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現代に残る聖杯伝説について  作者: 乙黒


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選択

 秋空君は一秒だけ目を閉じて自分の行く末を考えて、どういう行動をするか決めていたようだった。

もしかしたら杯を見た時に、それどころかこの世界に入った時から私達の運命は決まっていたのかも知れないと後に私は思う事になる。

 秋空君は杯を上から覗くと、そこには先程と同じように赤い液体が中には満たされているのだろう。それを注視してから、やがて、口元に近づけた。


「ほう――!」


 それに赫食いは歓喜する。


「嘘――」


 私は今後訪れる自分の未来に想像し、絶望した。


「いぃうぅ」


 クラウド達は一歩、また一歩と秋空君に近づいていく。


 そして秋空君は覚悟を決めて、杯の雫を飲むのではなく、杯へと――喰らいついた。

 鋭い歯を立てて杯自身に歯を立てる。杯はいとも簡単に割れた。杯の雫が割れた杯の隙間から口へと入る。もちろん、いくつかはこぼれて床に落ちた。また杯の一部も口の中に入り、奥歯で磨り潰して、喉の奥へと送ったもちろん杯の雫と一緒に。


「ああ、杯はやはり美味しいね。確かにどんな物よりも美味しい。クラウド達がこれに執着する理由もよく分かるよ。まるで濃厚なジャムみたいだ。さらさらと喉越しがよく、甘み、酸味、渋み、などが複雑に絡み合い、苺とも林檎ともあんずとも言えない濃厚な香りと、それらを出来る限り濃縮したように濃い味がするんだ。この骨の感触はクッキーに近いかな。さくさくとした、歯ごたえの良い食感と、骨自身にある甘み、それは決してしつこくなく、ほんのりと塩味も味わえて、ジャムのような赤い雫とマッチし、この世にあるどんな甘味よりも美味しいよ。甘みが舌の上で弾けて、喉を幸せが通り、胃が充足感で満たされるみたいだ」


 秋空君はとてもいい笑顔になりながら、感想を口から述べながら聖杯を食べていた。

その表情にはらここまで来た疲れや、友人を失った悲しみ、外にまともに出られないという絶望が全て吹っ飛ぶような美味しさ、幸福が杯には詰まっていたかのように笑顔だった。彼は今の自分が絶体絶命な状況なのも忘れて、杯をむしゃむしゃと食べる。一心不乱に、杯の雫はこぼしながらも、杯自身は零さぬように丁寧に、それでいて乱暴に素早く杯そのものを平らげた。

 まるで、聖杯を食べることが自分の運命だと言わんばかりに。


「な、な、な――」


 赫食いは秋空君の行動に言葉を失っていた。

 まさか杯ごと食べるとは思わなかったのだ。その言葉は絶望に染まっており、これからどういうことをしようか、また自分がどうしたらいいのか全く分からずに頭が真っ白になり、その場で立ち尽くしていた。


「え――」


 一方、私も同じだった。

 見つめることしか出来なかったのだ。口が間抜けに開いているだろう。状況がうまく呑み込めていない。


「いぃうぅ」


 そう叫ぶクラウド達は、秋空君がもう杯を食べたことであの雫が味わえないと泣き叫んでいるようでもあった。

その怒りからか、もしくは赫食いの拘束が完全に解けたのか、三体の足は早くなる。このどうしようもない絶望感を、彼にぶつけるつもりなのだろう。


「ふう。ごちそうさま。美味しかったよ――」


 秋空君は杯を食べたことによって思わず表情が緩んでいたが、自分に向かってくるクラウド達には気がついていた。すぐにもう一方の手に持っていた片手で瓶を開けて、三人のクラウドに向かって一本目の杯の雫を投げて、かけた。

 それだけで――三体のクラウドの動きは止まる。

 彼らは自らにかけられた杯の雫を大切に大切に舐めるのだ。決して床に落とさないように注意しながら。彼らは最早それしかできない奴隷になっていた。

 そんなクラウド達を秋空君は流し目で見ながら、私の元に近づいて右手を握られた。先程クラウド達が入ってきた穴へと向かう。それは赫食いとは一定の距離があり、そこから逃げ出そうとするのだ。

 そんな秋空君に、赫食いが怒号を発した。


「待て! お前は何ていうことをしたのだ! 偉大なる銀河の支配者の体を食べたのだぞ! 何という大罪をしでかしたのだ! それに貴様は怨みを買った。私のみならず、この町にいる数々のクラウド。てめえは、私達が、もう二度と赤い雫が飲めないという絶望を与えたのだ。それがどういう意味を持つのか分かっているのか?」


 赫食いは怒りで全身をぷるぷると震えさせながら言った。


「だから?」


 一方の秋空君の表情は先程と変わらない。涼しげだ。


「秋空久羽人。そなたを喰らってやる! 殺してやる! 貴様の肉体を八つ裂きにしても私の怒りは冷めやしない。お前の血肉を啜っても足りやしない。必ずや、この世界から出て、貴様の親兄弟、いや、てめえの住む町の住人も私達全員で食い殺してやるっ!」


 息を荒らげながら言う赫食い。

 その言葉は本気だった。おそらく赫食いはこの後、秋空君を食い殺すだけでは飽き足らず、町にまで出て人を見境なく喰らうつもりなのだろう。

 だが、そんな赫食いを嘲笑するように彼は言った。


「赫食い、君は何を言っているの? 君はいつまでこの世界の、クラウドの、支配者のつもりなんだ? 君はただ杯の雫を〝飲んだだけだ〟。たとえそれがどれだけ多かろうと、杯自身を〝食べた〟僕よりも偉くなったつもりなの? 断言してやる。君は二度とこの世界から出られない。杯の雫を、人の血を、夢見ながらこの世界で生きるんだ。――永遠にね」


「何だと! ききき、貴様は、わ、わた、わたしぃに、いぃやぅいういいおうぃぅ!!!!」


 彼の言葉に怒り狂って、最早先ほどまであった理性さえ無くなり、私達に向かってタックルしてこようと赫食いは動いた。その目は血走り、全身に怒りで筋肉が膨れ上がって、青い筋が浮かぶ。その言葉は既に人のものではなかった。クラウド達の言語だろうか。似た叫びを、未だに体についた杯の雫を舐めているクラウド達も上げていた。この時、私の目には赫食いがただのクラウドに見えた。

 そんな赫食いに彼は持っていた最後の一本の瓶を全力で投げた。赫食いは避けない。そんな攻撃で赫食いが止まるはずもなく、真っ直ぐこちらへと殺さんばかりに向かっている。

 だが、赫食いの体に当たった衝撃で瓶が割れる。中から杯の雫が飛び出し、赫食いの体全体にかかった。赤い雫の芳醇な香りは、クラウドの理性を狂わせる。赫食いは彼を食い殺すという目的を忘れてすぐに足が止まり、体についた杯の雫を舐め始めた。丁寧に、何度も何度も、服についた赤い雫は味が無くなるまで舐めるほど。

 私はそんな赫食いを尻目に、全力でその場から逃げた。背中からは、赫食い並びに他のクラウド達の叫びが聞こえる。いや、それは嘆きだっただろうか。

 私達は無言のまま山を降りる。不思議とお互いの足が止まることは無かった。私は幼い頃に飲んだアマシ様の影響で、秋空君は先ほど杯を食べた影響で、二人共体力が続くのだ。

 恐るべき勢いで山を降りた私達は、町に入り、やがて白点橋へと辿り着く。その間に別のクラウドと出会うことは無かった。もしかしたら彼らも屋敷に行って、最後の杯の雫を味わっているのかもしれない。白点橋の先は依然としてオレンジの霧に包まれており、私は彼に引っ張られる形でオレンジの霧の中に入った。

 霧の中に入ってすぐに、私は恐る恐る彼へと声をかけた。


「ねえ、どうして――杯を食べたの?」


私には疑問だった。どんな考えをすれば、あの場で杯を食べるという選択肢が生まれるのだろうか。そもそもあの杯、骨であり、形はコップだ。そんな物を食べようとは普通の人ならきっと思わない。私でもそんな事は思わなかった。


「――神宮さんの言葉で、だよ」


 秋空君は私の手を引っ張りながら、けれども決して前を見て振り返らず言った。


「どういう意味なの?」


 自分がした発言は覚えているが、どの言葉がそんな決心を彼にさせたかが私には分からない。

 すると彼は過去を、思い出すように言った。


「……かつて、俺は国城村に行ったことがある。十年ほど前だったと思う。そこで俺はお世話になっていたお爺ちゃんの言付けを破り、一人で山に入った。だけど、山では雨が降って、俺は雨宿りをした。そこは社だった。外では雨が激しくなり、雷も振っていた。だから俺はそこで雨が止むまでまとうと思ったが、何日たっても雨が止む様子はない。今思えば、あそこは――時間が狂っていたと思う。そしておれは腹が減って、社に祀られていた〝白い肉〟を食べた。あれはとても美味しい物で、杯にも匹敵する味だった。そして俺は白い肉を食べたことで、元の世界に帰ることが出来たんだ。だから、俺は元の世界にすぐに帰るために、杯も食べた――」


彼の話に私が口を挟むことは一度もなかった。

彼の言葉を噛みしめるように聞いていた。

そしてそれから長い橋をずっと渡ると、やがて霧は段々と薄くなり、いつもの空が見えた。もう空は暗かった。先程までずっと夕暮れだったのに、今では夜空に星が輝いている。二人はぼうっと急に変わった空を見つめた。橋の出口に立ったまま。

――その時だった。二人の横の自動車道を車が通ったのだ。ヘッドライトをつけた国産の車は、二人の横を通り過ぎる。それも一台ではない。二台も、三台も、もう夜ではあるが、まだまだこの橋は車の通りが多い。また遠くにはライトをつけている自転車が見える。対向車線の歩道では、人も走っていた。

どうやら、元の世界に戻れたのだと分かった。

私達はほっと一息をつく。

私は今までずっと握っていた彼の手を乱暴に放して、背を向けて言った。


「今日は疲れたわ。私は帰る。さようなら。また、後日話しましょう――」


「ああ、またな」


 そうして私は彼と別れた。

 あの世界から無事に脱出できたのはよかったけど、私の願いは叶わなかった。


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