第38話 選ばれた理由
「全員が同じ場所へ行ったわけではない」
ロンドは、机の上に広げた紙の一枚を指で押さえた。
「同じ人物と会った記録もない。だから、これだけで一つの事件だとは言えない」
「でも、何かあったんですね?」
ルミエが尋ねる。
「ああ」
昨日までばらばらだった紙には、いくつか新しい書き込みが加えられていた。
ヴェティアも、その一つへ目を落とす。
短期間の仕事を紹介された者。
荷物を運ぶ手伝いを頼まれた者。
知人を通して、別の働き口があると聞いた者。
内容だけなら、どれも珍しくはない。
仕事を探している人間へ誰かが働き口を紹介する。少し人手が足りないから手伝ってほしいと頼む。
それ自体は、何もおかしくなかった。
「この三人については、消息が分からなくなる前に、何らかの仕事や依頼を受けていたことが確認できた」
「同じ仕事ですか?」
「違う」
ロンドは首を横へ振った。
「紹介した人も同じではない」
「では、何が繋がっているのですか?」
「その先だ」
一枚の紙が、ヴェティアたちの方へ滑らされる。
「直接仕事を頼んだ者。その者へ人を紹介した者。さらに、その前に話を持ち込んだ者。確認できる範囲で追っていくと、一部が以前調べた仲介の周辺へ重なる」
ヴェティアは眉を寄せた。
「古い研究資料を扱っていた?」
「ああ。ただし、同じ人物が直接すべてを仲介したという意味ではない」
「何人か挟まっているんですね」
ルミエが言った。
「そう見える」
その言葉で、ヴェティアの中に以前の会話が蘇った。
本当に目的を持っている者は、直接動かない。
誰かへ頼む。その人間が、また別の誰かへ話を持っていく。
さらに、本当の目的とは違う理由を表へ出す。
『荷物を移動しただけ』
『整理を頼まれただけ』
関わった人間すべてが、最後に何が起きるかを知っている必要はない。
「……似ていますね」
ヴェティアが呟くと、ロンドがこちらを見る。
「君が以前話していたやり方に?」
「はい」
ヴェティアは頷いた。
「ただ、これも同じ方法だと決まったわけではありません」
「分かっている」
「仕事の紹介そのものは普通にあります。何人かを経由したからといって、それだけでおかしいとは言えません」
「だが、確認する理由にはなる」
「はい」
その線引きをすることにも、少しずつ慣れてきた。
似ているから、同じ。
原作で起きたから、今回も起きる。
そう決めてしまわない。
それでも、似ていること自体を無視する必要もない。
「お金については?」
ヴェティアが尋ねる。
「そこも調べている」
ロンドは別の紙へ目を移した。
「一部では、仕事を紹介したことに対する金銭のやり取りが確認できた。ただ、金額は不自然に大きいものではない」
「それだけなら、紹介料とも考えられますね」
「ああ」
ロンドは即座に同意した。
「だが、その中の一部が、以前セルメールについて情報を集めていた際の金銭の流れと近いところへ戻っている」
ルミエの顔が僅かに強張った。
「私のときの……」
「完全に同じ経路ではない」
ロンドは先回りして付け加えた。
「それに、金を受け取った者が何を知っていたのかも分からない。普通に仕事を紹介しただけだと思っていた可能性もある」
「……そうですね」
ルミエが頷く。
ヴェティアは、紙の上にある矢印を追った。
一人から一人へ。
さらに別の誰かへ。
途中にいる人間だけを見れば、何も知らないのかもしれない。
仕事を探している人へ、働き口を教えた。
人手を求めている相手へ、働けそうな人を紹介した。
その礼として、少額の金を受け取った。
それだけ。
以前、ルミエについて話した人間もそうだった。
本人は、嘘をつくよう頼まれたとは話していない。
知っていることを聞かれた。
答えた。
謝礼を受け取った。
それだけの行動でも、重ねれば別の目的へ使うことができる。
「もし、これが意図的なものなら」
ヴェティアは紙から目を離さないまま言った。
「途中にいる人たちを問い詰めても、全体を知らない可能性があります」
「同感だ」
ロンドが答える。
「だから今は、一人ずつ何を頼まれ、誰から話を受け、誰へ繋いだのかを分けて確認している」
「時間がかかりますね」
ルミエが少し困ったように言う。
「かかる」
「でも、必要なんですよね」
「ああ」
迷いのない返事だった。
ルミエはもう一度、資料へ目を落とした。
しばらく黙っていたが、やがて一枚を指差す。
「この方」
「何?」
ヴェティアも覗き込む。
「少し前まで、決まった場所で働いていたんですよね」
「そう書いてあるわね」
「でも、そこを辞めたあと、短い仕事をいくつかしていて……最後に、この紹介を受けている」
別の紙を見る。
「こっちの方も、住んでいた場所を移ってから、仕事が安定していない」
「ええ」
「昨日見たときは、家族と暮らしていないとか、住む場所が変わっているとか、そういうところばかり見ていましたけど」
ルミエは言葉を選ぶように、少し間を置いた。
「ちゃんと生活していたんですよね」
ヴェティアは顔を上げた。
「当たり前でしょう?」
「はい。当たり前なんですけど……」
ルミエは紙を見つめる。
「仕事をしていたり、次の仕事を探していたり。誰かに紹介してもらったり。住む場所を変えたり」
そこに書かれているのは、事件のための条件ではない。
その人が、それまでどう生きていたのかという断片だった。
「『家族との交流が薄い人』とか『住む場所が安定していない人』ってまとめると、一つの条件みたいに見えますけど」
ルミエの指先が、記述の上をゆっくり動く。
「この人たちにとっては、それぞれの生活だったんですよね」
「……そうね」
ヴェティアは静かに答えた。
その一言が、妙に胸へ残った。
原作では、鮮血姫となったヴェティアが人間を集める場面を見ても、そこまで考えなかった。
人目につきにくい者。
失踪しても騒ぎになりにくい者。
そんな説明だけで理解していた。
悪役が、都合のいい被害者を選んだ。
それだけだった。
けれど。
今、紙の上にいる人間たちは違う。
仕事をしていた。
別の働き口を探していた。
住む場所を変えた。
誰かと話した。
明日の予定があった者もいた。
その一つ一つを削って、『消えてもすぐには騒ぎにならない人』という条件だけを取り出す。
そうすれば、人間を選ぶことができる。
(……気持ち悪い)
胃の奥が重くなる。
原作の自分は、それをやった。
誰なら消しても見つかりにくいか。
誰なら研究に使っても問題になりにくいか。
人を、その人自身ではなく、扱いやすさで見た。
「ヴェティア様?」
「大丈夫」
今度は、昨日より少し早く答えられた。
ルミエがこちらを見ている。
その視線から逃げる代わりに、ヴェティアは自分から紙へ指を置いた。
「この人と、この人」
「はい」
「仕事を紹介された時期が近いわ」
ロンドも確認する。
「そうだな」
「でも、紹介した人は違う」
「ああ」
「その先が重なる可能性がある」
「今確認している」
なら、見るべきなのはそこだ。
原作の自分が何をしたかではない。
この人たちに、実際に何が起きたのか。
「一つ、確認してもいいですか?」
ルミエがロンドへ尋ねた。
「何だ?」
「この方たちは、仕事を紹介されたあと、必ずすぐにいなくなっているんですか?」
「いや」
「そうなんですね」
ルミエは少し考える。
「では、紹介されたことと失踪が関係ない人もいるかもしれませんね」
「その可能性もある」
「だったら、仕事を紹介された人全員ではなくて、そのあと実際に何をしたのかまで見ないと分からないですね」
ロンドが僅かに口元を緩めた。
「ああ。その通りだ」
「よかった」
「何が?」
「間違ったことを言ってなかったみたいなので」
「そこを心配していたの?」
ヴェティアが思わず尋ねる。
「だって、こういう調査は慣れてませんから」
「私だって慣れていないわよ」
「ヴェティア様は、すごく慣れているように見えます」
「……それ、あまり褒められている気がしないわね」
「あっ」
ルミエが困った顔をした。
「ご、ごめんなさい」
「冗談よ」
ほんの僅かに空気が緩む。
けれど、机の上にある紙が減ったわけではない。
ロンドがそれらを整理し直した。
「現時点で言えるのは、一部の失踪者が、消息が分からなくなる前に仕事や依頼の紹介を受けている。その紹介経路の先に、以前調べた仲介者周辺と重なる部分があること」
「はい」
「そして、一部の金銭の流れにも、以前の工作と近いところがある」
「ただし、誰が何を知っていたかは分からない」
ヴェティアが続ける。
「ああ」
「全員が誘拐されたとも、まだ言えない」
「そうだ」
それでも、昨日より一歩だけ、嫌な可能性が形を持っていた。
偶然、消息が分からなくなった人々。
そう考えるには、共通するものが少しずつ増えている。
ヴェティアは、一番上の紙へ視線を落とした。
(もし、本当に選ばれていたのなら)
理由は、才能があったからでも、何か特別なことを知っていたからでもないのかもしれない。
まして、何か悪いことをしたからでもない。
ただ。
いなくなっても、すぐには大勢が探さない。
その条件だけで、人間を選んだ。
胸の奥に、冷たい嫌悪が沈んでいく。
原作では知っていた。
鮮血姫は、人をそういう目で見た。
けれど今、初めて分かった気がした。
それがどれほど、人を人として見ていない行為なのか。
「ロンド様」
「何だ?」
「次は」
ヴェティアは、いくつかの紹介経路が重なっている紙を見る。
「この人たちが、紹介された先で何をさせられるはずだったのかを調べたいです」
ロンドが静かに頷いた。
「ああ」
誰が選んだのか。
どうやって集めたのか。
まだ分からない。
けれど、もし本当に、この人たちが意図的に集められていたのなら。
残る問いは一つだった。
人を、何のために集めていたのか。
そこだった。




