第33話 いなくなった人
「まだ、戻っていない」
ロンドの言葉に、ヴェティアは机の上へ視線を落とした。
備品室へ出入りしていた人物の一人。
事件のあと、学校側が事情を確認しようとしたものの連絡が取れず、住まいにも戻っていなかった。
昨日の時点では、ただそれだけだった。
逃げたのかもしれない。
事件へ巻き込まれたのかもしれない。
まったく別の事情かもしれない。
何も決めつけない。
そうして確認を進めた結果、今日になっても、その人物の行方は分からないままだった。
「昨日から一度も?」
「ああ」
ロンドが答える。
「学校側でも、普段関わりのある者へ確認を取った。私の側でも、分かる範囲で動きを追っている」
「それで、何か?」
「少しは」
ロンドが数枚の記録を机へ置いた。
ルミエもヴェティアの隣から覗き込む。
「まず、学校側で分かったことだ」
事件の前、その人物が備品室へ入っていたこと自体は間違いない。
ただ、それだけで不自然とは言えなかった。
当日は何人もの人間が物を運び、出し入れをしている。
問題は、その前後だった。
「事件の少し前、誰かから頼まれごとをしていたらしい」
「何を?」
ヴェティアが尋ねる。
「そこが、はっきりしない」
「どういうことですか?」
ルミエが首を傾げた。
「本人が周囲へ詳しく話していなかった。『少し手伝ってほしいと言われた』程度だったそうだ」
「誰から頼まれたかも?」
「分からない」
ロンドは首を横へ振る。
「少なくとも、今確認できている者は名前を聞いていない」
ヴェティアは黙って記録を見る。
誰かへ頼む。
その人間が、本当の目的を知らないまま動く。
昨日、自分が話した方法と似ている。
けれど、似ているからといって同じだとは言えない。
「頼まれごとの内容と、備品室への出入りが関係しているかも分からないのですね」
「ああ」
「では、そこは保留」
ヴェティアは自分へ言い聞かせるように言った。
「次は?」
ロンドが別の紙へ手を移す。
「事件後の足取りだ」
最後に確実な姿を見た者。
学校を出る前に言葉を交わした者。
その日のうちに会う予定があった者。
それぞれの話が、少しずつ集められていた。
ヴェティアはその記録を読み進める。
朝は、いつも通りに学校へ来た。
頼まれた仕事をして、誰かと話し、昼には食事を取っていた。
事件が起きる少し前にも、翌日の予定について会話をしていたらしい。
「……明日も来るつもりだったの?」
「少なくとも」
ロンドが答える。
「周囲の者には、そう受け取れる話をしていたようだ」
ヴェティアの指が止まる。
逃げる予定だった人間が翌日の話をすることはある。
だから、これも決定的ではない。
けれど昨日までの自分は、その人を、備品室へ出入りした人物、事件後に姿を消した人物、その程度にしか見ていなかった。
原作の記憶を探して、似た人物がいなかったか、同じ失踪がなかったか。
そんなことばかり考えていた。
(原作には、いない)
何度思い返しても、こんな人物は知らない。
名前にも、顔にも覚えがない。
そもそもゲームの中で、備品を運ぶ人間の一日など描かれていただろうか。
朝に何を食べたのか。
誰と話したのか。
明日、何をするつもりだったのか。
そんなものを宮田茜は知らない。
知る必要すらなかった。
「ヴェティア様?」
ルミエの声に顔を上げる。
「何でもないわ」
そう答えてから、もう一度紙を見る。
翌日の予定。
交わした言葉。
待っている人。
それらは原作には一行も書かれていない。
でも、この人にはあった。
物語へ出てこなかっただけで、何もなかったわけではない。
「……この人」
ヴェティアは呟いた。
「事件のために、急に現れたわけじゃないのよね」
ロンドがこちらを見る。
「当然だろう」
「ええ」
当然。
本当に、当たり前のことだった。
「昨日まで普通に生活していた人です」
ルミエが言う。
「だから、いなくなったなら……探さないと」
「そうね」
原作に出ていないから。
名前を知らなかったから。
この人のことを、まるで今回の事件へ必要な部品のように考えかけていた。
備品室へ入った。
消えた。
なら犯人か、協力者か、被害者か。
どの役割なのか。
そればかりを見ていた。
(違う)
まだ何者なのかも分からない。
それ以前に、一人の人間だ。
昨日まで自分の知らない場所で、自分の知らない人生を生きていた。
◇
「私からも一ついいですか?」
ルミエが声を上げた。
「何?」
「昨日のことを、もう一度聞いてきました」
「誰に?」
「怪我をした方です。もちろん、先生が許可してくださった範囲だけです」
ロンドが頷く。
「何か思い出したのか?」
「はっきりしたことではないんですけど」
ルミエは少し考える。
「事件の前、備品室の近くに人がいたそうです」
「姿を消した人?」
「分かりません。ちゃんと顔を見たわけではないそうなので」
「何をしていたの?」
「誰かと話しているように見えた、と」
ヴェティアの表情が変わる。
「相手は?」
「それも分かりません」
「会話は?」
「聞こえなかったそうです」
決定的ではない。
何一つ。
誰かが近くにいた。
誰かと話したかもしれない。
それだけだ。
「時間は?」
ロンドが聞く。
ルミエが答える。
事件の直前ではない。
少し前、人の出入りがまだある時間だった。
「なら、その人物が事件へ関係していたとも限らないな」
「はい」
ルミエも頷いた。
「でも、学校側へは伝えました」
「それでいい」
ヴェティアも言った。
「役に立つかどうかは、後で考えればいいもの」
「はい」
一人の人間が見たこと。
一人の人間が聞いたこと。
一つでは、意味が分からない。
でも、だからといって捨てていいわけではない。
「こちらも、もう一つある」
ロンドが言った。
今度は先ほどまでより、少しだけ声が低かった。
「学校を出た後、その人物らしき者を見たという話が見つかった」
「どこですか?」
「王都の中だ」
「それは分かっています」
「急かすな」
「……はい」
ロンドは地図の一部を指す。
「学校とも、その者の普段の行動とも直接関係のない場所だ」
ヴェティアは目を細めた。
「そこで何を?」
「それも分からない」
「またですか」
「分からないものは分からない」
ロンドは淡々としている。
「ただ、その周辺について調べていて、一つ気になることが出た」
ヴェティアは黙って待つ。
「以前、ルミエについて情報を集めるため金を渡していた人物。その周辺にいた者の一人と、この場所に接点がある」
胸の奥が僅かにざわつく。
「クラヴェル伯爵家は?」
「待て」
ロンドがすぐに止める。
「まだそこへは繋げるな」
「……分かっています」
「その人物自身が、クラヴェル伯爵家の者というわけでもない」
「では?」
「表立った仕事だけでは、何をしているのか分かりにくい人間だ」
ロンドは慎重に言葉を選ぶ。
「人を紹介する。仕事を仲介する。物を運ばせる。金のやり取りへ間に入る。そういうことを、複数の相手との間でしているらしい」
「正式な商人ではない?」
「少なくとも、確認できる記録は少ない」
ヴェティアは地図を見る。
人を紹介する。
仕事を仲介する。
物を運ばせる。
名前を表へ出さず、誰かと誰かの間へ入る。
「……前の工作より深いですね」
ルミエが小さく言った。
ヴェティアも同じことを考えていた。
ルミエの評価を落とすだけなら、学校の記録、生徒の証言、小さな金銭。
それで足りた。
けれど今回は、人が傷ついた。
さらに一人が消えている。
その失踪者の足取りの先に、学校とも、普通の政治的な働きかけとも違う場所が見え始めている。
「ロンド殿下」
「何だ?」
「これ」
ヴェティアは言葉を選ぶ。
「ルミエさんの評判を落とすだけの話では、ないのかもしれません」
「ああ」
ロンドも否定しなかった。
「私も、その可能性は考えている」
「では、王権派が」
「そこはまだだ」
また止められた。
「……言う前に止めないでください」
「言おうとしていただろう」
「そうですけど」
「今回の事件と王権派に繋がりがある可能性はある。だが、今見えているのは過去の金銭の経路と、今回の失踪者の足取りに、一部重なる場所が出てきたというところまでだ」
「はい」
「レナード侯爵が命じたとも、クラヴェル伯爵が動かしたとも、まだ言えない」
「分かっています」
今度は、ちゃんと頷いた。
原作なら、エドガー・クラヴェル。
そう答えたかもしれない。
裏で人を動かし、必要ならもっと危険なこともする。
自分は、その先を知っている。
でも、今ここにある証拠が、そこまで届いているわけではない。
なら、飛ばしてはいけない。
「この人の足取りを追いましょう」
ヴェティアは机の上の記録へ指を置いた。
「王権派へ繋げるためじゃなくて」
一度、息を吸う。
「この人が、どこへ行ったのかを知るために」
ルミエが頷く。
「はい」
ロンドも短く答えた。
「ああ」
◇
その日の夜。
屋敷へ戻ってからも、ヴェティアの頭から失踪した人物のことは離れなかった。
原作にはいない。
少なくとも、覚えていない。
だから未来も分からない。
無事なのか。
逃げたのか。
巻き込まれたのか。
何も分からない。
それでも、昼間までとは少しだけ違っていた。
もう、原作のどこに当てはまる人物なのかを探してはいなかった。
明日も来るつもりだった。
人と約束をしていた。
誰かに頼まれ、学校へ来て、自分の知らないところで毎日を生きていた。
その人が、今はいない。
それだけで、探す理由としては十分だった。
(もし、今回のことが……)
自分の選択を変えた結果なのだとしたら。
原作とは違う事件が起き、原作にはいなかった人間が傷つき、消えていくのだとしたら。
どこまで、自分の責任なのだろう。
また考えが、そこへ戻っていく。
自分が王権派を拒絶した。
工作を止めた。
だから相手が別の方法を選んだ。
なら、今回のことも。
(私が変えたから……)
「お嬢様」
声をかけられ、ヴェティアは顔を上げた。
いつの間にか、アンナが少し離れたところに立っていた。
「何?」
「……いえ」
アンナは一度、言葉を飲み込む。
「何でもありません」
「そう?」
「はい」
けれど、部屋を出ていく前。
アンナは一度だけヴェティアを振り返った。
何かを言いたそうな、迷っているような目だった。




