四十二話 冷蔵庫Ⅱ
「お前、精霊王だったの!?」
ユキの正体は、ただのノリが軽い精霊などではなく、世界の頂点に君臨する精霊王。
世の中の自然現象や理のすべてを司っている可能性すらある、文字通りの神域の存在。
思考の歯車がカチリと噛み合い、ようやく頭が理解し始めた瞬間、驚愕のあまり台所に響き渡るほどの大声が出てしまった。
驚くなという方が無理な話だ。だって今までずっとポンコツ精霊だと思っていたのだから。
フィーネ並みの力も、この世界における精霊の標準スペックなのだと勝手に納得していたし、大物感もこれっぽっちも発していなかった。せいぜい一つか二つ上のクラスの精霊ぐらいだと。
「言ってませんでしたっけ~?」
「聞いてない!」
もし聞いてたら絶対忘れない。
「でもルークさん、精霊王のことなんて何も知らないんですから、そんなに驚くこともないじゃないですか~。私は私ですよ~」
「いや、フィーネとの契約の時に名前だけは聞いたぞ。それに普段から精霊にはお世話になってるんだ。その頂点に立つ王なんてなんか凄そうだろ! というか王って肩書きだけで普通はビビるんだよ!」
俺が全幅の信頼を置いているあのフィーネですら敬意を払う存在なのだ。そんな雲の上の存在が、目の前でメイド服を着てニコニコしているのだから、俺だって慎重にならざるを得ない。
清掃員だと思っていた相手が実は社長だったなんてレベルじゃない。国のトップか、世界最大の宗教のトップが、散々馬鹿騒ぎした後で正体明かしてくるようなものだ。世が世なら不敬罪で処刑待ったなし。
「あー、精霊契約ですね~。あれも別に私に届いてるわけじゃないんですけどね~。本人達の意識の問題と言いますか、勝手にやってる誓いみたいなもので~」
信仰や儀式なんてそんなものかもしれないが、当事者がそこまであっさり言い切ってしまうのもどうかと思う。本気で信じてる人が聞いたら失神するぞ。
「お前が精霊王だってこと、フィーネは知ってるのか?」
昔からの付き合いである友人が知らない秘密を、出会って数週間の俺が先に知ってしまったとなると、なんだか非常に気まずい。
エルフ族にとっての最高級機密かもしれないし、もし正体や儀式の詳細を知らずに崇めていたとしたら、色々と申し訳なさすぎる。あとうっかり口に出すかもしれないから怖い。
「モチのロンです~。長い付き合いですからね~」
「そっか。ならいい」
いや、全然よくはないのだが、まぁいい。本人も言っていた通り、どれだけ凄まじい肩書きがあろうと、ユキはユキなのだから。
何はともあれ、ユキの精霊王パワーのお陰で『熱を冷気に変える』という一見矛盾した現象を起こすのは、驚くほど簡単らしい。
さっそく加熱鉄板を使った冷却実験に取り掛かるべく、俺達は過去の試作品が大量に保管されている俺の部屋へと向かった。
扉を開けると、そこは俺だけの小さな工作室だ。
棚や床の隅には、これまで俺が趣味と実益を兼ねて試作してきた失敗作や改良途中の魔道具――浴槽用の加熱鉄板、貯水ボックス、用途不明のランプなどが所狭しと並んでいる。
俺はその中から状態の良い加熱鉄板を一枚引き抜き、工具箱と一緒に勉強机兼作業机へ並べた。他より小型で、浴槽を温めるほどの火力が出なかった失敗作だが、魔道具としての性能自体には何の問題もない。アリシア姉の杖でも実証済みだ。
「なぁ、熱を閉じ込める器って、多少凹凸があっても問題ないのか? あと強度はどのくらい必要?」
「程度によりますね~。何を使うつもりです~?」
「これ」
俺が棚の奥から取り出したのは、貯水ボックスの試作品。頑丈で分厚いオーク材で作られた木箱で、密閉すれば水が湧き出るんじゃないかとフタを取りつけた代物である。
これならフタに少し加工を施すだけで、竈の排気口の構造を再現できる。
「ふむふむ……うん、これだけ密閉性と強度があるなら大丈夫ですよ~。穴はルークさんの握りこぶしぐらいで~」
ユキは木箱の表面をペチペチと叩き、内部を覗き込んでから満足そうに頷いた。
「というか、この箱を使わなくても加熱鉄板の魔法陣だけで冷気生み出せますよ~」
「マジで!? じゃあさっき言ってた法則は何だったんだよ!?」
熱は上へと逃げる法則があるのでそれ以外の方向に出口を作る。逆向きの流れに冷気を混ぜる。質量を合わせる。
――それが、ユキから教えられた熱反転の条件だった。
「あ、ちょっと言葉が足りなくて誤解させちゃったみたいですね~。木箱でやることを魔法陣の中に落とし込むんですよ~。発生した熱を回路の中でちょっと横道に逸らして、そこに逆流の冷気をぶつけることで、熱の発生源そのものを冷点に反転させるんです~」
「あ、ああ……そういうことか。ハードウェアじゃなくてソフトウェア側で処理を完結させるってことね」
魔力という誰もが持っているエネルギーで家電から兵器まで一瞬で作り出せる魔術や、願うだけで超常現象を引き起こせる精霊術が万能過ぎると思っていたが、魔道具も大概チートだった。
「どうします~? やっちゃいます~?」
「んー……いや、まずは予定通りこの木箱と加熱鉄板を使って試す。冷却用として正しく機能するかどうか、どれくらい冷やせるか、そして魔石一つで何時間持つか、段階を踏んで実験したい」
最初から完成形を目指すと、どこで計算が狂ったのかがわからなくなる。
物づくりの基本は地道な検証なのだ。
「相変わらず慎重ですね~」
「当たり前だろ。検証もなしにぶっつけ本番で暴走して、俺の部屋が永久凍土になったら堪ったもんじゃないからな」
くすくすと楽しそうに笑うユキを尻目に、俺は工具箱から使い慣れた彫刻用のノミを取り出した。そして慎重に刃先を滑らせ、木箱のフタの中央に空気の抜け道を刻み込んでいく。
「うっし! これでとりあえず竈と同じ状態になったな!」
削り出した穴の周りのささくれをヤスリで丁寧に整え、フッと息を吹きかけて木屑を飛ばす。
あとは加熱鉄板を起動してフタを閉めれば、プロトタイプ冷却機構の完成だ。
「あー、そんなことしたら後で床の掃除が大変になるじゃないですかー」
ユキがスカートをはためかせるようにして大袈裟に木屑を避け、如何にもメイドらしい小言といった様子で唇を尖らせる。
「後片付けの時にまとめてやるんだからいいんだよ。こういうモノ作りの最中は、作業環境をいちいち小綺麗に保つことよりも、作業効率やその場のノリを重視するもんだ。大体、これまで俺の部屋が散らかりっぱなしだったり汚かったことなんて一度もないだろ」
「そうやって片付けられない大人が出来上がっていくんです~。ルークさんが将来グータラな大人になったら、全部この木屑のせいですからね~」
「それは俺じゃなくて、昨日ポップコーンを散らかしたアリシア姉達に言うセリフだ。それに俺は一回几帳面な大人を完走してるんだから、今更そんなことで怠惰になったりしない」
「そのせいで貴族らしさが欠片もないですけどね~。こういう時は『お前が片付けろ』と顎で命じるのが、正しくすれ切った貴族というものですよ~」
「生憎と、オルブライト家のモットーは『自分でできることは自分でやろう』でね。お前はすれ切った貴族の従者を経験することは不可能だよ」
「ちぇ~。一度くらい『はいはい坊っちゃま~』って鼻で笑いながら手抜き掃除してみたかったのに~」
「お前は言われなくても普段から俺のこと鼻で笑ってるだろ……っと。うん、大丈夫そうだな」
ユキの戯言を適当にあしらいつつ、俺は加工し終えた木箱を軽く揺すってみて、ガタつきや位置ズレがないか念入りにチェックした。
本来ならフタを上にして使う木箱だが、今回は熱循環の都合上横倒しにして使用している。覗き込む形なので見づらいが、そのぐらいは我慢しよう。
準備はすべて整った。
「それじゃあ……加熱鉄板、起動!」
俺は息を呑み、魔導回路の起動スイッチを、カチリと押し込んだ。
微かな魔力の脈動とともに魔石がほのかに青く輝き、木箱の奥で加熱鉄板がじわじわと熱を帯びていく。数秒と経たずにフタの排気穴からぬるい熱気が溢れ出してきた。
「フッフッフ~。いよいよ反転ですよ~! 熱が冷気に蹂躙されますよ~! ルークさんにもその美しい瞬間が見えるようにするので、じっくり堪能しちゃってください~!」
「……助かるよ」
相変わらず熱という概念を敵視するユキが、満面の笑みで指先をくるりと回した。
その瞬間、木箱の内部に異様な歪みが生まれた。排気穴から外へ出ようとしていた熱が、見えない壁にぶち当たったかのように止まり、ユキが流し込んだ逆向きの力によって内部へと押し戻されていく。
閉じ込められた熱エネルギー同士が衝突し、外から入ってきた空気と完全に溶け合った――次の瞬間。
排気穴から吹き出していた熱気が消え去り、代わりにキンキンの冷気が噴き出してきた。
「おおっ!?」
手のひらを穴にかざすと、夏の部屋の中とは思えないほどの激しい冷気が皮膚を刺した。まるで冬の雪山で凍てつく吹雪に直接触れているかのような、強烈で圧倒的な『冷』の奔流だった。
「よし、一旦止めてくれ。持続時間と冷却範囲を見たい」
「あいあい」
ユキが手を放した後も冷気は出続け、三十秒もすると、フタ部分だけでなく木箱の周りでもひんやりとした空気を感じられるようになってきた。
「どれどれ……ん?」
俺は箱の中に手を入れてみて、思わず首を傾げた。
冷たい……が、外に噴き出していた勢いに比べると、内部の冷え方は思っていたほどじゃない。それどころか、排気穴から噴き出す冷気まで次第にぬるくなっている。
「まぁ、外からの熱が入っちゃいますからね~。木って水も火も通しちゃう事なかれ主義的なところありますし~。どうにかして竈ぐらい完璧に断熱しないと~」
属性や材質のことを八方美人な性格に例えるやつ初めて見た……って今はそんなユキの独特な感性はどうでもいい。
「つまり箱は熱を通しにくい金属製にした方が良いと?」
「それだと今度は冷えすぎるかもです~」
「むっ……なら二層構造だ! 間に空気の層を挟んで冷気の流れを緩和すれば、冷えなかったり冷えすぎたりするのを防げる!」
外装は加工しやすく軽量な木材でいいだろう。今も問題なく使えている。というか、軽量、安価、干渉しないという三つの条件を満たす素材が木しか思いつかない。
とりあえず失敗作の加熱鉄板で箱を作って、どのくらい冷えるか試して――と、そこまで作業手順を組み立てたところで、俺は手を止めた。
「……なあユキ。これ、魔法陣が刻まれた加熱鉄板をそのまま内壁の器にして大丈夫だと思うか? 何かしらに干渉して変なことにならないか?」
「失敗を恐れていては挑戦なんてできませんよ~」
「よし、魔法陣削ろう!」
不安だから相談したのに、背中を押すどころか暗に失敗を前提とした話をされたら、こうなるに決まっている。
今までのアドバイスが的確だっただけに、余計に。
「寒い寒い寒いッ!! むしろ痛い!!」
そんなこんなで鉄箱を作ってみたものの、箱の表面は全然冷たくないのに、排気穴から噴き出す冷気によって部屋全体の気温は瞬く間に氷点下へと叩き落とされた。
吐く息は真っ白、窓ガラスはバリバリに凍りつく。これに比べたらさっきの冷気なんて夏場のエアコンの弱だ。箱の中はキンキンどころか絶対零度レベルで凍結しているに違いない。
「やれやれ、最近の若者は軟弱ですね~」
「これは年齢とか根性の問題じゃないだろ! 種族の問題だ!」
そんな極寒の室内で平然と肩をすくめる精霊王様にすぐさま噴射を止めてもらい、俺はガチガチと鳴る歯を噛み締めながら、かじかんだ両手に熱い息を吹きかけた。
「……はぁーっ、死ぬかと思った。これはこれで需要がありそうだけど、うっかり触れば皮ごと指が張り付いて大惨事だぞ。これは直に物を冷やす箱じゃなくて、あくまで『冷気を生み出すための冷却ユニット』として扱った方が良さそうだな。もちろん加熱鉄板の出力も下げる」
「夏場に庭に置くだけで家全体が快適になりますけどね~」
「その代わり庭の草木が全滅するだろ! あと興味本位に近づいた子供が凍り付く! そんな兵器みたいなもん売れるか!」
「人類の発展は争いと兵器開発だって言いますけどね~。それに冷却魔道具としては大成功じゃないですか~」
「だとしても、俺が作ったもんで怪我人や争いを生みたくはないんだよ」
能天気過ぎるユキの言葉に、俺は半目で「どこが大成功だ」と睨み返した。
だが、試作第一号でここまでの威力を叩き出せたのは、事実として大きな一歩ではある。
「……まあ、出力さえ絞れれば、あとはこれを最上部に設置すれば冷蔵庫になりそうだな」
「ほぉ~。『冷気は下に向かう』という精霊豆知識をご存じとは。ルークさん中々やりますね~」
「いや、常識だろ。夏とか三階は地獄で、地下は天国じゃん」
「あ~、なるほど~。単に家から出ないからそう思ってただけなんですね~。世間知らずの引きこもりさんなだけでしたか~」
先程までの感心が嘘のように霧散し、ユキは心底ガッカリした様子で、どこか憐れむような視線をこちらに向けてくる。
食う・寝る・遊ぶが仕事の幼児を、引きこもりと呼ぶのは止めていただきたい。
――と、ツッコむ前に、今の発言で気になるところがあった。
「もしかして外では違うのか? 冷気が上に行くこともあるのか?」
「精霊の気分次第ですね~。オルブライト家はフィーネさんの影響下なので安定してますけど、他の場所だと冷気が上に溜まったり横に流れたりもしますよ~」
「…………」
なんか、この世界が衰退してるの、全部こいつ等のせいなんじゃないかと思えてきた。
どれだけ必死に研究して自然の法則を見つけても、精霊の気まぐれで再現性がなくなる。そりゃあ科学という分野も発展しないわけだ。




