安定の代償
私は控室で、フルーツ牛乳とチョココロネを食べている。
師匠はまだ来ていない。
フンコロガシ族の神の事件から、一年と三か月が過ぎた。
あれから裁判は起こっていない。
しかし掃除人50人の仕事は減ることなく、
淡々と掃除を行う日々だった。
そして先日、同僚が発狂し、
新しい掃除人に入れ替わった。
彼は追い詰められた顔で、
「退屈だ。退屈だ」
と呟いていたそうだ。
神の国には、変化は起きない。
現実には些細な変化は起きているのだが、
基本ベースは完全に安定している。
温度も湿度も年中同じ。
カビも生えないし結露も出ない。
完全な理想郷なのだ。
私の時もそうだったが、新しい掃除人に入れ替わったところで、
特に知り合いでもない限り、何も変わることはない。
私は掃除人が発狂する理由の一つがわかった。
それは――大規模案件が発生しないことだ。
大規模案件とは、大きな汚れだ。
たとえばお風呂の黒カビ発生、鏡に水垢がつくなど。
その対応に手間がかかる案件だ。
私達掃除人は、日々汚れと向き合っている。
そして汚れが見つかると、それに立ち向かう。
裁判所では50人の掃除人がおり、
日々の掃除は完璧だ。
しかし完璧であるがゆえに、発生する大規模案件が極端に少ないのだ。
そう考えていると師匠がやってきた。
「おぅ。午前中どうだった。なんか大規模案件なかったか?」
と師匠は肩を叩いた。
「ぜんぜんです。完全にルーティンです」
と私は答えた。
「昔が懐かしいな。あの男子トイレの、男子用便器の下がべちょべちょになる件とか」
と師匠は遠くを見た。
「そうですね。解決されていない大規模案件が、ざらにありましたしね」
と私はうなずいた。
「そうそう。目地に黒カビびっちり案件とかな。暇な時には、助かるんだわ」
と師匠は言った。
「わかります。ここは設備が古いわりに、掃除人が優秀なせいか、めちゃキレイですものね」
と私は答えた。
「そうそう。いつも目を皿にして、汚れをさがすんだけど、めったに大規模案件はないもんな」
と師匠は言った。
「そうそう。水回りとかでも、分解しても汚れが出てこないですもんね」
と私はうなずいた。
「ほんと。たまには普通の家とか掃除したいよ。身体がなまっていけねぇ」
と師匠は肩を回す。
「そういえば、神様の家の掃除とかって誰がやってるんですか?」
と私は尋ねた。
「あそこはな。前世でメイドをやっていた者の中から、特に優秀な者がやることになっている」
と師匠は言った。
「じゃあ。私たちに仕事が回ってくることはないですね」
と私はため息をはいた。
「まぁそんな落ち込むなって。大規模案件だけが掃除じゃないしな。
日々の汚れをコマメに落とすのも、掃除人の真骨頂だわ」
と師匠は笑った。
「そうっすね。まぁでも大規模案件欲しいわ」
と私は言った。
「まぁな。でもな。たまにあるぞ。優秀なメイドでも落ちない掃除案件の募集が来ることがたまにある。まぁ抽選で当たればできるだけだけどな」
と師匠は言った。
「なんですか。それ滅茶苦茶気になります」
と私は言った。
「あぁそうか。じゃあ掲示板見に行くか」
と師匠は言った。
「はい。お願いします」
と私は言った。
裁判所を奥に行くと一つの掲示板があった。
そこには一件の張り紙があった。
(大規模案件。募集一名。報酬:チーズ。通信番号:※※※※※※※)
「あぁこれだ。これ。報酬はチーズか。牛の神かなんかかな。どうだやってみるか?」
と師匠は指をさす。
「これ行ってる間は、裁判所の仕事どうするんですか?」
と私は尋ねた。
「基本的には、他の者にやってもらうんだ。ただその代わりに、報酬を半分他の者に支払う。このケースならチーズを半分だな」
と師匠は言った。
「えっじゃあ。私がこれやったら、師匠は私の仕事をやってくれます?」
と私は尋ねた。
「チーズを半分よこしたらな」
と師匠はニヤっとした。
「じゃあ、やります。あとは抽選がいけるかどうかですね」
と私は言った。
「そうだな。とりあえず連絡してみろ」
と師匠は言った。
私は通信を始める。
「はい」
と男の声がした。
「あの……、掲示板の大規模案件。募集一名。報酬:チーズ。の件ですが」
と私は言った。
「採用だ。住所を端末に送る。いますぐ来てくれ」
と男は言った。
「あっはい。ちょっと待ってください。師匠、採用されたんですけど、今すぐって言われましたが、仕事代わってもらえます?」
と私は尋ねた。
「おぅ良いよ」
と師匠は笑った。
私は師匠に会釈をし、
「わかりました。住所を確認して伺います」
と私は言った。
「わかった。待ってる」
と男は通信を切った。
しばらくすると、端末に住所が送られてきた。
どうも近くのようだ。
「じゃあ。私は行ってきます。私の管轄わかります?」
と私は尋ねた。
「お前のIDは……、これか。おぅこっちの端末にデータを貰っておいた。
日をまたぐようなら、連絡してくれ」
と師匠は言った。
「わかりました。では行ってきます」
と私は言い、掃除道具一式をカゴにつめ、住所のところへ向かった。
住所の場所は、裁判所から歩いて15分ほどかかった。
古い貴族の邸宅のようだった。
入口付近で、執事のような佇まいの男が立っていた。
「裁判所の掃除人です。大規模案件。募集一名。報酬:チーズの件で」
と私は言った。
「私はこの家の執事にございます。御足労ありがとうございました。こちらにございます」
と執事は答えた。
私は会釈をして、
執事についていく。
執事が案内したのは、大きな浴場だった。
「掃除はどこでしょうか」
と私は尋ねた。
ぱっと見、それほど汚れている形跡はない。
「こちらです。この白い汚れのようなものなのです。今まで数名の掃除人の方に来ていただきましたが、薬剤がないからと断られました」
と執事は言った。
そうだ。
神の国では、基本的に人間の世界で使っていたような薬剤はない。
汚れの種類によっては、断るのもムリがないだろう。
全体にうっすら白い汚れのようなあとがついている。
これは水垢だな。
どうしよう。
手元の道具だけでは足りないな。
「あの手元の道具だけでは足りません。お酢か、レモンなど、すっぱいものはありますか?」
と私は尋ねた。




