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極悪令嬢だった私ですが、自分で作った罪は自分で刈り取ります  作者: Atelier Lotus文庫
第六章 鮮血姫の研究

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第43話 一人で償うこと

 助けられた。


 あの地下室から、一人の人間を生きたまま連れ出すことができた。


 本当なら、今はその事実を考えていればよかったはずだった。


 けれど夜になっても、ヴェティアの頭から離れないものがある。


 床へ刻まれた魔法陣。


 使い込まれた設備。


 擦れた革の拘束具。


 壁に残っていた傷。


 そして、薄い布の上に横たわっていた人。


(原作の私なら、助けなかった)


 今日、設備を止めるために使った四属性の魔法も、原作ではもっと先へ進むために使った。


 本来なら一つにならない異なる属性の力を近づけ、失敗すれば条件を変え、対象を変え、それでも研究を続ける。


 最後には人間まで使って、鮮血姫は闇魔法を成立させた。


 地下施設へ残されていた記録は、失敗ばかりだった。


 安定しない。


 拒絶が起きる。


 対象の身体へ負荷がかかる。


 条件を変えても、なお成立しない。


 それなのに、原作の鮮血姫はその先へ進んだ。


(……私だったから)


 その考えを、もう完全には無視できなかった。


 四属性すべてへ高い適性を持っている。


 それぞれを高い精度で扱える。


 複数を同時に意識しても、制御を失わない。


 今日だって、四方向の設備へ同時に魔力を伸ばし、それぞれを別々に弱めることができた。


 人を助けるために使った。


 その事実は、確かに嬉しかった。


 同じ力でも、何へ使うかは選べる。


 ほんの一瞬だけ、そう思えた。


 けれど時間が経てば、別の考えが入り込んでくる。


(あれを完成させられたのも、私だったからなんじゃないの?)


 原作のヴェティアが持っていた才能と、今の自分が持っている才能は同じだ。


 ならば、やはりこの事件は。


(私が止めなければ)


 他にも被害者がいる。


 別の場所へ移された人間もいる。


 まだ研究を続けている者もいる。


 次の施設が見つかったなら、今度はもっと先へ自分が行けばいい。


 危険な設備があるなら、自分が確認する。


 罠があるなら、自分が先に近づく。


 自分には原作の知識がある。今の研究が何へ近づいているのかも、他の二人よりは分かる。


 あの研究へ最も近い力を扱えるのも、自分だ。


 だったら。


(私が傷つけばいい)


 ルミエは傷つかない。


 ロンドも、危険なところまで来なくて済む。


 自分一人で済むなら、その方が――。


「ヴェティア様」


 不意に名前を呼ばれ、ヴェティアは顔を上げた。


 いつの間にか、ルミエが目の前へ立っている。


「何?」


「また考えてましたね」


「……何を?」


「一人で何とかしようって」


 ヴェティアは思わず視線を逸らした。


「そんなことは」


「あります」


 即答だった。


「顔に書いてあります」


「そんな便利な顔をしているつもりはないわ」


「最近、分かるようになりました」


「それは困るわね」


「困らせるために言ってます」


 ルミエは笑わなかった。


 ヴェティアも、それ以上冗談を続けられない。


 少し離れたところには、ロンドもいた。


 地下施設から確保された資料の整理が進み、三人にも共有できる範囲が増えている。


 本来なら、これから何を確認するべきか話すために集まったのだ。


 それなのに、ルミエは資料よりずっとヴェティアを見ていた。


「ヴェティア様」


「何?」


「次に何か見つかったら、どうするつもりですか?」


「どうって……」


「また、ご自分だけで危ないところへ行こうとしてませんか?」


「一人で行くとは言っていないわ」


「まだ言ってないだけですよね」


 痛いところを突かれた。


 ヴェティアは一度黙ってから、息を吐く。


「……次の場所が見つかったら、私が行った方がいいとは思っているわ」


「またですか」


「理由はあるの」


「聞きます」


 ルミエは引かなかった。


 ヴェティアは、言えることと言えないことを頭の中で分ける。


「私は、この研究について知っていることが多い」


「はい」


「今日も、設備を止められた」


「はい」


「次も同じ仕組みとは限らない。でも、似たものなら私が役に立つ可能性は高い」


「そこまでは分かります」


「だったら――」


「そこから、だから危険なことを全部ヴェティア様がやる、にはならないです」


 言葉を遮られた。


「私は」


「ヴェティア様」


 ルミエの声が、はっきりと強くなる。


「私、ヴェティア様に償ってほしいから一緒にいるんじゃありません」


 胸の奥を、不意に掴まれたような気がした。


「……何を」


「ずっと、そうでしょう?」


 ルミエは両手を胸元で握る。


「何か悪いことが起きると、ヴェティア様は、自分が何をすれば止められたかばかり考える」


「それは」


「今日だってそうでした」


 ルミエは続けた。


「助けたときは、ちゃんとあの人を見てました。何をすれば少しでも安全に出せるか、それだけ考えてた」


 ヴェティアは何も言えない。


「なのに、終わって少ししたら、またご自分のことを責め始めた」


 見抜かれていた。


「だって」


 堪えきれず、声が漏れる。


「知っていたのよ」


 ルミエの表情が僅かに変わった。


「この研究が、どこまで行くのか」


 全部は言えない。


 ゲームのことも。


 鮮血姫になる未来のことも。


「似た研究が人を傷つけることも、その先にもっと危険なものがあることも、私は知っていた」


「でも、それは」


「しかも」


 言葉が止まらない。


「私なら、同じことをした」


 部屋が静かになった。


「ヴェティア様……」


「私だったの」


 声が震える。


「人を使って、傷つけて。それでも止めなくて。最後には、あの研究を完成させるのは」


 ルミエは、何の話をしているのか全部は知らない。


 ロンドも同じだ。


 それでもヴェティアには、今さら自分の中だけへ押し戻すことができなかった。


「だから、私が一番危険なところへ行くべきでしょう」


「違います」


「何が?」


「違います」


 今度は迷いなく、ルミエが言った。


「ヴェティア様が傷つくことは、償いじゃありません」


 ヴェティアは口を閉じた。


「昔、ヴェティア様が実際に傷つけた人がいるなら、その人に謝ることも、できることをすることも必要だと思います」


 アンナの顔が浮かぶ。


『私は、忘れていません』


 あの日、そう言った彼女。


「でも、今、別の誰かがやっていることまで、ヴェティア様が傷つくことで償えるんですか?」


「それは……」


「ヴェティア様が怪我をしたら、今日助けた人の傷が消えるんですか?」


「……消えないわ」


「まだ見つかっていない人たちが帰ってくるんですか?」


「帰ってこない」


「じゃあ」


 ルミエの声が少しだけ震えた。


「傷つかないでください」


 ヴェティアは目を見開く。


「そんな……簡単な話じゃないわ」


「簡単じゃないです」


 ルミエはすぐに返した。


「私だって分かりません。ヴェティア様が何を知っていて、何をそんなに怖がっているのか」


 一度、息を吸う。


 それから、さっきより少し小さな声で続けた。


「でも、私はヴェティア様を救いたいです」


 ヴェティアは何も言えなかった。


 言ったルミエ自身も、少し驚いたように目を瞬いた。


「……救う、っていう言い方も変かもしれませんけど」


「ルミエさん」


「うまく言えません。でも、嫌なんです」


 握った手に力が入る。


「ヴェティア様が、誰かを助けるためなら自分はどうなってもいいみたいに考えるの」


 そこでルミエは、ふっとヴェティアから視線を逸らした。


「そういうのを見るのが、嫌です」


 それ以上は言わなかった。


 ヴェティアも、聞けなかった。


 胸の中へ何かが入り込んでくる。


 温かいような、痛いような。


 どう扱えばいいのか分からないもの。


「セルメールの言う通りだ」


 今度はロンドが口を開いた。


「ロンド様まで」


「僕は少し違う言い方をする」


 彼は机の上に置いていた資料から手を離した。


「まず、分けて考えろ」


「何をです?」


「君が実際にしたことと、していないことだ」


 ヴェティアの表情が強張る。


「アンナ・ローレルへ魔法を向けた」


 ロンドはまっすぐ言った。


「それは君が実際にしたことだ」


「……はい」


「暴走させるつもりがなかったとしても、傷つけるつもりで魔法を向けた事実は変わらない。謝ったから消えるわけでもない」


「はい」


「彼女が今も忘れていないことも、君は知っている」


「……知っています」


「なら、それは君自身が向き合うべき責任だ」


 胸が痛んだ。


 けれど、否定したくはなかった。


「一方で」


 ロンドは続ける。


「今日見つけた施設を作ったのは君か?」


「違います」


「人を集めたのは?」


「違います」


「実験したのは?」


「違います」


「今もどこかで同じことを続けている人間がいるとして、それは君か?」


「……違います」


「なら、その犯罪の責任は、今それをしている人間のものだ」


「でも、私は」


「知っているから?」


 先を取られた。


「……はい」


「知識があるなら使えばいい」


 ロンドの声は変わらない。


「今日のようにな」


 ヴェティアは顔を上げた。


「君の知識と魔法があったから、設備を安全に止められた。だから一人が助かった。それは事実だ」


「だったら、なおさら」


「だから危険を全部引き受けろ、とはならない」


 また、同じところへ戻される。


「責任を負うことと、自分を罰することは同じではない」


 ヴェティアは黙った。


「君は今、その二つを混ぜている」


「……そんなつもりは」


「ある」


 ロンドは言い切った。


「君自身も、もう気付いているだろう」


 返す言葉がなかった。


 気付いている。


 どこかで、傷つけばいいと思っている。


 自分が苦しめば、少しは釣り合うのではないかと思っている。


 アンナへしたこと。


 原作で自分がするはずだったこと。


 今日見た被害者。


 まだ見つかっていない人たち。


 全部を抱えて、その重さの分だけ自分を削れば、それで何かを返したことになるのではないかと。


「でも」


 それでも、ヴェティアは言った。


「何もしないわけにはいかないでしょう」


「誰が何もしろと言った?」


 ロンドがわずかに眉を寄せる。


「君には来てもらう」


「……え?」


 思わず聞き返した。


「次の調査で、君の知識が必要ならな」


「危険だから残れとは……」


「言わない」


 ロンドはヴェティアを見る。


「君はここまで、この事件へ関わってきた。情報も持っている。実際に役に立つ知識もある。必要なら、判断にも加わってもらう」


 守られるだけの婚約者へ向ける言葉ではなかった。


 同じ事件を追う相手へ向けた言葉だった。


「ただし」


 ロンドが続ける。


「勝手に一人で行くなら止める」


「……」


「自分だけ危険を引き受けようとしても止める」


「厳しいですね」


「君が厄介なんだ」


「それは否定できません」


「やっと自覚したか」


「前からしています」


 少しだけ、空気が緩んだ。


 隣でルミエが小さく笑う。


 ヴェティアは二人を見た。


 どうして、と思う。


 自分はこんなに面倒なのに。


 過去も、隠していることも、決して軽くはないのに。


 それでも二人は、勝手に離れてくれない。


「……分かりました」


 ようやく口にする。


「何がだ?」


 ロンドが念を押す。


「一人では行きません」


 言った瞬間、胸の奥で何かが抵抗した。


 自分だけなら、誰も巻き込まない。


 自分だけなら、失敗しても自分だけで済む。


 その考えは、まだ消えていない。


 だからヴェティアは、誤魔化さず続けた。


「全部、納得できたわけではありません」


「それでいい」


「今でも、私が一番危険な役目を負った方がいいと思うところはあります」


「それはよくないです」


 すぐルミエに返された。


「分かってるわよ」


「本当ですか?」


「……少なくとも」


 ヴェティアは一度言葉を選んだ。


「あなたたちを勝手に置いていかない」


 ルミエが黙る。


 それから、ゆっくり頷いた。


「はい」


 ロンドも短く答える。


「ああ」


 それだけだった。


 大げさな誓いではない。


 劇的な和解でもない。


 罪悪感が消えたわけでも、自分を犠牲にすればいいという考えを捨てられたわけでもない。


 それでも、次に何かが見つかったとき、自分だけで向かう道は選ばない。


 少なくとも、今は。


 ヴェティアは机の上へ視線を落とした。


 地下施設から確保された記録。


 救出された人の証言。


 まだ見つかっていない人たち。


 今、見るべきものはそこにある。


 一人で償う方法ではない。


 三人で、この事件を止める方法だった。

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