第2話 シーツ交換 VS バイタル測定
実習2日目。
午前中は看護師さんの複数受け持ちケアに付くシャドーイングがメインだったため、私たちが直接患者さんと関わるのは午後からとなっていた。
朝の控え室。私はどこか胃の奥が冷たくなるような感覚を抱えながら、一日の行動計画を突き合わせていた。
「今日もあのペースで動かれたら困るんだけど」
凛が低く澄んだ声で、苛立ちを隠そうともせずに吐き捨てた。その視線の先には、一人黙々とメモを見つめる玲奈がいる。
「ねー、本当にそれ!巻きで行かないと終わらないよね〜」
隣で明るく同意したのは志乃だ。志乃はハキハキとした笑顔で、臨地実習でもハキハキと喋って積極性をアピールするのが上手い。一見すると明るく頼もしいメンバーに見える。
けれど、私は知っている。学校生活での志乃は、課題をAIに丸投げして自分で確認もせず教員に呼び出されたり、グループワークでも都合が悪くなると放任主義で人任せにするズルさがあることを。さらに気に食わないことがあると、それまでの明るさが嘘のように露骨に不機嫌な顔や態度に出る。要領は良いが、本質的には全く信用できないタイプなのだ。
凛――ハッキリ物を言い、裏で容赦なく毒を吐く衝動的な怖さを持つ、私が最も苦手意識を持っている相手。
志乃――明るく積極的だが、都合が悪くなると態度を一変させて投げ出す、信用できないお調子者。
メンバー発表の日、名簿を見て私が血の気を引かせた理由は玲奈の存在だけではない。
強烈な凛と、調子は良いが頼れない志乃。グループ内に心を許せる拠り所なんて、最初からどこにもなかったのだ。
(大丈夫……深入りしないで、上辺だけの関係で波風立てずに乗り切るんだ……!)
実習前、友人がくれたアドバイスを心の中で何度も反復する。上辺だけの笑顔を貼り付け、とにかく無事に終わらせる。それが私の唯一の生存戦略だった。
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午後、いよいよ患者さんへの直接介入が始まった。
この日は実習開始後初のバイタルサイン測定。安全のため必ず指導教員の西条先生が同行することになっており、学生4人で巡回する順番をあらかじめ決めて進めていた。
しかし、2人目が終わった時点で時計の針はすでに14時30分を指していた。15時からは学生カンファレンスがあり、15時30分には病棟から引き揚げなければならない。大幅なタイムロスに焦りが募る。
そして、3番目の順番だった玲奈が動こうとしたその時だった。
「先生、すみません……!」
志乃が明るい声を少し焦らせて駆け寄ってきた。受け持ち患者さんのケア見学中、アクシデントによりベッドが水浸しになってしまったのだという。
「看護師さんから『患者さんが冷たいところで寝たくないっておっしゃってるから、すぐに教員と一緒にシーツ交換に入ってほしい』って言われてて……!」
志乃の切実な申し出に、西条先生が玲奈を振り返った。
「玲奈さんは、どうしますか?」
選択を委ねる問い。患者さんの安楽や状態を考えれば、答えは自明に思えた。志乃も必死に尋ねる。
「無理にとは言わないんだけど……どっちを先にする?」
しかし、玲奈はゆっくりと目を細めると、無言のままじっと黙り込んだ。
10秒、20秒、30秒――。廊下に凍りつくような沈黙が流れる。それまでニコニコしていた志乃の顔から一瞬で笑顔が消え、あからさまに引きつった不快感が顔に浮かび上がる。
「……バイタル測定に行く」
玲奈は配慮も謝罪もなく、教員を引き連れてそのままバイタル測定へと向かってしまった。
取り残された志乃は、いつもの明るい口調をすっかり失い、あからさまに不機嫌な顔で控え室に戻ってきた。
「ちょっとあり得なくない!? ベッドべちょべちょなんだよ? 患者さんのこと何も考えてなさすぎ!」
控え室で話を聞いた凛の顔色が変わる。
「は? 何それ、マジで自分本位すぎでしょ。普通に考えてシーツ交換が優先に決まってんじゃん。先生もなんで玲奈のペースに流されてんの?」
不機嫌を撒き散らす二人に、「優先順位的にシーツ交換が先だよね。先生帰ってきたら先に行ってきて!」と私のバイタルサイン測定を後回しにするよう話し合った。
しかし、玲奈の行動はそれだけにとどまらなかった。前日の影響で情報収集が遅れていた私はステーションでカルテをみて作業していた。廊下を向くと志乃はステーションのカルテが使われているのを確認し、控え室のを使用するためにステーションから出た。すると、控え室の端末を使おうとした志乃の動きを察知した玲奈が、すばやい足取りで先回りし、控え室の椅子に滑り込んだ。
「あ、ごめん。カルテ使う?」
言葉とは裏腹に、背中から滲み出る「貸す気はない」という凄まじい圧。普段はハキハキしている志乃や気が強い凛ですら、教員を独占して周りを見ない玲奈の威圧感に冷や汗をかき、直接「貸して」と言えないほど部屋の空気は冷え切っていた。
結局、全員がバイタル測定を終えた頃には、実習終了の時間を大幅に過ぎていた。他病棟のグループはすでに帰宅しており、私たちのロッカー室だけが重い沈黙と不満の空気に包まれている。
自分勝手な玲奈、それにキレ、あからさまに態度に出す2人。
誰も信じられない極限のアウェイ空間で、私は引きつる笑顔を必死に保ちながら、「明日をどう生き残ればいいのか」という不安に押しつぶされそうになっていた。




