第46話 私が殺すはずだった二人
「人と、記録が動いています」
調査員の言葉に、ロンドの表情が引き締まった。
「どこから?」
「以前から確認していた関係先の一つです。保管されていた荷物の一部が、予定のない時間に運び出されています」
「人は?」
「出入りしていた者のうち、数名が同時に姿を消しました」
ヴェティアは机の上へ置いていた手を握った。
ただ荷物を移しただけなら、ただ人が帰っただけなら、それだけで罪にはならない。
けれど、こちらが調査を進めている最中に、複数の人間と記録がまとめて動いた。
「証拠隠滅ですか?」
ルミエが尋ねる。
「可能性はあります。ただ、まだ断定はできません」
調査員の答えは変わらない。
分からないものは、分からない。
だからこそ、今確認する必要がある。
「追っている者は?」
「すでに出ています」
ロンドが立ち上がった。
「僕たちも行く」
「殿下」
「現場の安全確認が終わるまで前へは出ない」
調査員が一瞬だけ迷い、それから頷いた。
「承知しました」
ヴェティアも立ち上がる。
そのとき、先ほど決めたことを思い出した。
勝手に動かない。
一人で決めない。
「ルミエさん」
「はい」
「あなたは――」
残る?
その言葉を飲み込む。
「どうする?」
ルミエは少しだけ驚いた顔をして、それから頷いた。
「行きます」
「分かったわ」
もう、勝手に安全な場所へ押し込めない。
その代わり。
「絶対に、一人にならないで」
「ヴェティア様もですよ」
「分かってる」
ロンドが二人を見る。
「行くぞ」
◇
目的の場所へ近づくにつれ、空気が変わった。
王家側の人間が先行し、周辺を押さえている。
ヴェティアたちは、確認が取れるまでは通りから少し離れた位置で待たされた。
遠くに見える建物は、特別なものには見えない。人や物が一時的に出入りしていても、不自然ではない場所だった。
だからこそ、これまで長く使われていたのかもしれない。
「殿下」
先行していた調査員が戻ってくる。
「中はすでに一部空になっています」
「記録は?」
「残っているものもあります。ただ、持ち出された形跡があります」
「人は?」
「二名確保しました。ですが、もう一組が裏側から移動した可能性があります」
ロンドがすぐに指示を出す。
「追跡は王家側に任せる。僕たちは残っているものを確認する」
「承知しました」
その瞬間だった。
「待ってください!」
別方向から声が飛んだ。
同時に、乾いた破裂音が響く。
ヴェティアは反射的に振り返った。
「ルミエさん!」
通りの端。ルミエの近くへ、一人の男が踏み込んでいた。
距離が近すぎる。
護衛が間へ入ろうとしている。だが、相手の手には魔法の気配があった。
「風!」
ヴェティアは杖を振った。
鋭い風を、人ではなくその足元へ叩き込む。
身体を浮かせるほど強くはしない。
踏み込みを崩す。
男の体勢が傾いた。
同時にルミエが後ろへ下がる。
「大丈夫!?」
「はい!」
短い返事。
ルミエは自分の前へ薄い光の膜を展開した。
完全な防御ではない。それでも、次に飛んできた小さな魔法の塊を受け、勢いを削ぐ。
そこへ護衛が入った。
男の腕を押さえ、杖を落とさせる。
「確保!」
声が響く。
ヴェティアは息を吐きかけて――。
「殿下!」
今度は別の声。
振り向く。
ロンドの近くで、馬車が急に進路を変えていた。
狭い通りを、こちらへ向かってくる。
偶然。
そう思うには、あまりにも。
「土!」
ヴェティアは地面へ杖を向けた。
ロンドの前、石畳の一部を僅かに隆起させる。
馬車の車輪が跳ね、進路がずれた。
御者が慌てて手綱を引き、護衛がロンドを脇へ引く。
馬車は壁へぶつかる直前で止まった。
「ロンド様!」
「僕は大丈夫だ!」
声が返ってくる。
ヴェティアは息を呑んだ。
二人。
同時に。
ルミエへ近づいた者と、ロンドの動きを妨げた馬車。
別々の出来事で、まだ同じ命令で動いたとは言えない。
「偶然……?」
ルミエが呟く。
誰も答えなかった。
答えられなかった。
ただ、王家側の人間たちの動きだけが一気に速くなる。
「セルメール嬢を中央へ!」
「殿下の周囲を固めろ!」
「馬車の御者を確保!」
「裏手の追跡を続けます!」
ロンドが声を上げる。
「全員、追うな!」
命令に、数人が足を止めた。
「保護と追跡を分けろ。ここを空にするな。残っている記録を先に確保する」
「ですが、殿下」
「全員で追えば、証拠を残して逃げられる」
ロンドは早口にならない。
危険の中でも、必要なことを分けている。
「捕まえられる者を追う班。ここを押さえる班。セルメールとブュッフェの周囲にも人を残せ」
「承知しました!」
人が動く。
ヴェティアはルミエを見る。
「怪我は?」
「ありません」
「本当に?」
「はい」
ルミエは自分の腕を見てから頷いた。
「結界が少し削られただけです」
「無理しないで」
「ヴェティア様も」
言われて、自分の手を見る。
杖を握る指が、僅かに震えていた。
(怖かった)
ルミエが近づかれた瞬間。
ロンドの前へ馬車が来た瞬間。
頭の中が真っ白になった。
その直後、別の光景が浮かんだ。
知っている。
この二人が、同じ場所にいて、自分と向き合っていた光景を。
原作の最後。
闇魔法を完成させた鮮血姫ヴェティア。
その向かいに立つ、ロンドとルミエ。
自分を選ばなかった男。
自分から奪ったと思い込んだ女。
だから殺す。
原作のヴェティアは、そんなところまで進んでいた。
(……違う)
今、目の前にいる二人を見る。
ロンドは王家側の人間へ指示を出している。
ルミエは、倒れた護衛の腕へ弱い光を当てていた。
「大丈夫です。大きな怪我ではありません」
守られるだけではない。
二人とも、自分にできることをしている。
その姿を見て、胸が痛くなった。
(私は)
原作では、この二人を殺そうとしていた。
ロンドが自分を選ばなかったから。
ルミエがロンドに選ばれたから。
自分のものにならないなら、許せない。
そんな気持ちで。
(……今は)
違う。
ロンドがこれから先、自分を選ぶかどうかなんて分からない。そもそも、まだ自分を完全に信用しているわけでもない。
ルミエだって、自分と友人でいてくれるとしても、ずっと隣にいるとは限らない。
いつか、別の道を選ぶかもしれない。
それでも。
(生きていて)
喉の奥が熱くなる。
(お願いだから)
自分を選ばなくてもいい。
自分のそばにいなくてもいい。
それでも。
(生きていてほしい)
その願いだけは、何の迷いもなく胸の中にあった。
「ヴェティア?」
呼ばれて顔を上げる。
ロンドがこちらを見ていた。
「どうした?」
「……何でもありません」
「本当に?」
「今は」
ヴェティアはルミエを見る。
怪我はない。
次にロンドを見る。
こちらも無事だ。
それだけで、胸の奥が少しだけほどけた。
「二人とも」
「はい?」
「何だ?」
「……無事でよかったです」
ルミエが目を瞬いた。
ロンドも、一瞬だけ黙った。
「ヴェティア様もです」
先にルミエが言う。
「あなたも無事でよかったです」
「……そうね」
ロンドも小さく息を吐いた。
「三人ともだ」
ヴェティアは、その言葉に頷いた。
「はい」
◇
現場の確認は、それからもしばらく続いた。
近づいてきた男については、ルミエ本人へ用があった可能性が高い。
ただし、誰から何を命じられたのかはすぐには分からなかった。
馬車についても同じだった。
御者は、急いで人を運ぶよう指示されたと話しているらしい。
誰が、どこまで、何を知っていたのか。
まだ整理が必要だった。
「直接つながったとは言えないな」
ロンドが言う。
「はい」
ヴェティアも同意する。
同じタイミングだった。
だから同じ指示だった。
そう決めつけるのは簡単だ。
けれど、簡単だからこそやってはいけない。
「でも」
ルミエが言う。
「私たちが危険だと思っていたときに、こういうことが起きたんですよね」
「そうだ」
ロンドが頷く。
「偶然だと切り捨てる理由もない」
確定ではない。
それでも、警戒を強める理由には十分だった。
しばらくして、裏手へ回っていた調査員が戻ってきた。
「殿下」
「どうした?」
「運び出された荷の一部を確認しました」
ロンドの目が細くなる。
「中身は?」
「すべてではありません。ただ、古い研究記録と思われる紙束と、魔法装置の部品らしきものが含まれています」
ヴェティアの背中へ冷たいものが走った。
「装置……」
「以前確保した地下施設のものと、完全に同じとは確認できていません」
調査員は続ける。
「ですが、使われている部材と魔力を通すための構造に共通点があります」
「運び先は?」
「途中で二手に分かれています。一方は確保。もう一方は追跡中です」
ロンドが考える。
「逃げるために持ち出したのか」
「あるいは」
ヴェティアは口を開く。
「別の場所へ移そうとしている?」
調査員が頷いた。
「その可能性があります」
別の場所。
ヴェティアの頭に地下室が浮かぶ。
拘束具。
傷。
不完全な記録。
失敗。
拒絶。
融合。
「研究場所が……他にもある?」
「まだ断定はできません」
「分かっています」
それでも、もしここで運ばれているものが研究を続けるためのものなら。
あるいは、証拠として残しておけないものを移しているのなら。
「殿下」
別の調査員が戻ってきた。
手には、保護された紙片がある。
「荷を運んでいた者が落としたものです」
「読めるか?」
「一部だけです」
ロンドが受け取る。
ヴェティアとルミエも、横から見る。
完全な文書ではない。
数字。
短い記号。
物品らしき記載。
そして、場所を示しているらしい簡単な指示。
「これって」
ルミエが小さく言う。
「今、追っている先ですか?」
「方角は一致しています」
調査員が答える。
「それと」
別の紙を出す。
「ここに記載されている支払い先の一部が、以前確認した仲介経路と重なっています」
ヴェティアは息を止めた。
エドガー・クラヴェル伯爵家の周辺へ、何度も遠回りにつながっていた経路。
「伯爵本人まで?」
ヴェティアは聞いた。
「まだです」
即答だった。
「ですが、これまで個別に見えていた人、物、金の動きが、同じ方向へ集まり始めています」
「……そう」
疑いは強くなった。
でも、まだ足りない。
エドガー本人の命令だとは言えない。
まして、その上にレナードがいるとも。
まだ。
「追跡班から連絡です!」
遠くから声が飛ぶ。
全員が振り向いた。
「運び出された荷の一部が、別の建物へ入ったことを確認しました!」
「中は?」
ロンドが聞く。
「まだ確認中です。ただ」
報告に来た男が息を整える。
「外から確認できる範囲で、魔法装置らしきものがあります」
ヴェティアの指先が冷えた。
「動いているの?」
「分かりません」
「人は?」
「複数いる可能性があります」
ロンドが即座に命令する。
「近づきすぎるな。中に人がいるなら、証拠より先に安全確認だ。周囲を押さえて、出入りを記録しろ」
「承知しました!」
人が走る。
ヴェティアは遠ざかる背中を見つめた。
逃げている。
消そうとしている。
それでも、何かをまだ動かそうとしている。
(未完成の研究……)
胸の奥で、嫌な予感が形を持ち始めていた。
原作の最後に、自分が完成させるはずだった力。
その手前まで、今、別の誰かが進もうとしている。
ヴェティアは隣を見る。
ロンド。
ルミエ。
原作では、自分が殺すはずだった二人。
今はただ――。
この二人が生きている未来を、失いたくなかった。




