水垢
「すっぱいものですか……、あいにくお酢もレモンもありませんね。私が人間だったころの初恋の甘酸っぱい思い出とかはどうですか?」
と執事は真顔で言った。
「執事さんの甘酸っぱい思い出では、この汚れは落とせませんね。たしか供物はあるのですよね」
と私は尋ねた。
「えぇ。その中から使えそうなものを探しますか?」
と執事は答えた。
「はい。見せてください」
と私は言った。
私は執事に供物が保管されている部屋に案内してもらった。
中には果物や穀物のほかに、ワインも置いてあった。
「古くなり酸っぱくなった白ワインとかありますか?」
と私は尋ねた。
「基本的には廃棄処分しますのでね。ちょっと待ってください。少しくらいならあるかもしれません」
と執事は言い、メイドたちに探させ始めた。
10分ほどで数本の酸っぱくなった白ワインが見つかった。
少し舐めてみると、完全にワインビネガーになっていた。
「ではこれを掃除に使います」
と私は言った。
「なるほど。どうぞお使いください」
と執事は答えた。
私の作業が気になるのか、執事やメイドたちが集まってきた。
私は作業を淡々と進める。
まず水垢のついている部分にボロ布を置き、ワインビネガーを振りかける。
そして30分ほど放置し、こする。
おぉ、ちゃんと取れる。
「こちら触ってもらえますか?」
と私は言った。
執事は触る。
「おぉ、つるつるだ」
と執事は言った。
「はい。あれは水垢といって、水の中の微量のミネラルが固まったものです。そしてミネラルは酸っぱいもので溶けるので、この方法でキレイになります」
と私は言った。
「なるほど、この水垢というのを防ぐ方法はないのでしょうか?」
と執事は尋ねた。
さすが執事だ。
「完全には難しいですが、水滴が乾ききる前にふき取ることができると、水垢はかなり防ぐことができます」
と私は言った。
「メイドたちに指導してやってもらえますか?」
と執事は頭を下げた。
「もちろん」
と私はそう言い、水のふき取り方を実演してみせた。
手で水を切る方法や、布で水を切る方法を教えると、さっそくあちこちを拭いていた。
「それで水垢を取る方法も、指導してやってもらえますか?」
と執事は頭を下げた。
私は酒と酢の見分け方から、赤ワインより白ワインが良いということ、掃除の仕方まで丁寧に教えた。
10名ほどのメイドたちが一斉に水垢取りをしたことで、一気に大浴場はピカピカになった。
大規模案件でじっくり掃除に向き合えると思っていたのに、とんだ誤算だったが、心は晴れ晴れとしていた。
「ありがとうございます。当家の主人がぜひ話したいと申されておりますので、こちらにお越しください」
と執事は言った。
私は会釈をして、執事についていく。
応接室には、この家の主人、おそらく神らしきものが座っていた。
「はじめまして。掃除人のアトムと申します」
と私は頭を下げた。
「こちらは当家の主にございます。神名となにの神かは言えませんが、高位の神であられます」
と執事は言った。
「今日はなかなかの働きだったそうで、感謝する」
と神は言った。
「いえ、もったいないお言葉、ありがとうございます」
と私は言った。
「君はこっちに来て長いのか?」
と神は尋ねた。
「いえ、まだ一年と少しです」
と私は答えた。
「そうか。じゃあこの世界の事情は知らないようだな」
と神は言った。
「はい。このお仕事の件も、今日初めて知りました」
と私は答えた。
「そうか。じゃあ私も今暇なので、いろいろ教えてやろう」
と神は笑った。
「ありがとうございます」
と私は言った。
「君は自分が死んだ理由を知っているか?」
と神は尋ねた。
「不慮の事故。というかありえない事故でした」
と私は苦笑いをした。
「そうだろう。あれはな。君が優秀だから強制的にこちらに招き入れられたんだ」
と神は答えた。
「えっ、そうなんですか?」
と私は尋ねた。
「そうだ。この執事もな。訳のわからない死に方だったな。なんだった?」
と神は言った。
「バナナの皮に足を滑らせて、体勢を立てなおそうとしたら、逆におかしくなって、頭を打ちました」
と執事は淡々と答えた。
「まぁこういう感じだ」
と神は笑った。
いやいや笑いごとじゃねぇだろうと思ったが、
別になんとも思わなかった。
メンタルが安定しすぎているのだろう。
「なにか聞きたいことはあるか?」
と神は尋ねた。
「そうですね。普段は何をされているんですか?」
と私は言った。
「そうだな。支持者の願い事を叶えているな」
と神は答えた。
「支持者というのは、信者さんとか、そういう感じですか?」
と私は尋ねた。
「そうだそうだ。叶えているんだ」
と神は言った。
「あの、前世で神様に頼んでも効果があった気がしなかったのですが……」
と私は言った。
「そう思うのも無理はないだろうな。あのな、願い事を叶えるというのは、なかなか難しいのだよ。ほら外界干渉罪」
と神は答えた。
「具体的にいうと?」
と私は尋ねた。
「そうだな。まず神は外界に干渉しすぎることはできない。そして利益相反もできないのだよ」
と神は言った。
私はしばし考え込んだ。
「まず神様は、自分の目的と利益相反する内容は叶えることができません。たとえばキノコの神に、キノコを減らしてくれと願っても叶えることはできません」
と執事は言った。
私はうなづいた。
「そして神様たちは、生き物の自発的な発展を基本的には望まれています。それゆえ外界に干渉しすぎることはできない」
と執事は言った。
「でも、それならほとんどの願い事は叶わないのでは?」
と私は尋ねた。
「いや、そうでもない。きっかけを与えたら、なんとかなる者も多い。だから我々はきっかけを与えることに専念するんだよ」
と神は言った。
私はうなづいた。
「できる限りのことはしなさい。そうしたらきっかけは与えてあげるから、的な感じですか?」
と私は言った。
「そうそう。そういう感じだ」
と神は言った。
人事を尽くして天命を待つ――か。
私は神がチート能力を与えるのを拒む理由が、なんとなくわかった。
だとすると、
神がチート能力を与えた本当の理由とは何だったのか?
お菓子が食べたいとか、不憫だった。
それが本当の理由だったのか?
私は少しわからなくなっていた。
(こんこんこんこん。失礼します!)
応接室にメイドが駆け込んできた。
「いったいどうした?」
と神は言った。
「たいへんです。神の国にコメツキバッタの群れが……」
とメイドは言った。
執事は腰を抜かしている。
「まさか、コメツキバッタが……」
と神は表情を曇らせた。
コメツキバッタ……、いったい何の事なんだ。
END
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
この作品は完結していますが、
反響があれば続編を書く可能性があります。
ブックマークしておくと、もし更新された場合に追いやすくなります。
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