・イエンの落ち着いた目が、そこで止まった。


「白釉の花描き小瓶だと?」


沈瓷シン・ツーの胸が、どくりと鳴る。


陸炎ルー・イエンが手を出した。


「見せろ」


沈瓷シン・ツーに逆らえるはずもない。


腕の中の布包みを差し出す。


そばの親兵が受け取り、布を広げた。


割れた磁器片が、姿を現す。


白釉。


薄い胎。


胴には、途中で途切れた花模様が残っていた。


陸炎ルー・イエンは一目見ただけで、顔を沈めた。


演武場にいる者たちも、すぐ空気が変わったのを察した。


呉猛ウー・モンも目を細める。


陸炎ルー・イエンは手を伸ばし、欠片の中から瓶腹の一片を拾い上げた。


半分だけ残った花枝は、すでに割れている。


それでも、陸炎ルー・イエンには分かった。


これは、陸清禾ルー・チンホーの母が生前、最も大事にしていた小瓶だ。


病が重くなった年、彼女は自分の手で、この小瓶を陸清禾ルー・チンホーへ残した。


それから何年も、陸清禾ルー・チンホーはほとんど他人に触れさせなかった。


陸炎ルー・イエンは手の中の欠片を見つめたまま、長いこと何も言わなかった。


沈瓷シン・ツーの額に冷や汗が浮かぶ。


この小瓶は、思っていた以上に重いものらしい。


陸炎ルー・イエンが、ゆっくり目を上げた。


「この瓶が、なぜおまえの手にある」


沈瓷シン・ツーは頭を下げる。


「お嬢様が不注意で割ってしまわれました。損傷はそれほど重くなかったため、私が修復をお約束しました」


陸炎ルー・イエン沈瓷シン・ツーを見据える。


「本人が、おまえに渡したのか」


「はい」


「おまえは、直すと約束した」


「はい」


陸炎ルー・イエンの手が、欠片を握ったまま、わずかに強くなる。


その後。


ふいに、陸炎ルー・イエンは笑った。


とても軽い笑いだった。


けれど、それを聞いた呉猛ウー・モンの眉が、ごくわずかに動く。


呉猛ウー・モン陸炎ルー・イエンをよく知っている。


陸炎ルー・イエンは、怒っているときならまだ読める。


だが、こういう笑い方をするときは、もう腹の中で決めている。


しかも、たいてい周囲が受け止めきれないような決定を。


案の定。


陸炎ルー・イエンは欠片を布包みへ戻し、沈瓷シン・ツーを見た。


「軍へ入りたくないのだな」


沈瓷シン・ツーは一瞬ためらった。


「……はい。私は、入りたくありません」


「よし」


陸炎ルー・イエンは言った。


「なら、軍へは入れない」


沈瓷シン・ツーは、はっと顔を上げた。


沈瓷シン・ツーだけではない。


陸闥ルー・ターも固まっていた。


陸闕ルー・チュエの眉がわずかに動く。


ただ、呉猛ウー・モンだけは分かっていた。


陸炎ルー・イエンが、そう簡単に手を引くはずがない。


次の瞬間。


陸炎ルー・イエンの声が、静かに落ちた。


「なら、陸家ルーけに婿入りしろ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ