第37話 消えている人たち
「一人ではないかもしれない」
ロンドがそう言って、机の上へ数枚の紙を置いた。
ヴェティアは伸ばしかけた手を止める。
「……どういう意味ですか?」
「失踪している人間のことだ」
先日まで追っていたのは、学校の備品室へ入ったあと、連絡が取れなくなった一人の人物だった。
その足取りを追う中で、人や仕事を仲介していた者へ辿り着き、さらに魔王時代に危険視された古い研究資料を扱っていた形跡まで見つかった。
クラヴェル伯爵家周辺の人間との接触もある。
ただし、そのどれもが、まだ一本の線で結ばれたわけではない。
だからこそ、ロンドたちは失踪した一人だけではなく、その周辺についても調べ始めていた。
「王家側で確認できる範囲を広げた。それと、いくつか聞き取りもしている」
「それで、他にも?」
ルミエが紙へ視線を落とした。
「ああ。ただ、最初に言っておく。同じ事件だと確認できたわけではない」
ロンドは一枚ずつ紙を分ける。
「家へ戻っていない者。以前いた場所から姿を消した者。仕事へ来なくなった者。しばらく顔を見ていないと周囲が話している者。事情はそれぞれ違う」
「では、本当に失踪したのかどうかも……」
「分からない者がいる」
ヴェティアは紙を手に取った。
詳しい個人情報まで書かれているわけではない。三人へ共有できる範囲だけが簡潔にまとめられている。
家族との交流がほとんどない。
住む場所を何度か変えている。
日々の生活を細かく把握している者が少ない。
決まった場所で働いていても、いなくなった直後には別の仕事へ移ったのだろうと思われていた。
そんな記述がいくつか目に入った。
「……気付かれていなかった?」
ルミエが呟く。
「正確には、すぐには問題だと思われなかった、だな」
ロンドが答えた。
「自分の意思で別の場所へ移った可能性もある。誰にも告げずに仕事を辞める者だっている。だから、姿が見えなくなっただけで事件にはできない」
「そう、ですよね」
ルミエは頷いたものの、紙から目を離さなかった。
「でも……」
指先が、一つの記述の上で止まる。
「見つからなかったんじゃなくて」
「何?」
ヴェティアが尋ねる。
「探されるまでに、時間がかかった人もいるんじゃないでしょうか」
講義中に答えを探しているときと同じ顔だった。
ルミエは紙を見比べる。
「家族と一緒に暮らしていたら、その日のうちに帰ってこないって分かりますよね。毎日同じ人と働いていたら、来なくなれば誰かが気にすると思います」
「ええ」
「でも、この方たちは……」
そこで言葉を止めた。
言い方を探しているのだろう。
「いなくなったことに気付く人が、いなかったわけじゃないと思うんです。ただ、すぐに『何かあった』と思ってもらえる状況ではなかったというか」
ロンドが静かに頷いた。
「僕も、その点は気になっている」
「それって」
ヴェティアはもう一度、紙を見る。
嫌な感覚が胸の奥を這い上がってきた。
家族との交流が薄い。
住む場所が安定していない。
いなくなっても、すぐには騒ぎにならない。
(……やめて)
知っている。
その条件を。
原作の後半。
鮮血姫となったヴェティアは、禁忌の研究を進めるために人間を集めた。
誰でもよかったわけではない。
公爵令嬢が人をさらえば、本来なら大きな問題になる。
だから選んだ。
家族や周囲との結びつきが弱い者。
いなくなっても発覚が遅れやすい者。
助けを求めても、その声が大きな場所まで届きにくい者。
ゲームの中では、その選び方さえ、鮮血姫がどれほど人を人として見ていなかったかを示す説明の一つだった。
(原作と……似ている)
背中が冷たくなった。
「ヴェティア様?」
ルミエの声で顔を上げる。
心配そうな目がこちらを見ていた。
「……大丈夫よ」
答えながら、一度呼吸を整える。
似ている。
けれど、そこから先を勝手に決めてはいけない。
原作のヴェティアがそういう人間を狙った。
だから、今回も誰かが同じ目的で人をさらっている。
そんなことは、まだ言えない。
今あるのは、最初に追っていた人物以外にも消息が分からなくなっている者がいること。
その中に、失踪が早い段階では問題として認識されにくかった者が複数いること。
それだけだ。
「何か気付いたか?」
ロンドが尋ねる。
以前なら、ここで迷っていたかもしれない。
原作の話をすれば、自分が何を知っているのかまで問われる。
なら、黙って自分だけで警戒した方がいい。
そんなふうに。
でも、もう。
全部を話せないことと、何も話さないことは同じではないと知っている。
「……似たやり方を、知っています」
ロンドの目が僅かに細くなる。
「以前話していた知識か?」
「はい」
ヴェティアは頷いた。
「ただし、今回がそうだと言っているわけではありません」
「分かっている。続けてくれ」
「人を集める必要があるときに、いなくなったことが大きな騒ぎになりにくい人を選ぶやり方です」
ルミエの表情が強張った。
「それって……」
「まだ、今回の人たちが選ばれたとは分からないわ」
ヴェティアは先に言った。
「偶然かもしれない。自分からいなくなった人もいるかもしれない。同じ理由で消息が分からなくなったとも限らない」
自分へ言い聞かせるようでもあった。
「でも、もし誰かが意図的に人を集めているなら、その条件で選ぶことはあり得ます」
「理由は?」
ロンドが問う。
ヴェティアは紙へ目を落とした。
「……探されるのが、遅くなるからです」
口にしただけで、気分が悪くなる。
その考え方を、原作の自分はした。
人間の人生ではなく、どれだけ騒ぎになりにくいかで選んだ。
「最低ですね」
ルミエが小さく言った。
怒っている。
声は静かだったが、紙を持つ指には力が入っている。
「そうね」
ヴェティアは否定しなかった。
それ以上は言わない。
これは原作の自分について話す場ではない。
今見るべきなのは、目の前にある人たちだ。
「可能性の一つとして扱おう」
ロンドが言った。
「今の段階で誘拐だとは決めない。全員が同じ事件に関係しているとも考えない」
「はい」
「ただ、確認する価値はある」
ロンドは紙を一つにまとめず、むしろ机の上へ広げ直した。
「それぞれが最後にどこで確認されたのか。誰と接触していたのか。仕事や金銭のやり取りに共通するものがないか。最初の失踪者との接点があるかも見る」
「例の仲介をしていた人についてもですか?」
ルミエが尋ねる。
「ああ。ただし、最初から関係があるものとして調べるわけじゃない」
ロンドらしい答えだった。
繋がりそうだから繋げるのではない。
一つずつ確認する。
ヴェティアはその言葉を聞きながら、机の上へ並んだ紙を見る。
一枚なら、一人だった。
行方の分からなくなった、一人の人間。
けれど今は、その隣にも紙がある。
さらに、その隣にも。
まだ同じ事件だとは分からない。
本当に失踪しているのかさえ、確認が必要な者もいる。
だから決めつけない。
それでも。
(……一人じゃないかもしれない)
その事実だけは、もう無視できなかった。
「まず、この人たちのことを一人ずつ確認しましょう」
ヴェティアが言うと、ロンドが頷く。
「そのつもりだ」
「私も、学校で確認できることがあれば」
「無理のない範囲でね」
「分かっています」
ルミエが少しだけ頬を膨らませる。
その反応に、ヴェティアはほんの僅かに息を抜いた。
すぐに、もう一度紙へ目を戻す。
原作の知識が、頭の奥で嫌な形を作ろうとしている。
けれど、それを答えにはしない。
今度は、この紙に書かれた人たちが本当にどこへ行ったのか。
なぜ消息が分からなくなったのか。
そこから調べる。
そして、もし。
この人たちが偶然ではなく、誰かに選ばれて消えているのなら。
次に確かめるべきことは、一つだった。
なぜ、この人たちだったのか。




