その1
「それでは、あとの事はよろしくお願い致します」
にゃあ、と弥平次さんの腕の中で使い魔が声をあげています
(ご主人様気をつけて)との事で、嬉しく思います
あの、光秀さんの結婚があった翌日、朝早くから私は住み慣れたお堂を離れて京都まで出掛けることにしました
昨夜はお堂に泊まった弥平次さんと相談し、明智のお殿様と羽崎村の村長さんにだけは事情を説明することにして、他の方々が起き出す前に出発する事となりました
その説明も、私が出掛けたあとに弥平次さんがして下さると言うことです
迷惑掛け通しで申し訳ないと思う反面、正直助かったという思いがあるのも事実です
なお明智の殿様にこの事を伝えた弥平次さんがこっぴどく叱られたと知ったのは、随分後の事でした……
やまとを弥平次さんに預けたのは、緊急時に連絡が取れるようにするためです
私と使い魔は感覚を共有する事が出来ますので、いざという時にはやまとに話し掛けてもらったり、逆にやまとを通してアプローチを掛けることが出来ます
そして“転移”の魔法を使えばすぐにお堂へと戻ることが可能です
私が旅に出ることをあまりよく思っていなかった弥平次さんが最終的に折れたのもこの件があればこそでした
お殿様達を説得する材料に出来るとのことです、確かに私の存在が庇護という名の監視対象であったのなら、勝手に居なくなってしまうのはお殿様達にとっては良いことではないでしょうから、常に連絡を取れる状態にあるというのは最低限の条件なのかもしれません
とは言え、この時代に旅先とここまで緊密な連絡手段があるとは思いもよらないでしょうが
弥平次さんとやまとに挨拶を済ませると、隠蓑の呪文を唱えます
この呪文は精神集中の続く限り、自分の姿を隠し通すことが出来ます
そうして私は、精神集中が途切れないようゆっくりとお堂を後にしました
そのまましばらく進むと、農作業用の小屋の影に隠れて魔法を解除します
ここからがいよいよ正念場です
私は“変化”の呪文を唱えると、この世界で最初に会ったお爺さんの姿へと変化しました
この魔法で変化するには、その姿をよく知っていないといけません
なので、見ず知らずの適当なおじさんおばさんの姿になる、というわけにはいかないのです
なのでよく知ったお爺さんの姿を借りたわけですが、もし他の村人に会うと当然私をお爺さんとして話しかけられてしまう恐れがあります
変化の魔法の効果は六時間、陽が高くなるほど人と会う可能性も増えますから、時間までに出来るだけ遠くへと行かないと……
ちなみに、この魔法で変えられるのは本人の姿のみで衣服などは変えられません
私がこの世界に来たときに、ローブの下に着ていたワンピースなどは幾つかの荷物と纏めて弥平次さんに預かって貰っていますので、今着ているのはこちらで手に入れた、村で若い女性が着ている着物と同じようなものです
なので、今姿を見られれば若い女性用の着物を着たお爺さんになってしまいます
…まあ、上からローブを着ているので大丈夫だとは思いますが、下手に姿を見られてはお爺さんにあらぬ誤解が掛かってしまいます
二重の意味で見つかるわけにはいきません
私は歩みを速めました
羽崎の村から西へ二里(約8km)ほど進むと、土田の宿へと入ります
そこから南西に山を越えおよそ二里進むと、犬山城に出ます
此処は美濃と尾張の国境いにあたり、城主の織田信清という方は先年の織田と斎藤の戦で戦死された織田信康という方のお子さんになるそうです
ですので、私が明智家に縁のある者だと知れれば良くないことになるかもしれません
犬山からは内田の渡しといって木曽川を船で渡ることになります
その先にある鵜沼という場所で船を下り、さらに一里半(約6km)進むと各務の地へと辿り着きます
この各務からおよそ二里半(約10km)でやっと井ノ口の街に到着です
合計でおよそ八里(約32km)、一時間に一里歩くとして悠に八時間はかかります
現代と違って道も悪いでしょうしそう順調に進むとも限りませんが、夜のこともありますのでなんとかそこまでは辿り着きたいところです
「ふう、少し休憩しようかな」
羽崎を出ておよそ二時間、最初の目的地の土田宿へと辿り着きました
弥平次さんの話ではこの辺りから河を渡って関の方を経由して稲葉山へと向かう道もあるらしいです
土田城の城主の土田源太夫さんは明智家の家臣、関城の城主の長井道利さんは斎藤山城守の一族だそうですので、確かに犬山を通るよりは安全かもしれません
ですが道路としての本筋はこちらの方だそうですので、あまり悪路なようですと通行も大変でしょうし、ここは変化の効果を信じて予定通りの行程で行こうと思います
それに私が旅に出た理由を思えば、山城守さんの身内だからといって安心できる訳ではありませんしね
土田の宿場を眺め歩いていると、食事を出す店を見つけました
こういったお店は江戸時代くらいにならないと誕生しないと思っていましたので、驚きつつ中へと入ります
店の人に食事のお値段を聞いてみると、一汁一菜でおよそ十文との事でした
ですので、十文を払い汁物の代わりにおにぎりを多目に作ってもらい、それを竹の皮に包むと少し休憩してから出発です
「爺さん気を付けなよ」と声をかけられたので、少し申し訳ない気持ちになってしまいました
土田からは山間を通り善師野というところを抜けて犬山へと向かうのですが、その前に人気の無い場所を選びおにぎりを取り出しました
そして魔法を唱えます
“防腐”
この魔法は物体を腐敗から守るもの、簡単に言うと食べ物などが腐らないようにするものですね
おにぎりが腐らないように魔法の処理を施すと、荷物の奥へと仕舞い込み改めて歩き出しました
「……想定外でした」思わずぽつりと呟きます
羽崎の方でも雪が降ることはあったのですが、それほと多く積もることはあまりありませんでした
ですが、善師野から犬山へと続くこの山道はかなりの雪景色となっています
けしてまだ大きく積もったわけではありませんが、なんの支度もせずにいたものですから、足元が既にずくずくになってしまいました
この世界に来たときに私が履いていたのは赤いスニーカーでした
異世界、この時の異世界はファンタジー世界の予定でしたが、そこで生活するには履きやすくて動きやすい方がいいだろうとの、女神様の御配慮です
ただ、流石に女神様も雪山を歩くことは想定されていなかったか、またはそれまでに必要なものを手に入れることが出来ると思われたのか……、この雪山を歩くには不向きな靴です
困ったなぁ、と立ち止まって呟きます
空を飛べば当然問題は無いのですが、そもそも夏の雨降らしの際に不用意に飛び回った事がこんな事になった理由のひとつでもあります
ここで空を飛んで移動してまた誰かに見つかってしまえば余計な面倒が増えるばかりです
仕方ない、と声に出して覚悟を決めると再び歩き始めました
土田から犬山までおよそ二里を歩くのに、予定の倍の四時間を要してしまいました
羽崎を出てから六時間、それでもどうにか昼過ぎには此所まで来れました
犬山城は天文六年に、先程の話にも出た織田信康という方が築かれたそうで、城下町もその際に整備されました
町の中央には町人町、その周囲に侍町、職人や商人などは加治屋町、魚屋町などのように同じ職業の人達を纏めて、その周囲を木戸や堀、土塁などで取り囲んでいます
尾張は美濃に比べて都会だとは聞いていましたが、こういった様子の町は美濃ではあまり見覚えがありませんので、なるほどなぁと感心してしまいます
私は町の少し手前で隠れると、変化の魔法を掛け直します
以前雨を降らせに回った時に私を見た人がいないとも限りません
目深にフードを被っていましたが、素顔を絶対に見られていないとは言い切れませんので、美濃を離れる辺りまでは変化の魔法を使っておいた方が良いと考えました
時間も時間ですので犬山の町で昼食をとも思いましたが、やはり織田家の城下町で長居するのは不安がありましたので、そのまま城下を抜けて渡し舟の船着場へと向かいます
「渡し賃は五文だよ、乗るかい爺さん?」
船頭さんの言葉に頷くと船へと乗り込みます
他の同船者の様子を見ていると、荷物を背負った場合は五文、大きな荷物で船床へと下ろす場合は別に五文請求されていました
どうやら占有面積で船賃が決まるシステムのようです
そうこうしているうちに船が乗客でいっぱいになり動き始めました
当然ながら生前にこんな経験は無いのでわくわくしてしまいます
ゆったりとした動きで船が岸を離れます
川を渡りながらふと元来た方を振り返ると、山の上にちらりと館のようなものが見えましたが、あれが犬山城でしょうか?
この世界に来てからもう四年目になりますが、今まで見たお城には写真で見た大坂城や姫路城のような天守閣が見られませんでした
地方の小さなお城というのはそういうものなのでしょうか?
そんな事を考えていると船が対岸へと到着しました
この辺りは鵜沼と言う地名どおり沼地が多いですね
そう言えば鵜沼の鵜の字のとおりこの辺りでは鵜飼いが行われているようです
生前から一度見てみたかったのですが、今はまだその時期ではないそうで見る事が出来ませんでした
そもそも鵜飼いは夜に行われることが多いらしいのですが……
鵜飼いと言うと長良川のイメージが強いですが、木曽川では他にも何ヶ所か鵜飼いを行っている場所があるらしいので、また見る事が出来る機会もあるかもしれません
船着場からすぐのところには鵜沼城があります
城主は大沢治郎左衛門為泰さんと言い斎藤山城守の家来だそうです
ちょうど木曽川を挟んで犬山城とにらみ合う形になっていますので、この城を守る大沢さんが重要な役割をしているのだろうな、とは流石に私でも想像出来ました
木曽川は川幅も広く容易には渡れませんし、お互いの城からは川の様子が手に取るようにわかる立地になっていますから、どちらも簡単には動けないのでしょう
国境沿いのお城と言うのは成る程こういう風になっているのだなぁ、と感心していました
さて、日差しも半ばを過ぎています
冬は日の入りも早いですからあまりのんびりとはしていられません
私は足を早め歩き出しました
各務のお城の主は各務将監常久さんと言うらしく、先年の斎藤山城守が主の土岐美濃守(頼芸)と争ったときには土岐氏側に付いて山城守と戦ったそうです
結局は敵わなくて降伏したそうなので今は斎藤山城守の家来と言うことになりますが、城下の噂を聞いているとその関係はあまり上手くいっていないようです
ここから井ノ口までは約二里半、三時間ほどかかるでしょうか
向こうに着くのは夕方過ぎになりそうです、冬は陽の落ちるのが早いのでもう暗くなっているかもしれません
今夜は井ノ口にある、羽崎村の村長の親戚さんのお店に泊めて頂くつもりです
この方には色々な噂話を届けて頂いたりと以前より幾らか交流もありますので、問題の無い範囲で事情をお話しても大丈夫でしょう
それに、美濃を出るまでは町での宿泊は避けたいですから
と言いますのも、変化の魔法の効果時間は六時間
間違いなく眠っている間に効果が切れます
目覚ましもないですし、そう都合よく起きてかけ直すことを考えるよりは事情をお話出来るところに泊めて頂いた方が安心でしょう
御迷惑を掛けてしまうことは申し訳ないですが……
そんなことを考えながら、井ノ口までの道を歩き続けました
・大沢次郎左衛門氏については“美濃諸国諸旧記”の記述を参考にしました
・当時の食事代、宿泊費、渡し賃などは“永禄六年北国下り遣足帳”を参考にしました
・各務城の城主が各務将監常久であるとの記述はインターネット上では個人ブログ一件でしか確認出来ませんでしたが、各務城に関する記事が少なく参考となる物が他に見受けられませんでしたので、こちらの作品ではこの記述を参考とさせて戴きました




