霧
僕が屋敷の中に入ると、大きく分けて三つの道があった。一つは一階の奥だ。何があるかは分からないが、薄っすらと明かりが着いており、何やら物音も聞こえる。どうやら誰かいるみたいだ。一つは地下へと続く道。明かりはない。階段だけが下へと伸びており、何が待っているかわからないその暗闇に飛び込む勇気は菊花にはなかった。何故なら地下に入ってしまうと、もしもあの鬼のような怪物に襲われた時に逃げる場所がない。そもそも怪物と戦う力がない僕にとって、そんなリスクは取れなかった。
だから選んだのは最後の道だった。地下へと続く階段ではなく、二階へと続く大きな階段だ。この道を選んだ理由は二つ。一つは人の気配――もしくは鬼や怪物などの気配がしなかったことであり、もう一つは二階なら怪物に襲われて一階に戻も道が塞がれたとしても、死ぬ気で窓から逃げれば足が折れたとしても命だけは拾えるかもしれないと考えたのだ。
覚悟が粗方決まった所で、僕は出来るだけ足音を消しながら二階への階段を登る。それは螺旋階段であった。天井に飾ってあるシャンデリアが近くに見える。それは精巧に作られており、十字架型のした木製の上に、何本もの犬釘が埋め込まれている。それは何本も、何十本も、また犬釘の上に長いロウソクが怪しげな炎を揺らめかしながら光を放っている。菊花が不思議に思ったのは、そのロウソクはある程度時間が経っているというのに、それらのロウソクに蝋が垂れた様子もなく、またロウソク自体もどれも長いままであった。まるでつい先程、ロウソクを取り替えたように。
が二階に上がると、長い廊下に出くわした。奥の突き当りには、人か猿かは分からないが何か透明な液体に浸された脳の標本と、アンモナイトの化石が置かれてあった。それぞれ埃が上には被っており、どちらも長年手入れしていないようだ。
廊下の左右に部屋が広がっている。右に四つ、左に五つ計九個の部屋があった。どれも木製の扉であり、丸いノブにはどうやら鍵穴がある。菊花は恐怖と緊張で心臓を大きく高鳴らせながら一番近くにあった左手の扉に手をかけた。ぎぎぎ、と木が軋む音がする。どうやらこの扉には鍵がかかっていないようだ。
そして恐る恐る中を覗いた。
中には誰もいないようだった。それどころかシンプルな作りをしていた。ベッドが一つ。それに椅子と机が一組あり、部屋の端には今では見ることが少なくなったブラウン管のテレビが置かれている。客室だろうか。だが、今はどうやら使われていないようだ。ベッドメイクは完璧になされており、シーツには皺一つなかった。埃は多少降り積もっていたので、どうやら暫くの間この部屋は使っていなかったらしい。
机の上を軽く見るけど、手がかりは何もなかった。この部屋は本当に現在では使われていないただの部屋のようで、すぐに部屋を出た。
残る部屋は八つであり、一つ、二つと順番に部屋の扉をゆっくりと開ける。何も無かった。変わった物はいくつかあった。廊下にもあった脳の標本や昔に博物館で見た者と比べると小さいティラノサウルスのレプリカと思われる頭部の標本。他にも最初の部屋と同じようなただの客室と思われる場所もあった。また、当然のようにトイレや浴室もあった。
また研究室と思われる部屋もあった。そこには多数のフラスコ、ビーカーが机の上に置かれており、様々な色の液体も置かれてあった。ただ菊花が不思議に思ったのは、棚に置かれた瓶が一つ残らず一つ残らず空だったことだ。ビーカーなどには青や緑、また透明な液体が入っているというのに。
だが、まだ手がかりは無いみたいだ。
僕が求めている情報は一つ。オレンジの霧の発生原因だ。それさえ分かって、オレンジの霧を止めることさえできれば、今すぐにでもこの世界から逃げ出すつもりでいた。しかし何も見つからないまま、最後の部屋へと手をかけようとする。
声には出さないけど、僕はこの部屋を開けたくなかった。何故ならこの部屋は他の部屋と比べると一際離れた右手にあり、また扉も立派である。他の扉はただの木製であるのに対し、この扉だけは鹿の頭部が付けられてあったからだ。それも頭部に穴――おそらく銃痕だろうか、それがあるからこそ、他の部屋よりも厳格な雰囲気がする。
ゆっくりと中を確認しながら扉を開けた。鬼が出れば、いつでも出られる心構えをしながら。幸いなことに中には誰もいなかった。それどころか、中は他の部屋よりも狭く、マカボニー製の小さな机と、本棚が多数あるだけだ。ここは書斎なのだろうか。机の上にはご丁寧に万年筆とノートまで置かれてある。
本棚には様々な専門書が置かれてあるが、その大部分が医学、もしくは考古学に関わることであった。背表紙が無地の本も幾つかあり、その中の一つを手に取って見るとどうやら〝杯〟という単語が何度も出てきており、これらの本は〝杯〟について書かれているようだった。その研究の成果を書いたものだろうか。
その一つを僕は手に取って読み始める。
杯から無限に湧き出す赤い液体の効能。またそれを飲んだ者は、皮膚が赤黒くなり、角が生えて、赤い液体か――人の血肉を求める怪物になるらしい。どこかで見たことのある話だった。すぐにこれらの本に記載されていることが、先程まで自分たちを襲い、友人を二人も喰らった化け物たちのことだと悟った。そしてそんな化物がクラウドとこの本では記載されていることも知った。だが、今更彼らのことについて興味が無かった。
だけど探しているのは、霧についての詳細だ。何度もページを捲り、霧という詳細がかかれて無ければ次の本を見る。そして三冊目に手をかけた所、あのオレンジの霧について書かれた本を見つけた。その本ではオレンジの霧ではなく、橙の霧と書かれてあった。




