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極悪令嬢だった私ですが、自分で作った罪は自分で刈り取ります  作者: Atelier Lotus文庫
第五章 攻略本のない未来

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第29話 起きるはずだった場所

 原作通りなら、次に動きがあるのは今日だった。


 ヴェティアは教室の窓から、放課後の校庭を見下ろしていた。


 授業を終えた生徒たちが、校舎から次々と出ていく。友人同士で笑いながら歩く者。部活動へ向かう者。寮へ戻る者。


 いつもと変わらない光景だった。


(……何も起きていない)


 それが、かえって落ち着かなかった。


 原作では、ルミエへの評判を落とす最初の工作に続いて、王権派は別の形で圧力を強めていった。


 その一つが、聖女見習いとなったルミエが教会からの用事で校内を移動する機会を利用したものだった。


 放課後。


 人通りの少なくなる場所。


 ルミエが一人になりやすい時間。


 そこで偶然を装った騒ぎを起こし、その一部分だけを切り取って、後から彼女へ不利な形で使う。


 原作のヴェティアも、その計画を知っていた。


 止めなかった。


 むしろ、都合がいいと思っていた。


(今度は違う)


 だから、何もしないという選択肢はなかった。


 ただし、原作で起きたからといって、今回も必ず同じ日に、同じ場所で起きるとは限らない。


 分かっている。


 少なくとも、頭では。



「今日だと思うのか?」


 昼休み。


 話を聞いたロンドが、わずかに眉を寄せた。


「可能性が高いと思っています」


「理由は?」


 当然の問いだった。


 ヴェティアは、どこまで話すかを慎重に選ぶ。


「以前知ったやり方では、最初に評判を落とす工作をしたあと、相手がまだ警戒を強めきっていないうちに、別の手を重ねることがありました」


「以前知ったやり方、か」


「……はい」


 ロンドはそれ以上を尋ねなかった。


 先日の話し合い以降、彼はヴェティアが何かを隠していること自体は理解している。


 それでも、今確認できる事実と、彼女が話せない秘密を無理に一つへ繋げようとはしなかった。


「それで、今日は何がある?」


「ルミエさんが、授業後に教会から預けられている書類を先生へ届ける予定です」


「一人で?」


「その予定だと聞いています」


 届け先へ向かうには、放課後になると人通りの少なくなる渡り廊下を通る。


 原作で騒ぎが起きたのも、そこだった。


「だから、周辺を警戒したいと」


「はい」


「学校側には?」


「不審な人物や不自然な動きがあれば知らせていただけるよう、お願いしてあります。ただ、騒ぎにはしていません」


「理由は?」


「何も起きていない段階で大勢を配置すれば、こちらが警戒していると知らせることになります。それに、本当に何もなければ学校の迷惑になるだけです」


 ロンドは少し考えてから頷いた。


「そこまで考えているならいい。ただし」


「はい」


「君自身が一人で張り込むつもりではないだろうな」


「……少し様子を見るくらいなら」


「ヴェティア」


「一人ではありません」


「誰と?」


 ヴェティアは一瞬黙った。


「……殿下も来てくださるのでしょう?」


 今度はロンドが黙る。


「何ですか、その顔」


「いや」


「嫌なら結構です」


「そう拗ねるな」


「拗ねていません」


「では、そういうことにしておこう」


 少し腹が立つ。


 けれど、以前ならこんなやり取りそのものが成立しなかった。


 ロンドの言葉に棘を探して、勝手に腹を立てて、そのまま相手のせいにしていた。


 今も腹は立つのだから、自分の性格が丸ごと変わったわけではないらしい。


 そのことが、少しだけ可笑しかった。


「私も確認する」


 ロンドが言った。


「君の予想が当たっているかどうかではない。また学校へ働きかける者がいるなら、王家としても見過ごせない」


「ありがとうございます」


「それから、セルメール本人にも話しておけ」


「……怖がらせませんか?」


「だから何も知らせないのか?」


 ヴェティアは口を閉じた。


 少し前までの自分なら、そうしていたかもしれない。


 危険なことは自分だけが知る。


 自分が防ぐ。


 ルミエには何も知らず、普通に笑っていてもらえばいい。


 それが優しさのように思えていた。


 けれど、それでは結局、ルミエの選択まで自分が奪うことになる。


「分かりました」


 ヴェティアは頷いた。


「話します」



「分かりました」


 事情を聞いたルミエの返事は、ヴェティアが思っていたより落ち着いていた。


「怖くないの?」


「怖いですよ」


「なら――」


「でも、知らない方が怖いです」


 即答された。


 ヴェティアは言葉を止める。


「前にも言いましたよね。自分の立場のことを、知らないままでいたくないって」


「……ええ」


「それに、一人で行かなければいいんですよね?」


「そうだけど」


「先生へお願いして、一緒に行っていただきます」


 あまりにも普通の答えだった。


 ヴェティアはしばらくルミエを見る。


「何ですか?」


「いえ」


「変でした?」


「いいえ。むしろ……」


 自分より、ずっと素直なのだ。


 危険かもしれない。なら一人で行かない。


 それだけの話なのに、ヴェティアならそこへ、自分が先に調べる、自分が相手を見つける、自分が止めると、勝手に余計なものを足してしまう。


「では、そうして」


「はい」


「何か違和感があったら、すぐに先生へ伝えて」


「ヴェティア様にも?」


「もちろん」


「分かりました」


 ルミエは頷いたあと、少しだけ目を細めた。


「ヴェティア様も、一人で動かないでくださいね」


「……」


「お返事は?」


「分かっています」


「本当に?」


「あなたまでロンド殿下みたいなことを言わないで」


 ルミエが楽しそうに笑った。


 ヴェティアは小さく息を吐く。


 どうして自分だけ、二人から同じことを言われるのだろう。


 答えは、あまり考えたくなかった。



 放課後。


 ヴェティアは渡り廊下から少し離れた場所にいた。


 隣にはロンド。


 校内には事情を知る教師もいる。


 誰かを捕らえるための大がかりな配置ではない。何か起きた場合に、すぐ動けるようにしているだけだ。


「来たな」


 ロンドの声に、ヴェティアも視線を向けた。


 ルミエが教師と一緒に歩いてくる。


 手には書類。


 いつもと同じ制服。


 ただ、少し緊張しているのか、歩き方が普段より硬い。


(ここ)


 ヴェティアの身体に力が入る。


 原作では、この辺りだった。


 渡り廊下。


 放課後。


 人目が減る時間。


 そこへ用意された人間が動く。


 偶然を装い、ルミエを巻き込む。


 そして後になって、その出来事の都合のいい部分だけが彼女を疑わせる材料として使われる。


(来る)


 ヴェティアは周囲を見回した。


 廊下の先。


 階段。


 外へ続く扉。


 通り過ぎる生徒。


 聞こえてくる足音。


 誰かが何かをするかもしれない。


 そう意識した途端、すべてが怪しく見えた。


 一人の男子生徒が廊下の向こうから近づいてくる。


 違う。そのまますれ違った。


 外の扉が開く。


 入ってきたのは教師だった。


 階段を急いで降りる足音がして、忘れ物を取りに戻ったらしい生徒が姿を見せる。


 何もない。


 ルミエは教師と並んだまま、渡り廊下を通り過ぎていく。


「……」


 ヴェティアは無意識に止めていた息を吐いた。


「まだ途中だ」


 ロンドが言う。


「分かっています」


 目的の部屋へ着くまで。


 戻ってくるまで。


 まだ何があるかは分からない。


 しばらくして、ルミエが戻ってきた。


 同じ教師と一緒だ。


 書類はもう持っていない。


 途中で一人の生徒とすれ違った。


 何もない。


 階段を降りた。


 何もない。


 そのまま教室へ戻ってきた。


 結局、何も起きなかった。


「……終わりましたね」


 ヴェティアが呟く。


「そうだな」


「時間がずれただけかもしれません」


 言った直後、自分がすぐそう考えたことへ気付く。


「今日はやめたのかも。こちらの警戒に気付いた可能性だってあります」


「それはある」


 ロンドは否定しなかった。


「なら――」


「だが」


 重ねようとした言葉を止められる。


「何も起きなかったことも事実だ」


「……」


「君の予想が間違っていたと決まったわけではない。相手が予定を変えた可能性もある。だが、予定を変えたかもしれないからといって、今日ここで事件が起きたことにはならない」


「……分かっています」


 本当に、分かっているつもりだった。


 原作を絶対の未来として扱ってはいけない。


 自分が変わったなら、周囲も変わる。


 敵が同じ人間であったとしても、こちらの行動が変われば、相手の選択まで変わるかもしれない。


 それでも、心のどこかにはまだ残っていた。


 原作で起きたことなら、多少形が変わっても、大筋では同じように起きるはずだという期待が。


 そうであれば、自分は先回りできる。


 原作を知る自分なら、被害が出る前に止められる。


(……何もなかった)


 安心するべきなのに、胸へ残ったのは安堵だけではなかった。


 もし本当に、もう原作通りには動かないのなら。


 次は、何を見ればいい?



 夕方。


 ヴェティアたちは、今日のところは警戒を解くことにした。


 ルミエも何事もなく寮へ戻る予定になっている。


「結局、何もありませんでしたね」


 ルミエが言った。


「それが一番よ」


「はい」


「明日以降も、しばらくは気をつけて」


「分かっています」


 ルミエは素直に頷いた。


 ヴェティアも自分へ言い聞かせる。


 原作と同じ日でなくてもいい。


 少し後へずれただけかもしれない。


 今日何も起きなかったからといって、警戒を解いていい理由にはならない。


 次は、別の兆候が見つかるかもしれない。


 そう考えながら荷物へ手を伸ばしたときだった。


 廊下の向こうから、慌ただしい足音が聞こえた。


 一人の教師が、こちらへ急いでくる。


「ロンド殿下」


 教師が足を止めた。


「どうした?」


「先ほど、校内の別の場所で問題が起きたとの連絡がありました」


 ヴェティアの手が止まる。


「別の場所?」


 ロンドが聞き返した。


「はい」


 教師の表情は硬い。


「負傷者が出ています」


 ルミエの顔から笑みが消えた。


 ヴェティアは、一瞬その言葉の意味を掴めなかった。


「……どこですか?」


 自分の声が、思ったより低く出た。


 告げられた場所は、ヴェティアが今日警戒していた場所とはまるで違った。


(そんな……)


 記憶を探る。


 同じ時期。


 同じ場所。


 そこで起きるはずの事件。


 何も出てこない。


 原作にはない。


 少なくとも、ヴェティアが知っている出来事ではない。


 今日、起きるはずだった場所では何も起きなかった。


 その間に、自分が見ていなかった場所で誰かが傷ついた。


 原作を知っている。だから先回りできる。


 どこかでまだ、そんなふうに思っていた。


 けれど未来は、もうヴェティアが覚えている筋書きの上を歩いてはいなかった。


 ならば、これから見るべきなのは、起きるはずだった出来事ではない。


 今、実際に起きていることだった。

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