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戦国時代の大魔導師  作者: あや
道程
29/32

その4

翌朝早く、惣兵衛さんにお世話になったお礼を言うと、私は西へと歩き始めます

少し進むと長良川に辿り着きますので、惣兵衛さんに言われていたように、川沿いを南西へと進みました

そうしておよそ二里半(約10km)ほど歩くと、鏡島かがしまという村に辿り着きました

お城の主は石河いしこ駿河守光清という方で、五年前に水害にあった当地のお寺を今年になって建て直したそうで、その際に京都の有名なお寺から偉いお坊様においで頂いたそうです

少し興味の湧いた私は、渡し舟の出る時間までの間に少し様子を見せて頂くことにしました

出来たばかりの伽藍はとても綺麗で、また気の良い匂いがしていましたが、庭に咲いていた早咲きの梅の木がまた見事に美しくて、思わず見惚れてしまいました

側にいた小僧さんにそう話しかけると、たいそう自慢げに由来について説明をされました

それによりますと、この木は元々この地に教えを説きに来られていた弘法大師様が当地を去られる際に、御堂の前に梅の杖を植えられ

「仏法この地に栄えれば、この杖に枝葉が栄えるだろう」

と唱えられたところ、たちまち梅の杖から枝葉が生まれたとのことでした

よくあるお話と言ってしまえばそれまでかもしれませんが、思わずなるほどと唸ってしまうほどの立派な木でした

しばらく眺めていると、向こうから一人のお坊様が不思議そうにこちらを眺めて居られます

思わず頭を下げると、お坊様がこちらへと近付こうと、足を向けられました

私は“変化シェイプ・チェンジ”の魔法を使っていることもあり、どうしようかと少し戸惑いましたが、そろそろ渡し舟の時間だったことを思い出し、軽くお辞儀をすると急いでお寺を離れました



美濃国厚見郡鏡島村、臨済宗妙心寺派、瑞甲山 乙津寺おっしんじ

開基を行基、開山を空海に求めるこの寺は当時より“梅寺”として名を知られており、寛平五年(893年)には宇多天皇より『霊梅場』の額を賜わっていた

また、かの西行が諸国漫遊中にこの寺を訪れ梅を一枝所望したが、寺の小僧に素気無く断られたために


梅の花一枝をくれぬ小僧めが 庇一つ鏡島の乙津寺


という一首を詠み去ったという話も伝わっている

土岐氏が美濃の守護となり鏡島の寺領を没収されたりもしたが、代わって二百石を与えられ手厚く保護されてきていた

そんな乙津寺だったが、五年前の水害にて重大な被害を被り、また翌年には守護土岐氏と斎藤山城守の戦が始まったため復興も儘ならず、衰退する一方となっていた

そんな現状を憂えたのが鏡島城主の石河駿河守で、京の名刹・妙心寺より孤岫宗峻を招き寺の復興へと力を尽くした

この孤岫宗峻という僧は大桑おおが城近くの寺、南泉寺の開祖・仁岫宗寿の弟子に当たる

宗寿は土岐頼純の求めに応じ、永正十四年(1517年)にこの地へと訪れ開山したと伝わるが、大永四年(1524年)生まれの頼純とは年が合わない

頼純の父、頼武も頼純と名乗った時期があると言われている事から、この頼純は頼武のことと思われる

また宗寿の幾人かの弟子の中には、宗峻の他に美濃・土岐氏出身と伝わる快川紹喜がいた

この年、天文十四年に母を亡くした快川はその弔いの為に京の妙心寺よりこの美濃へと戻っており、同じ師を持つ孤岫が新たに入山したこの乙津寺へも時折訪れていた

「それで、先程から何を考えておられる?」

そう訊ねながら孤岫が、白湯の入った器を差し出す

それに生返事をしながら、受け取った白湯を一息に飲み干すと、快川が話を始める

「いや、こちらへ来る途中に梅の木を熱心に見ている年寄りを見たのだが、年寄りにしては妙に背筋が伸びきっていてな」

「そういう年寄りもおらぬとは限りますまい」

「それはそうだが、しかしな」今一つ気の無い返事を返す孤岫の態度に、多少ムキになったのか、姿勢を正し向き直る

「その年寄りの梅を見る姿が、なんとも形容し難い雰囲気があってだな、見た目はその辺りの年寄りにしか見えぬのに、全く目を外すことが出来なんだわ……」

「左様に気に掛かる年寄りなら、話をしてみればよろしかろうに」

「そうしようと思ったのだがな、こちらが歩み寄ろうとしたらその年寄り、会釈をして立ち去ってしまってな……、小坊主に聞けば渡しの方へと歩いていったらしい、あれはさぞかし高名な有徳の僧であったやもしれぬ」

「それは残念でしたな」

気難しい快川がそこまで言うとはと孤岫も少し興味を引かれたが、とはいえ直に見たわけでもなく、既に立ち去ったとあってはそれ以上の関心を持ちようも無かった

「それよりも、南泉寺にも行かれたのでしょう、仁岫先生の御様子は如何でした?」

「ん?ああ、いつもどおりであられたな」

先の斎藤山城守による大桑城攻めでは城下の町にも被害が及んだらしく、南泉寺もその例外とはならなかった

その為、先頃山城守と和平が成り大桑城へと戻った土岐頼純の命で、元の土岐氏の邸宅跡へと移転の準備が進められている最中であるらしい

賑やかな周囲の中でも、仁岫は常と変わらぬ姿勢を貫き日々を送っているらしかった

「御主も母堂の葬儀が済んだのであれば早々に修行の道へと戻れ、それが何よりの供養となろう、ときたものだ」

「御師の申されるとおりでしょう、そろそろ妙心寺へ戻られては?」

「御主は厄介払いがしたいだけであろう」多少拗ねたような口調でそう応える

そんな兄弟子の様子を、苦笑いを浮かべながら眺めていた


「さて、そろそろ行くとしようか」

「おや、もうお帰りで?」

「御主が追い出したのであろうが」

からからと笑いながらそう言われれば、再び苦笑いを浮かべるしかない

部屋を出ようとした快川が、ふと思い出したように言葉を紡ぐ

「ああ、明日の朝には立とうと思う」

「それは……、私が追い出したからで?」

「まさか、そろそ戻らねばと思っておったところよ」

そう言って悪戯に成功した童のような笑顔を見せる

孤岫は三度苦笑いを浮かべると、立ち去る兄弟子の背中に「お気を付けて」と声をかけた



川を渡った先は河渡ごうどと呼ばれる地で、ここから北西に席田むしろだ、本巣、大野と進み、赤坂を経て不破へと向かいます

本当なら川を渡らずそのまま南進して墨俣の地から大垣へと抜けたほうが近道らしいのですが、大垣は先年、織田家によって攻め落とされたばかりで、城主の織田播磨守さんの元、美濃攻めの前線基地として常に緊張した様子が続いているとのことです

流石にこの地を暢気に通過するのは危険でしょうから、回り道も仕方が無いことでしょう

ただその結果、不破の関を超えるまでおよそ八里、32kmほどは歩かなければいけません

お寺で少し時間を使ってしまいましたので、このままですと夜になってしまいます

場合によっては何処かで魔法を使うことも考えないといけません

そう改めて考えながら、足を北西へと向けました

ごめんなさい

前回の感想でも苦言を頂いたのですが、今回特にお話が進んでいません

月の前半全く作業が出来なかったこともありまして、年内になんとか形にするので精一杯でした

それでは、来年も御覧頂けましたら嬉しく思います

皆様もよいお年を

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