その7
稲葉山の麓には井ノ口という街がある
今より四年前、美濃守護代斎藤大和守利良の死によりその名跡を継いでいた山城守利政が手を入れ心血を注いだ街並みだ
その井ノ口の街に、長井氏時代から構えていた屋敷にて利政は政務をとっていた。
最近は手狭になってきていたこともあり、街の拡張に合わせて少しずつ手を入れていたがそれでも、今や美濃一国の主となった利政にはいささか見劣りのする屋敷だった
その奥まった一室で、主は客を迎えていた
「斯様に手狭な部屋にて申し訳ない」
「なんの……、左様なことは」
そういって客は、これ以上前置きは不要と言うように手を振って見せる
客の名は明智光安、山城守利政の妻、小見の方の兄だ。
その様子から意図を察した利政は、さっそく本題に入るとまずは深々と頭を下げる
「先の事はかたじけない、改めて礼を申す」
「何を申される、我等は家族では御座らぬか」
そういって光安は笑って見せる
羽崎若狭守の反乱による一連の騒動より、およそ一月が経過しようとしていた。
主を失った羽崎の城には城代として利政の家老が入っている
利政は当初、 今回の褒賞として十兵衛を元服させ城の主に据えようかと考えたが、これは光安が辞退した
また、どこから聞き付けたのか羽崎の本家に当たる久々利氏も執拗に反対したため、この話は立ち消えとなった。
「代わりと言ってはなんだが、十兵衛を馬回りとして預かりたいと思うがどうだろう?」
「さて、それは……」
(十兵衛が何と言うだろうか……)そう考え込む。
光安は、十兵衛が山城守を快く思っていないことを知っている
それだけに、この話を十兵衛が喜ばないだろうと思っていた
だが利政は、光安の沈黙を違った意味に受け取った。
「確かに跡取りを差し出すは不安やもしれぬ、だかお主は先程儂を家族と言うてくれたではないか」
いや、それはといいかけて、光安は口ごもる
アレは貴殿を嫌っているから、などと言えるわけがない
そして利政の言葉からも「畏れ多いから」といった誤魔化しが出来る状況ではない
「まあ、ともかく本人に話してみましょう」
「頼む」そういって頭を下げる。
その後は今後の美濃について考えを交わした
特に尾張へと落ち延びた先の屋形こと土岐頼芸と、その頼芸と争った頼武の子で越前へと逃れた頼純の両者
この二人は互いに相争っているが、もし斎藤山城への恨みで協力しあう事となればその背後にいる尾張の織田、越前の朝倉をも相手とせねばならなくなる
それだけに、早急に美濃一国をまとめあげてしまいたいところであった。
「なんとも手が足りぬわ、儂の考えを理解し動ける者が少なすぎる」
「山城殿の考えを理解出来る者などそう何人もおるまい」
光安は苦笑いを浮かべた
だが利政はそれに苦々しく応じる。
「それでは困るのだ、儂もそろそろ五十に手が届く……、何時までも儂一人で全てを取り仕切っておれるわけではない」
そう言って杯を干す
「儂の意を汲んで動ける者が欲しい……、十兵衛にはその素質があると思う」
「それで十兵衛を馬回りへと望まれたか」
得心がいった様子で光安も杯を空けた
「うむ……、まだ磨いてみねば判らぬが、あれなら儂の後継者にもなれると期待しておる」
予想外の好評価に光安が多少慌てた様子を見せた
「いや、アレは我が明智の跡継ぎにて……」
「わかっておるわ」普段あまり見ない光安の慌てた姿に多少の溜飲を下げたのか、笑ってそう応えた。
だがその笑顔も長くは続かない
「それに跡継ぎなら高政殿が居りましょう」
「あんなものはっ……!」苦々しく顔を歪めると、吐き捨てるようにいう
「大事を成せる器ではない、物の役にもたたぬ男よ」
利政の様子に溜め息をつくが、親子のことは端から口を出せばより拗れるとそれ以上の言及を避ける。
「儂はな民部、十兵衛にその器量があれば、この美濃を任せても良いと思うておる」
「山城殿……」
「孫四郎や喜平次はまだ幼い、あれらが大人になる頃には儂は六十を越えることになる」
杯に酒を満たすと再びぐいと呷る。
「その時、果たして生きておるやらわかったものではない」
「山城殿……」
「あれらに器量があれば良い、だがその器にあらざれば……、美濃と斎藤の家は、明智に託すしかない」
「………」
暫く腕組みをしたままでいた光安だったが、やがて杯を呷ると覚悟を決める。
「招致した、必ずや明智は、斎藤の家を助け美濃のために働こう」
「……かたじけない」
目を閉じると杯を伏せ、軽く頭を下げる
「さて、そうなれば一つ頼みがあるのだが、受けてくれような?」
「……そう切り出されては、断るわけには参りませぬな」
二人の笑い声が、部屋の中へとこだました……。
「私が、山城守の馬回り、ですか?」
「うむ、是非と頼まれたのだが……」
そう言葉にすれば、私の反応を待たれる
私が山城守を快く思っていないことは養父上も御承知だ、だからそんな対応となったのだろう。
確かに先日までの私なら即座に断っただろう
だが今回のことで、私はまだまだ未熟であり色々学ばねばならぬことがあると痛感した。
そういう意味では斎藤山城守は格好の人物であるし、その馬回りは最良の立場だと思った
今でも山城守に対しては否定的だし、またその手法に倣いたいと思っているわけではない
しかし、気に入らないからと始めから拒絶するよりはその側で良く学び、熟知した後でその手法を取るか取らないかを決めた方が、たとえ取らないと決めたとしても役に立つことも多いだろうと考えるようになった。
私も何時までも、養父に甘え現実から目を逸らした子供のままではいられない
養父を助け明智の、美濃の役に立てる武士にならねばならない
それが、私が手に掛けた相手への最低限の礼儀だとも思った。
私が引き受けると答えると、養父は驚いたようだったがすぐに喜んでくれた
もちろん、私が趣旨変えをした等と思われたわけではない
全てを理解された上でそれが私の、引いては明智の為になると思われたのだろう。
そう考えていると養父上がさらに言葉を続けられた。
「そうと決まればもう一つ伝える事がある……、お主の元服のことだ」
「元服、ですか?」
「ああ、そしてその烏帽子親を山城殿が務めることとなった」
「はあ……」
正直に言えばそれは勘弁して欲しいところだった
だが、主家であり叔母の夫でもある山城守が烏帽子親を務めるというのはおかしなことではないし、養父と山城守に恥をかかせてまで断るには「嫌です」だけでは理由が弱すぎた。
結局その件に関しても了解せざるをえなかった
しかし、烏帽子親が山城守となればもう一つ問題があった。
「と、言うことは、諱の方も……?」
「うむ……」
諱と言うのは元服し大人となったときに付ける名で、養父の光安や山城守の利政に当たる
これには偏諱と言って烏帽子親から一字を受けることが多かった
つまり今回の場合なら山城守の利政から一字と、明智宗家の名乗りに用いられる光を合わせ、光政、あるいは光利といった名前となる事になる。
(光政なら、まあいいかな……)などとぼんやりと考えていた私に、養父が意外なことを告げた
「私も十兵衛が山城殿に含むところもあることは知っていたからな、色々と理由をつけ断ったのだが」
「いえ、そこまでお気遣い頂き申し訳ありません」
「だが、完全に拒絶することは出来なんだよ」
「と、申されますと……?」
何故か、酷く胸騒ぎがした
「利政から一字が受けられぬなら、せめて長井時代の名からだけでも受けてくれと言われてな、それ以上は無理も言えなんだ」
長井時代といえば、確か……
「長井新九郎規秀より、秀でたの一字を頂いた、本日よりは明智十兵衛光秀を名乗るがいい」
そのときの私がどんな顔をしていたか、今もって思い出すことが出来ずにいた………。




