その5
羽崎・明智の両軍は天が峯の麓で合流することとなった。
明智氏が居城とする長山城は羽崎城の北東に位置し、ちょうど山を下ると羽崎の城の側へと降りてくる
城の側には八剱神社(後の剱宮神社)や日吉神社等があったが、やや離れた天が峯を合流地としたのはこの山にある稲荷神社が目的だった。
この天が峯は後醍醐帝の頃、倒幕の勅命を帯びた日野資朝が土岐頼貞・多治見国長等と密議を交わした場所であり、その際に日野卿によって羽崎の豪族に譲り渡された伏見稲荷神社の御神霊を祭神として創建されたのがこの稲荷神社であった
故に羽崎氏にとってこの稲荷神社は特別であり、この度の出陣においても当稲荷にて祈願しようということとなったのだ。
「若はこれが初陣ですな、どんな気分です?」
そう話しかけてくるのは可児才介、常に明智軍の先陣を務める切り込み隊長だ
才右衛門という十兵衛より少し上の嫡男がいるが、今回は留守を勤めている。
「……緊張している」
「そうでしょうなぁ、ですがまあ心配することはありませんぞ、此度の戦程度なら若の出番は有りませぬわ」
そう言ってがははっ、と大きな声で笑う
その声があまりに磊落であったので周りの者もつられて笑い出す。
その雰囲気に少し緊張も解けたのか、十兵衛はふうとため息を一つつく
そうしてようやく周りを見る余裕が生まれると、羽崎からの二名、羽崎左近と大森主馬が神妙な顔でついてきているのが見えた。
両名とも戦目附として本陣に詰めることとなっている
二人の姿を見て十兵衛は複雑な表情になるが、強いて表情を隠し駒を早めた。
明智軍が天が峯の麓に着くと、既に羽崎の軍が先に到着していた。
「やあ、遅れましたかな若狭守殿?」
「いやいや、お気になさらず民部殿」
明智家は先々代光継が朝廷より兵庫頭を受領していた事もあり、先代で十兵衛の実父である光綱も兵庫頭を自称した
だが正式に受領を受ける前に斎藤山城守と戦になり討死してしまった。
そのため跡を継ぐ形となった光安は、将来の当主である十兵衛に遠慮して、これも光継の受領である民部少輔を自称していた。
「十兵衛殿もお疲れで御座った、暫し休まれよ」
「いえ、お気遣いなく……」
自分がこれから彼等に行う仕打ちを思えばつい反応も鈍くなってしまう
「十兵衛はこれが初陣でして、緊張しておるのでしょう」
「ほほう、ではこれが終われば元服ですな、烏帽子親は是非某にお任せ頂きたい」
「それは願ってもない、ですが諱は某が考えますぞ」
そんな何気ないやり取りをしながら社殿へと向かう二人の後ろ姿を見つめがら十兵衛は思う
(こういった思いを積み重ねながら、私は家を支える武将にならねばならぬのだな)
もう今までのような気楽な身分でいることは許されない
だがそれは、十兵衛が自ら決断した結果だった……。
久々利の城は北に山を背負い南方の麓には久々利川が流れている
川を挟んだ対岸には円山と呼ばれる山があり、その中程には白山神社があった
その祭神は菊里媛命であり、これがこの地が久々利と呼ばれる由縁になったとも言われている
この白山神社に、明智軍は陣を置いた。
その数凡そ八百、城の守備に残った兵は百にも満たない
明智が城に僅かな兵しか残さず出陣したと聞き、若狭守もほぼ全軍に等しい六百の兵を率いて出陣した
羽崎の軍勢は城より南西の開けた場所に布陣した
後方と密に連絡を取りつつ、何かあった場合に進退を取りやすい場所といえる
「羽崎光直は天道に叛き順逆を弁えぬ極悪人なり!潔く本家の成敗を受けよ!」
「久々利悪五郎こそその名の通り大悪党なり!土岐家に仇成す斎藤山城に尾を振る犬侍ぞ!」
対岸に陣を構えた久々利勢と羽崎勢で口撃が交わされ、やがて川を挟んでの石合戦が始まった
円山よりこれを眺めていた明智勢だったが、石合戦が始まれば先手の可児才介・池田織部の両名が手勢を率いて山を駆け降りる
池田織部正輝家、若年ながら気骨のある人物で光安の信頼も厚い
明智勢が川辺へ迫ると久々利勢は徐々に城へと退却を始める
羽崎勢は少なくない手負いを出したが、序盤の勝利に大いに沸いていた
序盤の勝利に気を良くしていた若狭守の態度を一変させる報せが届いたのはその直後だった
「し、城が落ちただとっ!?」
「殿が御出陣されて一刻も経たぬ間に、何処から現れたのか二千程の軍勢が城を取り囲み……」
城から落ち延びてきたらしきその男はそこまで言って声を詰まらせる
「どうした、先を報告せよ!」
「ご、御家老の三井様木暮様を始め皆様悉く御討死なされた模様……」
呆然とする若狭守へと追い討ちをかけるような報告が続く
「殿の御家族は如何成された、敵に捕らわれたか?」
「奥方様は御三男茜丸様を刺し殺された後、御次男弥一郎様と刺し違え御自害なされましたっ!」
そう言い終えるとガクッとその場に崩れ落ちる
その背には深々と矢が刺さっていた
「なん、と……」身動ぎも出来ずにいる若狭守の隣で、大森主馬の嫡男隼人が呻き声をあげる
だが、最悪の報告はまだ終わっていなかった
「西の方より凡そ千五百の軍勢が接近中、旗印を見るに斎藤大納言の手勢かと!」
その場に居た者全員が、信じられないといった顔となった……
白山神社にある明智勢の本陣にも、同様の報告が届けられた
「兼山の斎藤大納言の軍勢が羽崎城を攻め落としこちらに向かっています」
「そうか、御苦労」そう使者を労い奥で休ませる。
そのすぐ後ろで、羽崎左近と大森主馬が真っ青な顔になっていた
「こ、このままでは我等は前後より挟み撃ちに合いますぞっ!」
そう訴える主馬の顔を、光安は冷ややかな目で見つめる
その表情に違和感を覚える
(今の使者は「羽崎城が落ちた」と言った、では長山城は?)
(そもそも兼山の大納言がなぜそんなに早く羽崎城へと攻め寄せた?)
(兼山から羽崎へ向かう道中、通るのは誰の領地だ?)
「……まさ、か」
「左近殿と主馬殿はお疲れのようだ、向こうでゆっくりして頂くとしよう」
「明智、貴様……!」そう叫び、腰の物に手を伸ばした刹那、大森主馬の体を幾本もの槍が貫き通す
がはっ、と血を吐いて崩れ落ちる主馬の姿を、光安はあくまで冷ややかに見つめ続けた
「し、主馬っ!おのれ……!?」
崩れ落ちる主馬の姿にようやく自体を理解した左近だったが、その背中に何かが突き当たる
「きさ、ま……、じゅ、べ……」
下を向いたままの十兵衛が、左近の背中へと体を押し当てていた
その手に構えた刀が、左近の体を刺し貫いている。
光安に促された馬回りが、十兵衛の体を左近から引き剥がす
刀を握ったままの手はガタガタと震えていた
「十兵衛、初めて人を殺した気分はどうだ?」
「……最悪、です」
「そうか……、だが、武士は人を殺すのが務めだ、早く慣れろ」
そう言って十兵衛に背を向けると周りへと指示を出す
一通りの指示を出し終えると、未だ立ち尽くしたままの十兵衛へと言葉を投げ掛けた
「但し、今のその気持ちを決して忘れるな」
白山神社の明智陣より合図の狼煙が上がる
「手筈通りだ、今こそ出陣するぞ!」
その久々利三河守の声に勢いよく応えると、城門を開き躍り出た久々利勢が怒濤の勢いで羽崎勢へと襲い掛かる
羽崎勢は本陣が混乱しており久々利勢の勢いを抑えきれないかと思われたが、相手が川を渡っての進軍だった事もあり先手の将はよく奮闘していた
だが、その横腹へと明智勢が襲い掛かれば流石にその力も尽き果てた
「おのれ明智めっ、貴様らの裏切り、末代まで語り継がれようぞっ!」才介の槍に貫かれながら、先手の将はそう叫んで絶命した。
「殿、此処は某が防ぎますゆえ、早く御逃げください!」
馬回りの一人がそう言うと、若狭守を強引に馬上へと押し上げる
「頼んだぞ!」そう別の馬回りへと声を掛けると、馬の尻を槍で打った
殿を乗せた馬が遠ざかるのを見届けると、押し寄せる久々利・明智の軍勢の前で、彼は高々と槍を掲げる
「やあやあ、我こそは羽崎若狭守にその人ありと……」
だが彼が、その言葉を言い終えることは無かった……。
羽崎へと向かう馬上で、若狭守は呆然と馬の首にしがみついていた
いったい何が起こったのか、全く理解が出来ていなかった
……いや、わかっている
明智が裏切ったのだ
だが、何故今裏切ったのか、それが理解できなかった
今この時に裏切るくらいなら、始めから十兵衛を寄越して仲間のふりをする必要など無かっただろう
何故このような、我が子を人質に差し出してまで、こんな回りくどい策を……
「と、殿……」馬回りの一人が、絶望した声を出す
前方に、斎藤大納言の軍勢が待ち構えていた
羽崎の城を落とし此方へと向かっていたのだから、羽崎に向かえばこうなることは当然だった
それでも彼等には、他に逃げる場所など無かったのだ。
「殿、お先に失礼いたします!」そう言って馬回りの一人が突撃していく
その姿に引きずられるように、他の馬回り達もそれぞれに言葉を残しては突撃していった
彼等の後を追うように、馬に鞭を入れる
「そう、だな……、梅、左近……、儂も参ろう……」
まるでその先に彼等が待っているかのように、待ち受ける斎藤勢へと馬を駆っていった
(何故、こんなことになったのだろうな……)
遠くの空に、天が峯が霞んで見えた気がした……。




