13 老人と家
照りつけていた太陽が夕陽に変わり、辺りを紅く染め始めた頃。
「ありがとうございます、助かりました。でも、本当にいいんですか?」
頭を下げた後、心配になってもう一度確認する白神。
相手のまだまだ働いています、と言わんばかりに日焼けした老人は笑いながら答える。
「ええですよ、気にせんでも。この家には誰も帰ってこんのですから。どうせこのまま朽ち果てるだけですし、自由に使ってくださいな」
白神が立っているのは一軒の家の前。手入れのされた、まだまだ綺麗なこの家を一晩貸してくれると、目の前の老人はそう言っているのだ。
「ならお言葉に甘えて・・・本当にありがとうございます」
もう一度深々と頭を下げる白神。
ここは木々に囲まれた小さな村。街とは違い、辺りには木造の簡素な家ばかりがまばらに建っている。
ここは白神の持っている地図にすらのっていないほど小さな村なのだ。昼間はずっと歩き続けていたのだが、ついに街と街を繋ぐ大通りに出られず、勘に頼って進むうちにこの村にたどり着いたのである。野宿か、と諦めかけていた白神にとってはまさに天からの助けに等しかった。
なぜなら、
「ほら、ユキ。お前も一応礼くらい言っとけ」
「・・・ありがとう・・・ございます」
白神の袖に掴まって何とか立っているような状態のユキ。そう、途中でユキがバテてしまい、初めの予想より進めなかったのもこの村にたどり着いた主な理由の1つだったのだ。
こんな調子でフラルまで本当に行けるのか、と心配になってくる白神。
とりあえずユキを復活させるためにも、まずは食べ物を確保しなければならないだろう。目の前の老人にそのことについて尋ねてみる。
「それともう1つお尋ねしたいんですが、食料を売ってる店はどこにーーー」
「ああ、それなら待っとってください。野菜と魚くらいなら持ってこれますから」
「でも、そこまでしてもらうわけにはーーー」
「遠慮しなさんな、この村では皆が助け合っとるんです。だから足りんもんは貰って、余るもんは渡して生活しとるからそもそも店なんてないんですわ。食べもんはワシに任せてください」
「・・・重ね重ね申し訳ないです」
深く頭を下げる白神。
いいよ、と身振りで示して歩いていく老人。そして少し距離の離れた隣の家へと入っていく。
おそらく、自宅まで食糧を取りに行ってくれたのだろう。
なんだか申し訳なさすぎて、白神は罪悪感すら感じていた。金という対価を払う分にはそれを遠慮なく受け取ることができるのだが、善意だけで物を貰うのはあまりにも気が引けるのだ。
金を渡そうにも受け取ってくれないだろうしな、と密かに思い悩む白神。
そのすぐ隣から、
「しらかみ・・・水を・・・」
ユキが力尽きそうな声で水を求めてくる。
「ほら。というかお前はもう先に入って休んでろ」
水筒を渡し、目の前の家を示す。
ユキは水筒を受け取っても、ふるふると首を横に振って白神から離れようとしなかった。自分だけ先に休むのが嫌なのだろうか。どこまで負けず嫌いというか意地っ張りなんだよ、と呆れる白神。
水を飲むユキを横目に見ながら、老人が戻ってくるのを待つ。静かな村。人の姿は見えない。まだ日は沈んでいないのだが、他の村人たちはもう家に帰っているのだろうか。
そんなことをぼー、と考えていると、
「待たせてしまいましたな、そんな所で立っとらんで入っといてくれたらよかったのに」
そう言いながら老人が小走りでこちらにくる。その手には山盛りの食材が抱えられていた。
「ほら、入ってくださいな」
そう言って中に入っていく老人。白神も水を飲んで少し元気になったユキを連れて、慌ててついていく。
中は薄暗かった。
老人は食材を置くと、手慣れた動きで立てられていたロウソクに火をつける。照らし出される室内。ずっと誰も住んでいない家と聞いていたので埃まみれで壁にクモの巣が張っているんじゃ、なんて思っていたのだが、そんなことはなく家全体が綺麗に掃除されていた。
それはまるで、誰かが毎日掃除しにきているかのような清潔さ。
その人間が誰であるか、それくらいの推測は簡単にできた。
「やっぱりこの家は、息子さんの・・・」
「いや、孫の家ですよ。息子は嫁さんと一緒に早死にしてしまいましたから、残された孫が成人した時に譲ったんですわ」
「そんな大事な家を借りてしまってーーー」
「気にせんでええですよ。その孫もあの戦に駆り出されて以来、まだ帰ってきとりません。ずっと誰もいないままですから、使ってやらんと家が可哀想なんです。
もし、なにかの拍子に孫がひょっこりと帰ってくるようなことがあった時のために掃除だけはしとりますが、やっぱり誰かに使ってもらうのが一番ええんですよ」
そう言って寂しげに笑う老人。
白神は返す言葉が見つからず、ただ頷くことしかできなかった。
老人は気にする風もなく食材を抱えると台所へと向かう。その時に見た老人の背中は、やけに小さく見えた。
「やっぱり、私は・・・どうすれば・・・」
隣から聞こえてきたのは、はっきりと聞き取れないほどに小さな呟き。
見てみると、ユキが隣で俯いていた。
何か深く考え込んだような表情。その小さな手のひらは固く握りしめられている。それはどこか自分を責めているかのような姿。白神はその普段とは全く違う様子に驚きながらも、少女の頭へと手をのせる。
「お前がそんなことを悔やんでもしょうがないだろ。過ぎたことを今さら言ってもしょうがないんだから」
「・・・うん」
歯切れ悪く返事をするユキ。
普通の貴族ならば国の舵取りなんてものは任せてもらえない。ただ税を取り立て、私腹を肥やすことのみを考えるだけの存在なのだ。だからこそ少女の家族とあの戦いはほとんど関係ないだろう。
それでも、少女は少女で何か思うところがあったのだろうか。
貴族にしては珍しいよな、と少し感心する白神。自分のことしか考えないクズ、それが白神の貴族に対する印象だったのだ。たとえそれが幼さゆえのものだったとしても、白神は少しだけ違った目線で貴族を見ることができそうな、そんな気がした。
そこから上手く話題をすりかえ、気持ちを切り替えさせようとする白神。食事の時にまで暗い話題を引きずるのは、老人にも食材にも失礼だろう。そうこうするうちに老人が鍋に野菜や魚を入れて煮たものを持って戻ってくる。
「あとはお二人で食べてくださいな。
ワシは隣の家にいるんで、なにかあったら遠慮なく呼んでください。それにしても、兄妹二人で旅なんて本当にえらいですなあ、やっぱり親を捜しとるんですか?」
「なっ・・・私は妹なんかじゃーーー」
「はい、そんな感じですね。とりあえずこの先の街までこいつと一緒に向かっているのですが、やっぱり街にはイーステリア兵がいたりしますか?」
否定しようとするユキの言葉を遮るようにして肯定し、そのまま白神は尋ねる。
むっ、と抗議の表情を浮かべるユキに対し、そ知らぬ顔を決め込む白神。せっかく勘違いしてくれているのに、わざわざ話をややこしくする必要なんてないのだ。
老人はその言葉に驚いたようにこちらを見てくる。
「街に行くつもりなんですか、なら気をつけた方がええですよ。
あの街は大きいからか知らんが、今はイーステリアの兵隊だけでなく帝国、それに連邦の兵隊まで来てるって話ですから・・・ほんまに、そんなに兵隊がおるんなら魔獣討伐の部隊くらい寄越してもええと思うんですがな」
それは貴重な情報だった。
イーステリア兵だけでないのならば街を迂回することも考えるべきだろう。
はっきり言って、後ろ2つの国の兵士は危険すぎる。なにしろ帝国と連邦は共に強大な軍事国家であり、王国を滅ぼしたのも実質的にその2国なのだ。白神もその強さはよく知っている。もしユキが貴族だと知られれば、大変程度では済まないほどの事態になるだろう。
だが、今はそれより先に聞いておくべきことがあった。
「魔獣討伐の部隊が来ない、ということは魔獣が出るんですか?」
「そうなんですわ、王国が街を治めていた頃は定期的にこの村にまで兵隊さんが来てくれとったのに、今は全く来ませんのでな。
来るのは税を取り立てる役人くらいで、おかげで夜は魔獣が何匹も現れて死人がでる始末。
若いもんが減ったこの村じゃ夜は危なくて出歩けんのですよ。あんたらも気をつけてくださいよ」
それじゃあまた明日の朝に来ますので、そう言って立ち上がる老人。
白神とユキに気を使ってくれているのだろう。その後を追いかけて急いで戸口までついていき、もう一度礼を言う白神。沈みゆく夕陽の下、その姿が見えなくなるまで見送る。
そして魔獣か、と一人呟いた。
どうやら、宿と食料のお礼をすることができそうだった。
とりあえずユキの隣に戻り、座り込む。
「いい人だったな。野宿のつもりが、まさかこんな良い家に泊まれるなんて」
「うん、そうね」
そう怒ったようにユキが言う。
むすっとした表情。どうやら、先ほど妹扱いされたのが気に入らないらしい。
どうでもいいことにこだわるなぁ、と呆れる白神。
「悪かったって。でも別に問題はないだろ、そもそもお前が貴族だなんて知られる訳にはいかないんだから。勘違いしていてくれた方がこちらとしても楽だ」
「それでも絶対に兄妹はないの! だって、それだったら私はしらかみの妹で、その、血縁関係ってことに・・・」
途中から急に声が小さくなるユキ。
・・・俺って嘘でも血が繋がっていると思われたくないほどダメな奴に見えるんですか、と地味に傷つく白神。
確かに目の前の少女は整った可愛らしい顔をしているため白神とは似ても似つかないだろうが、そこまで必死に否定されると悲しくなってくる。
それならなんて言えばよかったんだよ、と白神は心の中で拗ねる。
少女の身分をはっきりさせるべきだったのだろうか。
それならばどこぞの金持ちの娘ということにでもしてその護衛をしてます、と言えばよかったのだろう。しかし悲しきかな、白神はまだ若すぎて本物の護衛には見られないのである。
護衛にとって、見た目とは襲われるのを未然に防ぐためにも必要な重大要素の一つなのだ。
その他に生まれの差を示しつつ、旅をしていて怪しまれないような関係はーーーと一人考え込んだ白神は、そこでふと思いついたことをそのまま口にする。
「・・・なら駆け落ちした、とか」
「なっーーーなな、何を言ってーーー!?」
一瞬で真っ赤になるユキ。
わたわたと手を振り、座っていながら転けそうになっている。もはや挙動不審どころか、明らかに変な人にしか見えない。
軽い冗談のつもりがそのあまりの反応に驚く白神。
「おいおい、鍋に突っ込むなよ」
「か、か、かけ、駆け落ちなんてーーー!!」
「いや、冗談だから。さすがに俺もそんな見境なしだと思われたくないしーーーって本当に大丈夫か、ほら、水でも飲んで落ち着け」
呼吸困難に陥りそうになっているユキに水筒を差し出す。
ケホケホ、とそれを飲んですぐにむせる少女。落ち着かせるつもりだったのだがどうやら逆効果だったらしい。白神はとりあえず苦しむ少女の背中をさすってやる。
「どうしたんだよ、本当に。とりあえず深呼吸してみろ」
「っ、はぁー、はぁー・・・しらかみが、変なこと、言うから」
涙目で抗議してくるユキ。
俺のせいなのかよ、と思わないこともないが、潤んだ瞳で見上げてくる少女にそれを言うのはなんだか可哀想だった。よしよし、と動物をなだめるような感じで接する白神。
対して子ども扱いされたと感じたのか、ユキは頭を撫でられぬよう抵抗する。
そうこうしている内にも鍋は冷えてしまうので、白神はしばらくユキをからかった後、鍋の蓋をあける。
一応、ちゃんと煮えているか確認してから、老人が置いていってくれた取り分ける用のお椀を用意する。野菜や魚がふんだんに使われた鍋。基本的に安く手軽なものしか食べない白神にとっては久々の手の込んだ食事だった。
とりあえず先にユキの分をよそう。美味しそうな匂いが鼻を刺激し、食欲を誘ってくる。間違いなく美味しい、食べる前からそう断言できるほどに上手く出来上がっている鍋。
「もう少しいけるか。いっぱい食べないと成長できないしな」
そう言いながら、ユキのお椀に山盛りに具材を入れる白神。
「っ、いけるに決まってるじゃない、私はまだまだ成長するんだから!」
少し躊躇う素振りを見せた後、お得意の負けず嫌いを発動させるユキ。
このお碗は底が深いため、見た目の量よりもさらに大量の具材が入っているのだが、白神はそ知らぬ顔でユキに渡す。ちなみにこれは嫌がらせなどではなく、単純に鍋に入れられている具材の量が多いため、全てを消費するためにはユキにも頑張ってもらうしかないためである。
さすがに善意で作っていただいた食べ物を残すのは白神の心が許さない。
そして、自分のお椀にも山盛りによそっていく白神。それでもまだ鍋には山盛りにして2杯分ほどの具材が残っていた。ユキにはあの1杯でもしんどいはずなので、残りは全て白神が食べるしかないだろう。
しっかりと手を合わせるユキにならい白神も手を合わせる。
まあ、ユキじゃ全部食べられないだろうな、と密かに予測する白神。その食べ残しを含めると白神の食べる分は3杯と少し、といった具合だろう。ずっと軽い食事しかしてこなかったが、おそらくは食べ切ることができるはずだった。
さっそく箸をつける白神。
普通に美味い鍋。素材の味が染みだしていて、夏にもかかわらず何杯でもいけそうだった。ユキも言葉を忘れたかのように無言のままパクパクと食べ進めている。
ーーーそして、しばらくの後ーーー
「おーい、無理なら残せ。ちゃんと食べてやるから。意地張っても仕方ないだろ?」
「っ、まだ、いける・・・」
どう見ても苦しげな表情で魚の切り身を口に運ぶユキ。その手にあるお椀の中身はあと二、三口分くらいなのだが、少女の手は震えている。
本当に負けず嫌いだよな、とある意味感心する白神。
白神はもう3杯分を食べ終えていたのだが、まだ問題なくいけそうなので、ユキが食べ切ることができなくても問題ないのだ。
無理しなくても俺が食べてやるのに、と呆れ半分感心半分で見守る白神。そこに少女にとっての残せない理由があったりするわけなのだが、そんなことを気にしたことのない白神が気づくことはない。
そうこうしている内にユキはほとんどを食べ終え、残るは最後の一口になっていた。何かに耐えるかのように最後の一口を見つめ、大きく息を吐くユキ。そして意を決したようにパクっと口に入れ、無理やりといった様子で飲み込んだ。
「おお、頑張ったな」
思わず手を叩く白神。
べつに嫌味などではなく、絶対無理だろうと思っていたために少女が完食したことに素直に感心しているのだ。負けず嫌いもここまでいけば大したものだろう。
「・・・ふぅ」
一仕事終えたかのように息を吐くユキ。
白神はその食べ終えたばかりのお椀と箸を受け取り、自分のものと一緒に鍋に入れて回収していく。タダでご飯をめぐんでもらったのだ、きっちりと洗い、明日までに乾かしておくのが最低限の礼儀というものだろう。
そのまま台所に向かう白神。
「私も手つだーーーっ!?」
そう言ってついてこようとしたユキが、途中で口元を押さえて固まる。その姿を見てため息をつく白神。
「吐かれたりしたら更に困るから、お前は休んでろ。別に鍋と二人分の食器洗うだけだから、一人でも問題ないし」
「・・・うん」
大人しく引き下がるユキ。
今回ばかりは少女としても辛いのだろう。
そんなユキを残したまま白神はそのまま台所へ向かい、そこで置かれている巨大な水瓶に水が一滴も入っていないことに気づく。
(そうだよな、家自体は掃除されてるけど、誰もいない空き家だから水も抜いておかないと腐るんだろうな)
街とは違い、さすがにこんな小さな村までは水は引かれてないのだろう。どうやら老人は水筒か何かで鍋用の水を持ってきていたらしい。確か外で井戸を見た気がするな、と白神はこの村に着いた時の光景を思い出す。
ついでだから持ってる水筒にも水を入れてくるか、と扉に向かいながらユキの飲み干した水筒を拾い上げる。できることはまとめてする、それが面倒くさがりな白神の信条なのである。
「あっと、武器武器」
そこであの重たい大剣のことを思い出し、慌てて手に持っていたもの全てを床に置く。
あの大剣は重い上に大きいため、座る時には非常に邪魔になる。というより、外さないと座れないのだ。
一応、今も予備の短刀をいくつか隠し持っていたりするのだが、あの大剣の破壊力に比べればあまりにも貧弱なのである。持っているもう1本の刀も極力は使いたくないため、あれがなければいざという時に困るのは目に見えていた。
ズシリ、とした重さの愛剣を背負う。
今まで何度も命を預け、共に死線をくぐり抜けてきた相棒。無骨で何も語らないが、結果で応えてくれる実力派。やっぱりこの重さと大きさが信頼できるんだよな、なんてことを思いながら洗い物を持ち直し、外に出ようとして。
「ぐふっ!?」
背中の大剣が出口に引っかかり、食べたばかりの胃袋をいきなり圧迫される白神。
・・・やはり、この大剣を相棒として信頼できるのは戦場だけのようだった。




