その4
「これは小若殿、……失礼、今は左近光信殿でしたかな?」
そう言われた羽崎若狭守の嫡男、左近光信は僅かに歪めた顔を取り繕って、大仰に頷いてみせる
「うむ、明智殿も息災なようでなにより……」
そんな姿を見て、若いな、と思う
平時ならその未熟さも好ましくも思えようが、大事を託すにはあまりにも危うい。
(あれで十兵衛より五つは上だったか……)ついそう比べてしまう光安だった。
その十兵衛は羽崎城より四人の目附を連れて戻るなり、土岐宗家の不遇を嘆き斎藤山城守の横暴を非難し、そして羽崎若狭の義挙を称え今こそ我らも土岐宗家を助け斎藤山城を討つべきだと力説した。
十兵衛が日頃より山城守を心良く思っていないことは薄々分かっていたが、それにしても常の彼らしくない軽挙さだと訝しむ
何か言おうかとふと十兵衛を見ると、いかにも高揚したような顔をしながらも目は真剣に何かを訴えているようだった
(成る程、何ぞ考えがあってのことか……)
「判った、儂とて土岐明智の頭領、肉親の情に迷って順逆を違えたと言われては家名の恥辱よ」そう言って立ち上がる。
「若狭守殿に伝えられよ、稲葉山攻めの先陣はこの明智光安が引き受けたと!」
羽崎の使者達が色めき立つなか、安堵したような十兵衛の表情を眺め、どうやらこれで良かったようだと一息つく。
もし十兵衛が同じように色めき立つようであったら策でも何でもなく、若狭守に同調してしまった事となる
その場合は明智の家を守るためには最悪十兵衛を切ると言う選択肢も考慮せねばならぬということになるからだった。
その後は両者の間で条件面の打ち合わせとなる
といっても十兵衛が、おそらく策の都合で取りまとめてきたであろう条件に対し、時折難色を示す振りをしながら最終的には合意すると言う芝居を繰り返しただけだが。
もっとも弥平次を人質として差し出すと言う話には流石に本気で渋い顔になったが、これは当の本人が進んで引き受けると言い出した
余程十兵衛を信用しているのか、それともここまでに何か打ち合わせでもしてきたのか……。
羽崎の使者二名が弥平次を連れて立ち去った後、残る二名と十兵衛とで今後の話を詰めた
まずは久々利の城を攻め落とし、その後に他の美濃衆、特に揖斐や山岸といった西美濃衆へと檄を飛ばし軍勢を集めるとのことだ
確かに明智と羽崎の軍だけで短期に稲葉山を落とすのは難しい、囲んでいる間に兼山の大納言や久々利から援軍が来れば勝ち目はない
なので一見この案が正しく見えるが、集まるのは反山城守勢だけではないという点を見落としている。
特に山城守側は先日の大桑城の戦で勝利し、守護職の土岐頼芸を追放したばかりだ
勢いという点では山城守側に利がある
まして戦上手の山城守に迎え撃つ猶予を与えるのは得策ではない。
たが、その事を光安は進言しなかった
当然十兵衛がその事を理解していないはずはないし、理解した上での結論とするなら裏があるということであろう。
「ならば早速戦仕度を始めましょう」そう言って十兵衛が立ち上がる
つまり、そうした方が都合がよいということだろう
「判った、直ちに戦仕度を始めるよう!」
そう指示を出された馬廻が怪訝そうな顔になる
が、再度念を押されると急いで駆け出していった。
彼等が怪訝に思うのも無理はない、戦仕度なら光安自身の指示でとうに終わっているのだ
これはその事を羽崎側に覚らせないための芝居であった
その後陣立てについて打ち合わせ、十兵衛や羽崎の二名は光安と共に本陣へ留まることとなった。
明朝出陣との羽崎方の主張に同意すると、その日は解散となった。
事が順調に推移していると聞き、若狭守は思わずほくそ笑む。
偽の人質の可能性も考えられたが、娘本人とその見張りをしていた者が共に、十兵衛と共に娘と会っていた当人に間違いないと証言した
その段階から罠を仕込んでいた可能性も無いとは言い切れないが、まず無視できる程度の確率と考えてよいだろう
明智弥平次を丁重に奥の一間へと通すと、世話係と見張りを手配りする
やがて長山城から明日の出陣についてすべて整ったとの報告が届いた。
当初の予定では娘の力を使い稲葉山を落とすつもりだったが、十兵衛の話を聞くうちに考えが変わった
明智が娘の力を把握していないなら秘中の秘として今暫く温存しておくのも悪くはない
稲葉山攻めに娘の力を使い、戦上手の斎藤山城に万が一逃げられでもすれば次からはその力も警戒されよう
明智の助力が得られるなら久々利を落とすことは難しくないし、期待通りに兵が集まるなら稲葉山攻略も可能かもしれぬ
その段で上手くいかぬなら、それから娘の力を使ってもよい
最後まで隠しおおせれば、諸将を一纏めとして捕らえることすら叶うやもしれぬ
そこまで考え、思わずニヤついた笑みを浮かべていた。
その思考が、十兵衛によって導かれていた等とは思いもよらなかった。
(いよいよ明日か……)
全ては明日に決まる、暗い天井を見つめながら十兵衛はそう思い悩んでいた。
おそらく此度の策、失敗しても明智の家が危機に陥ることはないだろう
事が発覚し羽崎と争うこととなったとしても山城守や三河守との間で話はついている
だが、羽崎の人質となっている弥平次やあの娘の命はどうなるか……
そう思えば今更ながらにその重圧に押し潰されそうだった。
(やはり、私は天下人などにはなれないな……)
あの娘との話を思い出して苦笑する
彼女が言うには、自分はもっと先の時代、未来から転生してきたらしい
例えるなら私が、平家物語や太平記の時代に行くようなものだという
その全てを鵜呑みにした訳ではないが、然りとて無用の嘘をいう人物とも思えない
むしろそれが出来るなら今のような身の上にはなっていないであろう……。
彼女は私に、応仁の乱というものを知っているかと訊ねた
応仁と言えば元号の事だろうし、その頃、応仁から文明にかけて都を、いやこの国全てを巻き込むほどの大乱があったのは確かだ
それを、彼女の住む世界ではそういったのだろうと答えた。
彼女の話では、その乱の後およそ百二十年に渡ってこの国は戦乱の世と化すらしい
私は彼女に、美濃について訊ねてみた
彼女は詳しい知識を持っていないらしいが、大まかに言えば美濃は斎藤道三という人物が治めていたそうだ
その道三はやがて息子と争い殺される
美濃はやがて道三の娘が嫁いだ織田信長という者に攻めとられることになるらしい
どちらの名も聞き覚えは無いが、道三というのは山城守の縁者であろうし、信長というのは先頃美濃を追われた御屋形様を引き取ったという尾張守護代の家臣、織田信秀の縁者だろう。
織田信秀は守護代の家来に過ぎないがその実力は守護そのものをも上回る
やがては下克上をしたとしても不思議では無いと思われた。
その織田信長は美濃を拠点に京へと上り幕府を滅ぼし、天下を制する手前までいくが、家臣に裏切られ殺されたという
その家臣の名が、明智光秀というそうだ……。
彼女はそこで私が明智を名乗っていることに気づき、謀反人として明智の名を出したことを謝罪していたが、それが彼女の知る事実なのなら謝罪をするような話でもない
寧ろ、羨ましいとすら思っていた。
そう告げると、彼女は不思議そうな顔をした、謀反人を羨ましい等と言えばおかしく思うのは当然だろう
しかし、彼女が言った一言が私にその思いを抱かせていた。
「明智光秀は後の世に、三日天下と呼ばれている」
おそらく彼女の世界では、それは揶揄や侮蔑の意味で付けられた呼称なのだろう
だが私は、たとえ三日であろうと天下を得たというその人物に羨望すら感じていた。
自分は美濃の片隅で一生を終えるのだと思っていたし、その事自体に今まで不満も疑問も無かった
だが、今の養父の生き方を見、同じ明智の名を持つ人物がたとえ三日でも天下に届いたと聞けば、自分にも何か出来るのではないかと、そんなことを考えてしまった。
私がこんな策を考え実行に移したのも、ただあの娘を救いたいと思っただけではなく、いや、それ以上に自分にも何かが出来るのだと証明したかっただけなのかもしれない。
だが明日の事を思い、弥平次やあの娘の身を案じて眠ることも出来ぬ我が身には、天下など遠い世界のことだと思い知らされた。
所詮自分は、美濃の片隅で生涯を終える人間なのだ
気が付けば、東の空がうっすらと白み始めていた
私は床を離れると、身を引き締めその時を待った……。
小若(小若州)=若狭守の子供、という意味です
いきなりこんな呼び掛けをして反応を試す辺り、光安さんもなかなか人が悪いと言えましょうw




