四十話 キャラメルポップコーン
「次はこれを使う」
俺はそう言って、脇に置かれていた出来立てのきび砂糖の樽に手をかけた。新しいフライパンに、抽出したばかりの砂糖と、少量の水を投入する。
「ちょっと、ルーク!? 砂糖を直接火にかけるなんて、もったいないわ!」
「そうですよ! 焦げちゃいます!」
母さんとエルが突如始まった俺の奇行に悲鳴を上げる。奇跡の甘味が黒焦げのゴミにされると思ったのだろう。
だが、俺の手は止まらない。竈の火を調整し、じっくりと熱を加えていく。
「慌てない慌てない。砂糖は火を通すとさらに化けるんだよ」
「化けるって……ああっ、色が変わってきたわよ!?」
「あんなに焦げ茶色に! 勿体ないですぅ!」
フライパンの中できび砂糖が溶け、ふつふつと泡立ちながら、透明から鮮やかな琥珀色、そして深い焦げ茶色へと変わっていく。
一同が絶望の悲鳴を上げる中、台所に香ばしくもどこかほろ苦い魅惑の匂いが広がる。
「な、何なのこの匂い……焦げてるはずなのに、すごく美味しそう!」
「お口の中の唾液が止まりません……!」
さっきまでイタズラ小僧を見るような目で俺を責めていた母さんとエルが、今やフライパンの前でうっとりとその匂いを吸い込む。子供達に至っては手を伸ばしかけてフィーネに止められている。
「カラメルって言うんだ。わざと焦がすことで、独特の香ばしさとコクを引き出すのさ。エル、他にもいろんなお菓子や肉料理の隠し味に使えると思うから、今度試してみてよ」
「任せてくださいルーク様! 試すのは大得意です!」
ガルム料理に並々ならない熱意を注ぐエルが、目を爛々と輝かせて胸を叩く。彼女ならきっと、俺の知らない新たな使い方を閃いてくれるだろう。
「ここでさらにバター投入!」
――ジュワァァァッ!
激しい音を立ててバターが溶け、カラメルと一体となって甘さが爆発する。
「うわあ……っ!」
「こんなの美味しいに決まってるじゃない!」
「まだまだぁ!」
バターの油分が弾ける凄まじい芳香の中、俺は先程のポップコーンを一気にフライパンへ流し込んだ。
「な、何その贅沢な組み合わせ……っ! こんなことが許されるの!?」
「いいえ、アリシア様! これは犯罪です! 貴族の皆さんにご迷惑が掛からないよう、わたしが責任をもって処理しますのでご安心を!」
「その理屈なら私とフィーネさんも食べれますね~」
「ズルいわよ、メイド軍団っ!」
「安心しなさい、アリシア。甘いものは別腹。つまり私であって私でないの。いくら食べても太らないし、どれほど罪深い食べ物だろうと罪にはならないのよ」
「なるほど!」
女性陣の謎の攻防を尻目に、俺はフライパンを煽り、絡める。混ぜる。体を均一に行き渡らせる。
雪のように白かったコーン達が、瞬く間に艶やかな黄金の衣を纏い、カリッとした質感に変貌していく。
「はい、お待たせ。ルーク特製キャラメルポップコーンだ」
「「「…………」」」
湯気を立てて輝く黄金の山を前に、一同がごくりと重く喉を鳴らす。
一瞬、台所に走る緊迫した静寂。
そして――女性陣が、一斉にフライパンへ飛びついた。
「待て! まだ熱いぞ!」
「~~~~っ!?」
一番に口へ放り込んだアリシア姉が、熱さに悶えてその場でじたばたと跳ねる。
隣では、母さんが優雅さを保とうと必死になりながらも予想以上の熱量に顔を引きつらせ、エルは涙目になりながらも料理人の執念で咀嚼を断固として止めない。
「はふっ……! でも、おいひいでふ……!」
「こ、根性あるな……」
「りょ、料理人は熱に強いのです!」
「しっかり負けてたけどな。本当に強いってのはああいうのを言うんだぞ」
俺の視線の先では、ユキが平然とした顔で「うまうま」とキャラメルポップコーンを口に運んでいた。強者の肉体なのか、あるいは口内でこっそり冷却魔術でも発動させているのか。
カリカリと良い音を立てて堪能するユキを前に、熱さに勝てなかったオルブライト家の面々は、ただただ羨望の眼差しを向けることしかできない。
「ちょっとルーク! なんとかならないの !? このままじゃユキに全部食べられちゃうじゃな い!」
「わ、わかったから服を引っ張らないでくれ!」
焦ったアリシア姉に胸元をぐいぐいと揺らされ、俺は慌ててポップコーンを平皿へと移した。少しでも早く冷めるよう軽く混ぜ合わせてやると、香ばしい甘い香りが一気に湯気とともに広が っていく。
「ルーク、まだなの!?」
「みんなの舌の感度なんて知らねえよ。自分で確かめろ」
すかさずアリシア姉が、指先で触れては離す、猫パンチのような確認作業を開始。さすがにこれを真似しようとは思わなかったらしく、母さんとエルは大人しく冷めるのを待っている。
そうしているうちに、ソースが少し冷えて表面がカリカリになり、ようやく平和な試食タイムが訪れた。
「んーーーっ!」
「……これ、危険ね。本当に手が止まらなくなるわ」
「サクサクしてて、香ばしくて、甘くて……さっきのクッキーとはまた違う幸せが押し寄せてきます!」
気付けば、ボウルに山盛りだったはずのポップコーンは底が見え始めていた。
おかわりを要求されるのは時間の問題……いや、もうすでに彼女達の視線は「準備しとけ」と言っている気がする。
甘いものは別腹理論を提唱している以上、食べ過ぎると太るなどという忠告や労働回避は不可能だろう。俺は大人しく次のキャラメルを炒め始めた。
「ふぉふぉほふぇふーふはま」
「喋るなら、その頬袋の中身を消してから喋れ」
何かを言いかけたエルは、凄い勢いで口を動かし、やがてごくんと大きな音を鳴らして口内を空っぽにする。
「ところでルーク様、もう一度この料理の名前を言ってもらっていいですか?」
「え? キャラメルポップコーン」
わざわざ咀嚼を急いでまで、一体何故そんなことを聞くのだろう。
「今、噛みました?」
「噛んでない。砂糖と水だけで煮詰めたのはカラメル。そこにバターとかミルクを加えるとキャラメルになるんだよ」
「ややこしいです! 誰ですかそんな紛らわしい名前考えた人は!」
知らんがな。フランス人とかイギリス人だと思うけど。
エルは理不尽な怒りをぶつけるように、さらにキャラメルポップコーンを猛烈な勢いで平らげ始めた。それに負けじと、アリシア姉と母さんの手も加速する。
大皿の中身が、凄まじい速度で消えていく。
その光景を遠巻きに眺めながら、俺は心の中で静かに呟いた。
(これ……今日の夕飯、みんな絶対に腹に入らないよな……)
数時間後。案の定ろくに食べられず、必死に取り繕って父さんを呆れさせることになるのだが、それはまた別のお話。
「ねえ、ルーク」
父さんの分として確保したクッキー一枚、キャラメルポップコーン一握りを除き、すべて平らげて満足げに目を細めていた母さんが、いつになく真面目な顔でこちらを見た。
「このサトウキビ、北部の領地で大規模に生産できないかしら? 余裕があればトウモロコシも」
やっぱりそこに行き着くか。
「んー……どうかな。ここまで漕ぎつけるのは割と大変だったし、それだってフィーネが力を貸してくれなきゃ無理だった。まぁ、残った株からまた芽が出るはずだから、試してもいいとは思うけどさ」
俺はあえて、すべてはフィーネの超常的な力によるものであること、そして四歳児の俺は何も知らないということを強調した。自分への過度な期待を分散させる無難な返答である。
母さんはフィーネの頑固さをよく知っている。無理強いはしないはずだ。
そもそも彼女は、他人を利用することを嫌う性格だ。そうでなければ、とっくにフィーネやユキに近隣の魔獣討伐でも命じて、もっと優雅で安全な暮らしをしている。
「残念ね。この味と量産性があれば、経済を動かせると思ったのだけど」
予想通り大人しく引き下がったが、その目はもはや食材を見る目ではなく、巨万の富を生む金鉱を見る目になっていた。
「なんか凄いことしてるのね、あんた」
アリシア姉が、珍しく本気で感心したように言ってくる。
「そう思うなら、俺に変な特訓を課したり、あれこれ作らせるのやめてくれない? 忙しいんだよ、これでも」
「それはそれ、これはこれよ。ルークなら両立できるでしょ?」
「信頼の押し付けやめろ」
「実績に基づいた正当な評価よ。大体嫌なら断ればいいじゃない」
「……」
その一言に、思わず言葉が詰まる。
断れるかどうかと、断っていいかは別問題だ。
ここまで鮮烈な成果を見せて、これほど期待されておいて、「やっぱ面倒だから無理」はさすがに良心が痛む。
「ほらね」
何も言っていないのに、勝ち誇ったように肩をすくめるアリシア姉。
完全に俺の性格を読まれている。
「言っとくけど農場の件は本当に無理だからな!? 石鹸事業を優先するから手伝えないし、たとえサトウキビの量産に成功しても砂糖ボックスは作らないからな!?」
「そうね。いまさら放棄されると困るわね。サトウキビは普通にやっても成功するかもしれないし」
「だろ? そうだろ?」
おお、母さんが同調してくれた! これならアリシア姉も強くは出られまい。
強力な後ろ盾を得たことで急に気を大きくした俺は、待遇改善を求めるべく、アリシア姉を睨みつけた。
「だから農場は石鹸事業が軌道に乗ったらお願いね」
「……それはなんか違くない?」
が、即座にハシゴを外されてそれどころではなくなった。
たしかに現状唯一の成功例だし、俺がやればフィーネも手伝うだろう。でも、今の仕事が片付いたら次の仕事が始まるとか、この年齢で社会の歯車になるのは勘弁してほしい。
たしかに世界復興を目指してはいるが、それ以上に大切なのは俺自身の平穏なのだ。
しかし今ここで、できるできない、やるやらないの話をしても意味はない。
こういう時は秘技、先送りに限る。
「フィーネから聞いたんだけどさ。エルフの里に『クッキー』っていう果実とドングリを使ったお菓子があるらしいんだ。それ、砂糖で代用できるんじゃないかと思って、作ってみたらこれがまた美味しくてさ」
「「「――っ!」」」
一瞬で空気が変わった。
やっぱり美味しい料理は人を笑顔する力があるようです。




