第1話 ついに来た初日
「玲奈れいなちゃんと同じグループ……?」
名簿で実習の配属先を目にした瞬間、私の背中にスーッと冷たい汗が伝った。
玲奈――。学年の誰もが近寄ろうとせず、誰も自ら仲良くしようとしない、浮いた存在の同級生。
感情を表に出すのが極めて苦手で、気難しい口調と人を寄せ付けない独特の空気を纏う彼女に、周りはいつしかそっと距離を置くようになっていた。
けれど私だけは、2年生の1年間、彼女となんとか心を通わせたいと試行錯誤を重ねていた。不機嫌そうな態度の裏にある微細な拒絶のサインや、言葉の行き違いを考察し、彼女を理解しようとプロセスレコードまで書いて分析した記録がある。
誰よりも彼女の不器用さと、一度自分の世界に入り込むと他者を一切寄せ付けなくなる危険性を熟知していた私。
学年の誰もが避けてきた「あの気難しい玲奈」と、ついにこの過酷な実習で同じグループになってしまったのだ。
そして迎えた実習初日の午後。
病院独特の消毒液の匂いが漂うカンファレンスルームで、私の嫌な予感はひしひしと現実となる。
提示された条件は「電子カルテ2台に対し、学生4人」という、早くも雲行きの怪しいものだった。
「前半と後半で二組に分かれて情報収集を行いましょう」
指導教員の西条先生が淡々と指示を出す。
私――穂香は、玲奈と共に控え室で端末に向かい、凛と志乃の二人はナースステーションでカルテの情報を拾うことになった。
カチカチカチ、とマウスをクリックする音だけが響く部屋。
玲奈の横顔からは、私の知るあの「他者を寄せ付けない強烈な無言の圧」が漂っていた。
玲奈は西条先生とパソコンに向かい、患者さんについて熱っぽく議論を交わし始めている。先生もまた、彼女の積極的な姿勢に、付きっきりで解説を続けている。
だが、30分が過ぎ、40分が過ぎても、交代の気配は一向に訪れない。
(……どうしよう。代わってほしいって、なんて言えばいいんだろう)
玲奈の背中は壁のようにカルテを塞ぎ、西条先生も玲奈との世界に没頭して時計を見る気配すら見せない。実習終了まで残り15分。
胸の奥でドクドクと心臓が跳ねる。玲奈の放つ空気感に気圧され、「交代して」の一言がどうしても喉につかえて出てこない。過去に何度も向き合ってきた私でさえ、面と向かって声をかける勇気が出ない自分に、焦りと情けなさが込み上げる。
(だめだ、このまま言えずに待っていたら、情報収集が初日から詰んでしまう…!)
直接言えなかった自分の不甲斐なさを噛み締めながら、私は逃げるように、でも必死の思いで部屋を飛び出し、ナースステーションにいる凛と志乃のもとへ走った。
「ごめん、あっちカルテ空きそうになくて…こっちの端末、少し使わせてもらってもいい…?」
情けない声で頼み込む私に、凛と志乃は事情を察したように優しく頷いてくれた。2人に頭を下げ、冷や汗をかきながらノートへデータを書き留める。ギリギリの攻防だった。
実習終了のチャイムが鳴り控え室へ戻ると、玲奈は時間を過ぎてもカルテに向かい続け、「遅くなってごめんね」の一言すら口にすることはなかった。
病院を出た帰り道、夕空の下で私は申し訳なさから肩を落とした。
「カルテ、交代してって言えなくてごめんね……」
すると、横を歩く凛と志乃が、優しく首を振った。
「ううん、穂香ちゃんが困ってこっち来てくれたの分かったよ。大丈夫?」
誰にも譲ろうとしなかった玲奈の不器用さと、直接言えなかった自分の葛藤。そして、現場を省みない指導教員。
静かな混乱は確実に周囲を巻き込み始めていた。
自分の弱さと焦りを抱えたまま、私はこの過酷なサバイバルの渦中へと足を踏み入れることになったのだった。




