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極悪令嬢だった私ですが、自分で作った罪は自分で刈り取ります  作者: Atelier Lotus文庫
第五章 攻略本のない未来

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第30話 知らない場所で

 その場所は、ヴェティアが警戒していた渡り廊下からかなり離れていた。


「こちらです」


 先を歩く教師に促され、ヴェティアたちは足を速める。


 ロンド。


 ルミエ。


 そしてヴェティア。


 校舎の奥へ進むにつれて、普段より多くの人の声が聞こえてきた。


 教師たちの指示。


 何があったのか尋ねる生徒。


 誰かを呼びに走る足音。


 角を曲がったところで、ヴェティアは足を止めた。


「……」


 廊下の端。


 備品を置くために使われている部屋の前に、壊れた木箱や棚の一部が散らばっている。


 その少し離れたところで、一人の生徒が床に座らされていた。


 制服の袖が裂けている。


 腕には赤いものが滲んでいた。


(人が……傷ついている)


 原作には、こんな場面はなかった。


「道を空けてください」


 ルミエの声で、ヴェティアは我に返った。


 ルミエは迷わず負傷した生徒のもとへ向かう。


「セルメールさん」


 近くにいた教師が振り返る。


「治療は?」


「先生が応急処置をしています。ですが」


「見てもいいですか?」


「無理はしないように」


「はい」


 ルミエは膝をつき、負傷した生徒へ声をかけながら傷の状態を確認していく。


 その顔に怖さがないわけではない。


 それでも今、自分が何をすべきなのかを考えて動いていた。


 ヴェティアは一瞬だけ、何もできなかった。


 さっきまで自分は、別の場所を見ていた。


 原作で事件が起きるはずだった場所を。


「ヴェティア」


 ロンドに呼ばれ、顔を上げる。


「今は、こっちを見ろ」


「……はい」


 短い言葉だった。


 けれど、胸へ刺さった。


 今は、こっち。


 目の前で実際に起きていること。


 ヴェティアは息を整えた。


「何があったのですか?」


 近くにいた教師へ尋ねる。


「まだ確認中です」


 教師は答えた。


「この生徒が備品室の前を通った際、室内に積まれていたものが崩れたそうです」


「自然に?」


「分かりません」


 教師はすぐに否定した。


「今の段階では、事故だとも故意だとも断定できません」


「中に他の人は?」


「確認しています。今のところ、巻き込まれたのは一人だけです」


 ヴェティアは壊れた棚へ視線を向ける。


 何が、どうして崩れたのか。


 原作なら、考える順番があった。


 誰が何をする。


 どんな目的で。


 どういう結果へ繋げる。


 知っている未来へ、今あるものを当てはめることができた。


 けれど、これは知らない。


 場所も。


 出来事も。


 負傷者が出ることも。


 何も知らない。


「目撃者は?」


 ロンドが尋ねた。


「数人います」


「話を聞けますか?」


「怪我人の対応と安全確認を優先しています。その後で」


「それで構いません」


 ロンドは頷いた。


「まず、これ以上誰も巻き込まれないようにしてください」


「はい」


 ロンドも、犯人の名前を出さない。


 王権派。


 レナード。


 エドガー。


 誰の名前も。


「ヴェティア様」


 ルミエに呼ばれた。


「何?」


「この方、意識はしっかりしています」


 負傷した生徒が、少し苦しそうにしながらも頷いた。


 ヴェティアも近くへ寄る。


「無理に話さなくていいから」


「……はい」


「何があったか、覚えている?」


「廊下を……歩いていただけです」


 声が震えている。


「備品室の前を通ったら、急に中から音がして」


「中から?」


「はい。それで……何かが倒れてきて」


 そこで生徒は痛みに顔を歪めた。


「もういいわ」


 ヴェティアはすぐに止めた。


「今は休んで」


「すみません」


「謝ることじゃない」


 自分でも思ったより強い声が出た。


 ルミエがこちらを見る。


 ヴェティアはその視線から逃げなかった。


「ルミエさん」


「はい」


「できることは?」


「今は、これ以上傷を悪くしないことです」


「お願い」


「はい」


 ルミエは頷き、再び負傷者へ向き直った。


 ヴェティアは立ち上がる。


 何かしなければ。


 そう考えた瞬間だった。


「一人で動くな」


 ロンドの声が飛んでくる。


「……分かっています」


「今、忘れかけただろう」


「忘れていません」


「ならいい」


 ロンドはそれ以上言わなかった。


 ヴェティアも反論しない。


 図星だった。


 また、自分で全部見なければと考えていた。


「先生」


 ヴェティアは近くの教師へ向き直る。


「今、私が見ても問題のない範囲だけ教えてください」


「分かりました」


 教師は、現時点で確認できていることだけを話した。


 負傷した生徒は、たまたま通りかかったと話している。


 備品室は、授業で使う物を一時的に置く場所として使われていた。


 事件の少し前には、室内へ人が出入りした形跡がある。


 ただし、それ自体は不自然ではない。


 誰が最後に触れたのか。


 何が原因で棚が崩れたのか。


 まだ分からない。


「では」


 ヴェティアは尋ねる。


「今のところ、誰かを狙ったと決まったわけではない?」


「その通りです」


 教師は答えた。


「単純な事故の可能性も残っています」


「……はい」


 ヴェティアは頷いた。


 まだ、工作とさえ決まっていない。


 なのに胸の中では、もう王権派の仕業だと考えかけていた。


 原作にない。


 自分が警戒した場所とは違う。


 人が傷ついた。


 だから、敵が計画を変えた。


 そう繋げたくなる。


(違う)


 今は、まだそこまで言えない。


「ロンド殿下」


「何だ?」


「まず、事故かどうかからですね」


「ああ」


 ロンドが頷く。


「そのために調べる」



 安全が確認されるまで、その場所への立ち入りは制限された。


 負傷した生徒も、教師たちに付き添われて移動することになった。


 ルミエは最後までそばにいた。


「大きな傷ではなさそうです」


 戻ってきたルミエが言う。


「でも、しばらくはちゃんと診てもらった方がいいと思います」


「そう」


 ヴェティアは少しだけ息を吐いた。


 命に関わるほどではない。


 それを聞いて安心した。


 けれど、安心して終われない。


「ルミエさん」


「はい?」


「怖くなかった?」


「怖かったですよ」


「でも、すぐ行ったでしょう」


「怪我をしている人がいたので」


 あまりにも普通に答えられた。


「……そう」


「ヴェティア様?」


「何でもない」


 ルミエは、原作ヒロインだから人を助けたわけではない。


 聖女見習いだからそうしたわけでもない。


 目の前に怪我をした人がいた。


 だから、自分にできることをした。


 それだけだった。


 ヴェティアは壊れた備品室の方を見る。


「おかしいな」


 ロンドが呟いた。


「何がですか?」


「現場を見た教師から聞いた」


 ロンドは声を落とした。


「棚が崩れた原因について、すぐ事故と判断できない点があるらしい」


 ヴェティアの表情が変わる。


「何が?」


「まだ詳しくは確認中だ」


「……」


「今は、それ以上言えない」


 焦りそうになる。


 けれど、待つ。


 確かめる。


 それが今できることだった。


「では」


 ヴェティアは尋ねる。


「この生徒が狙われた可能性は?」


「分からない」


 ロンドは即答した。


「たまたま通っただけかもしれない。誰か別の人間を狙っていたのかもしれない。そもそも、人を傷つけること自体が目的だったのかも分からない」


「……そうですね」


 何も分からない。


 それが怖かった。


 原作には、答えがあった。


 少なくとも、宮田茜が遊んだ物語の中では、この先誰が何をして、何が起こるのかは決まっていた。


 けれど今、目の前にある事件には、その答えがない。



 確認がひとまず終わった頃には、外はすっかり暗くなり始めていた。


 ヴェティアは、誰もいなくなった廊下で一人、窓の外を見ていた。


 今日、自分は別の場所を警戒していた。


 原作で事件が起こるはずだった場所を。


 そこへ教師まで頼み、ロンドにも協力してもらい、ルミエにも警戒させた。


 けれど、何も起こらなかった。


 その間に、別の場所で人が傷ついた。


(こんな事件、原作にはなかった)


 何度思い出しても、ない。


 似た場面すら思い浮かばない。


(もし、原作に拘らず、もっと別の場所まで見ていたら)


 自分が、敵も計画を変えるのだともっと深く理解していたなら。


 もっと広く警戒していれば。


 今日、あの生徒は怪我をしなかったかもしれない。


「……」


 胸の奥に重いものが沈む。


 原作を信じすぎた。


 未来が変わっていると分かっていたはずなのに、どこかでまだ、大筋だけは同じだと思っていた。


 自分は知っている。


 だから先に気付ける。


 そう思っていた。


 その結果、起きるはずだった場所だけを見ていた。


 そして、知らない場所で人が傷ついた。


(私が、ちゃんと読めていたら)


 その考えが頭から離れなかった。


 原作を知っていた。


 手口も知っていた。


 敵がいることも分かっていた。


 それなのに、防げなかった。


 ヴェティアは窓枠へ置いた手を強く握った。


 知らなかった、では済ませてはいけない気がした。


 自分だけは、知っていなければならなかった。


 そんな思いが、少しずつ胸の奥で大きくなっていった。

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