その6
和尚さんと小僧さんのお二人の後を、魔法で姿を隠しながら続いて出ると、そこは広い土地が拡がっていました。
私たちがいたのは僧房と言ってお坊さんたちが生活する場所なのですが、思ったよりも広く、そこで暮らすお坊さんたちの人数の多さが想像できます。
僧坊の前には土塁があり、その先には講堂、講義や説教を行う場所ですね、それが見えます
和尚さんたちの後を追って、土塁に沿って右へと進むと金堂、本堂ですね、その前を通ります
そのまま進むと左手に階段があり、その向こうには鐘堂、鐘つき堂が見えます
そこを通りすぎて5分ほど進みますと、ようやく門が見えてきました。
隠蓑の魔法は精神を集中し続けないといけませんので、お二人からは少し遅れて到着すると、既に揉め事が起こっていました。
「何度言われようと左様な者はこの山門の内にはおりませぬ、お帰りなされ」
「しかしそこの小僧が怪しい者を寺の内へ連れ込むのを見た者がいるのだ」
「真実か孫十?」
「いえ、全く身に覚えがありません」
「小僧はこう申しておりますが?」
「し、しかし……」
そのやり取りを後ろで見ていた、集団のリーダーらしき人物が業を煮やしたように前へと押し出してきました。
「とにかく調べてみればわかること、構わぬ押し通せ!」
その言葉に慌てた私が魔法を解除しようとしたその時、和尚さんの大きな声が響き渡りました。
「当山は白髭明神のお告げを受けられし伝教大師(最澄)が開山され、凡そ七百年この地を鎮守し、播磨守義朝公、左衛門少尉義平公、中宮大夫朝長公の御霊を代々御供養してきた源家の守護寺なり!
当山を訪れし武士は皆、そこな力石に太刀を置き源家の御霊に弔意を表される、それと知ってなお無体を働き押し通すと申すなら、まずはこの愚僧を突き殺されよ!」
「和尚様を手に掛けると言うなら我々を先に殺せ!」
「和尚様には指一本触れさせぬぞ!」
和尚様を庇って他の僧の方々が前へと出てくれば、その勢いに兵の方々がじりじりと後退りしていきます
結局そのまま、また出直すと言うのがやっとといった様子で引き上げていきました。
「申し訳ありません、私のせいで御迷惑をお掛けしてしまいました」
僧坊に戻ると姿勢を正し、そう頭を下げます。
「お気になされますな、雨降らしの尼の身に万一の事があっては拙僧等が民に恨まれましょうて」
「……ご存知だったのですか?」
思わず驚いた顔をする私に、和尚さんが優しく微笑まれます。
「その不思議な衣と杖に、見覚えのある者がおりましたので」
なるほどそういう事でしたか、しかし……
「流石にこれ以上は、お世話になるわけには参りません」
そう言って荷物をまとめようとする私に、少し待つよう和尚さんが仰ります
「迷惑などありませぬが、再び彼等が押し寄せてくれば防ぎ徹すことは難しいでしょう」
難しい顔でそう仰ると、姿勢を正して向き直られます。
「出来れば今少し休んで頂きたいところですが、今からなら日が沈むまでに美濃を出られましょう、それでですが……」
そして、側にいた小僧さんを招き寄せられます
「もしよろしければ、この小僧を叡山まで送り届けて頂けませぬでしょうか」
「和尚様?」
「お前は顔を知られている、このまま当寺に居ては危難を受けよう、叡山にて修行をし立派な僧になりなさい」
「和尚様……」
小僧さんが目を潤ませています
改めて和尚さんが、よろしいでしょうかと訊ねられましたので、しっかりと頷きました。
「私でよろしければ、お引き受けします」
「忝のう存じます、この者は名を孫十郎といい、元は武家の家に生まれたものですが、早くに親を亡くし家も潰えたために当寺にて引き取っておりました」
「孫十郎に御座います」
そう言って小僧さんが頭を下げたので、私も慌てて頭を下げ返します。
「以前よりやがては叡山にて僧としての修行をさせたいと思ってはおりましたがなかなかその機会が御座いませんでした、此度の件、成り行きではありますが良い機会と言えましょう」
そう言われると、小僧さんへと向き直られます
「孫十や、よく修行をし立派な僧となって衆生を導くのですよ」
「はい、和尚様」
「道中、くれぐれもよろしくお頼み申し上げます」
「いえ、こちらこそよろしくお願い致します」
こうして私は、比叡山まで小坊さんこと孫十郎さんを送り届けることとなりました。
その後、小僧さんの支度が済むまでの間に、和尚さんより天台宗について簡単に説明して頂きました。
天台宗の天台というのは中国の山の名前で、智顗という方がそこで教えを説いた事が天台宗という名前へと繋がっているそうです
またその事から、智顗さんは天台大師と呼ばれているそうです。
その天台宗の教えを日本に広めたのが最澄さんです。
こちらは私も名前だけなら聞いたことがあります、他にも空海とか日蓮とか……、雪舟はちょっと違ったでしょうか?
ところで、仏教というのはお釈迦様の教えが元になっている筈なのに、どうして幾つもの宗派に別れているのか以前から疑問だったのですが、元になる経典とその解釈の違いから来ているということだそうです。
例えばお釈迦様が生きていた時代なら、疑問に思った事があっても直接聞けば答えなり答えを導くためのヒントなりを教えて頂くことも出来ますが、お釈迦様が亡くなった後ですと、お釈迦様の残された言葉が書かれたもの(これを経典と言うそうです)を元にして考えるしかありません
この経典が、例えば般若経や華厳経、浄土三部経といったように何種類もありまして、それぞれどの経典に重きをなしているかが宗派の違いとなっているそうです。
天台宗の元となっているのはこの内の「法華三部経」と呼ばれる経典群だそうで、和尚さん曰く法華経はお釈迦様が説かれた中でも完成型と言える最高の教えなのだそうです。
その天台宗の教えとは、悟りとは誰の心の中にも存在し、誰でもそこに至ることが出来る
またその道は一つではなく幾つも存在し、それも厳しい修行の先だけではなくただ真実を探求する心があれば、それが悟りへと繋がる道となるとのことです。
それは例えば絵を描いたり書を極めたりといったような、日々の生活の中で行われるような特別ではない何かでも、そこに一心不乱に打ち込み真実を探し求めるなら、それが悟りへと続く道となり得るのだそうです。
全ての仏教に関わる方々がこのような心でいて、それを実践できているのでしたら、それはとても素晴らしいことなんだろうなと思いました
ですが、私が知識として学んだ限りでは仏教に携わる方々自体がとても、このような心持ちでいられているとは思えません。
小僧さん……、孫十さんでしたね
その孫十さんが向かわれる比叡山も、堕落を極め後に織田信長に焼かれる事になる……
私が学んだ歴史ではそうなっていました。
この世界ではそうならなければいいなと思います
それは、ただ焼かれなければいいと言うのではなく、そうなる要因となった比叡山の堕落そのものが無くなればいいなという気持ちです。
ですが、私がただそう望んだだけでそうなるわけではないでしょうし、また私に何かが出来るとも思えません
そう考えると暗い気持ちになってしまいました……。
「それでは、大変お世話になりました」
孫十さんの旅支度も終わり、揃ってお見送りを受けています
私のローブは目立つということでしたので、美濃を出るまでは孫十さんの荷物と一緒に預かって頂きました。
「道中お気を付けられますよう、近くを通られる際にはまたお立ち寄りくだされ」
「ありがとうございます、是非寄らせて頂きますね」
「和尚様、今までお世話になりました」
「叡山では学ぶことも多いはず、よく見、よく聞き、己が糧として将来に役立てなさい」
そう言われる和尚さんの顔は慈愛に満ちて見えました。
おそらく和尚さんは、今の比叡山の実状をご存じなのでしょう
それでもなお、いえ、だからこそでしょうか
孫十さんには全てを見て、今の比叡山の、仏の道を説く者のありのままの姿から目を逸らさず、それでも仏の道を志して欲しいのではないか、そう思いました。
そうして、そんな僧が大勢を占めるようになれば比叡山も、いえ、他の宗派も含めた仏教界全体がよい方向に向かうのでは……、そんな風に思ってしまいます
大勢の修行僧の方々に見送られて、孫十さんが涙を浮かべています
私はもう一度、お世話になった思いを込めて一礼をしてから、ゆっくりと山道を下り始めました。




