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極悪令嬢だった私ですが、自分で作った罪は自分で刈り取ります  作者: Atelier Lotus文庫
第六章 鮮血姫の研究

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第41話 鮮血姫の研究室

「ここから先は、確認が終わるまで入らないでください」


 先に地下へ降りた王家側の調査員が、階段の途中で振り返った。


 ロンドが頷く。


「分かっている」


 ヴェティアは何も言わなかった。


 石造りの階段の下から、冷たい空気が上がってくる。


 湿った土と古い木。何かを燃やしたような焦げた臭い。そして、鼻の奥に残る、薬品とも金属ともつかない臭い。


(……嫌)


 まだ何も見ていない。


 ここが本当に研究施設なのかさえ、完全には確定していない。それなのに、身体の方が先に拒んでいた。


 周辺を調べた結果、この建物へ人や物が運び込まれていた形跡が確認された。


 失踪者の一部へ繋がる仕事の紹介。


 古い研究資料を扱っていた仲介経路。


 新しい観察記録。


 それぞれを追った先が、この場所の周辺で重なった。


 それでも、三人だけで踏み込むことはしなかった。


 先に王家側の人間が内部を確認する。危険な魔法や罠がないか、人が潜んでいないか、崩落する場所がないか。その確認が済んだ範囲に限って、ヴェティアたちも入る。


 それがロンドの決めた条件だった。


「ヴェティア様」


 隣から小さな声がした。


「何?」


「……手」


 言われて初めて、自分が裾を強く握っていることに気付いた。


「別に、平気よ」


「そうですか」


 ルミエはそれ以上言わなかった。


 ただ、いつもより少し近くに立った。


 やがて地下から足音が戻ってくる。


「入口周辺は問題ありません」


 調査員の表情は固かった。


「ただし、奥まで完全に安全を確認できたわけではありません。入られる場合も、我々より先へ出ないでください」


「何があった?」


 ロンドが尋ねる。


 一瞬だけ、相手が言葉を選んだ。


「……見ていただいた方が早いかと」


 その返事だけで、胸の奥が沈んだ。


◇


 地下は、想像していたより広かった。


 階段を降りた先に短い通路があり、その左右にいくつかの部屋が並んでいる。


 最初に見えたのは、空の棚だった。


 何かを急いで運び出したのだろう。棚板には埃が積もっているのに、一部だけ色が違っている。床にも、重い物を引きずったような跡が残っていた。


「片付けられていますね」


 ルミエが小声で言う。


「ああ」


 ロンドが答えた。


「ここを離れる準備をしたか、証拠になるものを移したか。まだどちらとも言えない」


 調査員たちが部屋の中を確認している。


 紙片。


 割れた容器。


 消されかけた文字。


 何かが置かれていた跡。


 完全に空ではない。けれど、必要なものだけ持ち去ろうとしたようにも見える。


(間に合わなかった?)


 誰が、何に。


 考えそうになって、止める。


 まだ決めつけるな。


 ヴェティアは自分へ言い聞かせた。


 次の部屋へ進む。


 そこで、足が止まった。


「……ヴェティア?」


 ロンドの声が聞こえた。


 返事ができない。


 床に、魔法陣があった。


 大きな一つの陣ではない。いくつもの小さな陣が、中央の場所を囲むように配置されている。


 ところどころ削られ、線も途切れている。


 何を目的としたものか、完全には読み取れない。


 けれど、その配置だけで記憶の奥にある光景が揺れた。


 ゲームの画面。


 薄暗い地下室。


 中央に描かれた魔法陣。


 その周囲に並べられた器具。


 そして、鮮血姫となったヴェティア。


(……似てる)


 同じではない。


 形も違う。部屋の広さも、道具も、原作で見た研究室そのものではない。


 なのに、何のために中央へ一つの場所を作り、その周囲から複数の魔法を作用させようとしているのか。その考え方が、あまりにも似ていた。


「これは何の魔法陣でしょうか」


 ルミエが尋ねる。


 近くにいた調査員が首を横へ振る。


「まだ判断できません。削られている部分が多すぎます」


「触らない方がいい」


 ロンドが言う。


「はい」


 ヴェティアは中央を見る。


 そこだけ、床の表面が擦れていた。


 何度も同じ場所へ何かを置いたように。


 あるいは、誰かを。


(やめて)


 頭の中で浮かんだ言葉に、自分で怯えた。


 まだ分からない。


 これは証拠ではない。


 次の部屋。


 そこには、壁沿いに細長い器具が残されていた。


 魔力を測るためのものに似ている。学校の実技で使う物ほど整った形ではなく、複数の部品を組み合わせて作ったような、不格好な装置だった。


 細い導線が何本も伸びている。


 その先は、中央に置かれた台の周囲へ集まっていた。


 ヴェティアは息を止める。


 台の横には、革の帯が残されていた。


 一本。


 二本。


 手首ほどの太さのもの。


 脚を固定できそうな長さのもの。


「……これは」


 ルミエの声が震えた。


 ロンドはすぐには答えなかった。


 調査員の一人がしゃがみ込み、触れない距離から確認する。


「拘束具として使われた可能性があります」


「可能性?」


「他の用途も考えられます。現時点では断定できません」


 慎重な答えだった。


 けれど、ヴェティアにはもう別のものに見えなかった。


 台の縁には、細かな傷が残っている。何度も何かが当たったような傷。


 革の一部も擦れている。


 使われていなければ、こんな跡は残らない。


(人を、ここへ固定して……)


 何をしたの。


 答えは、昨日の紙に書かれていた。


 魔力の流れ。


 負荷。


 異なる性質。


 拒絶。


 限界。


 ヴェティアの胃が縮む。


「少し休むか?」


 ロンドが低い声で尋ねた。


「……いいえ」


「無理をする必要はない」


「見ます」


 自分でも驚くほど、声が固かった。


「ここは、見なければいけません」


 ロンドはヴェティアを見た。


 理由を尋ねることはしなかった。


「分かった。ただし、具合が悪くなったら言え」


「はい」


 次へ進む。


 部屋の奥には、何枚かの紙が床へ落ちていた。


 持ち去る途中で落としたのか、捨てられたものなのか。


 調査員が先に確認し、安全を確かめてから拾い上げる。


「記録らしいです」


 紙はヴェティアたちへ直接渡されなかった。


 少し離れた位置から、読み取れる範囲だけを見る。


 短い数字。


 魔力の流れ。


 異なる属性を加えた順番らしい記述。


 失敗。


 中止。


 別条件。


 再試行。


 同じような言葉が何度も並んでいる。


「また……」


 ルミエが呟いた。


 昨日の記録と同じだ。


 完成していない。


 何度も試している。


 けれど、安定しない。


 力を重ねようとするたびに崩れ、拒絶し、対象の身体が先に耐えられなくなっているような記述さえある。


(やっぱり、できてない)


 ヴェティアは紙を見る。


 原作では、できた。


 鮮血姫は最後には、異なる属性の力を無理に結びつけ、闇魔法として成立させた。


 ここにいる誰かは、同じような場所まで辿り着いている。同じように人を使っているかもしれない。


 それなのに、壁を越えられていない。


(どうして)


 以前にも浮かんだ疑問が戻ってくる。


 何が違う。


 研究資料?


 方法?


 時間?


 それとも、研究する人間。


 そこまで考えて、ヴェティアは息を止めた。


(……違う)


 今、考えることではない。


 それ以上進めば、何かに気付いてしまいそうだった。


 視線を逸らす。


 その先、壁の一部に小さな傷があった。


 一本ではない。


 何本も。


 爪で引っ掻いたような浅い線が、低い位置に集中している。


「……これ」


 ルミエも気付いたらしい。


 近づこうとして、すぐに止まる。


 調査員が確認する。


「いつ付いたものかは分かりません」


 分からない。


 何も、まだ分からないはずなのに。


 ヴェティアには急に、ゲームの画面がひどく薄っぺらく思えた。


 原作では、


『人体実験を繰り返した』


 それだけだった。


『拷問によって情報を得た』


 それだけだった。


『禁忌の闇魔法を完成させた』


 それだけだった。


 数行。


 少し暗い背景。


 鮮血姫が狂気を見せるための設定。


 宮田茜だった自分は、それを読んで最低だと思った。


 それで終わった。


 けれど、実際に人体実験をするなら、ここへ人を連れてくる誰かがいる。拘束する誰かがいる。怖がる人がいる。痛がる人がいる。逃げようとする人がいる。


 失敗したと記録される一回ごとに、その失敗を身体で受ける人がいる。


(私は……)


 そんなことを、するはずだった。


 手が震えた。


 隠そうと拳を握る。


 でも、震えは止まらなかった。


「ヴェティア様」


 ルミエの声。


「……何?」


「無理なら」


「大丈夫」


 強く答えてしまった。


 ルミエが黙る。


「ごめんなさい」


 すぐに言った。


「あなたに怒ったわけではないの」


「はい」


 ルミエは少し間を置いてから、


「分かってます」


 そう答えた。


 その言い方が、余計に苦しかった。


 ロンドも何も聞かなかった。


 ただ、先へ進む調査員とヴェティアの間に自然に立つ位置を変えた。


 守るように、というより、不用意に先へ出させないように。


 それが今はありがたかった。


◇


 施設のさらに奥は、完全には確認できていなかった。


 一部の通路には物が積まれ、扉が壊されている場所もある。何かを急いで運び出した形跡が続いていた。


「かなり持ち出されていますね」


 ルミエが言った。


「ああ」


 ロンドは低く答える。


「こちらが調べていることに気付いた可能性もある」


「逃げたんでしょうか」


「関係者が全員いなくなったのかどうかも、まだ分からない」


 足元には紙片。


 割れた小瓶。


 焼かれた跡。


 火を付けたものの、燃えきらなかった紙も残っている。


 証拠を消そうとしたように見える。


 けれど、完全には消せていない。


 研究室だった可能性を示すもの。


 生き物を使った実験を疑わせるもの。


 複数属性の力を扱った痕跡。


 それらが、まだ残っている。


 そして、ヴェティアの記憶の中にある鮮血姫の研究と、あまりにもよく似ている。


(ここは……)


 原作の研究室ではない。


 同じ場所でもない。


 同じ人間が作ったわけでもない。


 それでも、もし自分が原作どおりに進んでいたなら、いつかこんな場所を自分の意思で作っていた。


 その考えが、どうしても消えない。


「止まってください」


 先頭にいた調査員が突然、手を上げた。


 三人の足が止まる。


「どうした?」


 ロンドが尋ねる。


 返事はなかった。


 調査員が奥の暗い通路へ顔を向けている。


 別の一人も動きを止めた。


「……何か聞こえます」


 全員が黙る。


 ヴェティアも息を止めた。


 最初は何も聞こえなかった。


 地下の静けさ。


 遠くで何かが軋む音。


 誰かの衣服が擦れる音。


 それだけ。


 けれど、もう一度。


 小さく。


「……ぅ」


 声。


 ヴェティアの背筋が凍る。


「今の」


 ルミエが呟く。


「ああ」


 調査員がすぐに動いた。


「皆さんはここで待ってください」


「人ですか?」


「まだ分かりません」


 数人が先へ進む。


 ヴェティアはその背中を見送る。


 足が勝手に前へ出そうになる。


「ヴェティア」


 ロンドの声で止まった。


「待て」


「でも」


「今は任せろ」


 拳を握る。


 分かっている。


 自分が先へ行ったところで邪魔になる。危険が残っているかもしれない。


 それでも、また声がした。


 今度は、さっきよりはっきりと。


 人の、苦しそうな息。


「……生きてる」


 ルミエが小さく言った。


 ヴェティアの心臓が激しく鳴る。


 数行ではない。


 設定でもない。


 研究記録の「対象」でもない。


 この奥に、今、人がいる。


 生きている。


 調査員の声が響いた。


「一名確認!」


 続いて、


「生存しています!」


 ヴェティアは、考えるより先に顔を上げていた。


 原作の自分が人間を研究材料にした場所と、よく似た地下で。


 今。


 まだ助けられる人がいる。

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